第10話
「さっきと同じく、掌に魔力を集めてみろ」
「はい」
ファレロは同じように掌に光の球を作ってみせた。ビー玉サイズのそれは、やはりずっしりと重い。
「貸せ」
言われるがまま、差し出されたモリトールの掌に光球を移し返す。
ころん、とモリトールの掌に転がった光球は、すぐに殻の内側で物凄い速さで光が蠢き始めた。小刻みに揺れたかと思うと、いっきに弾け飛ぶ。同時に思わず仰け反るほどの風が吹いた。
モリトールの顔が険しくなる。
「馬鹿な……。たったの一瞬で、こんな量を込められるだなんて。しかも、重すぎる」
つまり、どういうことなのだろう。
今いち理解出来ないでいると、モリトールは困ったように額を掻いた。
「魔力を込めすぎだ。もっと少なくていい」
「込めすぎ? でも、ほんのちょこっとしか力入れてないのに」
「もっと調節しろ」
「むんっ」
しかし、また爆風と共に弾けてしまう光の球。それでもさっきよりも随分とサイズは小さかったはずなのだ。
む、難しい……。
こんな微調節を皆はあんな涼しい顔でやってのけているのか。やはり生粋の天才達は違う。
ファレロは苦い記憶が蘇った。
コツコツと勉強してやっと高い点数を取れた試験。それでも、教科書なんて見ただけで覚えられるという天才がいたり、ここが出るというヤマを当てる天才がいたりして、自分よりも遥かに努力する時間が短い人達に抜かれていく、あの記憶。
ここでも、そうなのか。
凡人は辛酸を舐めて努力するしかないというわけだな。
やってやろうじゃないか。
凡人の意地ってもんを見せてやるぜ、天才共。
……なあんて熱い心があるわけでもなく、ファレロはすっかり困ってしまう。
その様子を察したのか、モリトールは言葉を選びながら助言してくれた。
「コップ1杯の水をくれと言われるとする。君はそのコップに滝から水を汲もうとするか?」
「しない」
そんなことをしたら溢れて、結局、水は溜まらない。
「コップには、コップの分だけの水を静かに注げばいいんだ。君は滝で注ごうとしてる。もっと少なくていい。意味はわかるだろ?」
「やりたいことは、わかるんですけど……」
果たしてどうやるのか。
「俺は任務がある。調節ができるまで、ここで訓練して待ってろ」
「わかりました」
そうして、ファレロは魔法隊訓練所に残されてしまった。
◇◆◇◆◇◆
「どうだ、モリトール」
13番館に戻るや、待ち構えていたマルタンに呼び止められた。そこにはジョアンやウィックもいる。おそらく教えるはずの新人達は夕食中なのだろう。
モリトールは入ってきたばかりのドアにちらりと目を向けた。
すぐ隣の14番館は魔法隊員専用の訓練所だ。
訓練所はワンフロアぶち抜きのだだっ広い空間で、どんなに魔法を使おうとも耐魔石を砕いて作った壁により破壊されない歴史的建造物だ。ファレロはそこにいる。
「異常です」
モリトールは率直に言った。それ以外の言葉が見当たらなかった。
「見たところ、魔力を込めるのはほんの瞬間的でしかありませんが、込められてる量が桁違いすぎます。ファレロ曰く、魔力に質量があるらしいです」
「……有り得ない」
マルタンは嘆くように天を仰いだ。
魔力に質量は存在しない。
圧倒的な魔力に気圧されることはあるが、それは力量の差を見せ付けられているからで、体を押し潰されているわけではない。
質量があるということは、濃度が高い、密度が高いということ。しかも、生半可な量ではない。それは魔力の壮大さの証拠でもあった。ファレロの持つ魔力の一粒一粒が大きい、そんな感じだ。
この世界では、魔女は伝説の生き物だ。
黒ずくめの服を着て、三角帽子を被る姿を描いた絵画でしか存在が知られていない。伝承によれば、魔女は男の魔法使いの100倍の魔力を有するという。
マルタンはジョアンに問うた。
「試験のとき、ファレロの魔力を受けたよな? 異常はなかったのか?」
「特には。至って普通の魔力だったと思います。でも、確かに少しズシンときたような気はしましたが、気にならないくらいでした」
「うーん。これは厄介だな」
ぺし、ぺし、と額を叩くのはマルタンの考えるときの癖だった。宛もなく、ぐるぐる歩き回っている。
「魔制具を使うのはどうでしょうか」
と、ウィック。
魔制具とはその名のとおり、魔力を抑制する道具で、イヤリングや指輪のように身に着けていてもおかしくない装飾品に模して作られることが多い。
マルタンは一蹴した。
「駄目だ。ファレロは懐中時計を壊したんだぞ。あの懐中時計は耐魔石に細工をし、さらに耐魔法を10人掛かりで施したものだ。そこらの魔制具を遥かに凌ぐのに、ファレロはいとも容易く破壊した挙げ句、あの涼しげな顔だぞ。自分がなにをしたのか、わかってもいない」
恐ろしいことだった。
あれだけの魔力の持ち主が、魔力の使い方を知らないというのは天変地異が起きるほどの暴走さえありえる。
さらに、魔力消費の感覚がないとは、つまり疲れてもいないということだ。あの量の魔力を放出して、疲労のひとつもない。
つまり、異常すぎる。
「しかし、気休めでもあったほうがいいのでは。それに、あの魔法の使い手ですよ」
と、ウィックに食い下がられ、マルタンは腕を組んだ。
「なんで16歳になるまで出て来なかったんだ? 生まれてすぐに魔力が出現してもおかしくないぞ。むしろ妊娠中に異常があってもなんの不思議もないのに……。まあ、ごちゃごちゃと話していても仕方ない。とにかく魔力調節の取得が最優先だ。それに、ウィックの発案どおり、念の為に、魔制具もいくつか取り寄せておこう。ジョアン、ヴィールツに10個ほど注文しておいてくれ。形状は問わない。なるべく早急に、と伝えてくれ」
「わかりました」
しかし魔制具は便利ではあるけれど、壊れてしまったら本人による制御が効かなくなり、暴走する危険性を高める。だからあまり使いたくないというのが、モリトールの本音だった。
そこで、異変に気が付いた。
地面が揺れている。
窓がガタガタと音を立て始め、揺れが大きくなった。膝が笑うほどの振動だ。
「な、なんだ!?」
マルタンが窓の外を見た。
隣にある訓練所から光が漏れている。まるで太陽を閉じ込めているみたいな輝きだ。直視出来ない。
マルタンが察する。
「まずい! ファレロはひとりか!?」
「そうです……!」
しくじった!
懐中時計を壊したのなら、耐魔石の壁なんか吹き飛ばすのは簡単だ。
モリトール達は外に飛び出して、訓練所を見上げた。空が昼間のように明るくなっている。
「あの馬鹿! なにをしてやがる!?」
マルタンは吐き捨て、だが突入に二の足を踏んだ。被害を抑えるのに、ドアを開けるのは得策ではない。脆くても、ドアも一応は耐魔石だ。
「全員施設を囲め! シールドを張るんだ!」
「はい!」
モリトール達は四方から訓練所を取り囲んだ。
宙に両の掌を翳し、呪文を詠唱する。手元から青白い光が溢れ、四角い湧くを作る。掌を腕ごと横に広げると、枠も動きに呼応して大きくなる。施設いっぱいにシールドを作った。
「なんだ、なんだ? 魔法隊の演習か?」
野次馬が集まっている。
モリトールは舌打ちした。ここで魔力が暴走したら、大勢の隊員が死んで、施設どころか国軍の致命傷になる。
ずずっ、と足が滑った。押されている。押し戻そうとすると、さらに押されて後退した。
「なに!?」
ば、馬鹿な……!?
魔法隊、4人掛かりだぞ!?
「くっ……! ジョアン、ウィック! 弱いぞ! もっと強くシールドを張れ!」
「は、はい!」
マルタンに檄を飛ばされ、ジョアンとウィックはさらに魔力を込めたが、その2倍、押されて後退した。
ジョアンとウィックはまだ若い。
僅か9歳と13歳だが、その才能は決して低くない。魔法隊の過半数には入る実力の持ち主だ。そして魔法隊の首席は、マルタンを除けばモリトールなのである。
その4人が力を合わせているのに食い止められないとは。
「加勢する!」
魔法隊の寮から続々と隊員達が駆け付け、隣に並んでシールドを張ってくれる。そこには入ったばかりの新人達もいた。不慣れな魔法発動だが、荒々しく、そのぶん力も強い。
「詠唱だ! 詠唱を繰り返せ!」
隊長の命により、隊員たちは声を揃えて詠唱した。1度目は小さかった。しかし、2度目、3度目ともなると気合の入った挙声になる。
クールなモリトールも、声を張り上げた。
すると、ようやく前に進めるほどにシールドが強化された。
全員で息を合わせ、ぐっ、ぐっ、と一歩ずつ近付く。
「……これ、演習じゃなくてマジなんじゃね?」
「や、やばいぞ! 逃げろ!」
「退避、退避!」
「魔法隊がやらかしてるぞぉ!」
背後で他の隊員達が逃げ出す音が聞こえる。そうだ、もっと遠くへ行け!
さらに、ぐっ、と前に詰めると、ようやく四方にそれぞれ作成されたシールドの辺と辺が繋がって、完璧な壁が完成した。
途端、耳を聾した。
それが爆音なのだと気付いたのは、シールドの内側で訓練所が砕け散ってからだった。
これだけの人数で作ったシールドだったから耐えられたのだろうけれど、そうでなければ瓦礫が飛散する衝撃で消失してしまったはずだ。
間に合った……。
雨のように瓦礫が降り注ぎ、粉塵が落ち着いたところでシールドを解く。
跡形もない訓練所の中央にファレロが胡座を掻いて座っている。
気絶でもしているのかと思うと、いきなり立ち上がって、モリトールと目が合った。
「出来たーー! 出来ましたよ、モリトールさん! 見て! ほら、見て! 1番小さいやつ!」
駆け寄ってきて見せびらかしてきたのは。指先よりも、もっとずっと小さい光の球だった。球というよりは、もはやクズだ。
それをモリトールの掌に乗せてくる。
確かに、重さもなければ、弾けもしない。
「これ……どうやって」
「魔力を使い切ったら少ない量を出せるかと思って試してみました!」
「魔力を、使い切ったら……?」
だが、魔力を使い切ったら倒れてしまうはずだ。魔力は生命力と同じだから、枯渇したら死んでしまう。
こんなふうに笑って、走って、はしゃげるはずがない。
まだ残っている。
使い切ったつもりかもしれないが、ファレロの中にはまだまだ魔力がある。
ぞっとした。
魔法隊が畳み掛けても、ファレロに敵わない事実に悪寒がする。
「魔力を使い切ったら、調節にならないだろ」
言うと、ファレロは残念そうに眉をひそめた。
「そっかあ……」
とぼとぼと形のない訓練所の中央に戻っていくファレロ。胡座を掻いて、また光の球を作り続けている。
それを見て、マルタンは豪快に笑った。
他の魔法隊は強力なシールドを作ったせいで、ぜーはー、と肩で息をしているのに、張本人はこんな調子なのだから混乱しても仕方がないだろう。皆が皆、顔を見合わせている。
「こりゃ駄目だ! ジョアン、ヴィールツに頼むのは特注品だ! 最強の魔制具を取り寄せろと言っておけ!」
「わ、わかりましたぁ……」
ジョアンが座り込むのが見えた。




