翆の世界(本編)
ある研究所に、実験体として生きる一人の少年ノアと、二人の少女、アイリ、シェリーがいました。
三人と他のモルモットとされた子どもたちは、毎日実験される日々を送っていました。
ノアは優しい子でした。
注射の嫌いなアイリの変わりに、腕に何度も針を刺しました。
薬により痛くても、身体が寒気に囚われても彼は誰も怯えないように平然とし続けます。
震えるシェリーには毛布を被せ、落ち着かせるためにずっと隣にい続けました。
痛くて泣いているなら、大丈夫と大丈夫と辛くなる心を抑え付け囁き続けます。
ある日、そんなノアに、窓から見える雪を眺めるアイリは言います。
「ねぇ?知ってる?外にはね、羊さんやお馬さん、山羊さんや猫さんが沢山いるんだって!」
彼女は足元にあったの猫の顔の描かれたクッションを拾い、ノアに笑いかけます。
黒髪を綺麗に輝かせていました。
「"先輩"達みたいに外に出れたら、絶っ対にもふもふしにいくんだだぁ〜。
毛並み気持ちいいはずだから楽しみぃ〜♪」
ノアは知っていました。
ここで言う"先輩"達は外に行くという名目で薬漬けにされ、死んでしまった子供たちのことを言うのだと。
ノアは知っていました。
大人達は自分達をただの道具だと見ていることを。
「あと何日経てば・・・外に出られるかなぁ〜。」
ノアは思いました。
`外はここより沢山の大人達で溢れかえっているんだ。
だから僕達みたいな、大人になれない子供達は・・・外でなんて生きることは出来ないよ。
・・・助けを呼ばない僕達では・・・無理なんだ。’
ノアはアイリに言います。
「いつか・・・絶対・・・出られるよ。」
ノアは笑顔が誰よりも上手でした。
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ある日、ノアは実験日となりました。
ノアは大人達の言葉に従います。
アイリの身代りとなった代償に大人達に言われれば、いくらでも血を渡しました。
大人達に命令されたら服だって脱ぎました。
大人達が望むなら襲ってくる痛みに何度も耐えました。
ノアは自分を見下げる大人達の目を見ました。
大人たちの目は絵本で見た人間達のように仲良くなりたい赤い鬼とは真逆でした。
優しい目ではなかったのです。
体を縛るような怖い気持ちになるほど、鋭い目だったのです。
ノアはそんな目をする大人たちにでも子供のように笑いかけます。
そして近くにいた足の切れたハムスターを手に取り、ハムスターを直します。
ノアは手に触れたものの傷を癒やすことができました。
彼はそれを使い、多くの小動物たちを治していきます。
ノアの耳に音が響きました。
“何を・・・しているの?“
それがなんの声かは分かりません。
けどノアはその声に向かい・・・
“分からなくていいよ。僕は所詮、天使で悪魔で・・・モルモットだからさ“
そう思うことしかしませんでした。
その日の実験は終わりを迎えます。
ノアは自分の部屋に戻り布団に入ります。
誰もいない、何もない、暗い部屋の中で、音も立てず眠りに付こうとします。
こう思いながら・・・
「大人には・・・勝てないな・・・。」
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そのまた寒いある日のこと。
シェリーはノアにおやつの苦いクッキーとドーナッツを食べながら話しかけます。
「・・・知ってる?
悲劇のお姫様は必ず王子様や神様が助けてれるんだって。」
シェリーは分厚い本を指差し、嬉しそうにノアに笑いかけました。
長い赤髪をゆらゆらと揺らしながら。
「私達だって必ず"先輩"のように'親'が助けに来てくれる。
だから私はその日が来るのを、痛いのを我慢しながら待ってる。
外に行ったらお腹いっぱいご飯食べて、好きなだけ寝て、好きなだけ遊ぶ。
そして好きな人を作って幸せに暮らす!
私はこの夢を実現するために死ねない。」
ノアは知っていました。
迎えに来る親なんていないことを。
それがただの自分たちを騙そうとする大人たちの嘘であることを。
ノアは知っていました。
自分たちは人間達の作った道具でしかないことを。
故に人ではない自分たちでは本の中の喜劇の物語のような救ってくれる人なんて来ないことを・・・知っています。
「いつ頃来てくれるかな?」
ノアは思いました。
`人間じゃないなら無理だよ。
僕らはここで生きて死ぬ事が決っているんだ。
神様がそうしたんだから・・・僕たちは救われないよ。
僕達は子供で作り物で実験道具・・・モルモットだからさ。'
ノアはシェリーに言います。
「もう直ぐだよ・・・きっとね・・・。」
ノアは嘘が誰よりも得意でした。
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その日、沢山の大人達はシェリーの元へ来ました、
大人達は注射やメスを片手にもち、シェリーを連れて行こうとしました。
シェリーは見るからに怯えています。
ノアはシェリーを掴もうとする手を前に出て遮りました。
大人たちを睨みます。
大人達は少し停止し、ノアの腕を掴みました。
引っ張られる力に逆らわず大人についていきます。
そして実験室に入る前に後ろにいる子どもたちの方を向きました。
ノアは大丈夫と笑いました。
実験室のドアの知る金属音は、子供達の耳に響きました。
ノアは命令され身に纏う衣服をすべて脱ぎました。
ノアは実験で腕から血を抜かれました。
ノアは叫ぶのを我慢し続け、体を震わされ、全身に来る痛みを手に痣を作りながら耐えました。
実験が終わりました。
少年は口を腕で拭います。
腕に大量の血が付きました。
固まった血もありました。
ノアはそれを手に取り、見下す大人達に血の付いた手のひらを見せつけます。
大人達は動じません。
何も喋りません。
ただ観察するようにノアを見るだけです。
ノアは抵抗とばかりに、一番でかい機械の側面にデカデカと血の跡をつけました。
そしていつもどおり外に出ようとします。
そしたら弱りきった犬を見つけました。
やさ細っていて毛色も悪く、あちこちから血が流れていた今にも死にそうな犬がそこに居ました。
ノアはその犬に手を伸ばします。
その犬はどんどん治っていきます。
やせ細っていたから体は少し肥え、薄暗かった毛色は艶々した茶色へ、流れていた血は完全に止まりました。
ノアにはまた声が聞こえました。
`何の・・・意味があるの?`
誰の声かなんて知りません。
ただノアはその声に対し・・・
`知らなくていいよ。モルモットの行動の意味に感情は含まれないらしいからさ。`
そう思うことしか出来ませんでした。
ノアはその日も布団しかない自分の部屋でぐっすりと眠ります。
疎外感を感じながら孤独に耐え、苦痛に耐え、悲しみを耐え・・・眠ろうとしています。
彼は意識を閉ざす前にこう思いました。
「男の僕にもヒーローは・・・こんな僕でも神様は・・・来てくれるのかな。」
その声は誰にも届きはしなかった。
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「・・・あぁ、やっぱりそうだよね。」
目の前には多くの子どもたちと、その子供たちを逃さないようにドアの前に立つ多くの大人たちが居ます。
大人達の目は今まで一番鋭かった。
その目を見て、ノアは確信します。
今回で自分たちの命は尽きるのだと。
ノアは覚悟を決め、怯える子どもたちの前に出ました。
そして大人達を睨みます。
ノアは無言を貫きましたが、大人達は分かっていました。
自分が身代わりになる。
だから自分以外は殺すなと言っていることに。
しかし大人たちにはノアの望みを聞く義務はありません。
弱いノアに従う理由など有りはしないのです。
故に大半の大人達はノアを無視して後ろにいる子どもたちを捕まえようとしました。
「ありがとう・・・今度は私達が返す番だね。」
「ごめんなさい・・・背負わせすぎた。」
しかし大人達の前にアイリとシェリーが立ちはだかります。
アイリとシェリーは気づいていました。
ノアが何度も自分たちの身代わりとなっていたことに。
自分たちが味わうべきだった痛みを苦しみをノアが肩代わりしていたことに。
ノアは誰よりも臆病で孤独を嫌い、何よりも優しい存在であることに。
ノアは恐怖で左手を震わせる二人を見て理解しました。
自分はここで死ぬ。
それは彼女たちも同じ。
しかし彼女たちには覚悟があった。
それが子どもたちの為になるなら惜しまないという覚悟が。
それでは一緒に居てくれる前の二人がいて、どれだけ自分が幸せだったか。
ノアはそれに気が付きました。
勝手に身代わりになって、二人に自分の事で悩ませて迷惑をかけていたことも。
ノアは自分が何を言ってももうこの二人は、死ぬことから逃げないと理解しました。
生きててほしいけど・・・もう彼女達は自分と一緒に死ぬこと決めている。
もう自分の我儘は彼女たちに通じないのだとわかりました。
だからノアは左手でアイリと、右手でシェリーと繋がり、大人たちを見ました。
今度は睨むのではなく、笑いかけるのではなく、今の自分は対等な存在であるのだと大人達の目を見つめるのです。
大人達は前に出ようとする足を止めました。
大人達は目の前のちっぽけな子供である三人を見て恐れました。
三人の意志の力に、たった今築き上げられた心に蹴落とされたのです。
立ち尽くす大人達。
強い大人たちに立ち向かう三人の子供。
両者共、声を上げません。
しかし大人の中にいる一人のリーダーのような大人は前に一歩踏み出し言いました。
三人にしか聞こえないように言いました。
「いいんだな?」
三人は恐怖に心を埋め尽くされます。
大人のたった一言で、このあと今まで以上の来るであろう激痛に、死ぬ恐怖に怯えました。
しかし彼らには守るべき存在が後ろにあるのです。
背負ってるものが彼らにはあったのです。
故に恐怖に彼らは負けませんでした。
リーダーである大人は三人の強い心に免じて他の大人たちに命令しました。
三人を死ぬまで実験せよ、と。
三人は大人達に連れて行かれます。
後ろの子供たちは行かないでと泣きます。
ノアは子どもたちに笑いかけます。
「戻ってくるよ、安心して。」
三人は鉄の扉の奥へと連れて行かれました。
コンっ・・・コンっ・・・
三人はいつもの実験室までの道のりがとても長く感じました。
その道のりの中、ノアは二人の繋ぐ手の力が強くなっていくのを痛感しました。
その痛みがやはり自分は、他人が傷つくのが嫌いなのだと、再認識しました。
三人は無言です。
生きたい、死ぬのは嫌だ、痛いのは嫌い、怖いよ、助けて、助けるんだ、救わなきゃ、守らなきゃ・・・・誰か・・・私達を救って・・・
「・・・大丈夫・・・背負わなくていいよ。」
ノアは彼女たちに力を使いました。
彼女たちの傷ついていく心は平穏を取り戻します。
早くなる鼓動は、早くなる血の流れは落ち着きによりゆっくりになっていきます。
二人は安心しました。そして同時に罪悪感で一杯になりました。
結局最後までノア一人に背負わせてしまう。
ノアが、ノアだけが傷ついてしまうのが、二人には悲しくて仕方がありませんでした。
でも心は悲しくても落ち着いています。
二人は何も出来ず、ノアを求めました。
ノアはそんな二人に笑いかけながらも心では違うことを思い続けます。
`神様、どうか二人を外へ出してあげてくださいっ!
僕の命はどうなってもいい。
どうなってもいいからっ!
二人・・・だけは・・・っ!`
そう思い続けても現状は変わりません。
三人は実験室に入れられます。
数人の大人は別の部屋に行き2・3人の大人が三人を別途に拘束しようとします。
死へのカウントダウンがノアの頭の中で始まります。
「・・・二人・・・助けなきゃ・・・」
自然と口からその言葉が溢れます。
ノアの体は動きました。
拘束しようとする大人の間を走り抜け、ガラスの中にいる前に助けた動物たちの元へ行きます。
大人たちは驚き、反応が遅れます。
そのスキにノアはガラスに触れ、力を最大限使いました。
すると弱っていた動物たちはどんどん元気になっていきます。
そして体は大きくなり、やがて歯や爪は化物のように鋭く長くなっていきます。
大人たちは驚きました。
そしてノアにより化物化した動物たちを抑えるために、大人達はガラスの中を毒ガスを充満させようとします。
しかし動物たちはガラスを突き破りした。
ノアを取り押さえていた大人たちの首は吹き飛びます。
ノアはそれを予想していて、すぐに二人のもとへ駆けれました。
大人たちは化物の駆除で三人に構ってる暇はありません。
ノアはそれをわかっており、二人の手を引っ張り理性をなくした動物に見つからないよう機械の後ろへ隠れます。
三人は息を潜めます。
ノアは震える体を抑え付け、願い続けます。
「お願い・・・っ!助けてっ!」
突如、施設の光が全て消えたました。
機械の起動音もなくなったのです。
聞こえるのは銃声と化け物の吠える声。
アイリとシェリーは怖くてノアに抱きつきました。
ノアは目を凝らします。
暗くなった世界の中で壁に掛けてある空の絵をただ見つめます。
後ろの化物たちや叫ぶ大人達など今のノアにとってはどうでも良かったのです。
理由はわからずともノアの思考は、空の絵を見ようと全身に命令していました。
ノアが壁の方へと手を伸ばすと・・・
ドンッ!!
壁が崩れました。
バラバラと火薬の匂いを撒き散らしながら崩れました。
三人は瓦礫に埋もれます。
後ろの大人と化物は太陽に照らされる"神様"に撃ち殺されます。
ノアの口は自然と開き、内側から声がこぼれます。
「いいの・・・?
こんな僕が・・・こんな僕が・・・光りて照らされて・・・」
"いいよ、照らされちゃおうか。"
「いいの・・・?
きれいな空気・・・僕の体に巡らせても・・・本当にいいの?」
"この世界の全ては君たちのものだ。好きにしたらいい。"
「いいの?沢山傷つけて来てしまった僕が・・・生きても・・・言い訳がない!」
ノアは初めて泣きました。
自分が生きてしまうという未来を知り、自分のエゴで今までの無駄に生かして傷つけてしまったことに対する罪悪感に耐えられなかったのです。
神様は涙を流すノアに近づき涙を取りました。
そして言いました。
"死にたいのなら死ねば良い。
・・・でもな、守れた者をちゃんと見ろ。"
神様はノア付近の瓦礫をどかします。
ノアは目を見開きました。
ノアの後ろにアイリとシェリーがいたのです。
二人はノアの体に抱きついていたため、傷もつかず生き残れていました。
二人は目を開けます。
そしてノアに抱きついて・・・
「「ありがとう。」」
そうお礼を言いました。
ノアは初めて二人に弱さを見せました。
涙と同時に出る嗚咽は、何よりも優しく強くあろうとしたノアからは考えられない声でした。
二人はそれを楽しそうに笑います。
そしてノアを子供のようにあやします。
三人は初めて皆で泣き合いました。
そして、泣き止んだノアは二人に向かって言います。
「生きてくれて・・・ありがとう!」