天狗の落とし物
拾った物が大変な物だった時、びっくりします。人と天狗がちょっぴり交わる物語。
夏の暑い日のことでした。江戸に向かう道すがら、一人の青年が大きなヤツデの葉を拾いました。
山の中を歩いていたわけでもなく、見晴らしの良い野原が広がる場所で、なぜぽつんとヤツデの葉が落ちているのか、青年にはさっぱりわかりません。
「まあ、団扇がわりにちょうど良いかな」
パタパタとあおぎながら歩いていると、後ろからカランコロン、カランコロンと音がします。誰だろうと思って後ろを振り向くと誰もいません。
おかしいなと思って歩き出すと、またカランコロン、カランコロンと音がします。今度こそはと思い振り向きますが、やっぱり誰もいません。街道に人が増えてきたところで、一軒の茶店を見つけたので青年は一休みすることにしました。
「お兄さんは、江戸に行くのかい?」
おばあさんがのんびり話しかけるので、青年は自分は農家の息子だということと、近々嫁入りする姉へ贈る祝いの品を買いに行くところだと話しました。
「江戸にいる叔父へ挨拶もしてこいと言われてね。叔父の家に泊まることになっているんだ」
宿を探す心配がないと他愛のない話をしていると、またカランコロン、カランコロンと音がしました。
「ねえ。おばあさん、さっきから下駄の音がしないかい?カランコロンって音」
青年に聞かれて、おばあさんは耳をすますようなしぐさをした後、ゆっくりと首を振りました。
「わからないね。私が年寄りだから聞こえないだけかもしれないね」
そうですかと青年は笑って、口をつぐみました。本当はまだカランコロンと音がしていましたが、これ以上話せば変に思われるだけだと思い、そのまま黙っていました。
カランコロンという音は、江戸の町を歩いていても聞こえています。青年は叔父の家にはまっすぐ行かず、小さな神社へと向かいました。
カランコロンという音が、青年の後をついてきます。石段を上がりきったところで、青年は人がいないのを確認してからささやくように呼びかけました。
「俺の後をついてくるのは一体誰だい?何か用があるのかい?」
おっかなびっくり、足が震えていましたが何とかしてカランコロンという音の正体を突き止めようと思いました。
カランコロンという音がぴたりととまり、境内がしんと静まり返りました。青年が大きく深呼吸をして、もう一度呼びかけようとすると、どこからともなく声がしました。
(返してくんろ)
「ど、どこにいる」
きょろきょろとする青年の頭の上から、声がしました。
(おっとうの羽団扇、返してくんろ)
慌てて顔をあげようとしましたが、見えない大きな手に押さえつけられているようで、頭を動かすことができません。
これは、もしかしたら神様か何かなのかもしれないと、冷や汗がたらりと頬を伝います。
声の主が返してほしいという物を、返そうと思いましたが、何を返したら良いのかわかりません。
(返してくんろ)
頭にのしかかる大きな手のようなものが、ぐいっと強く押します。
(おっとうの羽団扇、勝手に持って来てしまった)
「羽団扇、羽団扇」
(空から落っことして、取りに行ったらなかった。お前、盗んだだろう)
返してくんろと涙声で訴えます。
「空の上から落とした…あっ!」
青年はヤツデの葉を拾った時のことを思い出しました。
「悪かった。誰かの物だとは思わなかったんだ。すぐに返すから、頭をおすのをやめとくれ」
そうすると、青年の頭を押していた手のようなものがさっとなくなり、頭を動かせるようになりました。
(持って帰らなかったら、おっとうが怒っちまう)
急いで荷物をおろしてヤツデの葉を手にとると顔をあげて、差し出しましたが誰もいません。
(あった!おっとうのだ)
声が大きく響きわたり、ばさりばさりと音がします。ふんわりと風が吹いて青年の手からヤツデの葉が離れていきます。
(ありがとう)
高下駄に修験者のような服装、大きな翼に赤く長い鼻。右手にヤツデの葉を持った小さな天狗が見えたような気がしました。
一瞬の出来事でした。すぐに強い風が吹いて思わず腕で顔をかばいます。青年が顔を上げた時、そこには誰もいませんでした。
青年の身に起こった出来事は、江戸に住む叔父夫婦を驚かせました。家族や村のみんなも面白がり、青年が出会った天狗は子供だったのだと噂しました。
青年と村人たちは小さな祠をつくり、ひょんなところで拾ったヤツデの葉を置いておくようになりました。
小さな天狗が、返してくんろと下駄の音を響かせて、やって来るかもしれませんからね。
読んでいただきありがとうございました。