第5話 節分と立春
そろそろ由利香さんに追いかけられる季節だ。
あ、って言っても、俺がなんか悪いことをしたとか、由利香さんがこの時期だけ椿から俺に乗り替えるとかじゃなくて。
「夏樹ー、今年はこんな可愛い鬼の面があったのよ、いいでしょー」
と、見せられたのは、なんかのキャラクターに鬼の角がついた代物。
「また俺が鬼の役ですかー、ヤですよお。たまには俺も豆まく方になりたいっす!」
「だな、じゃあ今年は俺が」
と、椿が名乗りを上げる。うおっ椿~なんて優しいんだあ。一瞬、椿の後ろに後光が見えた、んだけど。
「イヤよ! 椿に豆を投げてあてるなんて出来ないわ!」
「うわっひどっ! だったらなんすか、俺だったらいいんすか?」
俺は聞くまでもない答えを、それでも一縷の望みをかけて聞く。
「そうよ」
情けも容赦もない返事が返ってきた。
「はいはい、わかりましたよ。今年も俺が鬼の役勤めれば良いんでしょ?」
納得したんじゃない! と、反論しても結局同じだから、けど最後の抵抗とばかり、ブスッとむくれてそれでも首を縦に振った。
「さーすが夏樹、よくわかってるじゃない」
けど、そのあと由利香さんは可笑しそうに言う。
「なんなら、冬里に頼んでみれば?」
「ダメっす。実現不可能な提案はお断りっす」
そんな恐ろしいこと言わないでほしい、と即答した俺の後ろから声がする。
「何が実現不可能なの?」
「うわっ」
そこに現れたのは当の本人だった。
「あ、冬里、良い所に。あのね、夏樹が今年の鬼の役を、ぜひ」
「わー、違います違います。俺が引き受けましたから、大丈夫っす!」
慌てて言うと、由利香さんは「まだ何も言ってないのに」とか言ってあきれかえる。
「ふうん」
今ので状況を見て取った冬里が、何を思ったかニッコリ笑って違う提案をした。
「じゃあ、シュウに頼めば?」
「へ?」
「はあ?」
「え?」
三者三様で、しばし今の意味を考える。
えーと、シュウに頼めば? というのは、シュウさんに鬼の役をしてもらうって事だよな。
……ええっと。
俺は、いつものように、どっちが鬼だかわかんない怖さでシュウさんに豆を投げつける由利香さんと、情けなく逃げていくシュウさんの姿を想像して――。
「そんなの、そんなの、……そんなの絶対イヤっす!」
「俺も鞍馬さんに豆を投げるのはどうも……」
椿も困ったように苦笑いして言う。
由利香さんは? と、見ると、また「イヤよ」と、ひと言。
そして。
「だって、鞍馬くんって鬼になってもきっと逃げてくれないもの。で、痛いですよ、とかあのまじめくさった調子で言われたら、たまったもんじゃないわよ。ちっともおもしろくないじゃない!」
とか言うんだ。
「なるほど、そうかもな」
「由利香さん、するどい」
納得する俺たちに、クスクス笑う冬里がその場をまとめたのだった。
「じゃあ決まりだね。今年も鬼は、な・つ・き」
節分と言うのは季節を分けると言う意味で、各季節の始まりの、立春・立夏・立秋・立冬、の前日の事をそう呼ぶんだそうだ。だから正確には年に4回ある。けど、日本では、立春の前日の節分だけが有名で(っていうか、他の日も節分って言うのを、ほとんどの人は知らないんじゃないか?)
で、季節の変わり目には邪気がたまりやすいと言う事で、その邪気を鬼と呼んで、豆をまいて追いはらうのが豆まきの由来の1つだそうだ。
冒頭でわかったと思うけど、その鬼の役は毎年俺が引き受けている。
とはいえ、まあなんだかんだ言っても、俺もけっこう楽しんでる部分はあるから、いいんだけどね。
そして、節分と言えば、最近の流行は恵方巻き。
もともとは江戸時代に大阪の船場や花街で、商売繁盛と福を願って食べたのが始まりらしいけど、そのあと関西地方に広まって、今では全国に拡大している。
冬里なんかは「昔の大阪では、丸かぶりって言ってたけどね」と、生き字引さながらに教えてくれた。
で、遊び好きな生き字引の冬里の提案で、何年か前から、節分にはランチに小さな小さな恵方巻きをつけているんだ。ホントなら、海苔全形1枚を使った太巻きなんだけど、それじゃランチが恵方巻きだけになってしまう、と言うので、ほんの2口くらいで食べられるミニミニサイズ。けど、具材と味にはこだわった海苔巻きになってる。
今年もその季節がやって来たって言うわけ。
「日本人って、七福神だとか、七草だとか、7って言う数字が好きっすよね」
具材の仕込みをしながら、俺はふと思いついて言った。
「ん? 何が?」
「だって、恵方巻きの具材も7つって冬里が教えてくれたっすよ」
「そうだね」
んー、と、なにやら考えている様子だった冬里が、ふいとこっちを向く。
「でも、どうやらラッキーセブンが7好きの本命みたいだけど。で、他には3も好きだよね、石の上にも三年、三度目の正直、三人寄れば文殊の知恵」
次々に繰り出す冬里の三のついたことわざに、俺は懐かしいフレーズを思い出した。
「早起きは三文の徳!」
そうだ、由利香さんは早朝ジョギングを始めたことで、椿と巡り会ったんだよな。そんとき、俺が言ったセリフがこれだったっけ、なっつかしいー。
とかなんとか言ってるうちに、ランチタイムが始まった。
「いらっしゃいませ」
口コミでうちの恵方巻きの事を知ったお客様が、ここの所増えているようだ。
「あ、やっぱり今年もミニ海苔巻きついてる。これ美味しいから楽しみにしてたのよ」
他のお客様が食べているのを見て、そんな感じで嬉しそうに言われると、こっちまで楽しくなってくるんだよな。
「はい! どうぞ福を頂いて帰って下さい!」
俺はお客様を元気よく席に案内する。
で、恵方巻きは、恵方って言うその年の縁起の良い方角を向いて、切ってない巻き寿司をそのまま1本食べる。その上、食べ終えるまでは無言っていうしきたりがあるんだそうだ。
恵方は毎年変わるんだけど、どっちを向いて食べたら良いか、っていうのは。
《今年はこちらが恵方です》
と言う書き初め? じゃないけど、冬里が墨書きしたのを、モダンな掛け軸にして飾ってあるから大丈夫。
普段は饒舌なマダムたちも、この日このときばかりは、みんな同じ方向に座り直し、
「……」
だんまりを決め込んで海苔巻きを召し上がっている。
あきれかえるかって? ぜーんぜん、って言うより、なんかけなげで可愛いっすよね、みんな。それに俺だって、皆に福が来てくれたら嬉しいし。
「ああ、美味しかったー」
「ミニサイズでも、お味は本格的ね」
食べ終えると、またマダムたちはおしゃべりをはじめる。
今日の食後のお茶には、小さな袋に入った福豆がお土産についているんだ。
それからそれから、ソファーコーナーにスイーツを運ぶ俺と冬里の頭には、鬼の角が生えていたり(角付きカチューシャだ)、鬼とおたふくが着いたミニ帽子をかぶってたり。
しかも!
「まあ、鞍馬さん」
なんとなんと、あのシュウさんまでが、この日ばかりはミニ帽子をかぶってくれるんだ。さすがに鬼の角カチューシャは無理みたいだけどね。
「可愛い~」
「恐れ入ります」
丁寧に頭を下げるのは、いつも通りの真面目なシュウさんだ。
そんな1日を過ごし。
ディナー営業を終えて2階へ上がると、秋渡夫妻はもう到着していた。
「いらっしゃい由利香さん、椿」
「お邪魔してるわよー。あ、それから。今年も美味しかった、ごちそうさま、ありがとうね、夏樹」
「いつもありがとう、夏樹、美味しかったぜ」
この2人にも、いつも恵方巻きを用意しておくんだ。ランチサイズのミニのやつをね。
「どういたしまして」
俺はちょっとふざけて、胸に手を当てるとうやうやしく頭を下げる。
「いえいえ」
「よろしくてよ」
すると2人も、ふざけてうやうやしい礼を返してくれた。
「じゃあ着替えてきますねー」
さあーて、シャワーを浴びてお着替えをしたら、本日のメインイベントの始まりだ。
で、いつも俺ばっかり貧乏くじだからって事で、今年は。
「夏樹ー! 待ちなさい!」
「おわっ、由利香さん、なんで椿に投げないんすか」
「愛する夫にそんなことできないの、あたりまえでしょ!」
「げっ、のろけっすかー」
なんと、椿が由利香さんを説き伏せて、鬼の役目を買って出てくれたんだ。まあ、俺と2人で、だけどね。
でもさ、由利香さんが投げてくるのはそうでもないんだけど、冬里のはなんて言うか、衣服を通して強烈なデコピンされてるって感じ。痛いのなんの。
「冬里! 痛いっす」
「君たちの中にいる邪気を祓うには、もっときつくても良いくらい、だよ?」
「ええー?!」
なので、俺たちはなるべく冬里からは逃げを打って。
「いきますよ」
「はい」
と、ゆるい放物線を描いて投げてくれるシュウさんから、豆を受け取っていたりした。
というのは、あとで回収が出来るように、『はるぶすと』リビングでの豆まきは、小袋に入ったのにしているからだ。
それも、そろそろ残り少なくなってきた頃。
「ふふ、もう逃げ場はないよ」
「しまった!」
冬里に部屋の隅に追い詰められた椿がいる。そんな椿を助けるべく、由利香さんと俺は走り寄る。
けど、冬里は容赦なく残りの小袋を椿めがけて投げた。
「「椿!」」
俺たちの健闘むなしく、椿は豆の餌食か!
とか思ったんだけど。
「あれ?」
腕で攻撃を防いだ状態の椿の前に。
「さすがにこれは痛いよ、冬里」
と、豆の袋を手で受け止めて、ほんの少し顔をしかめたシュウさんがいた。
「シュウさん~すごい~」
「鞍馬くん、ナイスよお~」
2人してシュウさんに賞賛を送りまくる。
「あーあ、最後のひと袋だったのに」
つまんないのーとか言って、冬里はストンとソファに腰掛けた。
「よかったあ」
と、椿の腕にすがりついて、由利香さんは胸をなで下ろしている。
「もう、冬里ってば、最近は椿にも厳しいんだから」
プウ、とふくれた由利香さんに、冬里は堪えた様子もなく返事を返す。
「だって、椿は僕たちの兄だもんね」
「え?」
「何その疑問符。だって由利香は僕たちのこわーいお姉様、と言うことは、その夫の椿はもう僕たちの家族じゃない。家族に変な遠慮は無用、だよね?」
「あ……」
これには俺もビックリした。
冬里ってそんな風に思ってたんだ、ちょっと感激したんだけど、え? てことは。
「椿が俺の、兄さん?」
思わずつぶやくと、
「うわ、兄さんなんて呼ぶのやめてくれ、気持ち悪い」
とか椿が失礼なことを言う。
「けど、」
「なんだよ」
「俺も、やっぱ気持ち悪い~」
またまた思いがけず出てきてしまったセリフに、「だろ?」とか言って、椿はハハと笑い出した。俺もやっぱり可笑しくなって、一緒に笑い出していたんだ。
そのあとは、あちこちに散らばった豆の袋を回収して、リビングを綺麗に片付けたあと、由利香さんと椿は「ありがとう」の言葉を残して仲良く帰って行った。
そろそろ日付が変わろうとしている。俺は少し眠かったんだけど、頑張ってもう少しだけ起きている事にした。
「明日はお休みっすもんねー」
そう、明日は日曜で店の休日で。
そしてなにより、立春だから、その変わり目を起きて過ごしたかったんだ。
長針と短針が重なると、ほわん、と恵方のあたりがほの明るくなる。
「あーあ、今年も冬が通り過ぎちゃった」
冬里が言葉とは裏腹に楽しそうに言うと、
「それが春に引き継がれていくんだ」
聞き覚えのある声がした。
いつもみたいなズガガガーン! もなく、静かにすんなりと今年の恵方にヤオヨロズさんが立っていた。
「なーに、ヤオ。わざわざ恵方から入って来なくていいのに」
「サービスだよ、サービス。せっかく人々が決めてくれてるんだ。楽しまにゃ」
で、いつもとちょっと違っていたのは、ヤオさんの横にキラキラとした光がいたせいかも。
「いらっしゃいませ。今日はお連れ様とご一緒ですか」
シュウさんが聞く。
「ああ、春を連れて来た。ほれ」
ヤオさんが光を押すと、それがポワンと揺れてとても可愛い声がする。
「お初にお目にかかります。春でございます」
「ようこそいらっしゃいました」
「ハル兄がいなくて残念っすね」
そう言うと、光はまたポワンと楽しそうに揺れて言う。
「ハル、あ、春人の事ですが、彼には最初にご挨拶してまいりました。で、他のヤツらにも会っていけ、と、勧めていただきましたので」
「やって来たって事よ」
ガハハ、とヤオさんが笑う。
「こいつは、まだ産まれて日の浅いヤツだから、しばらく俺がついて回ってるってわけだ」
「ふうん」
「あなたは冬里ですね。冬からよろしくと伝言をいただいております」
「ありがと」
俺は、もしや次は俺? と期待していたんだけど、春は先にシュウさんに声をかける。
「あなたが秋ですね。お噂はかねがね。お目にかかれて光栄です」
「それは恐れ入ります。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」
へえ、そんな所までシュウさんの名前は広まってるんだ。
で、そのあと少し間が開いたので、やっぱ俺はなし? とちょっぴりガッカリしてると、
春がこちらに向くのがわかった。
「夏樹ですね。あいつはちっとばかしうるさいけど、楽しくていいヤツだぜー、と、夏が申しておりました」
「へ? うるさいって……。あ、でも、ありがとうございます!」
俺がガバッとお辞儀して言うと、春は、コロンコロンととっても楽しそうに笑ってくれたんだ。
「ところで、今日来たのはな、今日1日コイツの面倒を見てやってもらいたくてだな」
「それは、どう言うことですか」
俺もビックリしたんだけど、シュウさんも意外そうに訳を聞く。すると、ヤオさんはちょっと頭なんかかきながら言った。
「いや、どうしても手が離せない用が出来ちまってな。ちょうど今日は店も休みだろ? どっかこのあたりを案内してやってくれ」
「案内って、春さんは1人でどこでも行けるんすよね?」
何だか訳がわからず言うと、
「そうなんだがな、ひとりにしておくのは、どうも……」
なんだろ、ヤオさんが少し言いよどんでいる。
「ははーん。どっかの誰かさんみたいに、ヤオも過保護なんだ」
冬里がなぜかシュウさんを見ながら面白そうに言う。
「……冬里」
ふ、とため息をついて肩を落とすシュウさんと、
「なんだと!」
と、冬里を睨みつつも、ヤオさんはなぜか言い返さない、ってことは認めてるんだよな。
すると、冬里は「いいんじゃない?」と了解したように言う。
俺ははなっから賛成だったので、はいはいと手を上げて元気に宣言した。
「俺も良いです!」
シュウさんはと言うと、いつものごとく小さく微笑んで言った。
「かしこまりました。ヤオヨロズさんのご依頼、お受けいたします」
ヤオさんは、その返事にとっても嬉しそうにニイッと笑った。
「うむ、クラマが了解してくれたんなら鬼に金棒だな、頼むぜ!」
「あれえ、シュウだけ?」
「そうっすよ! 俺もいます」
ニーッコリ顔の冬里と、ちょっとふくれる俺を見たヤオさんは、今度は豪快に笑い出した。
「ハハハ! わかってるぜ。お前さんたちだから来たんだよ。よろしくな」
そのあと、シュウさんの入れたお茶を楽しんだヤオさんは、今度はいつもと同じく、ズガガガガーン! と言う轟音とともに帰って行った。
「で、で、今日はどうするんすか? どうせならどっか行きましょうよ」
俺が勢い込んで言うと、冬里が言った。
「せっかくの修行旅だから、春を感じるところ?」
「……修行って」
すると、春がちょっと恐縮したように言う。
「けれど立春は、まだ春とは名ばかりですね」
そんな春を見つめながら、シュウさんはしばらく考えにふけっていた。
「梅を観に行きましょうか」
うつむき加減だった顔を上げて、シュウさんが言う。
「へ?」
「ああ、いいね。このあたりに梅林あるかな」
そうか、日本では梅の花は今頃咲くけど春を呼ぶみたいな感じなんだよな。
「朝までに調べておくよ」
シュウさんがそう言うと、春がキラキラと嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。楽しみです」
「だったら、2人はもう休んで。特に夏樹、朝起きられなくなるよ」
「あ、はい……」
テーブルを片付けながら言うシュウさんの言葉に、そう言えば、と、急に眠気が襲って来るのを感じた。
「だね。じゃあ僕ももう寝よっと」
こんな時の冬里は、なぜか素直なよい子ちゃんだ。フワァ、と大あくびすると、「おやすみ」の言葉を残して手をヒラヒラと振りながら部屋へ消えた。
けど、俺もご多分に漏れず。うーんと伸びをしたあと2人に言った。
「ふぁーい。すんませんが俺も寝ます。おやすみなさい……」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
部屋へ帰って布団に潜り込んだ俺は、「いい休日になりそう」とつぶやくと、あっという間に眠りに落ちていった。
夢の中では、梅の木が、まるで桃源郷のようにあたりいちめんに広がっていた。