第二章 異世界ファブラと入隊試験④
案内された部屋は、建物の二階の奥にあった。広さは四畳半程度で、備え付けのベッドが部屋の半分近くを占めている。ベッドの横には大きな窓がついていた。街を一望、とまではいかないが、なかなかいい景色が広がっている。最初にやってきた丘もここから見える。どうやら、すでに門は閉まったらしく、そこには何もなかった。もう、帰ることはできないのか。訪れる不安を振り払うように俺は首を振る。真実を知らずに地球で生きるよりの、異世界であっても真実を知れる方がいい。その考えに、変わりはなかった。
『猟犬』のメンバーは、全員この本部で暮らしているらしい。一人一人にここと同じような部屋が充てがわれているそうだ(ちなみに俺の隣はヴェロニカだった)。食堂や風呂などの設備も揃っているらしい。ヴェロニカの言う通り、管理は行き届いているようだ。
今日はもうやることがない。手持ち無沙汰なことこの上ないな。とりあえずベッドで横になってみた。少々硬いが、眠るのに支障はなさそうだ。掛け布団や枕も、わざわざ持ってきてくれたらしい。真っ当な建物の中で眠れるのは、幸運だった。なんせここは異世界だ。行く当てもなく野宿するのも覚悟していただけに、この処遇はありがたかった。
さて、少し状況を整理してみよう。ここは異世界ファブラ、街の名前は確かクエントと言ったか。俺はここに賀東を追ってやってきた。賀東は他の四人の囚人とともに門に入り、このファブラにやってきたと考えられる。厄介なのは、それが過去なのか未来なのかがわからないと言うことだ。もしかしたら奴らも時気嵐に巻き込まれて、まだファブラに来ていない可能性も充分にあると言う。しかも、奴らが一緒に来ているとは限らない。一人ずつバラバラに、様々な時期にやって来ているかもしれないのだ。
そんな奴らに対し、俺は捜査するために『猟犬』に入ろうとしている。そのために明日、『猟犬』のメンバーの一人であるイサークと闘うことになった。対戦は二対一、イサーク対俺とヴェロニカで行われる。それで丁度いいとベルナルダは言っていた。そんなにイサークは強いのだろうか。それともヴェロニカが『猟犬』の中では弱いのか。
ヴェロニカの能力は、相手を捕縛するのには適しているが、攻撃力自体は大したことないらしい。実際、エルドラゴとの戦いでは有効打を与えられていないようだった。それに対し俺の能力は、攻撃力自体は高いと思われる。あまり他の能力者を知らないので比較はできないが、少なくとも当たれば最低でも負傷させることが可能なはずだ。
そう考えてみると、俺とヴェロニカの能力は相性がいいのかもしれない。うまく連携が取れれば、ある程度戦うことは可能なのではないだろうか。
結局のところ、イサークの能力が何であるかがわからなければ、確かなことは言えない。ヴェロニカから聞き出そうとしたのだが、ベルナルダに止められてしまった。「わからない方が試験っぽいだろう」なんて言っていたが、試験とは、課題に対して対策を取るものではないのだろうか。何をどうしたらいいかわからない試験は、試験ではないように思える。……まあ文句を言っても仕方ないか。幸いイサークも俺の能力は知らないわけだから、状況は五分と言っていい。とにかく、明日は能力を見極めた方が勝利するだろう。
出て来た結論は、特に目新しいものではなかった。当然の帰結、そうとしか言えない。だが、これ以上頭が働かない。横になったのがいけなかったか、睡魔が俺に襲いかかってくる。思っていたよりも疲れていたらしい。意識が、遠のいてゆく……。
気づけば、俺は家の中にいた。これは昔、両親が生きていた頃に住んでいた、家?
「ソウゴくん?どうしたの?」
振り返ると、そこには一人の女性が座っていた。少し痩せた、儚げな体躯。長くて黒い髪の毛。涼しげな目元に、薄い唇。それは、美しい女性だった。
「おいで。ソウゴくん。」
俺は言われるがままに彼女に近づいてゆく。彼女は座っているにもかかわらず、立っている俺と目線の高さが同じであった。
彼女がフッと微笑んだ。そしてその右手を、俺の頭の上に乗せる。
「大きくなったね。」
そう言って彼女は俺の頭を撫でた。俺は耐えきれなくなり、彼女の胸に飛び込んだ。
「お母さん。」
そう呟いた自分の声で目が覚めた時、既に窓の外は漆黒の闇に覆われていた。しまった、うっかり眠ってしまったか。
いや、よくよく考えてみると、眠ってしまったからと言って別段問題はない。強いて言えば、夕食を食べ損ねたくらいか。正直なところ、お腹は全く減っていなかった。これも、能力に目覚めたことが影響しているのかもしれないな。
俺は再び寝ようとした。布団を被り直し、目を瞑ってじっとする。しかし、一度起きてしまうとなかなか次の眠りは訪れない。何度も寝返りを打つが、その度に眠りから遠のいているような気がする。こう言う時は、無理に眠ろうとするとむしろ眠れない。俺は目を開き、体を起こした。折角だ、少し建物の探索でもしてみようか。俺は立ち上がって伸びをすると、部屋をそっと抜け出した。
廊下はしんと静まり返っていた。どうやら、他の部屋の住人も既に眠っているらしい。俺は彼らを起こさないように注意しながら、階段までやって来た。この下には一階の廊下が続いていて、あのオフィスのような部屋(『猟犬』メンバーは、この部屋のことも本部と呼んでいた)や、食堂などに繋がっている。折角なので食堂やその他の施設を覗いてみようか。そう思って階段を降りてみると、本部からベルナルダが出て来たところに遭遇した。
「おや?眠っていたんじゃないのかい?」
「あ、いや、ちょっと目が覚めてしまって。」
「そうかい。一応言っておくけど、散歩するのはこの建物内にしておきなよ。」
「わかりました。……まだお仕事ですか?」
「ああ。と言っても一日の最後の仕事が終わったところだけどねえ。」
「最後の?」
「……丁度いい。あんたも挨拶しておきな。」
そう言って、ベルナルダは去って行った。挨拶?本部に誰かいるのか?俺は訝しみながら本部への扉を開けた。
一人の女性の後ろ姿が見えた。背はスラリと高く、体型は華奢。髪は黒く、腰を超えるほどのロングをそのまま下ろしている。
「誰?」
細く透き通るような声。どこか浮世離れしている印象を覚える。
振り返った女性の顔が見えた。肌は声と同じくらい透き通る白さ。切れ長の目に、薄い唇。今にも消えてしまいそうな儚ささを俺は覚えた。歳は、二十代後半から三十代前半といったところだろうか。明らかに大人であるにもかかわらず、大人らしい擦れは一切感じさせない。
彼女は一歩、俺に近づいた。
「あなたが、ソウゴくん?」
「は、はい。」
「ベルナルダさんから聞いたわ。『猟犬』に入りたがっているって。」
「ええ。そうです。……ところで、あなたは?」
彼女は表情一つ変えず、俺に近寄ってくる。
「私はフロル。フロル・トゥリーナ。」
フロル、何処かで聞いたことがあるような気がする。そう言えば、本部に入った直後にベルナルダが言っていた。「フロル以外全員いるね」と。彼女も『猟犬』の一人ということか。
気がつくと、フロルは俺の目の前まで来ていた。じっと俺の顔を眺めている。目を背けたいのだが、不思議と彼女の目から視線を外すことができない。まるで催眠にでもかけられたかのように、俺も彼女を見つめていた。
ふと、彼女の手が俺の頭に伸びる。突然のことに身構える俺。しかし、そんなことは御構い無しと言わんばかりに、彼女の手が俺の頭にぽんと触れた。一体なんなんだ?
フロルは口を開き、何かを言おうとした。しかし、言葉は出てこなかった。眉を八の字にして、口を閉じる。その表情は複雑なものであった。
「あの、何か?」
ようやく俺の口から言葉が出たが、それは少し上ずった情けない声だった。
彼女の表情は元の無表情に戻っていた。そして再び口を開く。
「背、高いのね。」
何の感情もこもっていない言葉だった。自分で言っておきながら、まるで一切興味なさそうな。確かに俺は同年代の中では背の高い方だ。女性としては背の高いフロルが相手だとしても、俺の方がわずかに高い。だが、それが何だっていうのだろうか。俺は理解していた。何の意味もないのだろうことを。彼女が言いたかった言葉は、きっと別にあったはずだ。
フロルは俺から手を離すと、振り返って歩き始めた。
「フロル、さん?」
「もうおそいわ。今日は眠りなさい。」
「……わかりました。」
決して強い口調ではなかったにも関わらず、その言葉には有無を言わせないものがあった。なぜだろう。彼女には逆らえないような気がする。
「じゃあ、えっと。おやすみなさい。」
何とかそれだけ絞り出して、俺は本部から退散した。そして、フロルに言われた通りまっすぐ部屋に戻ると、布団を被って目を閉じたのであった。
フロルとの邂逅の後は、不思議とよく眠れた。フロルとの会話の緊張感が、逆に俺の睡眠バイオリズムにいい刺激を与えてくれたのかもしれない。そういう話には全く詳しくないので、実際のところどうなのかは一つもわからないが。
そんなわけで、朝の目覚めは存外すっきりしたものとなった。カーテンのない窓から差し込む朝の日差しが、俺に降り注いでいる。これほど自然な目覚めを、俺はかつて経験したことがあっただろうか。
体を起こし、ベットから立ち上がる。軽く伸びをすると、全身に血液の流れる暖かい感触が走った。完全に全身が覚醒した。調子は相変わらずすこぶる良い。この調子なら、試験でも高いパフォーマンスを見せることができそうだ。
『猟犬』は意外と親切な組織らしく、一時的な生活用品まで俺に貸してくれた。おかげで昨日から着ていた服(派手に破れているわ血痕は残っているわで改めて着る気にはとてもなれない)とおさらばできる。『猟犬』から貸与された服は、紺色のシャツに茶色のズボンだった。どちらも軽く、着てみると非常に動きやすい。この紺色はヴェロニカのローブと同じ色のようだ。『猟犬』のイメージカラーか何かなのかもしれない。
不意に、ノック音がした。
「ソウゴさん、起きていますか?」
それは、ヴェロニカの声だった。
「ああ、起きている。」
「そうですか。もう直ぐ朝食の時間なので、食堂に降りてきてください。食堂の場所はわかりますか?」
「ああ、大丈夫だ、ありがとう。」
「わかりました。先に行っていますね。」
パタパタと遠ざかっていく足音。俺も少し急いだ方がいいのかもしれない。とりあえず顔を洗ってこよう。俺は部屋を出て洗面所に向かった。
洗面所には先客がいた。筋肉質な壮年の男が、そこにいた。
「やあ、ソウゴくん。おはよう。よく眠れたかい?」
「パブロさん。おはようございます。すっきり起きられる程度には眠れたみたいです。」
「そうかい。睡眠は重要だからねえ。何があっても、とりあえず食べて寝れば生きてはいける。初めてのところでも眠れるのならば、『猟犬』向きなのかもしれないねえ。」
パブロは既に顔を洗い終えていたらしい。すぐに俺に洗面台を明け渡してくれた。
「今日の試験だけど、どうだい?自信のほどは。」
「はっきりとは言えませんね。何しろ相手の実力がわかりませんし、合格の基準も知らされていませんから。」
「そりゃあそうだ。当然の心境だねえ。」
パブロは一人で頷いている。
「折角だから、おじさんから一つアドバイスをあげよう。」
「本当ですか?」
「ああ、結構重要だと思うから、心して聞きなさい。」
俺は顔を拭くと、パブロの方へ顔を上げた。
「ベルナルダはね、強い弱いはそんなに重要視していないんだ。もちろん、最低限の戦闘力は必要だけど、それよりも重要なことがある。」
「それは?」
「考えること、だよ。諦めないこと、とも言えるけど、おそらく考えることって言った方がいいだろうねえ。どんな窮地に追いやられても、知恵を絞り出すこと。『猟犬』は危険な仕事だからね。命の危険に晒されることも少なくない。そんな時、大事なのは強さではなく考え続けられる冷静さや胆力、そして知力であると、ベルナルダは考えているのさ。」
「考えること—。」
確かに、エルドラゴと戦っている間は、ずっと頭をフル回転させていた。それが生き残ることにつながったのも事実だ。何も考えずに銃を乱射していたら、俺はエルドラゴを倒せなかっただろう。
「少し、わかるような気がします。」
「お、そうかい。心強いねえ。」
パブロは綺麗な歯を見せて笑った。
「試験の結果、楽しみに待っておくとするよ。」




