第93話 無知
ハイドの言葉がその場にいる全員にもたらした影響は計り知れなかった。あからさまに対立関係になったカリオス達とザムス達は、沈黙の中で睨み合いを続けている。
時折軋む建物の様子を見るに、この場を逃げるのも簡単では無いだろう。そのうえ、そう簡単に彼らが逃がしてくれるとは考えにくい。何かこの場を切り抜ける方法は無いか、カリオスは全力で頭を働かせ、メモに文字を書きなぐった。
その様子をみたザムス達は、一瞬警戒を強めたようだ。そんな彼らは無視して、カリオスはタシェルにメモを渡す。
「貴方達の言い分は理解した。が、簡単に賛同するわけにはいかない。もっと他に何か方法は無いのですか?例えば、先ほどハイドさんはミノーラが島に行くことに対して、期待はしていないと言っていたが、それは何か考えがあっての発言でしょうか?」
カリオスが滅茶苦茶に書き殴ったメモを、タシェルは丁寧な言葉で意訳して読み上げている。
どうやら、元の文章では顰蹙を買うと判断したのだろう。読み上げられる文章があまりに変化していることに気が付いたカリオスはすぐに反省する。彼女のお陰で落ち着くことが出来た。
「あ?」
急に名前を出されたハイドが、キッとカリオスを睨みつけてくるが、すぐに周りの人々を睨みつけることで忙しくなっている。仕舞には深いため息を吐き、話し始めた。
「考えってほどでもねぇちゃ。全員でボルン・テールまで逃げりゃ良か。大体、こいつらがここに来たんやけん、俺らが逃げ出せんわけないやん。」
確かに、と思ったカリオスは、すぐに気づく。カリオス達がこの集落まで到着することが出来たのは、シルフィやオルタが居たことが大きな理由として考えられる。
そしてここには、シルフィもオルタも居る。
そうだ。とカリオスがひらめいて数秒も立たないうちに、タシェルがひらめいたように顔を明るくして、ザムス達に語り掛け始めた。
「そうだ!そうですよ!私はタシェルと言います。見習いの精霊術師です。私たちはここに来るまでに風の精霊であるシルフィの補助を受けていました。例えば、荷物を軽くするとか、ずっと追い風を作ってもらうとか。ここらか脱出するときも、同じようにすれば、何とかなるんじゃないかと。ボルン・テールに着けば、助けてくれると思いますし……どうでしょうか!」
よほどひらめいたことがうれしいのか、彼女の表情はこの部屋に最も似合わないと思われるほどに、明るく、朗らかだった。
そうは思ったものの、カリオスも同じことを思いつき、メモに書きだそうとしていたところである。彼女の案に賛成だ。
恐らく、不可能ではないし、最悪の場合、初めは少人数だけがボルン・テールに向かえばいい。
ボルン・テールについてさえすれば、ハリス会長やマーカスの手助けを借りることは可能だろう。
半ば完璧な解決策を手にし、きっかけとなってくれたハイドに心の中で感謝を告げようとした時、彼は見た。ハイドの、全く喜びのこもっていない表情を。むしろ、怒りを滲ませている。
そんな彼の視線をゆっくり辿ったカリオスは、予想通り、ザムスの顔に突き当たる。
「タシェル様。あなたにはお世話になったので非常に言い辛いのですが、我々はここを出て行くことは出来ないのです。それは理屈や屁理屈のまかり通るような話ではない。海神様のお告げなのですから。我々が生きていくためには、ここでしか生活できない。これは、古い時代から続く、しきたりなのです。」
自慢気な表情で言葉を並び立てていくザムスを見ながら、カリオスは確信した。ハイドがこの集落で、少しだけ浮いている理由。
粗暴な態度や行動が原因だと考えてはいたが、そんな表面的な話では無く、根本的に違うのだろう。
少し前のハイドの言葉から、ザムスと彼が親子関係であることは分かったが、親子でこれほどまでに考え方が違うのだ。
「何を言っているんですか?このままじゃ、皆死んじゃうかもしれないんですよ?あなたの家族も、皆さんの家族も、それなのに。」
「それならば、皆の死を受け入れましょう。我らはここで潰える運命だったのだと。我らに変える権利などない。」
若干涙目で訴えかける彼女の言葉は、ザムス達にはどうやら全く響いていないみたいだ。むしろ、ザムスの言葉に深く頷いている者もいる。
タシェルがひどく落ち込んだようにため息を吐いた時、先ほどまで黙り込んでいたオルタが急に立ち上がり、周囲を見渡す。
そのあまりの巨躯に誰も文句など言えず、全員が彼の言葉を待った。
「悪い、話は変わるんだけどよ。今すげー頭が混乱しててなぁ。ハイド。おめぇ、なんであの坊主を殴ったんだ?俺は今までの話からてっきり、おめぇは島に人を渡したがっていると思ってたんだよなぁ。だから、坊主が島に連れて行かれるのを拒んだから、怒って殴ったと勝手に想像してたぜ。」
「は?俺はあいつが島に行くって言い張って聞かんけん、張り倒しただけばい。クラリスの代わりに行くってなぁ。なぁ、親父。わりぃけど、俺は絶対に反対やけん。」
「仕方ないだろう?嵐が止むまで、誰かが島に行かねばならんのだ。お前も早く嵐を収めたいのなら、ミノーラ様を説得してみてはどうだ?」
何気なく告げられた言葉に、カリオスは言葉を失った。失って既に久しい筈ではあるが、改めて失った気さえする。
「クラリスちゃんが……島に?」
そう呟いたのは、今までずっと黙り込んでいたミノーラだった。これほどまでにしょんぼりしているミノーラを見るのは、ミスルトゥ以来だろう。
カリオスは、パトラの片翼の下から転がり落ちた小さな亡骸と、崩れ落ちるトリーヌを思い出し、必死に涙をこらえながら左の拳を握り込んだ。
右の拳を握らないほどの冷静さが今の自身に残っていることを自虐的に考えていると、ミノーラが口を開く。
「私。島に行きます。どうしてそれで嵐が収まるのか、よく分かりませんが、行ってみれば分かりますよね?」
分かっていない。彼女は全く何もこれ一つも、分かってなどいない。そもそもたどり着けないのだと。全て無駄に終わってしまうのだと。
そんな思いを書きなぐるために、カリオスはペンとメモを取った。




