第18話
「来週、隣国の皇太子がくる。来賓歓迎の祝宴が催されるため、我々も最低人員を残して王城に向かう」
ある日の朝、マルタンは魔法隊を講堂に集めて語り始めた。
本来であらば何ヶ月も前から訪問の意思を示してもらい、その上でゆっくりと着実に準備をするところ、今回は急な申し出があった。
王城は大慌てで食材や装飾品を揃え、祝宴成功に躍起になっている。街は浮足立ち、こういうときこそ気を引き締めなければならない。
軍としての最大の責務である警衛については、既に装甲兵や騎馬隊、歩兵連隊が計画案を提出している。我々は式典にのみ参加するため、正装を用意し、身なりを整えろ。
つまりはこういうことらしかった。
会議が終わり、ぞろぞろと講堂を出て行く隊員。モリトールとファレロも続いたが、皆がそのまま食堂に向かって朝食を摂ろうという流れに反し、モリトールは自室へと向かった。
見張り明けとあって空腹だったが、ファレロも従うしかない。
あの日以来、モリトールは会話をしてくれなくなった。
なにをしろだとか、次はなにをするだとか、そういう指示の類も一切なく、ファレロは文字通り金魚の糞のようにモリトールに付き従って歩くしかなかった。
幸い、先日の結界は完璧に修復されており、また1か月は問題ないらしいが、念の為に装甲兵が交代で見張りをし、異常があれば報告があがってくる手筈になっている。
だからトラブルもない毎日はいつもと同じ繰り返しで、モリトールが指示をしてくれなくても、なんとかなった。
部屋に戻ると、モリトールはクローゼットを開けてなにやらを探し始めた。
「正装はあるのか」
久しぶりの質問だった。
ファレロは聞き間違いのような気がしたけれど、多分、話し掛けてくれたと信じて応えた。
「正装って、隊服とは違うんですか」
「違う。ジャケットは裾が脹脛まで長いものになるし、左肩にエギュレットが着くし、靴もブーツになる」
「エギュレット……?」
モリトールはずらりと並ぶ隊服の中から1枚を取り出した。それがどうやら正装といわれるものらしい。あまり袖を通していないのか、まだ新品同様だった。
「この左肩から胸あたりまでの装飾のことだ」
「ああ! 紐みたいなやつですね。正装はどれも持ってないです」
「普通は何ヶ月も前から予定がわかっているから、当日までに正装が支給されるものなのだが、今回は突然だから間に合わないんだろう。ぎりぎりまで待って、支給されそうになかったらジョアンから借りるといい。体型が1番近い」
「わかりました!」
ほんの少し、安心した。
このままずっと会話もなく気まずい毎日を繰り返したらどうしようと思っていたので、今の会話でわだかまりが解けた気がする。
「食事より先にトレーニングに行くぞ」
「はい!」
よかった。気まずいのは苦手だ。常に気を使って疲れてしまうから。
◇◆◇◆◇◆
話題が出来て助かった。
モリトールはこれまでほとんど謝罪する場面がなかった。いつだって清廉潔白で、誤ったことはせず、常に優等生。人と衝突することもあったけれど、どう考えても優秀な自分に対する嫉妬や僻みが原因で、自分に非があると考えた経験もなかった。
しかし、ファレロに対するあれは間違いなく自分が悪かった。
それこそ、ファレロの才能に対する僻みと妬みだった。
ファレロは天才ではない。
天才であるなら、とっくに魔力調節も出来て多種多様な魔法を駆使しているはずだ。それなのに未だに魔力調節もおぼつかないということは、やはり彼女も努力型なのだろう。与えられた武器が大きすぎて、使いこなすための技術を磨く。そうでなければ戦えない。
ファレロだって、自分と同じ。これから努力をかさねるのだ。
そう思い至るのが、遅すぎた。
遅すぎたから、ファレロを押し倒して吸い付いた。
ランニングしながら、モリトールは叫び出したくなった。なんて恥ずべき行為!
だから合わせる顔がなくて、なんて声を掛けたらいいかわからなくて、今日までずっと無言を貫き通していた。
(本当に、正装の話題が出来てよかった……)
そうでなければ、また今日も無言で1日を終えるところだった。
それにしても、なぜファレロはこんなにも従順で健気なのだろう。なにも言わない指導者に文句1つなく、ぴったりと付いてきて、今日なんて嬉しそうでもある。
一風、変わった子なのだろうか。
他人がどう思うが気にしないタイプだろうか。
「はい、なんでしょう?」
じっと見つめすぎた。ファレロはモリトールの視線に気が付いて声を掛けてきた。
ランニングにもだいぶ付いて来られるようになった。
「いや。身なりを整えろとの命令だから、その髪をどうにかしたほうがいいのでは、と思って」
つい、誤魔化してしまう。
「……えっ! 髪型!? 変ですか!?」
「伸びっぱなしで毬栗に似てる」
「ひぇー! 気にしてなかった!」
「施設内に散髪屋があるから、そこに案内してやる。代金は天引きだ」
「便利ィ!」
笑うファレロに、ほっとした。
◇◆◇◆◇◆
そして来賓祝宴当日。
ファレロは昨夜やっと届いた正装と悪戦苦闘していた。エギュレットの他にサッシュなる赤い襷のようなものも掛けないといけないらしく、はっきり言って、まったく着方がわからない。ブーツとシャツとサスペンダーベルトは着終えたものの、ジャケットのボタン留めさえ、ままならなかった。
「まだ着てないのか」
「すみません……ボタンがいつもの隊服と違うからよくわからなくて」
「世話の焼ける奴だ」
言いながらも、モリトールはボタンを留めてくれた。エギュレットとサッシュも整えてくれる。
「髪をセットしてこい」
「え、髪? この前、ちゃんと切りましたけど」
「正式な宴だ。髪をセットするのも義務のうちだ」
言われてみれば確かに、モリトールの髪がしっかり整えられていて、普段は隠れている額が見えている。ははーん、そういうものですか。しっかりした場面というのがないため、常識というのがわからない。
「梳かせばいいですか?」
すっ、すっ、と手櫛をしてみせると、モリトールがあからさまに眉根を寄せた。
「整髪料を持ってないのか?」
「あ、ないです」
盛大に嘆息つかれる。浴室に行ったかと思うと、なにやら小瓶を手に持って戻ってきた。掌に瓶からオイルを垂らし、ファレロの髪に塗り付ける。
「わ」
「動くな」
言葉は強かったけれど、手付きは優しかった。普段の口調からは考えられないほど、柔らかな触れ方だった。
ふんわりと前髪を上げ顔を顕にし、さっと横の髪を耳に掛けて終了。男の人は楽でいいなあ、なんて思いつつ。
「これでいい。行くぞ」
「はい!」
ふたりは王城へと向かった。




