第15話
程なくして、魔法隊にとって最重要任務の日がやってきた。月に一度訪れるその日を『結界の日』と呼ぶと、ファレロはモリトールから教えられていた。
話によると、この世界には魔物や野生動物が多くいて、そんな生物がいる森と隣接していることから、この国は軍事力を強化して国土に魔物達が侵入しないよう結界を張っているらしい。
(そうだったかなぁ。普通に森で遊んでたけどなあ)
と、思いつつ、馬に乗ってモリトールの後を追う。
魔法隊はすべて5人組の6班に分かれ、国を囲めるように散在する結界の起点に向かっている。ファレロは問題児であるからと、魔法隊筆頭の実力の持ち主、モリトールとマルタンと同じ班になった。
なんでこんなに下手くそなのかしらと、つくづく思う。魔法隊にきて1か月が経とうとしているけれど、モリトールの言い付けどおり毎日欠かさず調節の練習をしている。むしろ暇さえあれば調節しているというのに、うまくなる気配がない。
(本当に才能がないってムカつく)
ある一定の力までずっと光の球が現れなくて、あと少し力を込めてみようとすると、あっという間に光の球が出来て膨らんでしまうから小さく留めるというのが難しいのだ。
「俺達が向かうのは最も危険な国境だ。森の最も近くにあるうえに、魔物が大きい。森の主と呼ばれている大きなルフがいる。ロック鳥と呼ばれる鷲に似た巨大な鳥だ。象3匹をいっきに運べる怪力を持っているから、他の魔獣達も近寄らない。そいつが来たら防戦一方になるから、注意して空を見ておけ」
背中越しにモリトールが言う。
「わかりました」
しかし純粋な日本人だった頃から魔物なんて映画の中にあるだけの存在のため、なかなかピンとこない。そんな奴、いるんだぁ、くらいの気持ちだ。
首都を出て丸1日が経つ。初めこそ風の魔法とやらで、いくつもの町や村を超えてきたのだが、森の近くになると地に降りて馬を使うことになった。魔物達が魔法に気付いたら襲われる危険性が高まるらしい。
そもそも魔物はどうして襲ってくるのだろう。
肉食なのだろうか。
雨が降ってきた。しとしと雨がいつしか本降りになり、ローブのフードを被ってなんとか凌ぐ。空気はぬるいのに、雨は冷たくて、なんだか奇妙な不愉快さが肌に張り付いていた。
「よし、ここだ」
鬱蒼と草木が生い茂った場所で戦闘のマルタンが止まった。ファレロからすればなにもないように見えるのだけれど、玄人達には目印のようなものが見えているのだろう。
「俺と、モリトールと、あとふたりは結界に注力する。ファレロ達は周囲を警戒していてくれ。ファレロ、変な物音を聞いたらすぐに言うんだ。目はいいな?」
「はい。遠くまで見えます」
「よし、少しでも異変があれば報告しろ」
「はい」
そうして、指名された4人は一列に並び、知らない言葉を繰り返し始める。青白い光がぼんやりと地中から現れ、空へと伸びていく。
(ほわー……すごーい。いけない、いけない、警戒しなければ)
ついつい見惚れてしまうところだった。
6か所から結界を伸ばし、癒着させることで全土を守るらしい。要は何枚かの生地を合わせて球体にするサッカーボールと同じだ。
これを月に一度、結界の効力が弱まる前に強化をするのが魔法隊の最大の役目らしい。
「よし、完成だ。帰還するぞ」
揃って森を抜けようとした、そのときだった。
風の音を聞いた。
この音は、聞き覚えがある。
この音は──
答えに行き着くより先に、ファレロは目の前のモリトールに飛び掛かっていた。ふたりが地面に転がる。そのすぐ傍に矢が突き刺さった。
ファレロの爪先の、すぐ傍だった。
はっと息を呑んだのはモリトールだ。モリトールが叫ぶ。
「敵襲!」
服の擦れる音はほとんど揃っていた。
マルタンを始め、皆が左手に小さなシールドを張り、手持ちの盾のように持つ。中央に背を向ける形で円陣を組み、敵からの攻撃に備える。
それにしては攻撃がない。
「……なんだ……?」
一発目があるとすれば、続々と攻撃を仕掛けてもいい気がするのだが。
「モリトール、結界を破られた気配はあるか」
「ありません」
そこで、円陣に出遅れたファレロは、モリトールの背中に声を掛けた。
「あの、この矢って多分──」
「君の出る幕じゃない、黙ってろ!」
「で、でも──」
「静かに!」
ファレロは悩んだ。ここは上官に逆らって意見を述べるべきじゃなかろうか。それともこっそり光球の監視カメラ機能を使って確かめてしまおうか。いや、バレないはずがない。
ファレロは怒鳴られるのを覚悟で言った。
「これ、玩具です!」
すると、モリトールが振り返ってくる。
「は……?」
「この矢、田舎で流行った手作りの奴です。私が森で遊ぶときも、カッコつけて持ち歩いてました。こんなの持ってるの、子どもくらいです」
マルタンとモリトールが目配せをして、モリトールが動いた。突き刺さった矢を引き抜くと、先が丸くなっている。鋭い石はない。雨天であるのと地面が腐葉土であるのが相まって、容易に刺さったらしかった。
つまり──
「子どもがいる可能性があるってことか!」
「なんでこんな森に!? 結界を越えたら、一発で魔物の餌ですよ!」
「とにかく、子どもを見付けるぞ!」
「結界を越えるってことですか!? この人数で!?」
「魔法隊のくせに子どもを見捨てるつもりか!」
マルタンと隊員達が口論している間にも、モリトールはなにやら魔法を繰り出していた。
「地面に雷を走らせます! 生きた人間がいれば、感電の痛みで叫ぶはずです!」
「よし、それでいこう──待て、この音は?」
マルタンが気付いたのは、低い音だった。
太鼓が腹に響くような、臓腑を揺さぶる音。
地鳴りだ。
しかも、次第に大きくなってくる。
「さがれ」
マルタンが言った。
皆が一歩、引く。
勘違いとは言えないほどに地鳴りが大きくなると、木の影から少年が3人、飛び出してきた。
「助けてぇ!!」
10歳前後だろうか。土塗れで、涙と鼻水で顔が判別出来ない。ひとりの少年の手に玩具の弓が握られている。
少年達はすぐにマルタンの後ろに隠れた。
「なに──」
なにをしてるんだ、とマルタンは言い掛けたのだろう。
だが、問う前に理由は判明した。
魔物が突進してきたのだ。
ファレロは魔物の名前を知らなかった。姿形はダチョウのようだ。脚が長く、首も細長い。嘴があって、飛べはしないらしい。
驚いたのは、その大きさだ。
生えている木に相当する巨大さ。
やばい、死ぬ。
そう思ったのだが、ダチョウは見えない壁に衝突してギャンッと悲鳴を挙げた。
結界だ。
ほっとしたのも束の間、ダチョウは一匹ではなかった。
また一匹、さらに一匹。
しまいには雪崩のように結界に群がり始める。
ばちばちと結界に当たる音が、もはや雷鳴に等しかった。
「なぜだ、なぜ、こんなに……お前達、なにをしたんだ!」
マルタンが叱りつけると、少年達は泣いて語り出した。
「ごめんなさいー! こいつらの卵が高く売れるって聞いたから……」
「盗んだのか!? 早く寄越せ!」
「それが……」
「まさか、割ったのか!?」
「ご、ごめんなさい」
「馬鹿な!! 魔物の卵を割るなんて!」
ダチョウは増えつつある。
「とにかく、こいつらが諦めるまで結界を保つしかない! 攻撃はするな! 非はこっちにある! 逆上して取り返しが付かなくなるぞ!」
「はい!」
皆は、また一列になって結界を張り始めた。なにやら思いの外、ピンチらしい。
とにかく、子ども達をもう少し後ろに下げたほうがいいだろう。
「君達、こっちにおいで。隠れてな」
少年達はすぐにファレロの促した幹の影に小さく丸まった。
少しして、ダチョウ達の勢いが衰え始めた。目の前に敵がいるものの、越えられない壁に諦めを感じ始めたらしかった。
このままいけば、と期待したのを神は見透かしたのだろうか。
ふと、空が陰った。
木の葉の隙間から見える、あの巨大な鳥は──。
「ルフだ……!」
誰かが言った。
この森の主が、魔法隊に目掛けて滑空してきているのだ。




