第1話 “悪夢”
喉が渇いた。また悪夢だ。
時計の時刻を見ると、深夜2時半を回っていた。
ここ数日間、脂汗びっしりの状態で目を覚ます。
「これまた随分、嫌な夢だったな……」
それはあっという間の出来事だった。
けたたましく鳴り響く、車のブレーキ音。
そして、若い女性の叫び声。
何気ないいつもと同じ景色のはずのものが、一瞬にして非日常のものへと姿を変える。
「だめだ……頭から離れない……」
すっかり目が冴えた俺は起き上がり、キッチンへと向かった。
冷蔵庫から水を取り出し、大急ぎでコップに注いで喉を潤す。
見る夢は決まって悪い夢だ。
だが、なぜか自分に降りかかる出来事ではない。
家族、友人、そればかりか面識のない赤の他人まで及ぶ。
事の結末までは分からず、いつも事態は想像しうる最悪な展開を迎え、そこで俺は目を覚ます。
「これが夢でよかった。そう考えよう」
幸い、これは夢の中の出来事。
悪い方に考えると寝れる気がしない。ポジティブに捉えよう。
そうして俺はまた布団に潜り、就寝することにした。
・・・
──数時間後。
目覚ましのアラームと共に、再び目を覚ます。
あまり寝た気がしないな……完全に寝不足だ。
しかし、今日も大学に行かなければならない。
眠い体を叩き起こし、なんとか布団から出た。
「お兄ちゃん、おはよう」
眠い目擦りながら、リビングの扉を開けると、妹の“沙織”が朝ご飯のパンを食べていた。
「おはよう。なんだ、この時間にまだいるのか? 遅くないか?」
「えへへ……寝坊しちゃった」
笑い事ではないだろう。能天気な妹は、いつもこんな感じだ。
「誠人。あなたもパン食べるでしょ?」
そう声をかけてきたのは母である。
母は息子、娘のために、毎日早起きしてくれている。
「あぁ、食べるから頼むよ」
俺の家は4人家族だ。父はすでに仕事に出掛けていて、もう家にはいない。
リビングの椅子に腰をかけると、沙織が口にパンを頬張りながら、目を細めてこちらを睨んできた。
「お兄ちゃん、昨日も夜うなされてたよ? うるさすぎて、私起きちゃったんだから」
「やっぱりうるさかった? ごめんごめん」
俺と沙織の部屋は隣り合わせ。
たまに沙織のいびきも聞こえてくる。そこはお互い様だろう。
「ごめんって、ここんとこ毎日だよ? 呪われてるんじゃないの?」
「おいおい、やめてくれよ……」
沙織はパンを牛乳で一気に流し込み、急いで席を立った。
「のんびり話してる場合じゃなかった。私行かなきゃ! ご馳走さまでした」
沙織は大慌てでリビングを飛び出し、学校へと向かう。
そんな沙織に対し、時間にゆとりのある俺はゆっくりと朝ご飯を食べて、身支度を整えた。
「そろそろ俺も行こうかな。じゃあ、行ってきます」
“知念 誠人”
埼玉県在住の20歳の大学生だ。この春で、大学3年生になる。
大学は数駅先の同じ県内。近場の大学に通っている。
特に頭がいいわけでもなく、これと言って運動神経がいいわけでない。
ザ・普通──それが俺である。
趣味はテニスにゲーム。
テニスサークルに入ってはいるが、最近テニスは行ってなく、ほとんど飲み会参加だ。
20歳になって酒が解禁となったと共に、飲み会は頻繁に開かれている。そのおかげもあってか、そろそろ『飲むこと』も趣味に加わりそうだ。
友達自体、そこまで少なくないと自負しているけど……肝心の彼女がいないのが、非常に残念なところである。
まぁ特に突出したプロフィールではないかな。
要するに、どこにでもいる、その辺の大学生というわけだ。
「今日は風が強いな……」
家から駅はそれほど遠くはない。ほんの数分の距離だ。だから駅までは歩きで通っている。
この日は朝から突風吹き荒れる、風の強い日だった。
歩道の脇にある植木の砂が舞って、目にゴミが入りそうだ。
薄目で歩いていると、数メートル先に、親子連れがいるのが分かった。
保育園に向かう途中だろうか。特に気に留めるところも無さそうなはずだが、なぜか俺は異様にこの親子が気になっていた。
「あれ……なんだろ。この感覚……」
なぜだろう。この光景──どこか見た覚えがある。デジャブだ。
母親の手を握って歩く男の子は、キャラクターの柄が入った、可愛い青い帽子を被っている。
「帽子が……飛ぶ……」
誰に言うわけでもなく、俺はそう、ぼそりと呟いた。その矢先──
それとほぼ同時に、突風が吹いて男の子の帽子が宙に舞った。
「あっ!」
帽子は歩道を外れ、車道へと落ちる。
男の子は思わず帽子を拾おうと、母親の手を離れた。
「だめだよ! 危ないよ!」
「えっ……」
気付くと俺は、無意識のうちに叫んでいた。
男の子は呆気に取られ、自分と目が合った状態で棒立ちで立ち尽くしている。
すると、その横を勢いよく車が車道を走っていった。
何事もなかったかのように母親は帽子を拾いあげ、軽くこちらに向かってお礼を込めた会釈をする。
俺は不思議な感覚に見舞われていた。
見たぞ……これと同じ夢を。昨晩、悪夢にうなされながら……