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夏は思考を中断する。
これ以上考えると、私は、私ではなくなってしまう。それはだめ。それだけは、だめ。
「ここじゃ走れないね」夏が言う。
「でも、ここならその代わり泳げるよ」と遥が言う。
「そりゃ、そうだけどさ」
「夏はやっぱり、走りたい? 泳ぐのじゃ、だめ?」遥が言う。
「うーん、だめ、じゃないけどさ」
でも、やっぱり走りたい。
走ることと泳ぐことには大きな違いがある。走ることと泳ぐことの間には山に登ることと、洞窟に潜ることくらいの違いがあると夏は考えていた。
夏は山に登りたいのだ。
洞窟の中に潜りたいわけではない。
「スキあり」
「え?」
夏が驚く。
しかし、それはもう手遅れだった。
どぼん、という音が二つした。
それは夏と遥が、海に落下した音だった。
青色の海の中で、遥は子供のようにはしゃいでいた。
遥って泳ぐことは好きなのかな?
青色の中で、夏はそんなことを考えた。
暖かい水が夏の全身を包み込んでいる。
あったかい。
それに、とても優しい感じがした。
なるほど、と夏は思う。
遥は抱きしめていた夏の体から離れると、にっこりと笑い、それから指で上、上、というジェスチャーをした。夏はこくんと頷いて、水面に向かって上昇を開始する。
「ぷはぁ」
と、息を吐いて空を見る。
そこには青色の月が浮かんでいる。
視線を戻して周囲を見渡すと、水面から遥が顔を出していた。長い黒髪を後方にかきあげたあとで遥は夏を見る。
「どう? 気持ちいでしょ?」遥が言う。
「うん。まあ、悪くはないかな」夏が言う。
白いボートは二人のすぐ近くに浮かんでいる。
慣れない水の中の世界で戸惑う夏の手を遥が優しく握って、二人は夏、遥の順番でボートの上に上がっていく。
それから夏と遥は狭いボートの中で横になった。
お互いの腕がぴったりとくっついている。




