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第一章 異世界からの訪問者③

 面会を終えた俺は、入間刑務所を後にしようとしていた。刑務官の女性が俺を先導する。胸には名札がついている。名前は、「檜山双葉」だそうだ。この刑務所には賀東を始めとして、たくさんの凶悪犯罪者が収監されているらしい。だから、というわけでは無いのだろうが、刑務官は腰に回転式拳銃を下げていた。

 刑務官に連れられて、廊下を渡っていた時だった。突然、足元が揺れ始めた。

 「地震か?」

 揺れは徐々に強くなる。すぐに立っていられないほどの大きな揺れになった。縦揺れと横揺れが同時に襲ってきたような、今まで経験したことのない揺れ方だった。うまく立っていられない。俺も刑務官も、バランスを崩してしまった。

 そして、それは起こった。突然バリバリと大きな音が聞こえ、廊下の右側の壁が崩れ始めた。そして、壁の向こうから、黒い巨大な球体が現れた。中心にはどす黒い闇が渦巻いている。

 俺は、あまりの意味のわからなさに、一瞬固まってしまった。俺の背丈よりも大きい球体。そんなものが突然目の前に現れたのだ。硬直くらいするだろう。

 触れてはいけない。これは危険なものだと俺は直感した。すぐにこの場を離れなければ。巻き込まれれば、俺も壁を同じ末路を辿りそうだ。俺はしゃがんだ状態で一歩後ずさった。

 その時だった。突然球体が膨張し始めたのだ。低い音を響かせながら、球体は巨大化していく。これはいけない。俺の本能がそう訴えていた。この球体から離れないといけない。俺は必死に立ち上がろうとした。しかし、揺れが強すぎる。立ち上がることを諦めた俺は這いつくばって球体から逃れようとした。だが、球体はみるみる膨張していく。このままでは、すぐに追いつかれてしまう。全速力で移動する。今できる、最高速度で。立っているのと這っているのの中間、低い姿勢で駆けていく。すぐに転びそうになるが、それでも今はスピードを出さなければ追いつかれてしまう。

 廊下の先には扉がある、さっき通ってきた扉だ。俺は辛うじてそこまでたどり着いた。すぐにドアノブに手をかける。しかし、ドアを押そうが引こうが開かない。向こう側で鍵をかけられているようだ。振り向くと、廊下の床を破壊しながら球体が迫ってきている。もう目の前だ。巻き込まれる!

 しかし、幸運の女神は俺を見放さなかった。球体の膨張は、俺の目の前で止まった。足元から十センチも離れていない。本当にギリギリだった。気づけば揺れも止まっている。助かった、のか?

 だが、結局のところそれは始まりに過ぎなかった。すぐに次の厄介がやってきたのだから。

 球体の中から、巨大な足音が響いてくる。まるで地響きのような轟音が、ゆっくり、ゆっくりとこちらに迫っていた。

 「なんだ?ここは。」

 球体の中から、何者かの声。球体から飛び出す、異形の肉体。その体躯は俺の倍はあるだろう。一歩踏み出すだけで、廊下の床はひび割れた。そいつは、明らかに人間ではなかった。

 「まあ、そんなことはどうでもいいか。」

 くぐもった声。全身に生えた鱗。それは、巨大なトカゲのような姿をしていた。二足歩行のトカゲ。ゲームでよく見るリザードマンに、それは酷似していた。

 リザードマンは、俺に気づいたようだ。まん丸な目をこちらに向け、長くて細い舌を口から素早く出し入れしている。

 「貴様、何者だ?」

 「……それはこちらの質問だ。」

 俺は何とか立ち上がると、リザードマンに答えた。

 「俺か、俺はエルドラゴだ。」

 エルドラゴ、そう名乗ったリザードマンは、尻尾を振り回しながら俺に一歩近づいた。

 「随分簡単に教えてくれるんだな。」

 「聞かれたら名乗る、これは俺のモットーでね。名前ってやつは重要だ。どんな名前であったとしても、それ以上に当人を指し示す言葉なんて存在しないんだからなあ。」

 エルドラゴは喉をガラガラと鳴らしている。どうやら笑っているらしい。

 「例え今すぐ死んでしまう者だとしても、俺は必ず名前を明かす。このエルドラゴの名をなあ。それで。」

 エルドラゴは俺をジロリと睨みつけた。

 「もう一度聞こう。貴様は誰だ。」

 「そんなものを聞いてどうする。」

 「分からねえのか、頭の回らねえ野郎だ。これから殺す相手の名前も知らないなんて、味気ねえじゃねえか。」

 殺す。何を。まさか、この俺をか。

 「なぜだ。なぜ殺されなければならない?」

 「あー、そうか。貴様は知らないのか。このエルドラゴを。」

 遂にエルドラゴは俺の目の前までやってきた。

 「ファブラじゃあ結構名の知れた方なんだがよ。この俺を知らねえってことは、ここはファブラじゃねえんだな。仕方ない、教えてやるよ。」

 尻尾を激しく床に叩きつける。仕方ないと言いながら、その実愉快で仕方がないというように、エルドラゴの顔が歪んだ。

 「俺の名前はエルドラゴ。ファブラで八人を殺害した、所謂連続殺人鬼だ。せっかく異世界に来たんだからよお。最初に会った奴は是非とも殺したいじゃあねえか。な、わかるだろう?それで。」

 エルドラゴの目は俺を捉えて放さない。それは愉悦を感じている時も変わらないようだ。

 「まだ答えねえのか。名前だ名前。ないわけじゃあねえだろう。」

 「名乗ったら殺すのだろう?それなのに名乗る奴なんていない。」

 俺は後ろ手にドアのノブを何度も回した。しかし、ドアは開かない。やはり、ドアには鍵がかかっている。

 「おっと、こいつは面倒だぜ。名前を聞き出すために、軽くもんでやらなきゃならねえんだからよ。」

 「そこまでよ!」

 突然、エルドラゴの背後から誰かが叫んだ。

 「ああ?他にもいんのか。」

 エルドラゴがゆっくりと振り向いた。俺もエルドラゴの脇から声の主の姿を見た。

 その人物は、球体の向こう側にいた。ほんの僅かだが、球体は縮小したらしい。おかげで向こう側が見えるようになっていた。

 そこに立っていたのは、刑務官の女性だった。彼女も球体の膨張に巻き込まれたのか、足から血を流していた。しかし、それでも彼女は両足でしっかり立っていた。そして、拳銃をこちらに向けているのである。

 「その子から離れなさい。この化け物め!」

 「バケモノだあ?ヒドイ言われようだぜ。こっちの世界の人権はどうなっているんだ。」

 自称殺人鬼が人権を語るか。しかし、エルドラゴ自身は気の利いたジョークを言ったと思っているらしい。またしても喉を鳴らして笑い始めた。耳障りな音だった。

 「何を笑っているの!早く離れなさい!」

 刑務官の女性は銃を壊れた壁の方に向けた。壁は球体が破壊してしまったため、隙間から外の風景が見える。刑務官は躊躇いなく、引き金を引いた。

 パアンという大きな音が辺りに響いた。威嚇射撃だ。普通の人間なら、恐怖に固まってしまっただろう。

 しかし、エルドラゴにはどこ吹く風だった。

 「なんだ?そのちいせえの。大砲を小型にしたような形をしているな。小型の大砲、言ってて意味がわかんねえなあ!」

 エルドラゴの笑い声がさらに大きくなる。それと共に、刑務官も興奮してきたようだ。息が上がっているのがここからでもわかる。

 「その子から離れろって言っているのよ!」

 刑務官は再びエルドラゴに拳銃を向けた。しかし、エルドラゴの笑いは収まらない。むしろ、大きくなってゆく。

 「おもしれえ。せっかくだから撃ってみろよ。どの程度のモンか試してやるぜえ。」

 エルドラゴは指をクイッと曲げて、刑務官を挑発する。

 「うわあああ!」

 遂に刑務官は発砲した。再びパアンと大きな音が響き、弾丸は確かにエルドラゴの左胸を捉えた。しかし。

 「……残念だったな。」

 弾丸はエルドラゴの鱗に弾かれた。エルドラゴはピンピンしている。まったく効いたようではない。

 「俺を殺したければ、本物の大砲を持ってこい。そんなチンケなもんじゃあ、自慢の鱗がちょっと傷つくだけだぜ。」

 「う、嘘……!」

 「まったく、俺はこのガキを殺したいだけだったのによお。攻撃されちゃあよお、お返ししなきゃ締まらねえよなあ!」

 エルドラゴの尻尾が素早く動く。その先は刑務官に向かっていた。いけない!

 「やめろおお!」

 俺は全力で叫んだ。しかし、連続殺人鬼を名乗る怪物に、その声が届くわけがなかった。

 尻尾が刑務官に向かって飛んでいく。刑務官が抵抗する暇は一切なかった。彼女の体は串刺しにされた。その口から真っ赤な血が吹き出る。エルドラゴはそのまま刑務官を持ち上げると、床に激しく叩きつけた。刑務官の体が跳ね返り、宙に舞う。そして再び床に落ちた時、刑務官の命は失われていた。彼女は、ピクリとも動かなくなった。

 「……何故だ。」

 「ああん?」

 「何故殺した!名前も知らない者には手を出さないんじゃなかったのか!」

 「ああ、そのことか。」

 エルドラゴの尻尾がゆっくりとこちらに向かってくる。その先には、何かが引っかかっていた。

 「これ、あの女の名札だろう?これがあれば、名前なんてすぐにわかる。」

 「何を……。」

 「聞いたことはねえか?異世界への冒険物語ってやつを。別の世界から召喚された主人公が異世界を救うってやつ。あれよお、ずっと不思議だったんだ。」

 「何の、話をしている。」

 「どうして会話ができるんだって。言葉が同じわけがねえってよお。小さい頃から思っていたんだ。だけどよお。」

 尻尾から名札を外し、手で持ち上げるエルドラゴ。そのまま名札を一瞥すると、ニンマリと破顔した。

 「簡単な話だったんだな。理屈はわからんが、異世界の言葉は理解できるし、文字も読める。こいつの名前は『檜山双葉』か。記念すべき異世界での一人目だぜ。」

 さっきからこいつの言っていることが理解できない。異世界?あの黒い球体の向こうには別の世界が広がっているとでも言うのだろうか。

 「そんでもって、貴様はこれまた記念すべき、十人目だ。」

 エルドラゴが右手を振り上げる。手の先には鋭い爪が付いている。こんなものを喰らったら、人間の体なんて簡単に引き裂かれてしまうだろう。

 「死ぬ前に教えてくれよ?貴様の名前を。手加減するのはあまり得意じゃないんでな。」

 俺は無言で右手を見つめていた。話をしている余裕なんて、あるわけがない!

 エルドラゴが歯を見せた。ギザギザの、捕食者の歯だった。こいつ、本当に楽しんでやがる。

 そのまま右手が振り下ろされる。当たってなるものか。俺は床に飛び込むと、エルドラゴの足元を前転した。エルドラゴの右手は俺の後ろにあったドアを直撃した。ドアはまるで溶けかけのバターのように、容易く引き裂かれた。あと一瞬行動が遅れていれば、きっと奴の右手は俺の頭に直撃していた。そうであれば、俺の頭は血しぶきを上げていただろう。

 俺はすぐに立ち上がると、駆け出した。少しでも距離を取らなければ。

 目の前には刑務官の死体があった。手足がありえない方向に曲がっている。落ち着いた状況であれば、吐き気の一つも催していたかもしれない。しかし、今はそれどころじゃない。

 死体のすぐそばに、拳銃が落ちていた。俺は急いでそれを拾った。エルドラゴにはまったく通用していなかったが、それでも何もないよりはよっぽどマシだ。

 拳銃を掴んだ瞬間だった。その時、俺は一瞬不思議な感覚に襲われた。まるで今までもずっと拳銃を握ってきたかのような、手になじむ感覚。しかし、それとともに大きな違和感にも襲われた。これは、俺の銃では、ない?

 「逃げられると思ってんのかあ!」

 エルドラゴの尻尾がこちらに向かっていた。猛スピードで、俺を叩き伏せようとしている。俺は振り向いて尻尾と向かい合った。さっきと同じだ。よく見ればきっと避けられる。

 飛んでくる尻尾に合わせて、体を左に捩る。今まで俺のいたところに、尻尾の先端が飛んできた。

 「それで躱したつもりかよ!」

 尻尾はさらに伸びると、横薙ぎに払った。今度は屈んでそれを躱す。尻尾は壁に直撃し、大きなヒビを入れた。

 俺はしゃがんだまま銃を構えた。

 「そいつは効かねえ。お前も見ていただろう?」

 確かに、鱗に当たってしまえば弾かれるだろう。ならば、鱗のないところを狙えば! 俺は、エルドラゴの目に狙いを定めた。なぜだろう。初めてのはずなのに、何度も経験してきたかのような安心感。俺の心は今までになく落ち着いていた。

 引き金を引く。弾丸がエルドラゴの顔面へと吸い込まれるように飛んでゆく。そして、それは怪人の目に直撃した。

 「無防備な目玉を狙う。悪くねえ策だ。しっかり当てたことも、褒めてやりてえくらいだよ。だが。」

 エルドラゴは、目を瞑っていた。なんと、その瞼にも鱗が生えていた。

 「効かねえ、そう言っただろ?」

 エルドラゴの尻尾が持ち上がる。その先は、俺を指していた。

 「目を閉じたままでも狙えるのか?」

 「俺たちリザードマンにとって目玉なんておまけみたいなもんだぜ。目を瞑ったってよお。温度でわかるんだよ!」

 尻尾が再び俺に向かって放たれた。だが、俺は一度これを躱している。今度も目を背けなければ、避けられるはずだ。

 俺は、また体を左に捩り、突っ込んできた尻尾をギリギリで躱した。

 「そうくるのもわかってんだよ!」

 突然、右の脇から尻尾が現れた。俺の後ろで尻尾の先を器用に曲げたらしい。そのまま尻尾は俺に絡みつく。腹を締め付けられ、呼吸もできない。

 「そおらよ!」

 俺は軽々と宙に持ち上げられた。振りほどくために暴れようとするが、パワーの差は歴然だった。

 「さてと、これで教えてくれるよなあ。貴様の名前。十人目の記念にふさわしい、エレガントな名前で頼むぜ?」

 万力のように、尻尾は俺を締め上げる。骨がミシミシと悲鳴をあげている。

 それでも、俺には自分の名前を明かす気は無かった。言えば殺されるのは目に見えている。それに何より、癪じゃないか。

 俺は気力を振り絞ると、銃を構えた

 「…それが貴様の返事か。」

 俺は、さらに高々と持ち上げられた。そしてゆっくりと左に移動すると、勢いをつけて右の壁に叩きつけられた。全身に鈍い痛みが走る。そのまま、エルドラゴは尻尾の拘束を解いた。俺は為す術もなく床に落ちた。

 「もう一発喰らえば、素直になるかね。」

 そう言いながら、エルドラゴの尻尾は俺を打ち付けるために、反対側へ勢いをつけた。

 素直になれるどころか、アレを喰らえば意識が飛びかねない。しかし、俺は動けなかった。人生で初めて感じる、全身を駆け巡る痛み。俺の体は、動くことを忘れてしまっていた。

 反動を取ったエルドラゴの尻尾が、俺に襲いかかった。

 その時だった。

 「『祈りの(カデナ・デ・オラシオン)』。」

 突如黒い球体の中から、何本もの鎖が飛び出し、エルドラゴの尻尾に絡みついた。そのおかげで、俺の体に尻尾が叩きつけられることはなかった。

 「やっと追いつきました。」

 球体から誰かが出てくる。白くて細い腕に、黒々とした長く豊かな髪の毛。ゆったりとした紺色のローブを着ている。背の高さは、俺よりもだいぶ低いだろう。それは、美しい少女だった。少女のローブの左袖から、鎖が飛び出している。

 「殺人犯エルドラゴ、まさかこんなところまで逃げるなんて思いませんでした。ですが、これで終わりです。」

 少女はキッとエルドラゴを睨みつける。

 「あなたを、拘束します。」


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