翆の心
私は愁君に教えた。
簡単な筋トレ方法を。
それは誰もが知っている、やったことのある腕立て伏せや腹筋や屈伸などの筋トレ方法だ。
私は1、2時間という一日の24分の1にしかならないようなほどの時間で彼にできることを教えた。
苦しみは・・・人を強くする。
私は彼を見て改めてこう理解した。
常人の場合、筋トレなんて初めの方は数えられるほどで疲れて、日が経つに連れて増やして行くことが主流だ。
どんなに強情な人でも初日に数百回続けると疲れて終わろうと妥協するだろう。
しかし目の前の透くんは弱音は吐かなかった。
疲れたのは息遣いでわかったが、余計なことは一言も喋らず、腕が重く上がらなくなろうと、足から筋肉が切れる音が鳴ろうと・・・彼は続けたのだ。
そんな彼はいつぞやのガキ大将君と一緒に来た。
本名は藤沼祐作。
彼は4年生で私の出した条件のため、透くんのボディーガードとなっていた。
私が腕立て伏せを頑張る透君を見守っていると彼は言った。
「俺にも教えろ。」
それに私は言ってやった。
「君は十分に強い。だから私は教えれない。」
これは本当のことだ。
彼は十分に強い。
私の見解では、彼が私に鍛えてくれと頼む理由は、ただ競争が楽しくなるほどの強くそして尊敬できる敵がもういないからか、それとも・・・彼自身の強くなる理由が薄くなっているからのどちらかだろう。
私は強い人には教えれない。
だって私がしたいのは無力な人間を力ある人間にすることなのだから。
だって強い人を強くしたところで何も楽しくはないのだから。
しかしそんな心境の私を理解しようとせず、彼は再度こう言った。
「教えてくれ。」
私は溜息をつく。
彼の目は本気だった。
このままだんまりを貫き通してもいいが、私を観察され始める可能性がある。
それは流石に嫌だなぁ〜。
「・・・う〜ん・・・これにも条件をつけるか。
愁君の人生を見て、それの感想を聞かせて。
それの答えによって教えるか判断するわ。」
「は?そんなのお前のさじ加減で・・・」
「何を勘違いしている?」
私はガキ大将君の首を掴む。
背の高さは私が下。
でも威勢では私が遥かに勝る。
私は睨む。
彼を睨む。
「私が教えようと教えまいとそれは私の自由だ。
お前が暴力を自由に扱うように、私がお前に私のものを教えのは私が決める。
あまり自分が強いなどと勘違いはするな。」
私はこのように他人を殺気、もしくはこのような威嚇で落ち着かせるのはあまり好きじゃない。
嫌な相手にならそうでもないのだが、あまり多様すると心がムカムカして気分が良くならないのだ。
だから私はこれを忘れようとする。
でも記憶のせいでこんな力が必要だとわかってしまうのが忘れようとする心を止める。
・・・ま、私が悪いわけじゃないから良いんだけどね。
「・・・・なんで透なんだ?」
「その前に聞かせて。君は愁くんの家庭がどんなになってるか知ってんの?」
私の手を払いのけるガキ大将くん。
彼は愁くんの家庭事情を知っている。
なのに彼を傷つける行為をやめなかった。
それの理由として彼には人として同情、もしくは優しさという感情が存在しないからか、本当のことは何も知らないか、の2つの可能性が挙げられる。
「知ってるぜ、毎日親から殴られてんだろ?
こういうの家庭内暴力って言うんだっけか?」
彼は笑いながら言った。
私はそんな彼を見て言う。
「弱いな・・・君は。」
彼は目を見開いた。
驚きの目だ。
今まで弱いなどと面を向かって言われたことはないのだろう。
私は彼を可哀想と思う。
だって・・・
「人の不幸を手を叩いて喜ぶことしかできないのか・・・。
お前は弱い・・・そんなんだから・・・君は私達の中で一番の孤独で最弱なんだ。
ま、子供の世界では強いだろうけど。」
彼は顔を真っ赤にする。
怒りに任せて私を殴ろうとした。
私は避ける。そして足をかけ、転ばせた。
「・・・強くなる方法を特別に教えてやる。
経験することだ。弱者や強者と言われる人々の日々感じていることを同じように感じろ。
その心を知ろうとしろ。
強い人は・・・相手を想える人間だけだ。」
野球、ボクシング、剣道、柔道、サッカー、テニス、卓球・・・
いろいろなスポーツがこの世界にある。
私はパソコンを手に入れたあとの数日後、あまりにも暇な時があり、いろんな動画を見て観察したことがある。
分かったのはそれらのスポーツの中で名を挙げてる人の共通点が、相手がどう考えるかを考えて動いてる事だ。
基本これは常識中の常識の行動だろう。
それができないのならば、どんなに実力があろうと人間の社会では何一つ強くなんてない。
それにもう一つわかっていることがある。
それは強者とは何よりも強さを求めそして人生を謳歌できるよう、自分一人で生きれないことを知り、それを得てして尚、他者を蔑む事ができ、尊敬でき、追いかけ、見下し、手をさし伸べ、苦痛も恐怖も不安も全てを笑い飛ばせるものなのだ。
「君はあまりに何もかも知らなすぎる。
今まで強くあれたのは、強いと過信できていたのは、君の運が良かっただけの事。
本当の力が欲しいなら、君の真逆である透君を知ることだ。」
私はガキ大将・・・祐作くんに手を差し伸べる。
彼はそれを仕返しだと言わんばかりに強く引っ張って立ち上がる。
私は思う。
私が彼がまだ弱く、でも強い人間であると思うのは、彼の瞳の中にある消えない火を見たからだ。
どんなに負けても、悔しくても、立ち上がる彼の心はまるでだるまのようで崩せないタワーと同じだった。
彼はまだ弱い。けど倒れぬ精神は何よりも強い。
私の目は彼をそのように捉えてた。
私は確信する。
この二人はまだ子供。
この先、どうなって行くかは私では分からない。
でももし彼らがお互いを知り、お互いを否定し肯定し合えるなら・・・彼らは必ず弱くはなくなる。
社会人になり、誰かに使われるだけの人間ではなくなる。
大人になり、子供ができて、大切なものを守りきれなくなる親にはならない。
理不尽に立ち向かえる人間になる。
・・・でも一つでも間違えれば世の中で言う悪人となってしまう。
私は彼らを見て笑う。
楽しみだ。
彼らがどう変わるのか。
見てみたい。
儚い命を散らす不安を背負いながらこの世をどう生きるかを。
その場にいた二人に翆の笑みはとても不気味に見えた。