46
現実の雛とは大違いだった。
どちらが本物の雛だろう? と夏は思った。その答えはすぐに出た。決まってる。もちろん現実の雛のほうだ。あの人形の雛が、本物の雛なのだ。
そのことを、夏は少しだけ悲しく思った。
「私は夢の中で生きるのではなくて、現実の世界の中で生きていたい」雛が言った。
その言葉は、まるで夏の心の声が雛には聞こえているかのように、絶妙なタイミングで発せられた。
「私は夢の世界の中で死ぬのではなくて、現実の世界の中で死にたい」と雛が言った。
夏の手が、空中をぎゅっとつかんだ。
だけど、そこにはなにもなかった。
夢の中に、銀色の拳銃は持ち込めない。
「夏さんは、私を殺してくれますか?」
雛が言った。
夏はなにも答えない。
「私は一人ではなにもできない人間です。夢の世界ではともかくとして、現実の世界では、私は言葉を話すことも、なにかを見ることも、そして、音を聞くことすら、できません」雛が言う。
「現実は、孤独です。深い闇です。私は、そんな現実が大嫌いでした」
「あなたには、遥がいるじゃない」夏が言った。
「……確かにそうです。私には遥がいます。でも、私と遥の関係はあまり良い関係とは言えません」
雛が左右に揺れるようにゆっくりと歩く。歩くたびにぺた、ぺたと言う足音がする。
「どういうこと?」
「遥は、優しすぎるんです」
それは知っている、と夏は思った。
「私は、遥にとってただのお荷物なんです。だから、このまま私がこの場所に留まり続けると、いずれ遥によくないことが起こってしまいます」
「よくないこと」
「はい。とても、よくないことです」足を止めて、雛が夏を見る。
夏は青色の海の中で溺れている遥の姿を想像した。泳ぎが大好きな遥が溺れているのは、その手に(きっと、一人では泳げない)雛の手を捕まえて離さないからだった。
雛は現実の中で生きたいと言い、現実の中で死にたいと言った。
夏は雛の言葉を心の中で反芻する。
夢と現実。
その境目はなに? そもそも、そんなものに境目なんて存在するの?
私は今、本当はどこにいるの?
わからない。
夏には、なにもわからなかった。
「大丈夫です」雛が言った。
夏はそっと雛を見る。
「夏さんは、きっと大丈夫です」
雛はにっこりと笑う。
「……うん。私はきっと大丈夫」
夏が言う。
すると、不思議な夢はそこで唐突に終わった。




