父兄参観の国語の授業『家族』についての作文発表の問題点
授業参観を前に、『家族』をテーマにした作文の宿題が出た。
当日は問題点のない作文2人だけの発表に…
外側(社会や他者)から見た問題点とは?
内側(身内や本人)からの普通とは?
家族って何?
問題って何?
国語の授業と日本語の授業の違いって何?
考えるきっかけにして欲しいフィクション小説です。
感想は全て閲覧しますが、コメントは控えます。
家族の数だけ、本人の数だけ、それぞれの『普通』と『幸せ』があると思うので。
父兄参観を前に、作文の宿題がでた。
僕は国語の授業が苦手だ。
文法とか、単語を知るのはいい…
でも、筆者の伝えたい事とか、登場人物の気持ちとか、分かり難い事を問題にされると困る。
人の思いは、表面的な言葉では全て表現出来ないと思うんだ。
未確定な答えを、質問する先生達を納得させるように…
納得するであろう事を想像する。
国語の授業は、日本語の授業と言うより、道徳的な物を求められている感じがするんだ。
それが、数学の授業で、法律を学ぶかの様な違和感を覚えるんだ。
僕だけ、なのかな?
僕の家族は、お父さんとパパ、お母さんがいる。
お父さんは肉体的には女性で、心は男性らしい。
僕を頑張って産んでくれた。
飲食店を経営していて、夕方~夜遅くまで働いている。
お母さんは逆で、肉体的には男性だけど、心は女性らしい。
凄く頑張って、子作りしたらしい。
専業主婦で、家事は何でも上手だ。
パパはお母さんのパートナーで、一緒に暮らしている。
パパは、お父さんの従兄でもある。
だから、丸っきり血の繋がりが無い訳じゃない。
服飾デザイナーで、服やアクセサリーや靴や鞄なんかのデザインを考えて、工場に注文を出す。
自分の経営するお店や、ネットや、デパートなんかで販売している。
他の親戚とは会った事がないし、僕は独りっ子だから、親戚も家族も、これで全員だ。
兄弟は? って、以前に聞いたら、お父さんからもお母さんからも『もう無理!』って言われた。
だから、増える事もなさそう。
僕には親が3人いるけど、慎也君や宏志君もだし、大樹君は4人、洋介君は6人もいるって言ってたから、2人以上親がいる子は、結構いると思う。
いつもお母さんが家に居てくれて、美味しいご飯を作ってくれるんだ。
パパも時々は工場やお店に行くけど、家で仕事をする事も多い。
月の半分位は、家に居るよ。
週末に各地のお店に行く時は、僕も一緒に連れてって貰える時もある。
そんな旅行やお出掛けは、とても楽しい。
パパは、絵を描いたりするのも上手だし、仕事以外にも家族の服や鞄を手作りしてくれるんだ。
お父さんの飲食店は、大人のお店だから、まだ行った事はない。
後10年したら、来ても良いって言われた。
大人になったら、行くのが楽しみ。
お父さんは夜が遅いから、午前中は大抵寝てる。
昼過ぎに起きて、のんびりしてる。
僕が帰宅してオヤツを食べた頃に、支度して仕事に向かう。
日曜日と月曜日は、仕事に行かない。
定休日なんだって、いっぱい遊んでくれる。
お父さんは、スポーツが得意で、アウトドアが大好きなんだ。
室内にボルタリング用の壁を作ったり、2階からの滑り台、壁に穴が空いたプレイルームとかは、僕や友達も大好きだけど、一番楽しんでいるのは、きっとお父さんだろうな。
屋上でキャンプしたり、バーベキューをしたり、日曜日には楽しい事を色々と考えてやってくれるんだ。
僕は3人の親が大好き。
作文はお母さん、お父さん、パパから『上手に書けた』って誉められたのに、先生は問題があるから、参観日の発表は止めましょうって言うんだ。
友達に話したら、慎也君、宏志君、大樹君、洋介君も問題があるから発表は止めましょう…って言われたらしい。
参観日の作文発表は、結局2人だけだった。
そのせいか、作文発表の後の感想や質問がとても多かった。
せっかく作文を書いたのに無駄になったのと、苦手な質問や問題が多くなったのとが、とても残念だった。
お読み下さり、ありがとうございます。
あらすじと前書きに記入しましたが、感想のコメント返しに代えて、作品の意図を少し…
世の中には、あらゆるジャンルの『普通』や『平均』が溢れていますが、これは『中央値』が近いと思います。
中央値より、その上下の存在のが圧倒的に多いハズですが、何故か少数の中央値を目指そうとする心理的な働きがあるように感じました。
社会的な規格から『はみ出した幸せ』って、あると思います。