第三章 脱獄犯、阿久津玄二②
ミアの能力は、言ってみれば限定的なテレポーテーションであった。一度触れたことのあるものを記憶し行き先として指定する。ただし、やはり制限はあり、記憶しておけるものは五つが限界らしい。
「『奇跡の大脱出』。」
そう呟くと、ミアの手の中に黒い光が収束し、何かの形をとった。細長く、つやつやとした輝き。それは、手品師の持つようなステッキであった。
「これさえあれば、私はどこにだって飛んで見せるわ。」
ミアの自信満々な態度は見ていて気持ちよくすらあった。
「それで、俺たちはどうすればいい?」
「あんたとヴェロニカは私に触れていればいいわ。」
そう言いながら、ミアはステッキの上部を握った手を差し出した。俺とヴェロニカもその手を掴む。
「それじゃあ行くわよ!」
そう言い終えた瞬間、俺の足元が消え去り、景色が捻れて混ざり合った。体は宙に投げ出され、気持ちの悪い浮遊感が全身を苛む。しかしそれらは一瞬の出来事であり、気が付いた時には、俺の体は草の生える地面に投げ出されていた。
「……。」
口を開いて「ここはどこだ?」と言おうとしたが、腹の底から湧き上がる吐き気の所為で言葉にならない。
「情けないわね。この程度でへばっちゃって。」
平然とした顔で、ミアが横に立っていた。
「……悪かったな。」
ようやく言葉が口から出てきた。俺はふらふらと立ち上がる。
「ここは、森の中か。」
「……そのようですね。うう、ちょっと気持ち悪い……。」
口元を押さえながらヴェロニカも賛同する。途端にミアはヒロンの元へ飛んで行き、その両手を掴んだ。
「ヴェロニカ!大丈夫?ちょっと飛びすぎたかなあ。」
「いえ、心配しないでください。大丈夫ですから。」
扱いの差は元より、何よりも恐ろしいのはそのテンションの差である。俺と話しているときに比べ、ヴェロニカと話しているときのミアの声は、一オクターブと言わず高い。これは、俺の扱いが雑なのではなく、ヴェロニカに対する態度が異常であると考えるべきなんだろう。
俺が見ているのに気づいたのか、ミアが憮然とした顔をこちらに向ける。
「何よ。」
「いや、なんでもない。」
触らぬ神に祟りなし。
「とにかく、大事なことはここがどこかと言うことと、犯人はどこだと言うことだ。ミア、お前の能力なら犯人のところに直接出られるんじゃなかったのか?」
「そう思ったんだけど、どうも無理みたいね。多分、あんたが言った通りになったのよ。」
「俺が言った通り?」
どの発言のことを指しているのだろうか。そもそも、自分が何を言ったかなんて、いちいち覚えてはいない。
「つまり、食べられた内臓が消化されてしまったと言うことですか?」
「多分、そう。消化吸収されてしまった所為で、目的地としての指定が甘くなってしまったようね。その結果、少し目的地から少し離れたところに出てしまったみたい。だけど、この近くに犯人がいるのは確かよ。」
「そうなると、周りを調べてみないといけないわけだが、その前に、ここがどこかを確認しておかなければな。ヴェロニカ、ここがどこだかわかるか?」
「何よ、偉そうに言っておいて結局は他人頼り?」
何かにつけてミアが突っかかってくる。少々腹立たしいが、ここ数日のバカにされ具合(主にエルドラゴ)から考えると大したことはない。俺は言い返しそうになるのを必死で押さえた。
「ちょっと待っててください。見てきますから。」
ヴェロニカはそう言うと、近くに生えていた木の側に駆け寄ってゆく。幹の太く、たくさん枝分かれした立派な木であった。
「『祈りの鎖』。」
ヴェロニカはその枝の一つに向かって鎖を射出した。鎖は枝にしっかりと絡まる。何度か鎖を引っ張ってその強度を確かめると、ヴェロニカは鎖を裾に戻し始めた。彼女の体は引っ張られるようにして枝まで登ってゆく。
「はあ。便利なものだなあ。」
拘束だけでなく、移動にも使えるのか。これもミアの言っていた応用ってことだな。俺の能力も考え方次第で発展させて行くことができるのだろうか。
「どう、ヴェロニカ。何か見える?」
ミアが大声でヴェロニカに尋ねる。ヴェロニカは一つの方向をじっと見つめている。
「……わかりました!南西の方向にクエントの街が見えます。ここはクエントから東北に少し進んだ森の中です。」
「それって……。」
クエントの東北の森といえば、『赤いトサカ』のアジトがある場所じゃないか!
「もしかして、犯人もそこに?」
偶然とは考えづらい。やはり、犯人の目的は『赤いトサカ』にあるのだろうか。
ヴェロニカがまた鎖を利用して木からゆっくりと降りてきた。ヘリから降りてくるレスキュー隊のようで、ちょっとかっこよかった。
「『赤いトサカ』のアジトならここから歩いて数分もかかりません。少し探ってみましょうか。」
俺は頷くと、右手に力を込め、拳銃を取り出した。近くに犯人や盗賊がいるのかもしれないのだ。警戒しなければならない。
俺たちはアジトに向け歩き始めた。木や草で身を隠しながら、慎重に進んでゆく。すると、数分もしないうちに大きな崖が見えてきた。
「あの崖です。」
「崖?」
「よく見なさいよ。崖にあるでしょ、洞窟が。」
確かに、崖には大きな洞窟の入り口がぽっかりと空いていた。
「あそこがアジトか。」
「……おかしいですね。いつもなら洞窟の入り口に見張りが立っているのですが。」
その疑問の答えは、すぐに明らかとなった。俺たちがさらに進んで行くと、入り口の横に転がっている人の姿が二つあった。どちらも赤い帽子をかぶっている。そして、それらの周りには大きな血だまりができていた。
「おい、これって!」
「静かに!」
ミアがこっちを睨みつけながら囁く。俺は言われた通り口を閉じた。
「洞窟の中から、何か聞こえる。」
よく耳を澄ましてみると、確かに何か聞こえてきた。それは、何かの叫びのようだった。まるで、断末魔の……。
しばらくすると、叫び声は聞こえなくなった。
「中に、いるのか。」
「おそらく。」
形だけ見れば、俺たちは犯人を追い詰めたと言える。しかし、俺たちにはそのような余裕は一切なかった。むしろ、恐ろしい怪物との邂逅を目の前に、ひどく緊張していた。
俺たちはまず洞窟の入り口まで駆け寄った。足元には二対の死体が転がっている。どちらも、腹をズタズタに引き裂かれ、内臓が失われていた。相変わらず腸だけは器用にどかしている。
「うう。」
嗚咽を漏らすヴェロニカ。無理もない。街中の死体よりもさらに酷い有様なのだから。
「行くぞ。」
頷く二人を確認し、俺たちは洞窟へと侵入した。
洞窟の中は、意外と明るかった。いくつもの松明が壁面に設置されている。道にはトロッコの線路が引いてある。元々は何かを発掘していたのだろうか。
少し進むと、開けた場所に出た。そこには小洒落たテーブルや椅子が置かれており、まるでリビングのようであった。食事前だったのか、料理の盛られた皿がそのまま置かれている。ここで『赤いトサカ』たちが生活していたのだろう。しかし、今のこの場所は地獄でしかなかった。
「……酷い。」
ヴェロニカのその言葉が全てを物語っている。すぐに数えられるだけでも四つは死体が転がっている。どれも腹からおびただしい量の血液が流れ出ていた。素人であっても一目でわかる。犯人は直接腹を食い破っているのだ。
「もはや首を締めることすら放棄しているのか、犯人は。……本当に人間の仕業なのか?」
俺の疑問に、二人は首を振るばかり。俺だってわかっている。獣がこんなことをするはずがない。そもそも獣が、人の手の行き届いた洞窟にやってくることから考えにくい。これは、人間の仕業なのだ。少なくとも、種族という意味においては。
「先に進みましょう。」
俺たちは慎重に進んで行った。ゆっくりと、一歩ずつ。怪物に気取られぬように。
さらに進むと、また開けた場所に出た。松明が消えているのか、今までに比べるとかなり暗い。しかし、何かが存在するのは確実だった。音がする。何かに噛み砕き、咀嚼する音が。先頭を歩いていた俺は、二人に静止の合図を送った。広間に入る寸前、俺たちは壁面に背を当てながら立ち止まった。
「見つけたの?」
「まだだ。だが、いるのは間違いない。」
俺は広間を隈なく観察した。よく見ると、一つだけ松明が点いている。そして、その真下に何かが蠢いている。どうやら、何かを食らっているらしい。
「見つけた。おそらくアレだ。」
「『赤いトサカ』の一員ということはありませんか?」
「ありえない。こんな状況で食事する盗賊がいるものか。」
俺は銃を構えた。
「ここからなら狙い撃てる。」
「殺してはいけません。捕まえなければ。」
当然だ。もし奴が阿久津だった場合、賀東に繋がる情報を持っているかもしれない。こんな貴重なチャンスをフイにするほど愚かではないつもりだ。
「わかっている。脚を狙えば良いだろう?」
少なくとも、ここで狙撃しないという選択肢はない。奴が何者であれ、殺人犯なのは間違いない。ここで撃たなければ、今度は俺たちが危険に晒されるのだ。
「……わかりました。ソウゴさん、お願いします。」
俺は改めて奴に狙いを定めた。夢中になって何かを貪っている人影の脚に銃口を向ける。弾は残り三発。この一発で、仕留めてやる。
俺は呼吸を整えると、引き金を引いた。発砲音が洞窟内を反響する。弾丸は回転しながら飛んでゆき、獲物の脚を貫いた。
「ギャアァア!」
耳を劈くような叫び声。あまりの大声に、まるで洞窟が揺れているかのように錯覚する。耳を押さえても防げない。人間のものとは思えない叫び声だった。
だが、どんな叫び声をしようとも、弾丸は確実に奴の脚を貫いたのだ。もし本物の怪物だったとしても、身動きすらまともに取れないはず。
事実、奴はその場に倒れこんだ。
「行きましょう!」
ヴェロニカの言葉に従い、俺たちは奴の元へと向かった。何ともあっさりとした幕引きである。さて、一体こいつは何者なんだ?
暗くてわかりにくいが、それは人間ではないように見えた。形こそ人間に近いものの、鋭い爪や牙は獣のそれに酷似している。人肉を食らいまくった割に、肉体は痩せ細っている。よく見ると、『赤いトサカ』の証である赤い帽子を被っていた。ということは、本当にこいつも『赤いトサカ』の一員なのか?
少し目を外にやると、すぐ近くに何かが転がっている。これは、人間の腕か。俺は思わず目を背けた。
「一体何なんだ?こいつ。」
おそらく、俺の知らない種族なんだろう。そう思ってヴェロニカに尋ねたのだが、彼女も首を横に振っている。
「わかりません。亜人の一種かもしれませんが、私は見たことがありません。ミアちゃんはどうですか?」
「私も知らないわ、こんな生き物。」
不快そうに顔を顰めながら、ミアは答えた。
「まあ、自分で言っておいて何だが、何だって良いだろう。とりあえず、縛って連れて帰ろうぜ。」
「そうですね、では。」
ヴェロニカが両手を奴に向けたその時だった。突然奴の頭が動き出し、転がっていた人間の腕に噛み付いたのだ。
「何だ?」
そのまま腕を噛み砕くと、奴は突然飛び上がった。全身をバネにして、俺たちの頭上へと。
瞬間、あっけにとられた俺は反応できなかった。気づいた時には奴の足が俺の胸にめり込み、地べたに情けなく転がっていた。
なぜだ。なぜこいつは立っているのだ。確かに俺の弾丸はこいつの脚を貫いたはず。俺は苦痛に呻きながらも、奴の脚に視線をやる。そこには、確かに弾丸の跡があった。しかし、傷は既に塞がっていた。
奴が俺に覆いかぶさる。大きな口を開けて、俺の首へと—。
その時、俺の視界に突然入る影。棒状の物を持ち、おおきく振りかぶっている。
「そいつから……離れろ!」
俺の元へと飛んできたミアが、ステッキを思いきりスイングした。ステッキは見事に怪物の開いた口の中に直撃した。一瞬、まるで時間が止まったかのように、奴の動きが止まった。そして、
「ギャアア!」
奴は俺から離れると、闇の中に飛び込んだ。
「逃がしません!」
その方向にヴェロニカが鎖を放つ。高速で鎖は飛んでいき、闇の中を四方八方に渡って探っている。しかし、空振りに終わったようだ。ヴェロニカは苦い顔でこちらに振り返った。
「大丈夫ですか?ソウゴさん。」
「ああ、何とかな。ミア、ありがとう。」
「別に。」
ミアはそっぽを向いていた。俺の感謝など本気で望んでいないらしい。
「そんなことより、問題はあいつよ。どこに行ったのかしら。」
「おそらくですが、この広間にはもういないようです。奥に行ったのではないでしょうか。」
一瞬しか見えなかったが、逃げる奴の姿は、どこか焦っているように見えた。とんでもない恐怖に遭遇したかのような。逃げ足も、相当速かった。
「動けるはずがないんだがな。確かに脚にぶち込んでやったのに。」
ヴェロニカの差し出した手に掴まって立ち上がりながら、俺はそう呟いた。
「あいつの脚、もう傷が塞がっていた。あいつも能力に目覚めたって言うのか?」
能力者が能力に目覚めた時、己の潜在能力を解放するため怪我や病気が治ることがある。それは俺自身も体験済みだ。
「全くありえないとは言い切れませんが、その可能性は限りなく低いです。そもそも、能力に目覚める者の数はそんなに多くありません。それに、能力に目覚めたのなら何か仕掛けてくるはずです。むしろ、怪我の治るような能力を初めから持っていた、という考えの方が可能性としては高いと思います。」
「怪我の治る能力か……。」
今起きたことを少し整理してみよう。奴の脚を俺が狙撃した。確かに弾丸は奴の脚を貫通し、一時は動けなくなるほどのダメージを与えた。俺たちは奴を拘束するために近づいた。すると奴は近くに転がっていた人間の腕を噛みちぎった……。
「ありえるとしたら、だ。奴は人肉を食らうことで回復しているんじゃないだろうか。」
二人も俺と同じことを考えていたらしい。深く頷いてくれた。
「確かに、動き始める直前にこれを食べていたわね。」
ミアの指差す先には、原型を留めていない肉と骨の断片が転がっていた。
「これに噛み付いた直後、あいつは派手に動き始めたわ。」
人肉を食らうことで自己修復をする怪物。これは、あまりにも危険すぎる。
「あんな奴を野放しにしておけば、何があるかわからない。ここで処理した方がいい。」
「ですが、危険です!もう弾も二発しか残っていないんでしょう?ここは一度引き返すべきです。」
「何を言っているんだ!そんなことをしているうちに奴がどこかへ行ってしまったらどうする。被害者がどれだけ増えるか。」
「しかし……。」
「二人とも、ちょっと落ち着きなさいよ!」
ミアの手が俺たち二人の肩に置かれた。
「要するに、本部に連絡を入れながら、あいつの動きを見張っておけばいいんでしょう?だったら、私がいるじゃない。」
「あっ……。」
「私が一旦本部に飛んで、応援を呼ぶわ。ヴェロニカたちはその間あいつを見張っておいて。」
「なるほど、それが一番かもしれません。」
俺も異存は全くなかった。とにかく、この洞窟に奴がいる間にどうにかできればいい。
「すぐに戻ってくるから、それまでお願いね、ヴェロニカ。」
「はい、絶対にあの人を逃がしません!」
ヴェロニカの返事に優しく微笑むと、ミアはステッキを取り出した。
「『奇跡の大脱出』。」
ミアの姿が闇に溶けていった。
「さて、俺たちは奴のところに向かおう。」
「はい!」
俺たちは走り始めた。




