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第2話 超過勤務


「あーでも、今朝は楽しかったっすねー」




 『はるぶすと』始まって以来の、ブレックファースト。

 昨日、シュウから話を持ち込まれた冬里は、電話の向こうで少し考えているそぶりをしたあと、返事を返す。

「ふうん。いいけど? でも、やるからには僕たちらしく、面白くしなくちゃね」

「僕らしく、の間違いだよね」

「ふふ」

 シュウの確認に微笑みで答えると、

「それではこのご予約、お受けいたします」

 と、冬里は楽しそうに言って電話を切った。


 そのあと、ブレックファーストと聞いて、やたらと張り切りだした夏樹にメニューを任せると、冬里はいくつかの場所に連絡を入れ始めた。

「ふうん、それしかないの? 困ったなあ、とっても重要なお客様なんだよねー、へえ~」

「(し、紫水さまのご期待に添えず、申し訳ありません)」

 電話の向こうから、恐縮、というより恐怖に震えるような声がしたのは、気のせい?

 夏樹はちょっと身震いしながらも、なんとか自分の仕事に立ち戻る。

「えーと、朝食、朝食っと。……、あ、そうだ! 前に椿の付き添いで行った、エンタープライズホテルの朝食! ああいうのをアレンジして。と、それと、……」

 と、タブレットを持ち出して、世界の朝食、なんて言うのを検索し始める。

 すると。

「夏樹、服のサイズは?」

 と、冬里の声がした。

「え?」

 振り向くと、電話の相手に教えるんだよ、と、身振りで示している。

「服のサイズ。あ、ちょっと待って。……なに? あ、そう、じゃあ急いでね」

 電話を切ると、答えようとした夏樹に、ニッコリ微笑みかける。

「もういいよ、すぐに来てくれるって」

「へ?」

 何がなんだかわからなかった夏樹だが、質問して墓穴を掘るのはいつものことなので、ここはグッとこらえることにする。

「今回の朝食は、時間が限られてるから、あんまり重いのじゃない方がいいよ」

「そうっすよね。でも、バイキングは絶対嫌っすよね」

「お、初めて夏樹と意見が一致した。そう、バイキングは美しくない」

「初めてって……。あ、これ見て下さいよ、かの有名な○○王室の朝食っすよ」

「ふうん」

 2人は何やら楽しげに、タブレットを眺めるのだった。


 そのあとシュウが店に帰ると、なぜか2階リビングが試着室と化していた。

「お客様はスレンダーなので、このサイズがぴったりですね!」

「うん、やっぱりイケメンは何着ても似合うよね」

「さようでございます」

 ダイニングテーブルが端の方に追いやられ、そのあとにはハンガーに掛けられた正装、礼服の数々。

「どうしたの?」

 シュウは、また冬里が何かやらかしていることはわかったが、とりあえず聞いてみる。

「あ、おかえりー。燕尾服えんびふくも良かったんだけど、昼間の正装って言えば、やっぱりモーニングだよね。なかなかイケてると思わない?」

 見ると、少しお疲れ気味の夏樹が、モーニングコートを着せられて鏡の前に立っている。

「ああ、似合っているけど、どういうこと?」

「決まってるじゃない、お嬢様のお迎え用、だよ」

 ニッコリ笑う冬里は、

「さあさあ、シュウも試着して。メニューも考えなくちゃならないんだから、忙しいんだよ」

 と、とっても楽しそうに言う。

 まったく。

 小言を言おうと思ったが、今にも目を回しそうな夏樹を解放してやる方が先だと判断し、ため息をひとつ落とすと、試着コーナー? へと向かうのだった。


 そして翌日。

 冬里のお眼鏡にかな、わなかったリムジンから、夢心地で降り立った2人は、玄関にいるイケメンに、またまた目を丸くしている。

 中に入ると、そこにもモーニングコートをビシッと着こなした2人の紳士。

「「いらっしゃいませ」」

 2人はいつものカウンターではなく、奥の個室に案内される。

 中には、薔薇の刺繍を施した真っ白なクロスが掛けられたテーブル。

 各々の座席の前には、申し分なく美しいテーブルセッティングがなされている。

「「わあ」」

 目を輝かせる2人が、紳士たちに椅子を引いてもらって腰掛けたのが、夢の朝食の始まりだった――。


 朝からナイフとフォークを外から順番に使って。

 食器も可愛くて美しくて、なんてステキ。

 残念ながら、グラスに入っているのはウォーターだったけど。

 座席からは、ちょうど目の前に綺麗に手入れされた庭が見渡せるし。

 温かいものは、温かく。冷たいものは、冷たく。

 なんて素敵な、朝食なのー!


「食後のお飲み物でございます」

 わあ、このカップも素敵。

 奈帆には紅茶、ディビーには珈琲がサービスされている。

 本日は、料理の仕上げを夏樹に任せたシュウと冬里が給仕を行っているのだ。

「ふう。こんな手の込んだ朝食は、はじめて」

「本当に! とても美味しかった。ごちそうさまでした」

 キラキラした笑顔で言う奈帆に、シュウがふっと微笑んで嬉しそうに言った。

「ありがとうございます。お口にあわれたのでしたら、こちらこそ光栄です」

 少し顔を赤らめながらシュウを見ていた奈帆の肘を、ディビーがツン、とつつく。

「あの、そろそろ時間が」

「はい、国際会議場までお送りします」

「でも、あの、」

「?」

 言いにくそうな奈帆の代わりに、ディビーが答えた。

「あんなすごいリムジンで乗り付けたら、まわりになにを言われるかわかったもんじゃないのよ」

「ディビー!」

 今度は奈帆がディビーの袖を引っ張っている。

「ああ」

 腑に落ちたように微笑むシュウの後ろから、声がした。

「大丈夫ですよ、ディビー。会議場まではうちの車を使いますから。しかも! 超イケメンの運転手つき」

 ニーッコリと微笑む冬里に、

「まあ、ありがとう」

 と、こちらもニーッコリと笑うディビー。

 2人の間にはバチバチと稲妻のような電光が走っている。どうやらこの2人は、出会った瞬間にお互いを好敵手ととらえたらしい。

「そうっすよ」

 またその後ろから声がして、こちらはカジュアルな洋服に着替えてきた夏樹が、個室の出入り口に立っていた。


 代金は? と尋ねる奈帆に、? と不思議そうな顔で、冬里が言った。

「あれ? ホテルは朝食つきでしたよね」

「え? はい」

 そうなのだ。彼女たちはこのために、ホテルの朝食をキャンセルしている。ただし、朝食代は宿泊費に含まれているため、返金はしてもらっていない。

「だったら、もう支払いはお済みですね」

「ええ?!」

 驚いて何か言おうとする奈帆を、極上の微笑みでさえぎった冬里が、楽しそうに言う。

「さあさあ、早くしないと、会議に間に合いませんよ」


「ちょーっと混んでるって言ってたので、急いで安全運転しますねー」

 と夏樹が言ったとおり、珍しく×市に向かう道は渋滞している。

 けれど、彼の華麗な運転テクニック? のおかげで、なぜかあっという間に車は国際会議場に着いていた。

 自然な振る舞いで後部座席のドアを開け、夏樹はとても楽しそうな笑顔で言った。

「今度は、ランチかディナーにお越し下さい、お待ちしてます!」

 これにはさすがのディビーも笑顔で答えるしかない。

「ありがとう、いつか必ず」

「ありがとうございました。あの、鞍馬さんにくれぐれもよろしくお伝え下さい」

「あ、冬里にもね」

 夏樹は最初のようにうやうやしく胸に手を当てると、丁寧に頭を下げた。

「はい、お嬢様」




 ディナー営業を終えた『はるぶすと』。

 夏樹が片付けをしながら言った冒頭の言葉に、シュウが頭を下げながら言う。

「ああ、急なことだったので、2人には大変な思いをさせて、すまなかったね」

「ええ?! あれくらい、全然構わないすよー。シュウさんにはいつもお世話になってるし」

「あまりお世話はしていないと思うけどね」

「いや! そんなことないっす!」

 と、どこぞのおばさま軍団のように、謙遜のなすりつけ? ではないが譲り合う2人を冷めた目で眺めつつ、冬里が割って入る。

「うーん、でも、これって明らかに超過勤務だよね」

 天井を見上げながら考えるように言う冬里に、シュウは微笑んで答えた。

「そうだね。その分の対価は、当然上乗せさせて頂きます」

 いちおう、シュウは由利香と2人で『はるぶすと』の共同オーナーと言うことになっているので、従業員が快く働ける職場を展開していくのは当然である。

「今さら給料の上乗せはいらないから。……そうだね」

 と、そこでまた冬里は考える様子を見せた。

「神戸にある、世界一の朝食と言われる某ホテルの朝食」

「え! 世界一の朝食?」

 目を輝かせる夏樹をチラっと見て、話を続ける。

「は、さすがに日帰りじゃもったいないから、それはまた別の機会に」

 ニッコリ笑って言う冬里に、ガックリと肩を落とす夏樹。

「だから、何かしてもらおうかな。えーっと、……また考えておくね」

 可愛く? 首をかしげる冬里に、シュウはあきらめたようにため息をついた。

「わかったよ。なるべく実現可能な事で、お願いしたいけどね」

「あれ? 僕はそこまで非人道的じゃないんだけどなー」

 わかっているくせにそんなことを言う冬里に苦笑を返しながら、シュウは眠そうな夏樹と、ついでに冬里も2階へ上がらせると、おもむろに店の最終チェックに入るのだった。


 何日かして。

「シュウ、ちょっといい?」

 コンコン、とノックの音がして、開け放たれた自室の入り口に、冬里が立っていた。

「ああ、冬里。なにかな?」

「これ」

 と、冬里が手に持っていたチラシをシュウに手渡す。

「?」

 それを受け取って内容を確認したシュウは、少し眉をひそめる。

 それは、フェアリーワールドの期間限定イベントチラシだった。

 しかも今回は。

「コスプレ限定ウィーク?」

「そ。入場者は必ずコスプレしてくること。そうじゃない人は入れませーん、ってこと」

「これを、私にもしろ、と」

「あったりまえじゃない。あ、当然コスプレは僕が決めるね。楽しみだなあ、シュウはお姫様なんて似合うんじゃない? いいなあ、シンデレラ、とか。あ、白雪姫なんてどーお?」

「……」

 黙り込むシュウに、冬里は楽しそうに言う。

「シュウ、何でもするって言ったよね」

「何でもするとは、言ってないよ」

「ええー? あ~んな超過勤務させておいて、従業員に対価も払わないの、ひどーい」

「それは……」

 悲しそうな言い方とは裏腹に、ニッコリ微笑む冬里とかなり長い時間対峙していたシュウだが、ようやく低い声で答えを出す。

「かしこまりました。ですが、私がどんなコスプレをするかは、私自身で決めさせて頂きます」

 あ、口調が丁寧になった。これは相当きてるかな? と思いつつ、冬里はもう一押ししてみることにした。

「ええー? そんなの面白くないじゃない。せっかく僕が色々考えて……」


「紫水、……冬里?」


 恐っ!!!

 名字と名前の間に入った微妙な間と、その表情や口調から、さすがにこれはヤバイと思った冬里は、肩をすくめて苦笑いした。

「わかったよ、りょーかい。でも、なるべくわかりやすいのにしてねー」

 そう言いながら、手をひらひらさせて、冬里は夏樹の部屋へと向かったようだ。


「え? これ、なんすか? うおっ、コスプレ限定ウイーク? わおっ、やったあ! いちどやってみたかったんすよね~、何になろうかな。冬里も行くんすよね? え? シュウさんも? うおー、楽しみー」

 手放しではしゃぐ夏樹の本当に嬉しそうな声に、ようやく心が落ち着いたシュウだったが。



 そのあと、超過勤務への対価が「現金もしくは現物支給のみ」と、なったのは、言うまでもない。



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