第一章 異世界からの訪問者⑥
「ううん、あれ?」
しばらくして、ヴェロニカが目を覚ました。ゆっくりと瞼を開き、立ち上がろうとする。しかし、まだダメージが残っているらしく、上体を起こすので精一杯のようだった。
「ソウゴ、さん?」
俺は、未だにエルドラゴの側にいた。疲れなのか、感傷なのかわからないが、一歩も動くことができなかったのだ。
「エルドラゴは?」
「見ての通りだ。」
「え?そんな……。」
余程予想外の出来事だったのだろう。ヴェロニカは言葉を失ってしまった。
「俺が倒した。この銃で。」
右手の銃を差し出す。それは形こそ警察官の使う回転式拳銃と同じだったが、よく見ると今も紫色に輝いている。ヴェロニカは、一目で状況を理解したようだ。
「まさか、それは、能力?」
「自分ではよくわからないが、多分そうなんじゃないか?」
「でも、地球の人は能力を持っていないと、さっきあなた自身が。」
「そのはずだったんだがな。」
持ってしまったものは仕様がない。俺も夢の能力者デビューってわけだ。万歳。
「まさか、こんなことがあるなんて。」
ようやく立ち上がったヴェロニカは、足を引きずりながらエルドラゴの元へ向かった。
「本来ならば生かして連れ戻さねばならなかったのですが、この状況です。仕方がなかった、と言えるでしょう。」
そうか、俺はエルドラゴを殺したのか。その事実がようやく頭に入ってくる。命の危機だったとはいえ、俺は人を殺めてしまったんだ。胸にどうしようもない悲しみが流れてくる。しかし、後悔はなかった。凶悪犯と戦うためには、こちらも相応の凶悪さが必要なのだろう。
「では、私はファブラに帰ります。」
「帰る?」
「はい、死体を回収して、『猟犬』に報告しないといけませんから。それに、これ以上こちら側に迷惑をかけるわけにもいきませんし。」
まだ体は痛むはずなのに、彼女は笑った。無理をしているのが丸わかりだ。
「ありがとうございました。あなたがいなければ私は確実に殺されていたでしょう。あなたはたくさんの命を救いました。」
「救えなかった命もある。礼なんかいらない。」
「そんな顔をしないでください。」
どんな顔をしていたと言うのだろうか。
「あなたがどう考えようとも、この異常事態を収める大きな役割を担ったのは事実です。」
その笑みに、自嘲が混じる。俯き加減で、彼女は続ける。
「むしろ、反省しないといけないのは私の方です。『猟犬』の一員でありながら、私は何もできなかった。それどころか、エルドラゴを恐れて一歩下がってしまった。自分の弱さが、嫌になります。」
「……悪いのはエルドラゴだ。」
気の利いた励ましなんて、一つも思い浮かばない。俺に言える言葉は、ただそれだけだった。
「……ありがとうございます。」
ヴェロニカの方も、何も言えないようだった。気まずい沈黙が、場を支配する。
沈黙を破ったのは、ヴェロニカの方だった。
「門に飛び込んだ時はただ必死なばかりで、何も考えていませんでした。だけど、ここにくるまでの間にいろいろなことが頭を過ぎりました。違う世界で、私はどうなってしまうのだろうか、生きて帰られるのだろうか、と。」
ヴェロニカは顔を上げる。笑ってはいるが、どちらかと言えばそれは泣き顔の方が近かった。
「出会えたのが、あなたでよかった。」
ヴェロニカは袖から鎖を射出した。エルドラゴの死体を持ち上げると、門の方を向く。
「もう、会うこともないでしょう。お達者で。」
「ああ、お前もな。」
ヴェロニカは門の方へ歩き出した。いつの間にか門は移動していたらしく、廊下の穴の上まで寄ってきていた。これならここからでも飛び込めるだろう。
その時、俺のスマートフォンが、鳴り始めた。俺もヴェロニカも、思わずびくりとしてしまった。
「な、なんですか?今のは。」
「あ、ああ。すまない。俺のスマホがだな。」
見ると、それはミチルからメッセージだった。
「入間刑務所で脱獄事件が起きたってニュースがあったけど、ソーゴは大丈夫?」
「脱獄?」
俺は急いでニュースサイトを覗き込む。確かにそこには脱獄事件と書いてあった。
入間刑務所に謎のワームホールが発生?集団脱獄か。
本日昼ごろ、入間刑務所に収監されていた五名の囚人が失踪した。同時刻、入間刑務所では謎の黒い球体が発生しており、球体は施設の一部を破壊した。それに伴って数名の囚人が脱走し、黒い球体に飛び込み姿を消した。専門家は、空間と空間をつなぐワームホールが発生し、それを利用して囚人たちが脱獄した可能性を指摘している。
失踪した囚人は次の通り。
阿久津玄二 罪状 殺人
豊島礼央 罪状 殺人
賀東真吾 罪状 誘拐及び殺人
天道倫太郎 罪状 詐欺及び殺人
宮崎夕乃 罪状 詐欺及び殺人
……
そんな、バカな?
「どうしたのですか?顔が真っ青ですよ?」
「賀東が、門に入った……?」
「どういうことですか?」
俺はヴェロニカにニュースを見せた。今度はヴェロニカが真っ青になる版だった。
「そんな、こちらの犯罪者が、ファブラに?」
「そうだ。しかも、その中に賀東が。」
俺は賀東との関係について、簡単に説明した。
「おそらく、俺たちがエルドラゴと戦っている間に、門に入っていったのだろう。通りで誰もここに来ないと思った。それどころじゃなかったんだ。畜生、あいつだけは逃すわけにはいかないのに……。」
俺は、門を睨みつけた。あの向こうに、ファブラという世界に、賀東がいる。
「ヴェロニカ、俺も行くぞ。」
「行くって、ファブラにですか?いけません!何があるかわかりませんし、門が閉じてしまったら帰られなくなるのですよ?」
「そんなこと、言っていられないんだ。俺は、真実を知るために生きてきた。そのためなら、異世界だろうがなんだろうが関係ない!それに、お前だってその危険を侵してこっちに来たんじゃないか。人のことは言えないはずだ。」
「それは、そうかもしれませんが。」
「何を言おうが無駄だ。俺は人の話を聞かないからな。」
そう言って俺は、門に一歩近づいた。
「……わかりました。あなたに助けられた恩もあります。私が出来る限りのサポートをしましょう。」
ヴェロニカは再び手を差し出した。
「捕まってください。一緒に飛び込みましょう。」
頷いて、俺は彼女の手を取った。二人で門の前に並ぶ。
「では、行きますよ。」
俺とヴェロニカは同時に門へと飛び込んだ。球体の中で渦巻く黒い力の塊に引き込まれるようにして、俺たちは吸い込まれていった。