第26話
「雲?」
結界に戻ってきたファレロは、ルフに乗ったままマルタンに見た事実を伝えた。
「そうです。多分、雨もひどくなるし、風も強くなります。家が吹き飛ばされたりするかもしれません」
いまいち、マルタンはピンときていないらしかった。あの姿を言葉にできないのが悔しい。ファレロは日本で暮らしていた過去があるから、災害の怖さを知っている。
テレビで見た悲惨な光景が目に浮かんだ。
繰り返してはならない。あんな、悲しみと憎しみしか生まない事実に直面するのは、ひとりもいなくていい。
逆に怖くもあった。災害に対して無防備なこの国にどれだけの被害が広がってしまうのか、想像を絶するだろう。
「川が氾濫したら、ことごとく流されます。住む家も、人も、全部流されます。なんとかしないと」
「あとどのくらいで上陸しそうなんだ」
そんなのわかるわけなかろうが。
しかし、ルフの必死さを見るに猶予はないはずだ。
「今日中には、おそらく」
そのとき、遠くの空から爆撃のような音が鳴った。雷鳴だった。
轟音。
とうとう地面でも割れたかと思うほどの音だった。
その迫力たるや、マルタンの顔を青褪めさせるほどだった。とにかく空にいては危ないと、地上に降り立つ。
ルフをその場に残して、結界の中に戻った。
「まずいレベルの雨雲が近付いているのは理解した。雨風は結界を強化すれば物理的排除も可能になるから大丈夫だろうが、あの雷が何度も落ちたら結界が壊れる。雷だけでもどうにかする必要があるな」
マルタンはぺしぺしと額を叩きながら歩き回った。この国では自然災害はかなり珍しいのかもしれない。
「今は落ち着いているように聞こえます。つまり、海の上で落雷しないのは、目標がないからでは? シールドを張っておけば、目標物がなくてそのまま国を通り過ぎてくれるかもしれません」
ウィックが言ったが、マルタンは首を振った。
「それで次の国へ押し付けるって言うのか? そんなこと、出来るわけないだろう。それこそ戦争になるぞ」
「ならば、わざと目標物を置くのはどうでしょう」
今度はハンスが提案した。
ルフに太刀打ちできなかったせいで先まで浮かない顔をしていたが、マルタンが興味深そうな眼差しを向けてきたので、俄然、饒舌になった。
「雷はどこに落ちるかわからないから怖いのです。落ちる場所さえあれば、そこに何度も落雷して雷もいつかは底を付くはずです」
「理屈としてはそうだろうが、国内にいくつも目標物を置くのは無理だ。時間も、安全な場所もない。あの森以外はすべて人が住んでいる。被害があるかもしれないのに、危険を呼ぶ目標物は置けない」
「なら巨大な目標物をひとつ、森に置いておけばいいのです。人里に入る前にドでかい雷を落とせば、きっと勢力は落ちるでしょう」
マルタンは立ち止まっていた。ハンスの考えに傾きつつあるようだった。
「まあ、そうだな……。悩んでる暇はない。ハンスの考えに賭けよう。総員配置につけ! 国土を覆う結界をはる! 最大硬度で張れ! モリトール、ジョアン、ハンスと俺はこの場で結界を張る! 他のものは拠点に向かえ!」
魔法隊はすぐに馬の手綱をひき、空に向かって走っていった。どの顔も不安はなさそうだから、雨風は凌げそうだった。
マルタンは思案に戻った。
「俺は目標物を調達してこなければならない。木よりも高くて、雷が落ちやすいものがいい。金属か? 装甲兵に剣を──」
「マルタン隊長。今こそ魔法隊の力を見せるときですよ」
マルタンの思考に横槍を入れたハンスは、まだ語り足りないようだった。しかし先の妙案の提案者でもあるから、マルタンも無下には扱わなかった。
「どういう意味だ?」
マルタンが訝しげに問うと、ハンスは水を得た魚のようにファレロを振り返った。
「お前、雷属性だろ?」
ファレロは思わず声を漏らした。
「えっ」
まさしく、そのとおりだったのだが、なぜそれを今、聞いてくるのだ。ハンスは詰め寄ってくる。
「光を扱うくらいだ。雷属性だろ? 違うか?」
「たしかに雷だけど、でも、それがなんの──」
「お前が雷を呼ぶんだ。雷は雷に引き寄せられる。ほら、名案です! 絶対に剣よりも確実な目標物になりますよ──」
ハンスを殴ったのはマルタンだった。頑健な腕に殴られたハンスはぬかるんだ地面に尻餅をついて、しばらく立てなかった。目を白黒させて、自分の状況を噛み締めているように見える。
マルタンは心底憎らしげに吐き出した。
「お前、仲間をなんだと思ってやがる」
つまり、私に避雷針になれ、と。
まあ私を嫌うハンスらしい考えではある。なんでそんなに嫌われているのかはわからないけれど、人は人をなんとなくで嫌う生き物だから深くは考えまい。
ファレロは避雷針について考えた。
本当にそんなことが可能なのだろうか。
ハンスは負けじと声を張った。
「だって、他にこいつの使い道なんてないじゃないですか! 魔力調節もまともに出来ないゴミですよ!? 補欠で入ってきたような奴が活躍できる貴重なチャンスですよ! いや──
こいつはきっと、今日のために生きてきたんですよ!」
その言葉に、はっとした。
そうかもしれないと思ったのだ。
こんなにぴったりな役どころがあるだろうか。
雷だけをどうにかしなければならないという場面に、魔力だけは有り余る雷属性の魔女。
大老は、もしかしたら、そんな魔女がいてくれれば世界は滅びずに済んだのにと思いを馳せたのかもしれない。
大老は、初めから──。
なんだ、死ぬために来たのか。
なんだ、殺すために呼んだのか。
残酷な人だなあ。
ここで自分が動かなければ、自分諸共死んでしまう。
(どうせ死ぬなら、か)
「隊長、私、やりますよ」
「なに言ってるんだ」
止めたのはモリトールだった。
驚いたのはハンスだった。もしかしたら、そんなこと出来ませんと泣き付くのが見たかっただけなのかもしれない。
(残念だったな、馬鹿め!)
とは幼稚なので言わないが。
モリトールはファレロの腕を痛いくらいに掴んだ。だが、その表情は諦めているのでもなく、怒っているのでもなく、なぜだか苦しそうだった。
「君には無理だ」
心配ばかりかけているなと、本当に情けなくなる。
なにひとつまともに出来ないと、期待もされないのか。ファレロは苦笑した。
未来のあなたが望んだことなのだと、言えたらどんなに不思議そうな顔をするだろうか。俺はそんな非道なことはしないと言うだろうか、それとも考えを改めて、人の話をよく聞く心優しい人になるのだろうか。
ファレロは真実を隠した。
「そうかもしれません。けど、そうじゃないかもしれません。それに、雷を呼び寄せるのなら、魔力調節とかしなくていいんですよね? 思い切り、やってきていいんですよね」
マルタンに一蹴されてしまう。
「その提案は却下する。あまりにも危険だ。ファレロが自分のシールドを作る暇もないし、俺達は国を守るシールドで手一杯だ。みすみす死にに行くようなものだぞ。許可出来ない」
「でも、それが一番被害を食い止められるなら試してみたほうがいいんじゃないですかね」
マルタンの顔が歪む。
「試す、ってお前、自分の命をなんだと思ってんだ?」
「そうだよ、ファレロ。結界が壊れたらまた貼り直せばいいんだから」
「いつまで?」
ジョアンに問うと、押し黙った。ファレロは続けた。
「あの雨が国の上で滞留したらどうなるのでしょうか。1日、2日、シールドを壊れては直し、壊れては直しを繰り返すのは無理です。魔法隊は30人しかいない」
「31人だよ!」
ジョアンの数の訂正に、ファレロは嬉しくなった。ああ、私のことも数に入れてくれるのか。
「魔力調節を練習してわかったんです。張り続けるのと、作り直すのでは、作り直すほうがずっと疲れます。そんな危険は冒すべきじゃない」
あとは誰もなにも言わなかった。この案よりも優れた発案ができないからだ。答えは自ずと決まってくる。
「こうやって言い合ってる間にも、あの雲は近付いてきてます。もうそこまで来てるかも。早くしないと。森に入る前に、放電させておいたほうがいいと思います」
「ファレロ、お前なぁ! いい加減に──」
それでもマルタンは隊長として、隊員に死ね、とは言えないようだった。だがファレロは遮った。
「未来を変えてくれと期待されたのに、ごめん失敗したと言いたくありません」
予想通り、その場にいた面々は不思議そうな顔をした。まあ、そうなるでしょうよ。くつくつと笑いたくなるのを堪える。
「……なに言ってんだ?」
「ま、とにかく、皆さんはシールドを張ってください。私は崖で雷を呼びます」
魔制具なんているか。
ファレロはピアスを外そうとしたが、キャッチが固く嵌っていてうまくいかない。もどかしく感じていると、モリトールの手が伸びてきた。ぎゅっとキャッチを掴んで、ピアスを外してくれる。
「世話が焼ける奴だ」
こんなときまで嫌味ですか、と頬が緩んでしまう。
「ありがとうございます。いててて、痛いです、もっと優しく!」
「俺は国を守る」
「はい」
「君はその最前線に立て」
「はい」
なんだか、エドゥアールの言葉に対するファレロの言葉みたいだった。──女が命を賭けたらいけないんですか。
「そして生きて帰ってこい」
それは予想外の言葉だった。驚いて顔を上げると、やっぱり苦しそうな顔のモリトールがいる。
「3ヶ月後には結婚式だ。俺ひとりでバージンロードを歩けとでも言うつもりか」
「え、あ、そ、そうですね」
なにが、そうですね、なのか。自分でもよくわからなかったけれど、モリトールの語彙力を総動員した激励なのかもしれないと思うと、茶化す気持ちにはなれなかった。
「生きて帰ってこい。──君なら出来る」
もう、それ以上の言葉はいらなかった。
それだけで充分だった。
「はい!」
ファレロは駆け出した。結界の外に飛び出すと、ルフが待ち侘びたとばかりに非難めいた目を向けてくる。
そのまま背に乗って、海に向かった。




