第四章 深まる謎と、本当の始まり③
阿久津は、警ら隊の管轄する牢屋に囚われていた。全身を鎖でぐるぐる巻きにされ、手足には手錠をかけられているらしい。奴の人間離れした身体能力はすでに失われていたので、ここまでする必要はなかったのだが、念には念を入れて厳しい処遇となったそうだ。
そんな阿久津と、遂に面会できる運びとなった。本当はすぐにでも話を聞きに行きたかったのだが、俺自身の負傷に加え、奴がなかなか目を覚まさなかったために面会の機会はなかなか得られなかった。ようやく得られたチャンスに、俺は浮き足立っていた。女王との謁見の時にテンションが高かったのも、どちらかと言えばこちらが原因だった。
城から本部に戻ったのは、昼過ぎであった。面会に行くのは、俺とパブロの二人だった。
「さて、それじゃあソウゴ、アクツのところへ行ってきな。パブロ、しっかり頼んだよ。」
「わかっているって、おじさんこう言うのは得意だし、安心していいよ。」
パブロの表情はいつもと変わらず、その飄々とした態度からは何を考えているのか読み取れなかった。
「ソウゴくん。基本的に話はおじさんがするから、君は聞いていなさい。尋ねたいことは、おじさんの話が終わってからにしてね。」
俺だって仕事の邪魔をするつもりはない。それに、俺はお世辞にも話を聞き出すのがうまいとは言えない。
「わかりました。お任せします。」
「よしよし。それじゃ、行こうか。」
面会は、牢獄越しに行われることになった。危険すぎて、牢獄から阿久津を出したくないのだろう。牢獄は地下にあるので、少しジメジメしている。俺たちの足音が不気味に響いていた。
阿久津の牢獄は一番奥にあった。そこにたどり着くまでに、別の囚人たちの姿も垣間見えた。完全に萎びてしまっている者もいれば、凶暴な目でこちらを睨みつけてくる者もいる。あまり目を合わせないようにしながら、俺たちは進んで行った。
「ここかな。」
一番奥の牢獄。それは、他の牢獄と比べて少し大きかった。中には、確かに鎖まみれの男がいる。俺は、その姿を覗き込んだ。阿久津は俺が倒した時に比べて、多少血色が良くなっていた。と、言うよりも本来の姿に戻った、と言った方が正しいのかもしれない。老人のように萎びた姿から、本来の年齢相応に変化していた。この数日間、奴は飲まず食わずのはずだ。一見マシに見えても、実際はかなり弱っているに違いない。
パブロは、鉄格子を前にしてしゃがみこんだ。阿久津の弱々しい視線が僅かに上向き、パブロと目が合う。
「アクツゲンジだね。」
阿久津は無反応だった。ただ、こちらを虚ろな目で見つめるばかり。
「私たちは『猟犬』、あなたを捕まえたものだ。あなたに聞きたいことがいくつかある。だが、その前に……。」
パブロはニコニコと笑っている。まるで、子供と語り合っているかのようだ。
「お腹は空いていないかい?何にも食べていないんだろう。私たちとしても、あなたを餓死させる気は無い。食べられるものがあれば言ってくれ。」
パブロの目に、僅かだが光が灯った。
「多少常識はずれなものでも、言ってくれれば準備できるかもしれない。とりあえず、言ってみてくれないかい?」
そんなことを言っても、奴が食べられるのは人肉だけである。そんなもの、準備できるはずがない。
阿久津の目の輝きが、少しずつ大きくなっていく。こいつ、まさかパブロの話を鵜呑みにしているんじゃないだろうな。「人肉が欲しい」なんて言ったら問答無用で体のどこかに鉛玉をぶち込んでやる。
「っぁ、っあ。」
阿久津がゆっくりと口を開いた。しかし、しばらく喋っていなかったからか、なかなかうまく喋ることができないらしい。唇がぶるぶると震えている。
「何だい?ゆっくりで構わないよ。」
パブロは本当に待つつもりらしい。その口元から余裕がうかがえる。
「た、た。」
ようやく、阿久津の口から人語らしいものが漏れ始めた。一体、何を要求するつもりなのだろうか。
「たす、けて……。たす、けて、くれ……。」
こいつ、今更助けを求めるのか。何人もの命を奪っておいて。お前が生きると言うことは、他の人が死ぬと言うことなんだぞ。怒りが俺の全身を駆け回る。鉄格子がなければ、俺は阿久津に銃を連射して、ついでにぶん殴っていたかもしれない。
しかし、次に阿久津の口から発せられた言葉は、俺の予想外のものであった。
「もう、食べたくない……。人、食べたく、ないんだ……。」
阿久津の顔は、苦難に歪んでいた。どうやら、本気で言っているらしい。
「だけど、抑えきれなかった?」
パブロの顔は阿久津とは対照的に穏やかなものだった。眉一つ動いていない。
「そう、だ……。抑えられ、ないんだ……。人しか、食べられない……。」
「パラグアス通りでの殺人事件も、そのせいだったのかい?」
阿久津は必死になって何度も頷いている。
「最初は、何か食べ物を、盗もうと思ったんだ……。だけど、食べ物の匂いを嗅いだら、吐き気が……。気がついたら、人肉しか食べられなく、なっていたんだ……。」
少しずつだが、阿久津の喋りがスムーズになってきた。その血走った目には、パブロしか写っていないようだった。
「それで、殺した……。食べるために、殺した……。」
こうして、阿久津は犯行を自供した。パラグアス通りでの三件の殺人に、『赤いトサカ』襲撃も合わせて、全てを奴は認めた。
「始め、は、少し食べれば腹は膨れたんだ……。だから、殺した相手の腹だけを、食べていたんだ……。だけど、途中から、それじゃあ満足できなくなって……。」
「殺し方が残虐になって言ったのは、食欲が大きくなったから、と言うことかい?」
「そう、だ……。本当は、もう人肉は食べたくなかった……。他のものが食べたかった……。だけど、いざ別の食べ物を目にすると、頭が痛くなって、吐きそうになるんだ……。」
遂に、阿久津は涙まで流し始めた。
「もう、食べたくないんだ……。人肉は、見たくもないのに……。それなのに、それしか食べられないんだ……。」
「なるほど、それは辛かったね。」
パブロはうんうんと頷いている。
「だけど、『赤いトサカ』を襲ったのはどうしてなんだい?わざわざ森の奥まで行って、あいつらを襲ったのには意味があるはずだ。」
「それ、は……。」
阿久津の涙の量がどっと増えた。そして激しい嗚咽により、阿久津はまた喋れなくなってしまった。
しばらくその様子を見ていたパブロだったが、唐突に口を開いた。
「『黄金の聖女像』かい?」
泣きながら、阿久津は何度も頷いている。
『黄金の聖女像』。確かに阿久津はそれに惹かれているようだった。しかし、最後には壊してしまったではないか。
「あの像には、呪いを解く力があると、聞いたんだ……。」
阿久津が再び喋り始めた。
「だから、俺にかかった呪いも、解けるんじゃないかと思ったんだ……。」
『黄金の聖女像』の力。しかしそれはただの伝承であり、事実ではない。
「呪いとは、つまり?」
「そうだ……。人肉以外のものが、食べられなくなった……。この呪いを、解こうと思ったんだ……。」
そうか。阿久津は自分の能力を、呪いだと思っていたのか。
「質問してもいいかな?あなたは、いつ、どこでその呪いをかけられたのかな?」
阿久津は左右に首を振る。それに合わせて奴に巻き付いた鎖がジャラジャラと音を立てた。
「わからない。気付いたのは、この街で食べ物の匂いを嗅いだ時だ……。誰にかけられたとか、何がきっかけだとかは、わからないんだ……。」
「ふむ、そうか……。」
そもそも、地球人である阿久津が能力を持っていること自体おかしいのである。しかも、話を聞く限り、俺と違ってファブラに来てから能力に目覚めたようだ。そんなことがありうるのだろうか。あり得た場合、他の四名の犯罪者たちも能力者になっている可能性がある。そうなると、危険度はさらに高まると言えるだろう。
「それであなたは、パラグアス通りで『赤いトサカ』の団員を襲い、そのトレードマークである赤い帽子を奪った。」
「そ、そうだ……。帽子を被れば、他の団員に紛れてアジトに入れると思ったんだ……。」
「しかし、実際はそうではなかった。」
「あいつら、俺を見た途端襲って来たんだ……。だから、殺すしかなかった……。」
おそらく、その時点で既に阿久津の姿は怪物と化していたのだろう。だから、『赤いトサカ』は阿久津を迎撃しようとした。しかし、敵わなかった。
「結局、アジトにいた連中を皆殺しにしてしまったわけだね。そして、食べてしまった。」
「俺は、食べたくなかったんだ……!それなのに、あいつらが……。」
「ふむふむ。なるほどね。」
パブロは考え込みながら、こちらをちらりと見た。質問してもいい、ということだろう。
「阿久津玄二。あなたは別の世界からやってきましたね?」
「えっ?」
奴の目が、泳ぎ始めた。
「あなたは元々、地球の入間刑務所に入っていました。そして、突如開いた黒い球体に飛び込んで、こちらの世界—ファブラにやってきたのです。」
「ど、どうして、そのことを、お前が知っている……?」
「なんだっていいでしょうそんなことは。大事なことは、あなたが地球人だと言うことです。」
動揺した阿久津は、しばらくオロオロと視線を彷徨わせていた。
「そして、入間刑務所からの脱走者はあなただけではない。他にも四名いたはずです。」
「……ああ、確かに、いた……。」
「その四名は、どうなりましたか?あなたの知っていることを教えてください。」
「……わからないんだ……。」
「わからない?」
「ああ……。あいつらがあの球体に入った後、俺は遅れて飛び込んだんだ……。あの中は、めちゃくちゃだった……。よくわからない力に満ちていて……。振り回されている間に、他の奴らは見失ってしまった……。」
「だったら、球体から出てきた時、あなたは一人だったと言うことですか?」
「そうだ……。俺が、ここに着いたのは一週間前のことだった……。突然、この世界に投げ出されて、周りには誰もいなかった……。」
「そう、か。」
なんと言うことだ。せっかく一人捕まえたのに、賀東に繋がる情報は一つもない。これじゃあ、ここから先どうやって奴を追いかけたらいいんだ。俺はこの状況に苛立ち始めていた。
「そもそも、どうして脱獄なんてしたんだ。自分の罪を償わず、逃げ出しやがって。」
「それ、は……。」
阿久津はの目に、また涙が溜まり始めた。
「死にたく、なかったんだ……。あそこにいたら、殺されてしまう……。」
「お前は死刑囚だ。いつかは死刑が執行される。当然だろう。」
「違う、違うんだ……。あの刑務所の中には、頭のおかしい囚人がたくさんいるんだ……。中には、自分が正義だと疑わない奴もいる……。そんな奴の一人が、俺を狙っていたんだ……。俺を殺すことが使命だと言って、俺を何度も殴りつけてきた……。あのまま刑務所に入れば、俺は死刑になる前に殺されていた……。死刑なら、受け入れる……。だけど、あいつに殺されるのは、受け入れられない……。」
返す言葉もなかった。本当のことを言えば、自業自得だと吐き捨ててやりたい。しかし、それはできなかった。刑務所の中での暴力なんて、想像もしていなかった。それも、正義の盲信者によるもの。そいつだって犯罪者なのに、よりにもよって正義だって?
黙ってしまった俺を見て、パブロが再び質問を始めた。
「他の脱獄者とははぐれてしまった、そう言ったね。では、ファブラに来てからはどうだろう。他の脱獄者と接触する機会はなかったのかな。」
「なかった……。あいつらとは、会わなかった……。」
「あいつらとは、と言うことは、他にあった人がいるのかい?」
阿久津は一瞬考え込んだ。しかし、すぐに喋り始めた。
「おかしな、男に、あった……。」
「おかしな?どんな男だい?」
「……スカウト……。」
「えっ?」
「スカウト、されたんだ。『黒い大樹』に入らないかって。」
「『黒い大樹』だって?」
パブロの声が、にわかに大きくなった。しかし、すぐに元の調子に戻った。
「それは、どんな男だった?」
「……普通の、そこらにいそうな男だった。ただ。」
「ただ?」
「肩に、入れ墨が見えた……。悪魔の、入れ墨……。」
「そうか……。それで、あなたはなんて?」
「俺は、それどころじゃなかった……。腹が減って仕方がなかった……。だからそいつを食べようとしたんだ……。あいつに襲い掛かった……。だけど、敵わなかった……。簡単に吹き飛ばされて、何度も、何度も蹴りを入れられた……。俺は気絶して、気が付いた時にはもう誰もいなかったんだ……。」
「パブロさん。『黒い大樹』ってなんですか?」
俺はパブロに説明を要求したが、パブロは肩をすくめるばかり。
「後で説明するよ。それで、」
パブロは改めて阿久津と向かい合う。
「その男と会ったのは、いつのことだい?」
「確か、七日前だった、と思う……。ここに来た、最初の日……。」
「七日前、最初の犯行の前日だね。ということは……。」
パブロは一人で頷くと、満足げな顔で立ち上がった。
「聞きたかったことはだいたい聞けました。どうも、ありがとう。」
「ま、待ってくれ……。俺を、助けてくれないのか……?」
「そうしてあげたいのは山々なんですがね。あなたは人肉しか食べられないのに、その人肉を要求しない。助けようにもどうしたらいいのかわからないんじゃあ、ね。」
「そ、そんな……。」
「一つだけ、あなたに教えてあげましょう。あなたのそれは、呪いなんかではない。あなた自身の能力、特性です。だから、解こうと思って解けるようなものじゃないんですよ。それでは。」
呆気にとられている阿久津を尻目に、パブロはさっさと歩いて行ってしまった。俺もその後を追いかける。すぐに後ろから、この世のものとは思えないような悲惨な泣き声が聞こえてきた。
本部に戻って来た俺は、すぐにパブロに尋ねてみた。
「パブロさん。結局『黒い大樹』ってなんなんですか?」
「ああ、そうだったね。……この件は、非常に重大かつ危険な問題だ。だから、『黒い大樹』については『猟犬』外に漏らすのは厳禁だよ。いいね。」
「はい。わかりました。」
「素直でよろしい。それじゃあ教えてあげよう。」
パブロは椅子に座ってこちらを向いた。
「『黒い大樹』は、端的に言えば犯罪者集団だ。それも、とっても危険なね。」
「犯罪者集団、ですか。」
「ああそうだ。数年ほど前から闇社会で台頭してきている。『猟犬』もずっと追いかけているんだが、なかなか尻尾が掴めないんだ。」
「具体的には、どういった集団なんですか?」
「ああ、『黒い大樹』には、多くの能力者が所属している。正確な規模は不明だけど、少なくとも『猟犬』よりはずっと大きい。能力者を見つけてはスカウトして取り込んでいくんだ。」
「そんなことをすれば、すぐに足がついてしまうのでは?」
「そのはずなんだけどねえ。規模の大きさもあって、なかなか手が出せないんだよ。」
パブロはわざとらしくため息をついて見せた。
「それで、実際に奴らが起こした事件なんだけどね。例えば、王立の能力研究所を襲撃したり、警ら隊の支部を潰したりと、反体制的な事件をいくつも起こしているんだ。しかも能力者も多いからね。一般人の起こす事件よりも遥かに危険度が高い。」
「なるほど。」
そんな危険な組織が、阿久津をスカウトしていたと言う事実。しかし、引っかかる部分がある。
「どうして、阿久津をスカウトしたんでしょう。」
「それはやはり、能力者だったからだろうね。原因はわからないけど、ファブラにやって来たアクツは能力者になっていた。しかも、あの戦闘能力だ。『黒い大樹』が欲しがるのも無理はない。」
「……ですが、やはりおかしいです。」
「ん?どこがだい?」
「阿久津がスカウトされたのは、七日前です。これは、最初の事件の前日です。その段階で、阿久津が能力者だと見破るのは難しいのではないでしょうか?」
その段階では、阿久津はただの食人鬼に過ぎなかった。人肉を食べて成長・回復する能力だと気付くには、材料が足りなすぎる。
「言われてみれば、確かに。」
パブロは目を閉じると、頭をコンコンと叩き始めた。
「なぜ、『黒い大樹』はアクツが能力者だと気づいたんだ?必ず、きっかけがあるはずだ。それがわかれば、『黒い大樹』の行動を予測できるかもしれない……。」
俺もパブロと一緒に考えてみる。どこかに、阿久津が能力者だと気づけるヒントがあっただろうか。これが、事件の後だと言うのならまだわかる。阿久津の後を追っていれば、その変化に気づくこともできただろう。しかし、実際にスカウトが来たのは事件の前日だった。
結局、有力な考えは浮かばなかった。パブロの方も同じらしい。
「なんにしても、この話はベルナルダさんたちにも伝えておくよ。もちろん、疑問に気づいたのは君だ、ともね。これは、君の手柄だ。」
「それはどうも、ありがとうございます。」
あまりそう言うことには興味ないが、まあ別に損するわけでもないし、いいだろう。
「しかし、他の脱獄者につながる情報は、とりあえずゼロか。なかなか厳しいね。」
「……そうですね。ですが、だからと言って立ち止まるわけにもいきません。」
俺の言葉に、満足げに頷くパブロ。
「そう、その意気だよ。諦めず、考え続けるんだ。おじさんも一緒に頑張るからね。」
パブロが右手を差し出した。飄々とした態度とは印象の異なる、ゴツゴツした大きな手だった。
「はい。お願いします。」
俺はその手を強く握った。すぐに握り返された。頼りになる。俺は直感的にそう思った。




