第5話
ダイニングテーブルに座ってホットミルクを啜っていたのは、あの試験のときにいた赤毛の少年と、時間測定をしていた試験官のふたりだった。
少年は、あの日に着ていなかった隊服に身を包んでいるからか、いくらか大人びて見える。小学1年かと思っていたが、3年生くらいだ。
「母さんと父さんいなくてお茶の出し方わかんなかったから、ミルク出しといた!」
えっへんと得意がる弟の頭を撫でてやる。あの泣き虫がよく成長した。「偉いね」と褒めると、わーい、と雄叫びを挙げて飛行機のおもちゃを飛ばす真似をしながら部屋に向かうのはまだまだ幼稚だが。そのままでいて欲しい。
ファレロはルイスと顔を見合わせた。
赤毛の少年が手を挙げてくる。
「よっ」
軽い挨拶だな、と思いつつ会釈をした。着席を促され、ルイスと共に隊員と対面する形で席に着く。
「僕はジョアン。この人はウィック。魔法隊で1番若いの、2番目に若いの」
少年が自分と時間測定の彼を順に説明した。
「まあ、だいたい予想は付いてるだろうけど、君、明日から魔法隊入隊ね」
目をぱちくり。
ルイスと顔を見合わせて、またジョアンに視線を戻す。そのにっこり顔が本気の物言いだから、ようやく事態を理解した。喫驚してしまう。
「いや全然予想外なんですが!?」
肩を竦めてみせるジョアン。ミルクを気に入ったのか、飲み干している。
「またまたぁ。僕達が来た時点でお察しでしょ?」
「いやいや、どんなに都合良く考えても、君にもう一度チャンスをあげるよ、くらいの申し出かと思いますよ。いきなり入隊なんて。ねえ?」
「でも、ということは惜しいところまで行ってたってことなんじゃない?」
同意を求めたルイスは、希望に満ちた目を輝かせた。毎度のことながら、君が喜んでどうする。
「いや、ていうかね。君、合格だから。あの試験終了後、合議で決まってたことだから」
「なんの音沙汰もありませんでしたが!?」
「本当だったら、あのあとに合格者説明会があったの! なのに君がとっとと先に帰るから!」
「だってこの人が時間切れって言ったじゃん!」
と、ウィックを指差す。ウィックは「いやぁ」と照れ笑い。ぽりぽりと頭を掻く姿は、大雑把な性格が垣間見えた。
「確かに時間切れではあったけど、僕じゃないかって発言したときには時間内だった。だから合格にしようって決定になったわけ、あの当日に!」
「えー! もっと早く連絡くださいよ! 家族に余計な落胆させちゃったじゃないですか!」
特に母の落ち込みようったら。都会に憧れていた部分もあるのか、娘だけでも上京を、と期待していたのだろう。それに、この国での魔法隊入隊は、日本でいうなら、入閣するのと同じくらいに難しい。家族がその一員になった、という誇りを抱けなかった落胆も大きかった。
それにはウィックが反論した。
「違うんだよ! 我々だって懸命に君を探したんだけどね!? 見て、この申請書の君の住所! ゴヤの丘ってどこよ!?」
「え、ここ」
ルイスと声を揃えて答える。
ウィックとジョアンが嘆息混じりに項垂れた。
「あのねえ! 普通の住所は、まるまる町まるまる番街まるまる通り、まるまる番って事細かに数字の住所があるの! こんな抽象的な住所、わかるわけないでしょ!? ゴヤってなに!?」
「あの湖のこと」
また声を揃える。
今度は青筋を立ててウィックが応戦してくる。
「あの湖の正式名称はゴヤじゃない! それはこの土地ならではの通称なんだよ!?」
「へー、そうなんだー」
「俺も騎馬隊試験はその住所で申請したけど、なにも言われなかったなあ」
と、のんびりなファレロとルイスの会話に、ウィックはさらに声を張った。
「そのせいで我々がどんだけ苦労してここに辿り着いたと思ってんの!? 魔法を使えるガサツな女の子を見掛けませんでしたか、ゴヤの丘の上に住んでるらしいんですけど、って何百人に聞いて回ったか、わかる!?」
「えー、隣のばっちゃんに聞いてくれれば一発なのに」
それか探し出す魔法を使えばよかったではないか。というか、それよりガサツってなんだ、おい。
「だからその隣に辿り着くのも──もういい、埒が明かない。とにかく君を発見するのに時間を要したのは紛れもない事実だからね。本当に不本意だが、謝罪する。申し訳なかった。んで、入隊の手続きの話だが──」
続きはジョアンが引き継いだ。
「魔法隊も他の隊と同じく国軍施設内に入寮してもらう。個室。全室トイレ風呂完備。少なくとも5日分の着替えは持ってくること。隊服と靴は指定のものがあるのでこちらで用意する」
ふむふむ。ここまでは想定範囲内。
「隊服代は税金なので大切に扱うように」
「わかりました」
「あと筆記用具、衛生用品は各自揃えること。寮内に食堂があるので食事の用意はいらない。食事は給料から天引きされるので、お金の持ち込みもしなくていい。勤務時間だが、他の隊は間に休憩を1時間挟んだ8時間を朝昼晩の3シフトで回しているが、僕らは──
24時間年中無休だ」
えっ。と声を漏らしたのはファレロでなく、ルイスだった。ちらりと横目で見ると、なんだか焦った顔をしている。
「僕ら魔法隊はいわば希少種。国人口1億5千万人の中で、魔法隊は30人しかいない。君を含めると31人か。それでも人口の割合からすれば0.0000002%しかいないんだ。いかに隊員が貴重か、わかるだろ? だから事故に遭わぬように、事故を起こさぬように、外出は禁じられている」
「……それはつまり、家には2度と帰って来られないと、そういう意味ですか?」
「そうなる。さらに言えば、死ぬこと以外の理由で退職は認められない。怪我をしても老いても、病でも、魔法が使える限り未来永劫、魔法隊でいてもらう」
ダイニングは重い沈黙に満たされた。
真剣に考えなくてはならない場面なのだろうけれど、なんだか想像がつかなくて、ああ、そうなんだ、くらいにしか思えないのは浅はかなのだろうか。
ジョアンはマグカップに手を伸ばし掛けて引っ込めた。もう空なのだ。
「我々は常に訓練し、常になにかしらの任務に当たる。交代要員なんてほぼいないから、寝ていようが食事していようが、なにかあれば出動しなければならない。それがずっと続く。これから毎日。死ぬまで」
と、ウィック。そして懐から小さな紙を出して見せてきた。やたら長い桁数の羅列がある。
「その代わり、給与はこれだけ出す」
「1年で?」
「1か月で」
「1か月!? え、だって、ゼロが5、6、7……」
数え終える前に紙をくしゃりとされてしまったあげく、掌の上で燃えカスにされてしまう。ウィックも本当に魔法隊なのだ。
間違いなく我が家の年収より高かった。マジか。
「そういうことで、明日の集合は午前10時。集合場所は国軍施設第13番館。さっき、騎馬隊がどうのと言っていたな。明日から入隊か?」
「そうです」
と、視線を向けられたルイスが答えた。相変わらず浮かない顔をしている。
「なら事前に荷物の運び入れと、馬の選定があったはずだから施設内の地理把握は出来てるよな? 一緒に来てやれ。迷わずに済む。君はこの通行証を持ってくること」
そして渡されたのは、あの金色の懐中時計だった。ダイニングテーブルに置かれた懐中時計を持つと、ひどく重い。金属にしては重すぎるから、なにか仕掛けでもあるのかもしれなかった。
「わかりま──」
「入隊辞退の申請はどうすれば?」
そう聞いたのは、ルイスだった。