第四章 深まる謎と、本当の始まり④
本部には、大きな中庭がついていた。そこは芝生になっていて、横になればすぐに眠れそうなほど快適に見えた。少し休憩だ。せっかくなので転がってみようか。俺は本部の扉を開けると、中庭に出た。
「ソウゴさん。」
芝生には、先客がいた。ヴェロニカが腰を下ろし、風になびく髪の毛を抑えていた。その姿は、妖精のように可憐であった。
「ソウゴさんも休憩ですか?」
「ああ、阿久津の取り調べも終わったからな。」
「そうですか。どうでしたか?他の脱獄者につながる情報は得られましたか?」
「いや、それが……。」
俺は、阿久津から聞き出せた話をヴェロニカにも伝えた。『黒い大樹』の名前を聞いた時、ヴェロニカの表情も難しいものになった。
「そうですか。『黒い大樹』まで絡んでいたのですね。」
「ああ。それで、『黒い大樹』はどうやって阿久津の能力に気づいたのかって話になってな。」
「確かに、それは気になりますね。アクツは、地球では能力者ではなかったのですよね?」
「そのはずだ。もしもあんな能力を持っていれば、地球でも話題になっていたはずだし、本人もファブラに来てから呪われたと言っていた。」
「ファブラに来てから、能力に目覚める。まるで、おとぎ話ですね。」
おとぎ話か。今日までで何回か話題に出たが、具体的なことは全く聞いていないな。
「そのおとぎ話だが、どんな話なんだ?」
「……そうですね。ソウゴさんは知らないのでしたね。」
再び強く吹いた風に髪を撫でられるヴェロニカだったが、今度はそれを気にせずこちらを向いた。そして、優しく微笑みながら話し始める。
「これは、ファブラに昔から伝わる英雄の物語です。」
昔々、一人の男がおりました。特筆するようなことのない、極めて平凡な男でした。男は、当たり前に学び、当たり前に働き、当たり前に生きていました。特に幸福でもなく、特に不幸でもありませんでした。
しかし、ある時男が目を醒ますと、辺り一面見たことのない世界が広がっておりました。その世界は、空は闇に覆われ、海は濁り、とても人の生きていけるような環境ではありませんでした。
しかし、そんな世界にも、人は存在していました。男が目覚めた時、人々は彼を囲い、尋ねました。
「貴様は何者だ。」
「そういうあなたたちは何者か。ここはどこだ?」
男は尋ね返しました。しかし、人々は答えようとしませんでした。
「魔王の手先め。貴様に答える義理などない。」
実は、この世界は魔王と呼ばれる存在に襲われていたのです。元々は、とても豊かな世界でした。誰一人として飢えることも病むこともない、争うことすらない幸せな世界だったのです。しかし、魔王が現れてから世界は一変しました。植物は枯れ果て、空気は汚れ、人々は生きる希望を失いました。人々は魔王に反抗できませんでした。それまで一度も争ったことのない彼らには、戦い方など分からなかったのです。
そんな状態なので、彼らの心にはあらゆることに対する疑念が生まれていました。男のことを魔王の手先だと思い込んだのもそのせいでした。人々は、男を攻撃しようとしました。
男は当然、自分の身を守ろうとしました。その時です。男の体が輝き始め、辺り一面の自然は命を取り戻しました。美しい大自然。空も、大地も、海も、蘇ったのです。これは、男が起こした奇跡でした。
それを見た人々は、今度は男が救世主であると思い込みました。
「おお、救世主よ。あなたなら魔王を倒し、この世界を救うことができる。頼みます。この世界を救ってください。」
「世界を救う?」
男は困惑しました。それまでなんの変哲も無い生活を送ってきた彼にとって、それはあまりにも大きすぎる問題でした。
しかし、男は断ることができませんでした。なぜなら、断れば今度こそ何をされるかわからないからです。男は仕方なく出発しました。魔王討伐の旅へと。
「簡単に言うと、こんなところです。」
「……え?これでおしまいなのか?」
「実を言うと、この物語は始めの部分しか残っていないのです。本来であれば、魔王を倒す旅の行方が書かれていたはずなのですが、それは見つかっていないのです。」
「結末のない物語か……。」
しかし、確かにこの物語では、異世界からの訪問者である男が能力を得たことになっている。それは、阿久津の状況に近いと言えなくもない。
「まさか阿久津が救世主だ、なんてことはないだろうが。」
「それはもちろんそうでしょう。このお話は、あくまでおとぎ話なのですから。」
そうだ、おとぎ話だ。これをそのまま信じることはできない。だが、引っかかるのも事実だ。
「仮に、異世界からファブラにやってくると能力に目覚める、としよう。そうなると、阿久津だけでなく他の脱獄犯も能力者になっていると言うことになる。そうだとすると、『黒い大樹』は他の脱獄犯にも接触する可能性がある。脱獄犯を追うために、『黒い大樹』の動きを調べる、と言うのはアリかもしれないな。」
「そうですね。他に手がかりもありませんし、どちらにしても『黒い大樹』に関する捜査は続行しないといけませんから、それに参加すると言う形を取るといいかもしれません。」
これで、しばらくの方針が立ちそうだ。脱獄犯を直接追えないのは歯痒いが、できることがあるだけマシと考えよう。
「よし、まずは『黒い大樹』だ。絶対に捕まえてやるぞ。」
隣でヴェロニカがクスクスと笑う。
「どうした?」
「いえ。本当に、ファブラに来たのがソウゴさんでよかったなって。」
「どうした、急に?」
「だって、そうじゃないですか。もしもソウゴさんじゃなかったら、賀東を追うことだけを考えて、『猟犬』として適さない行動をとっていたかもしれません。でも、ソウゴさんなら、本物の『猟犬』としてやっていける、そう思ったんです。」
そういえば、アーロンにも言われたな。「本物の『猟犬』」か。
「俺はあくまで賀東を捕まえるために『猟犬』に入ったんだがな。そのためなら、何だってやる。」
しかし、ヴェロニカは静かに首を振る。
「ソウゴさんは、そんなに自分勝手な人じゃないですよ。」
言い切られてしまった。どうしてそんなことが言えるのだろうか。まだ出会って数日しか経っていないのに。俺は、顔が赤くなるのを感じた。
「そんなことよりも、気になることがあるんだ。」
俺は急いで話題を変えた。
「何ですか?」
「どうして俺は、能力を使えるんだろう。」
仮に、ファブラに来た異世界人は能力に目覚めるとしてもだ。俺が能力に目覚めたのはあくまで地球にいた時だ。それには当てはまらない。
「本当に、そうですね。どうして何でしょう。」
答えは出ない。当然だ。話をごまかすためだけにあげた話題なのだ。俺自身、何の考えもない。
「おそらく、アクツが能力に目覚めたのとは違う理由があるはずです。何か、地球にいながらファブラに関わるものと接触があったとか。」
「そう言われてもなあ。」
何も思いつかない。確かに俺の人生は平凡とはいえないものだが、異世界との関わりはさすがになかったと思う。
「もしかして、ソウゴさんは何か特別な存在なのかもしれませんね。」
「特別な存在、か……。」
個人的には、あまり好きな響きではなかった。自分が特別な存在であるなんて、考えるだけでも恥ずかしかった。
そしてその言葉は、もう一つの疑問を思い起こさせるに充分だった。あまり考えないようにしていた、疑問。
思い切って、吐き出してしまおうか。
「もう一つ、気になることがある。」
「何でしょう?」
「阿久津はなんで俺を食べることができなかったんだろう。」
「どう言うことですか?」
「あの戦いの最後、俺は阿久津に噛み付かれたんだ。だけどすぐに吐き出されて、奴は弱っていった。あの時はそれどころではなかったから、何とも思わなかったんだが、冷静に考えるとおかしくないか?」
「それは、どうなんでしょう。実は人肉を食べる能力ではなかったとか?」
「いや、それはさすがにあり得ないだろう。奴自身が、人肉しか食べられないと言っているのだから。」
「しかし、そうなると……。」
「……。」
俺たちは二人して黙り込んでしまった。あまりにも荒唐無稽な考えだ。そんなことはあり得ない。しかし、そうとしか考えられないこともまた、事実である。
「俺って、人間じゃないのかな?」
強い風が俺たちの間を吹き抜ける。髪を抑えたヴェロニカは、何も答えてはくれなかった。




