第27話
「ファレロ!」
ルフと共にファレロが飛び去ったあと、駆け付けたのは騎馬隊のルイスだった。
魔法隊の中に暗い色の隊服を着たルイスはよく目立つ。こんな非常事態時に、まさか公私混同してファレロに会いに来たのでもあるまい。なにか用があると踏んで、マルタンが声を掛けてやる。
「どうした、騎馬隊員」
ルイスはファレロがいる空に名残惜しそうに顔を残して、視線だけをちらりとマルタンに向けた。失礼な態度ではあったが、そんなことを指摘してやるほどの余裕は誰にもない。
「あ、あの……住民避難終了の報告を」
住民達はルフによる結界破壊に備えた避難だった。歩兵部隊や騎馬隊にもまだ情報が行き届かず、そのつもりで動いているはずだ。
だからルイスは、攻撃対象であるはずのルフと飛び去ったファレロを見て、身を案じて取り乱しているのだろう。
モリトールは結界を作るために集中を始める。
風雨が強まった。
顔に当たる雨が痛いくらいだ。じきに視界が霞むほどの雨になるだろう。
その前に結界を強化しなければならない。
報告は終わり、持ち場に戻らなければならないはずだが、ルイスはまだそこに留まった。
「なんで……ファレロはどこに行ったんですか!」
魔法隊全員が上官であるのも忘れ、モリトールに詰め寄ってくる。代わりにハンスが答えた。
「雨風は結界で防ぐ。あいつは雷を食い止めに行った」
無愛想な物言いだった。自分の思惑通りにならず、まだ不貞腐れているらしい。
鼻で笑いたくなる。
ルイスは面食らった様子だった。
「か、雷……? ひ、ひとりで? どうやって……?」
「あいつは雷属性の使いだ。その特性を利用して雷を呼びに行ったんだ」
ルイスはぽかんとしたあとで、事の次第を頭が理解して馴染むと、般若のように眦を釣り上げてモリトールに掴みかかった。
なぜ、俺なのだ、とモリトールは言いたかった。
応えたのはハンスだぞ。ハンスに咬み付けと思う。結界作りに集中したいのに、集中できない。
「ふざけんなよテメェ!! ファレロを見殺しにするつもりか!」
ルイスの本性を見た気がした。優しいだけでなく、歯向かう力も持っている。大切なものを守るためなら、尚更といった感じだ。
モリトールは溜息混じりに言った。マルタンもジョアンもハンスも結界を作り始めている。早くしないと。
早く集中しないと。
雑念が多くて苛々する。なんだ、この心のざわめきは。
「ファレロがやると言ったんだ」
「嘘だ! ファレロは雷が大嫌いなんだ! いつ鳴るかわからないから、鳴るたびにびっくりするから嫌いだって、子どもの頃からずっと、ずっとそう言ってた!」
「もうファレロは子どもじゃない」
「なに言ってんだ! 守ってやらないと! あんた、婚約者とか宣っておいてファレロを利用するだけか!」
「ファレロは君に守ってもらわなければならないほど弱くない。目を開けてよく見ろ。ファレロの強さを受け入れろ」
「はあ……?」
モリトールは呪文を思い返した。意識しなくてもシールドは作れるが、集中し、言葉に乗せたほうが強い結界になる。
なのにルイスはまだ食って掛かってくる。
「ファレロじゃ無理だ! 不器用な子なんだよ!」
「知ってる」
自分だって、ファレロを知っている。
「なら、どうして──」
ルイスは絶望したような顔だった。胸倉を掴んでいたルイスの腕を無理矢理引き剥がす。
「ファレロにしか出来ないからだ。君は知ってるか? ファレロの魔力量が、魔法隊一だということを」
腕を引き剥がされた勢いで数歩、後退したルイスは崩れた姿勢のまま問い返してきた。
「……え?」
「俺達隊員が束になって掛かってもファレロには勝てない。つまり、この作戦においてはファレロが最も生存確率が高いということだ。人の実力も知らないで心配ばかりするのは、相手に失礼だぞ」
「……そんな……あの、ファレロが……?」
「わかったなら任務に戻れ」
彼は過去に囚われているようだった。
自分が守ってやらなくてはならないと、信じて疑っていない。彼の中にいるファレロは小さくて弱くて幼い少女のままだ。
だから現実を見せ付けられて、狼狽えている。
モリトールは空を見上げた。薄暗い空に青白い結界が流れていく。
集中しないと。
◇◆◇◆◇◆
「いい? 私を放り投げたら、すぐに逃げるんだよ。待てるのは、ほんの少しだからね」
ルフの背を撫でながら言うと、ルフは小さく鳴いて返事をした。
もう目の前には黒い雲が待っている。
雲は既に森に差し掛かっていて、渦を巻いた風が森を舐め回していた。さらに進んで、渦のそのちょうど真下に入ると、眼球のような渦の中心と目が合った。
ぐんっ、と角度が変わる。
ルフが渦に向かって急上昇をしたのだ。
黒の雲の至るところにある影が明滅し、たらふく帯電しているのがわかる。放電させなくてはならない。
いつだって、人間は自然の牙に噛み砕かれるのだ。けれど、どうか生きるチャンスを奪わないでほしい。
ぐんぐんと目玉が近付いている。雲のひんやりとした感触が頬を撫でた。
途端、ガクン、と視界が下がっていく。
頼んだとおり、ルフがファレロを宙に残して逃げたのだ。
胃の腑がふわりと浮く嫌な感覚に襲われる。ジェットコースターに乗ったときの、あの感じ。昔からとても苦手な感覚だ。
余裕なんてなくなってしまう。
本当ならルフが離れたのを確かめてからと思ったのだけれど、すぐに魔力を込めた。魔制具がないからなのか、調節などしなくてもいいからなのか、光球は風船ガムのように簡単に膨らんでいく。
重い。
巨大化すればするほど、光球の重さが乗数的にふえていく。そしてその重量が、ファレロの落下に拍車をかけた。
もっと大きく。もっと大きく。
自分よりも大きく、あの雲の目玉と同じくらいの大きさになるまで力を込める。
そして頭の中で稲妻をイメージした。掌が痺れる感触があった。ほとんどお腹で支えている光球から、ぱちぱちとした小さな火花が広がっていく。火花は大きくなって、目を開けていられないほど眩しくなった。
世界が明るくなった気がした。
(ああ、これが最期なのだろう)
死ぬって、なにかしら。
どういう感覚なのかしら。
わからないから実感がなくて、怖くもない。
自分の人生の終わりが他人事のように思えた。
渦の目が開いた。雲間でちかちかと明滅したかと思うと、耳を聾するほどの爆音が響く。
衝撃と共にファレロは白い光に包まれた。
「■■■■■」
その名は、かつての自分のものだった。懐かしささえ覚える自分の名がじんわりと肌に染み込んでくる。
あまりの眩さに目を庇っていた腕を下ろした。
そこはなんの影もない真っ白な世界だった。
そして目の前に、白ずくめの大老が立っていた。長い白髪に、白の長い服、杖をついて、頬には3つのホクロ。そして大きな顔の傷。
とても穏やかな顔をしていた。
「感謝する」
発せられた嗄れ声を改めて聞くと、確かにモリトールの名残があった。
よくよく見ると、大老の顔にある傷がゆっくりと端から消えていく。
「モリトールさん、ですか」
「そうだ」
モリトールは小さく頷いた。
やはり、そうだったのか。
ファレロは頬が緩んだ。
なんだか不思議な気持ちだった。未来のモリトールに既に会っていて、今のモリトールはファレロを知らないのだから、頭がこんがらがりそうだ。
「未来は変わりましたか」
また、モリトールは顎を引いた。
「そなたの働きは、素晴らしかった」
腕を組んでみせる。どうしても一言言ってやりたい。
「元々は魔女じゃなかったんですけどね! 人の話を聞いてくださいよ!」
すると、モリトールは視線を落として自嘲した。
そこでファレロは気が付いた。
もしかしたら、モリトールはファレロが魔女ではないという訴えが聞こえていたのかも知れない。けれどもうモリトールには力が残っていなくて、他の誰かを探すことに力は使えず、ファレロをファレロとして過去に生かすことしか出来なかったのではないだろうか。
「……一縷の望みだったのだ。あの雲は三日三晩、国の上に居座って雨を降らし続けた。雨量の異常に気付くまでに時間が掛かり、川は氾濫、屋根は吹き飛び、人々は流され、国民の大多数が死んだ。
残った魔法隊は俺だけだったのだ。
唯一残った魔法使いを皆は崇めた。そうだろう。目の前で神の御業のような魔法を使えるのだから、神のように崇めたくもなる。
だが、俺ひとりになにが出来るという?
助けを求める人は何万といるのに、俺ひとりで、誰を選んで助ければいいのだ。それに、失われた命を戻すことなど、出来はしなかった」
生き残ったモリトールに縋り付く国民は、さぞ多かったことだろう。真面目なモリトールがどれほどのプレッシャーを感じたのか、ファレロには想像も出来ない。
それこそ、寝る間も惜しんで魔法を使い続けたに違いなかった。
『助けて』の数だけ、モリトールは削られていく。
モリトールはさらに語った。
「国民はどんどんと減る一方。さらに、ここが契機だと攻めてくる他国。戦うにつれ、歩兵も騎馬隊も装甲兵もいなくなる。併せて、俺への期待は膨れ上がる。しかし老いは止まらない。だから光魔法を修得した。この目を贄として」
モリトールは濁った瞳を指で撫でる仕草をした。
老いゆえの白内障ではなかったのだ。光魔法を修得するための代償だった。
「光は時間を超越する。それを知っていた。どうしても、今日、救世主が必要だったのだ。そして俺の目の代わりに、光がそなたを見付けだした。なんとしても、未来を変えて欲しかったのだ。……すまなかった」
モリトールの顔の傷はすっかり消え、濁った瞳に色が戻っていく。映画の早戻しを見ている気分だった。
モリトールの性格を知っているぶん、もう責める気にもなれない。彼は軍人として、駆け抜けようとした。それだけだった。
ファレロはわざとお気楽そうに笑った。
「まあ、終わりよければって奴じゃないですかね。でも、髪が長いの似合わないですよ」
言うと、モリトールは長い髪に触れた。
「古い書物に、髪に魔力が宿ると記されているものがあったのだ。そんな迷信にさえ頼らざるを得ないほど、俺は追い詰められていた」
声に張りが戻った。
効率主義のモリトールが髪を伸ばすなんてことをするくらい、切迫していたのだろうと思うと、茶化して申し訳なくなった。
「……そうでしたか」
しかし、モリトールの顔に悲しみはもうない。綻んだ頬が、悲惨な未来の消失の証拠だった。
きゅっと顔を引き締めたモリトールは、背筋を伸ばしてから、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとう」
姿勢を正したモリトールの髪が短くなり、白から紺へと色が戻っていく。肌のシワが消え、体の筋肉が増えていく。大きすぎる服は、見慣れた隊服へ。
最後に見たのは、記憶に新しい姿のモリトールだった。
「よかった……」
無事に未来がいいほうへ変わったのであれば、それでいい。
そうしてファレロは瞼を下ろした。
けれど、目を見開いた。
腕を掴まれたからだ。見れば、左手をモリトールに手を掴まれている。
「え? どうしたんですか? まだなにか言いたいことがあるんですか?」
モリトールが眉根を寄せた。
「は……? 俺はなにも言ってないぞ」
「やっぱりお爺ちゃんになると物忘れがひどくなるんですねえ」
「お、お爺ちゃん?」
「モリトールさん、何歳なんですか? 80歳くらい?」
「18」
「……おん?」
「だから、18歳だ。ついこの前、教えてやったばかりだろう」
「はちじゅーじゃなくて、じゅー、はち?」
目をぱちくり。
ふと視線を逸らすと、モリトールの背後にはまだ色の濃い雲が空に蔓延していた。
雨も風も、まだ強い。あの白い世界ではなくなっている。
と、いうことは──
「……もしかして現代!? 今のモリトールさんですか!? 若者モリトール!?」
「雷に打たれていよいよおかしくなったのか」
「いや、ていうか、いつの間に……?」
神出鬼没すぎてジジイモリトール迷惑すぎるんだが。
それよりも、どうやらファレロは雷を受け止めたあと、海に叩き付けられるところをモリトールにキャッチされたらしかった。浮いているモリトールが腕を掴んでくれていなければ、足が波に付きそうである。
間一髪といったところか。
「でも、なぜここにいるんです? 結界は?」
「戻るぞ」
「あ、はい」
理由も説明してくれないせいで訳もわからず、モリトールの浮遊魔法で引っ張られていく。ぷいーん。




