第6話 梅を愛でませ
翌日は、快晴だった。
天気予報によると、どうやら気温も少しは上がるようだ。
とはいえ、自分で言っておきながら今更だが、シュウはやはり梅には少し早いかな、と思っていた。
けれど、夏樹がとても楽しみにしているようなので、咲いている咲いていないはこの際気にせず、春を連れて梅林を訪れるのを最優先にしようと考えた。もし、まだ何もなくて夏樹がガックリするようなら、そこはきちんと謝ろうと思いつつ。
「あれえ、まだ全然っすねー」
調べた梅林は★市の山手、例のアスレチックにほど近いところにあった。やはり標高の分だけ気温も低く、とりわけ今年は寒い冬だったので、現地で聞いたところによると、例年ならもう3分は咲いているらしいのだが、今年はまだ1分ほどしか花をつけている木はないようだった。
夏樹はあまりガッカリしていないようだったが、シュウは頭を下げる。
「ごめんね、夏樹。私の軽はずみな言動からこうなってしまって」
「へ? え? なんすか、シュウさん、違いますよ。さっきここの人も言ってたじゃないっすか、今年は気温がかなり低くていつもの年とは違うって」
手をブンブン振りながら言う夏樹に、シュウは苦笑を深めて言う。
「ホームページで見て、まだ1分ほどというのも承知していたんだよ。だから余計に」
「え? そうだったんすか。でも、冬至梅っていう白いのがけっこう咲いてるし、それに、ほら」
と、少し先の所に咲いている、八重寒梅というみごとな紅色の梅を指さした。
「あれもすごく綺麗っす」
ニイッと笑う肩のあたりで、コロンコロンと小さく笑って春が彼らの心に語りかける。
「(遅い早いは私たちにとってそんなに重要ではないです。季節のみならず、宇宙はすべて行くべき所へたどり着きますから)」
「(そうですね)」
「(はい!)」
忘れてはならないもう1人、冬里から嫌味のひとつも言われるかな、と覚悟していたのだが、なぜかこちらもあまり気にしていないようだった。
その原因はすぐに判明する。
道のあちこちに設置されたおしゃれなベンチ。そのひとつに、白いスエットのような上下を着ているご老体が優雅に腰掛けている。よく見ると、彼のまわりには、シャランシャランと可愛い音を立てる冬と、コロコロと笑う春が集まって楽しそうに弾んでいた。
「梅仙人……」
夏樹が思わずつぶやくと、彼はこちらに向かって軽く手を振った。
「ほほう、なにやら冬と春が煩いと思うたら、お前さんたちが来ておったか。お、そやつは? なるほど、ヤオヨロズが言っておった春か」
と、夏樹の肩に止まっている春を見ていう。
「(はい、よろしくお願いいたします)」
「そんなにかしこまらんでも良い良い、さ、こっちへ来なされ」
梅仙人が大きな身振りで手招きすると、春は嬉しそうに仲間に加わった。
「でも、早めに来て良かったね。梅仙人のじいちゃんに会えたんだもん」
まだほとんど花をつけていない梅林はガラガラで、と言うより客は彼らのみ。人が増えてくると遠慮して隠れてしまう仙人も、今は優雅にあたりを散策できるのだ。
「会えて嬉しいよ」
冬里が大げさにハグしに行くと、梅仙人はにんまり笑ってギュウとお返しをしている。
「相変わらず暑苦しいじいちゃん」
「お前さんもじゃ」
「俺もお願いします!」
「うむ」
ギュウー、とハグする腕の間から、夏樹が「いい香り~」とホワンとした声を出す。
それらを笑って見ていたシュウは、いつも通りの慇懃さで握手の手を差し出した。
「お久しぶりです」
「お前さんは変わらんの、ホイ!」
「!」
梅仙人が手を取った次の瞬間、シュウも抱きすくめられていた。
「アハハ、じいちゃんにかかると、シュウもたじたじ、だね」
他の2人よりも心持ち長めのハグから解放されたシュウに、冬里は容赦ない。
「誰かさんのおかげで慣れているよ」
「へえー」
いたずらっぽく笑う冬里に、シュウも仕方なく微笑みを返すのだった。
「にしても、今年はホントに寒くてなんでも遅いね~」
冬里が綺麗に咲いている寒梅の幹をなでながら言う。
「このまま冬が終わらなかったりして」
ニッコリと笑う冬里に、夏樹が慌てて言う。
「ええっ、それは困りますよお~、それじゃあ春も夏も来ないじゃないっすか」
「なーんてね」
「冬里……」
ため息をつきながら、シュウが「ふざけるのもいい加減に……」と言いかけたのを笑いで抑えて、梅仙人が言った。
「ほほほ、大丈夫じゃよ夏樹よ。例の氷河期にでさえ、きちんと四季は巡っておったぞ」
「そうなんすか?!」
「さよう、さよう」
良かったあ、と、嬉しそうな夏樹のまわりに、今まで梅仙人にまとわりついていた冬と春が嬉しそうな音を立てて集まってくる。
「ほほう、さすがはフレンドリーな夏じゃのお。けっこうけっこう」
ほほほ、と、また楽しそうに笑う梅仙人だった。
そんなこんな、のんびりほっこりした時を過ごしていた矢先だった。晴天ではあるのだが、厚い雲が少しずつ集まりはじめる。梅仙人はチラリとそれに目をやったが、特に気にとめる様子もなくあたたかい笑みを振りまいて皆とたわむれている。
やがて、どんどん広がった雲が太陽を覆った途端。
小さな氷の粒が、サラサラコロコロと落ちてきた。
「あれ、霰? それとも雹?」
「違うよ」
夏樹の常識的意見を見事に否定する冬里。けれどそれはあながち間違いではなかったようだ。
いきなり、ズガガガーン! と、いつもの大音響が響いたと思うと。
「よお、世話かけちまったな」
と、ヤオヨロズが彼らの前に立っていた。
そして瞬きもしないうちに、空はまた晴天になっていた。
「お、梅じいじゃねえか。珍しいな、人前に姿を現すなんてよ」
微笑みながら手を振っている梅仙人に気づいたヤオヨロズは、嬉しそうに彼に歩み寄って、ギュウとハグをする。
「いたたた……、相変わらず力の加減を知らぬ奴よの」
そう言いながらも、梅仙人は楽しそうにほろほろと笑っている。
「ああ、すまねえ」
ちょっと頭をかいたヤオヨロズはあたりを見回すと、まだ固いつぼみの木々を、冬と春が追いかけっこしながら遊びまわるのを眺めている。
「そうか、ここに連れてきちまったか」
「いけませんでしたか?」
「いや、悪くはないんだが」
シュウの問いかけに、ヤオヨロズはフッと気を入れ替え、改めて梅仙人に向き直った。
「んじゃまあ、よろしく頼むわ」
「ほほほ、任されよ」
すると、
「(……ヤオヨロズさま)」
と、ヤオヨロズが連れて歩いていた春がやってきて、遠慮がちに声をかける。
「お、どうだ、ここは楽しいだろ?」
「(はい! とても! あ、でも……)」
言いよどむ春に、なんとも言えない優しい笑みを向けたヤオヨロズは、そのあとガハハと笑いながら言った。
「お前も俺といるより、先輩仲間と一緒に過ごす方が、修行、勉強になること間違いなしだ。よし! きめた! お前を梅じいに預ける!」
「(あ、ありがとうございます)」
ほわん、と少し湿っぽい風が吹く。
「泣くんじゃねえよ」
「(はい!)」
今度はヒュウンと温かい風がヤオヨロズの身体をなでるように吹くと、「(お世話になりました)」の言葉を残して、生まれたての春は、心配そうに様子を見ていた先輩たちに迎え入れられて、また冬と追いかけっこをはじめるのだった。
「申し訳ありませんでした」
シュウがひっそりとヤオヨロズの横に立つ。
「いやいや、いいって事よ」
「そ、過保護も大概にしないと、いつまでも親離れできないよ」
またその横に立った冬里の言葉に、「なにを!」と目をむいたヤオヨロズだったが、そのあとはカラカラと豪快に笑い出していた。
「じゃあ、またね」
「ほほ、また人気のないときに来てくれるかのお」
「はい! 必ず!」
「んじゃ、俺も帰るわ」
梅仙人たちの見送りを受けて梅林をあとにした『はるぶすと』の従業員たちと、なぜか車に同乗しているヤオヨロズの一行は、冬里の提案で、くだんの日帰り温泉に向かっていた。
「お正月はシュウだけ楽しんだんだよね。そんなのずるいじゃな~い」
などとサラッと言ってのけるので、シュウは運転に集中しつつ確認してみる。
「あの話は確か、冬里がお膳立てしてくれたんだよね?」
「あれえ、そうだっけ?」
と、いつものごとく受け流すのを、小さくため息をついてこちらも受け流した。
「えーと、俺は初めてなんで、とっても楽しみっす! ねえ、ヤオさんもそうっすよね! イェーイ」
「ああ」
「あ……、あはは~」
いつもなら、誰より煩くあれこれ言っているヤオヨロズが静かなのを気にして、夏樹がノリノリに話しかけても生返事しか帰ってこない。さすがの夏樹もこれには乾いた笑いしか返せない。
そんなヤオヨロズを助手席からチラッと伺いつつも、いつものようにからかいはしない冬里だった。
「ああ~、やっぱ温泉はいいっすねえ。こんなこと、誰が考え出したんだろう。日本の風呂の入り方、俺大好きっすよぉ」
そんなヤオヨロズだったが、やはり泉質の良い湯と開放的な露天風呂は癒やしを与えてくれる。夏樹がしみじみ言うのに、温泉の由来などを教えてやっていた。
「大昔はだな、けものが傷を癒すのを見たヤツらがな。こ、これは魔法の湯か!とか言って入ったのが始まりだ」
夏樹が素直に、「へえー、そうなんすか!」とか驚いて楽しそうに反応するので、ようやくヤオヨロズも本来の調子に戻りつつあった。
「そうなんっすよ、ハハハ」
「すげー、やっぱヤオさん物知りっす」
「あたりまえだ、なんてったって」
「神様っすからね」
「先に言うな!」
「あはは」
ようやく笑顔を取り戻したヤオヨロズに、けれど一言多いのが冬里の冬里たるゆえん。
「春はもうすぐだねえ、今頃なにしてるかなあ」
「うぐっ」
「冬里……」
さすがにたしなめようと思ったシュウの予想に反する行為をするのも、また冬里。
彼はやおらヤオヨロズの近くに泳ぎ寄る? と、ガバッと彼に抱きついた。
「と、と、冬里ーー!」
夏樹の叫びもシュウのあっけにとられた顔もお構いなし。
「寂しかったねー、よしよし、泣いていいんだよお、ハグ~」
「うわっ、やめろっ、野郎が裸で抱きつくんじゃない!」
焦るヤオヨロズに、ニーッコリと余裕の冬里。けれどしばらく2人の様子を見ていた夏樹までが、
「やっぱうらやましい~。ずるいっす、俺も仲間に加えて下さい~」
と、自分もガバッと2人に抱きつきに行く。
「だよねー。はいはいシュウも~」
呼ばれたシュウは当然、「却下」と、彼らの手が届かない場所へと離れたのだった。
新たに入ってきた客が「うわっ、失礼しました」と、驚いて逃げていく? のもものとせず、その日露天風呂では、しばし男同士のハグ大会が繰り広げられていたとか。
のぼせて先に上がった冬里と夏樹の2人がいなくなった露天風呂。
「クラマは長風呂だな」
「そういうヤオヨロズさんも」
お互い顔を見合わせて、ヤオヨロズはニヤリと、シュウは小さく微笑む。
「……今日は本当に、申し訳」
また謝ろうとするシュウに、ヤオヨロズが静かにたしなめるように言う。
「くどいのは好かれないぜ。なんでもそうだが、すべてのことはやって来ては離れていくもんだ。ただ、今回のこれはな、俺の世話焼きの性分と、あの春が滅法可愛かったからってだけだ」
「そうですか」
納得するように言うシュウに、今度は違う意味でニヤリと笑うヤオヨロズが言った。
「夏樹の時は、俺がハグしてやるぜえ」
「?」
「親離れ」
ポカンとしていたシュウが、久しぶりに大笑いを繰り広げたあと。
冬里に浸食されつつありますね、と思いつつ、シュウも思いも寄らない行動に出た。
「はあ?」
ポンとヤオヨロズの頭に手を置くと、シュウは本気を込めて優しくなで始める。
「心残りをため込むのは、良くありません」
「おわ……」
驚きつつも、ヤオヨロズの瞳から流れ出た涙が、美しく煌めきながら夜空へ昇っていく。
空では。
細い細い三日月が、地上から沸き上がるダイヤモンドのような煌めきを取り込んで、よりいっそう美しく輝いていくのだった。
まだ途中ですが。ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
実は取材のつもり? で訪れた梅林もまだほとんど花は咲いておらず、かわりに仙人のようなおじいさまがひとりチョコンとベンチで梅を眺めておられました。それで思いついたのが梅仙人でございます(笑)
まだまだ寒いですが、季節は必ず巡り来るもの。あと少し冬を過ごしましょう。
それと、鞍馬くんから。
「冬来たりなば、春遠からじ、ですよ」
このあとも、お楽しみに!




