第17話
「さすがに濡れたままは寒いですねぇ!」
自分を抱くようにしてブルブルと震える肩を押さえてみるも、奥歯ががちがちと噛み合わさって余計にうるさい。レインコートみたいなものはないのか、この世界には、と憎々しげに思いつつ、寮の部屋に戻るやローブとジャケットを脱いだ。籠に入れると、水分を吸ったせいで重そうな音を立てる。
「モリトールさん、先にシャワーに行ってください。風邪引きますよ」
だが、モリトールは入口に突っ立ったまま動かない。ドアを閉めもしないのは、珍しかった。
「モリトールさん?」
早速、具合でも悪いのだろうかと顔を覗き込むと、キッと睨まれた。ぎくり、とする。迫力のある眼差しだった。かと思えば胸倉を掴まれ、捻り上げられる。ほとんど爪先立ちになったファレロは驚いて声も出なかった。
しかもそのままモリトールは歩き始めた。
宙ぶらりんになった爪先で抵抗を試みるけれど無意味で、されるがままにベッドに押し倒される。間髪入れずに両手首をそれぞれ掴まれ、ベッドに縫い付けられてしまった。
ぼたぼたと、モリトールの髪から雨水が滴り落ちてきた。
「調子に乗るなよ」
地を這うような憎しみの声。
髪の隙間から見えるモリトールの目が怖い。
箍が外れてしまったみたいに、理性がなくなってしまっている。
「……え」
「持て囃されてるからって、君が優秀なわけじゃない」
「あ、あの、モリトールさ──」
「君にあるのは、ただの膨大な魔力だ。それだけだ。使いこなす技術もなければ、その素質もない」
ぎり、とモリトールの爪が腕に食い込む。
やはり、怒っているのだ。先程のピンチになにも役に立てなかったから、その不甲斐なさを怒っている。
ファレロは謝った。心から、そう思っていた。
「す、すみませ……! 私、足手纏いで──」
「ああ、そうだ。君は使えない奴だ。俺よりも弱い。弱いはずなんだ! その証拠に、今、逃げることもできないだろ」
「え──」
そうして強引に唇を塞がれた。
分け入ってくる舌が乱暴にファレロの舌を弄くり回して、痛いくらいだった。かと思うと、首筋に吸い付かれる。チクリとした痛みに我に返った。
「モリトールさ……! 離して下さい!」
「逃げてみろよ。弱いくせに」
「なに言って……!?」
「なにやってんだ、モリトール!」
そこへ、開け放たれたままのドアから駆け込んできたのはジョアンだった。少年とは思えない力強さでモリトールの腕を掴み、引き剥がしてくれる。
壁に背中を打ち付けて、その場に座り込んでしまうモリトール。
混乱しているらしいジョアン。
ファレロは目を瞬かせた。なにが、どうなっているのかわからない。
「なにしてんだよ」
ジョアンが言ったが、それは追求というよりは、お前がこんなことをするなんて信じられない、という悲痛が込められている気がした。
モリトールは顔も上げずに吐き捨てた。
「……別に。上下関係をわからせただけ」
「上下関係……? な、なに言ってんだよ。とにかく隊長に言わないと」
ジョアンは早足で踵を返した。
そうしたら、きっと自分はモリトールと一緒に行動しなくなるだろう。モリトールはそもそも指導役なんてしたくなかったようだし、そのほうがいいかもしれない。
だが、ふと考える。
大老の傷が今日のものではなかったとしたら?
本当は今日、モリトールは無傷で生き抜いたかもしれないし、負傷したのはそのあとのことかもしれない。
ファレロは未来でなにがあったのかを知らないから、未来を守る手掛かりは大老の怪我くらいしかなかった。未来を変えたという証拠が、大老に傷を付けないくらいしか、思い付かない。
大老と同じ位置に黒子のあるモリトールが大老なのだとしたら、モリトールの近くにいないと未来を変えられない。
だからファレロはジョアンを呼び止めた。
「わ、私が、モリトールさんを怒らせたんです」
言うと、ジョアンは振り返ってきた。
ハンスは入口のところでニヤついている。嫌な笑い方だ。
「だから、大丈夫です。隊長には報告しないでください」
「でも、こんなこと……! それに、ふたりは同室だし──」
「大丈夫です! なんの問題もないです!」
なんの根拠もない「大丈夫」かもしれなかった。けれど、そう言うしかない。今、ここでモリトールと離れてしまったら、自分が来た意味がなくなってしまう。それだけは避けなければならない。
ジョアンは迷ったようにファレロとモリトールを見比べて、これまでのモリトールに賭けることにしたようだった。
「わかったよ。でも、なにかおかしなことがあったら次は見逃さずに隊長に報告する。いいね?」
「はい、わかりました」
ジョアンは心配そうに、もう一度だけモリトールに視線を向けながら部屋をあとにした。
ドアが閉まり、ふたりきりになる。
ファレロは、こういうとき、モリトールになんて声を掛けたらいいのかわからなかった。隊のお荷物に、いやモリトールの足枷になっている自覚はあったが、調子に乗ったつもりはなかった。どの言動が気に障ったのだろうか。
モリトールがぽつりと呟いた。
「庇ってくれなんて言ってない」
「庇ったわけでは……」
別の陰謀があるからで、庇ったわけではない。しかしそれを言うと、さらに怒らせてしまいそうだった。
案の定、モリトールの拳がぎゅっと握られる。
「じゃあ、なんのつもりだ」
「えっと、それは、その……モリトールさんの傍にいたいからです」
素直に言うと、モリトールが俯いていた顔を上げた。
眉間に皺が寄り、不愉快そうだ。
「どういう意味だ? まさか、発情してるのか?」
「ち、違います! だから、えーと」
まさか洗いざらい説明して、大惨事を迎えているらしい未来を守りたいとは言えない。だから必死にご託を並べた。
「よ、ようやく毎日のリズムもわかってきましたし、なんだかんだモリトールさんは面倒見がいいし、ほら、さっきも結局、盾を使うの手伝ってくれましたし、優しいといいますか、それに、厳しいトレーニングのおかげで体力も付いてきましたし、だから、その、やっとモリトールさんの指導に慣れてきたというか、今、指導役が変わってしまうと、またイチから逆戻りになってしまいそうというか、だから、えーと──
とにかく!
モリトールさんに指導を続けてもらいたいんです!!」
としか言えない。
理路整然と納得させるだけの演説が出来るのであればそもそも日本で就職していたし、ここに飛ばされていない。
モリトールはまた目を細めて表情を歪めたけれど、それ以上はなにも言わなかった。無言でシャワールームに消えていく。
ひとりになって、ファレロはどっと息を吐いた。
(こ、怖かったあ……)
男の腕力をまざまざと見せ付けられた気がした。
◇◆◇◆◇◆
ありえない。
ありえない、ありえない!
頭からシャワーを浴びつつ、モリトールは自分の両手を凝視していた。
火傷している。
原因はわかっていた。ファレロの光の盾を浮遊魔法で動かしたときだ。直に触れたわけではないのに、物凄い熱があって、じりじりと皮膚が焼け爛れていくのを感じた。
だが、認めたくない。
この自分が、あの女の魔法さえ満足に操ってやれないだと……!?
「馬鹿な……!」
自分は毎日、努力してきた。
書物だって読んできたし、戦略思考も学んだし、魔法の訓練もトレーニングも欠かさないし、それに才能だってあった。誰より細かい魔法が出来たし、誰よりも大きな魔法も出来たし、覚えるのも早かった。
首席は俺だ!
それなのに、まともにトレーニングにも付いて来られないような女の魔法に敵わないだと!?
あの女の魔法を操る器が、俺ではないだと!?
あんな、あんな……才能だけの奴に!
努力もしないで、才能だけで魔法隊に入ってきた奴に!
もう指導なんてしたくない! 指導なんて……!
モリトールは両手に治癒魔法を掛けて、跡形もなく傷を消した。一刻も早く、ファレロの盾を操っただけで怪我をしたという事実から目を背けたかった。
そして掌が元通りになると、何食わぬ顔で体を拭き、バスルームを出た。
すると、パタパタとファレロが駆け寄ってきた。文句でもあるのかと思いきや、その両手には薬箱が持たれている。ふと見ると、ファレロが家から持ってきた荷物が漁られていた。持参したものらしかった。
「両手の傷を……」
そして遠慮がちにモリトールの手を取る。その手がぎょっとするほど冷たかった。雨に打たれたまま、ずっとそうしていたから体が冷えてしまったに違いなかった。
だが、ファレロが取った手に傷はもうない。
「あれ……?」
手をひっくり返してみたり、掌を撫でてみたりするけれど、傷はない。
「怪我なんてしていないと、言ったはずだ」
ファレロは目をぱちくりとして、再び掌を見て、ようやく自分が勘違いしたと結論に至ったらしかった。治癒魔法という発想さえ、ないようだ。
「すみません……また、間違えてしまいました……」
悪びれた様子で鞄に薬箱を仕舞うファレロの背中に、無性に腹が立つ。
今度は嫉妬ではなかった。
あんなことをされたのに、未だ人を慮るその純情さが、まるでお前は彼女よりも汚い奴なのだと思い知らされるみたいでむかっ腹が立つのだ。
「……早くシャワーに行け」
「は、はい!」
それしか言えない自分が情けない。
モリトールはベッドに座り、顔を覆った。
「なに、やってんだ……俺は」
呟くと、ぶわりとファレロの唇の感触が蘇ってくる。
そして、自分を見上げてくる潤んだ瞳も。
思わず、親指で唇をなぞった。
鳥肌が立った。




