第1話 散歩
今日は日曜、店の休日だ。
とはいえ、シュウはいつもの時間に起きて、いつもの時間にほんの心ばかりの前庭に降り立ち、いつものように草花の手入れを始める。
聞き逃してしまいそうな草花たちのささやきを楽しみつつ、シュウはふと、今日は散歩に出ることを思いついた。
自然に顔がほころぶ。目的を決めずにあちこちそぞろ歩くことは、なかなかにシュウのお気に入りだ。幸いなことに、適度に都会で適度に田舎であるここ★市には、散歩に適した通りや景色がふんだんにある。いつもは曲がらない角を曲がったり、雲に誘われて歩くうちに思いがけない風景に出会うこともある。楽しみだ。
「ですが、その前に」
シュウは2階のキッチンへ戻ると、少し気になっていた換気扇の調子を見るため、やおらその分解を始めるのだった。
「うっひぇー! なんすかこれ。どこぞの業者に頼むより、よっぽどピカピカっすよ」
「うん、調子も良くなってる、さすがだね」
嬉しそうに換気扇をのぞき込む夏樹と、その横でスイッチを入れたり切ったりする冬里。
楽しそうな2人を横目に見ながら、シュウは風呂場へ向かう。汚れたシャツを洗濯機に入れると、シャワーの合間にそこそこたまっていた洗濯物を片付けるため、洗濯機のスタートボタンを押した。
結局、晴天に誘われるままシーツにまで及んでしまった洗濯物を干し終えると、シュウは2人に断って家を出る。
「行ってらっしゃい!」
「気をつけてねー。あ、途中に何か美味しそうなもの見つけたら、買ってきていいよ」
冬里のいつもの言い方に、シュウは少し苦笑いしながら「行ってきます」と、リビングのドアを閉めた。
さて、今日はどこへ行きましょうか。
まずはベーシックに? 由利香の結婚を期に自然消滅となったジョギングコースをたどってみる。だが、このまま行くとまた振り出しに戻りそうだったので(笑)途中で店とは反対側に折れる道を選ぶ。そのまま、街並みを楽しみながら歩いていると、休日の本屋が目にとまった。
そう言えば、この前夏樹がなにやら欲しい本があるとか言っていたのを思い出した。それを探してみるのもいいかもしれない。シュウは駅前のブックストアへと目的地を定めて歩き出す。
駅の近くまで来ると、今日は何やらイベントがあるようで、オープンカフェが設置されたあたりはたくさんの人で賑わっていた。ブックストアへ向かおうとしたのだが、なぜかそのあたりがいちばん混んでいる。
「何があるのですか?」
顔なじみの果物屋で聞いてみると、今日は著名な漫画家のサイン会があるのだそうだ。
「なるほど」
と、納得はしたが、シュウはまた苦笑いする。
ブックストアに群がる人の数は、★市の人口より多いかも知れませんね。
とは、ジョークだが。
仕方がないので、今日は本を探すのはあきらめて、駅から川沿いの並木道へと出る。
ここは少し前、よく歩いていた道だ。と言うのも、最初に構えた『はるぶすと』は、この道をずっと歩いた先にあるのだ。
さて、川の上流か下流か、どちらへ向かおうかと佇んでいると、ふと足に何か触れる。
にゃおん
それは一匹の猫だった。
にゃおん、ニャオン
彼は何度か鳴いて、足から離れると、物言いたげにこちらを見上げる。
「? 何かあるのですか?」
問いかけに答えるように、タタッと歩き出す。後を追っていくと、そこにいたのはタマさんだった。日向に寝そべる威厳のある猫の彼とは、以前の店からの付き合いだ。
「お久しぶりです」
他の者に怪しまれない程度に話しかけると、タマさんが言った。
「あんたを探してる奴がいたぜ」
「え?」
クイ、と、タマさんは、以前の店のあたりを顎で示して見せたのだった。
懐かしいですね、まだ、何年もたっていないのに。
シュウは、久々に以前の店があったマンション前にいた。だが、そこにはもう新たにセレクトショップがオープンしていて、以前の様子はかけらも残っていない。変わっていくことには何の感慨も執着もないが、ただ懐かしさは否めない。
その人は、手のメモとマンションを見比べながら、何やら途方に暮れているようだった。
彼女がタマさんの言っていた人だろうか、と、良く顔を見てみると。
「あなたは……」
「え? あ!」
そう、なんとそこにいたのは、由利香や夏樹と初めて行った京都で、暗闇に動けなくっていた所を救い出した? かの女性だったのだ。(詳細は、~秋~『はるぶすと』物語・2日目 京都 を読んでみて下さいねー)
「ああ、良かった! 来てみたのはいいけど、肝心の店が探しきれなくて」
ホッとしたように言うその人の隣で、気の強そうな女性が口を挟む。
「騙されたんじゃないの! って怒ってたところです」
グイッと詰め寄って来る女性に少したじろいでいると、かの人、お名前は、奈帆さんとおっしゃいます、が、慌てて止めに入る。
「待ってよ、ディビー。だってもうあれから何年もたってるし。お店がつぶれるとか、考えてもみなかったから。こんなに移り変わりの早い世の中ですもの、って、……あ! すみません! その、お店が上手くいかなかったのは、誰のせいでもありません!」
自分が言ってしまった言葉に気がついて、奈帆は真っ赤になったり青くなったりしながら頭を下げる。どうやら彼女は、『はるぶすと』がつぶれてしまったと勘違いしているようだ。まあ、教えた住所には、すでにないのだから仕方がない。
シュウはこの成り行きに驚きつつ、最近かなり鍛えられてきたので、慌ててうつむくと、なんとか笑いをこらえ、2人に向き直る。
「申し訳ないのはこちらの方です。実は別の場所に店を移したのですが、お知らせもせずにおりました。ご不安だったでしょう、本当に申し訳ありません」
と、深々と頭を下げる。
しばらくポカンとしていた奈帆とディビーが、「ええ?」「やだ!」と、顔を合わせて、またまた真っ赤になったり笑い出したり。
それを優しい微笑みで見ていたシュウが、言葉を続けた。
「もしかして、わざわざ訪れて下さったのですか」
「あ、いえいえ、わざわざではなくて、この近くに用事があったので、そう言えば、と思い出したので、それで来てみたんです」
手をブンブン振りながら言う彼女に、シュウは少しホッとする。
「ああ、そうですか。わざわざ来ていただいたのなら、本当に申し訳ない事をするところでした」
話しを聞いてみると、2人は明日、隣の×市にある国際会議場の建物見学と、それに伴うシンポジウムに参加するとのことだ。
「そうですか、本当に有名だったのですね、あの建物は」
ぽつりとつぶやいたシュウの言葉を聞きとがめた2人は、そのあと、かの建築と建造の造形美における何たらかんたらを、何分間にもわたって交互に熱く語るのであった。
聞くところによると、ともに建築関係の仕事に携わっているとのことだ。
「「おわかり頂けましたか!?」」
「はい……」
たじたじと降参ポーズをとるシュウに、ディビーは満足そうに頷き、奈帆はハッとまた慌てて「すみません、偉そうに!」と、頭を下げるのだった。
「せっかくここまで来て頂いたのですが、また申し訳ありません、としか言えないのですが、本日は店は定休日でして」
そのあとシュウが本当に申し訳なさそうに言うと、奈帆は相変わらず手をブンブン振りながら恐縮する。
「い、いえ。そうですか。でも、日曜日がお休みなんて、飲食業としては珍しいですね」
「怠慢なだけなんじゃないの?」
ディビーは容赦ない。
そんな言いぐさも気にする様子もなく微笑んでシュウが言う。
「明日は店も開いておりますので、よろしければいらして下さい。ランチとディナーをお出ししております」
すると、奈帆は残念そうに言う。
「えっと、明日のシンポジウムは昼食つきで夕方までなんです。しかも出張扱いなので、あさってからは仕事なんです。明日の夜にはもう帰らないとダメなんですよ」
「そうですか」
「ねえ、せっかく来たんだから、今日これからお店を開けてもらえない?」
すると、隣のディビーが厚かましいことを言う。
「ディビー! ちょっとなに言ってるのよ。すみません」
奈帆はディビーの頭を押さえつけながら、自分も頭を下げる。
「そうしたいのは山々ですが、やはり休日返上というのは、私の中ではありえなーい、ですね」
「は?」
そう言って、ニッコリ笑うと、シュウは次に真顔で言った。
「休日というのは、明日の仕事を円滑に行うため身体と心を休めるためにあります。おふたりにとってはそうでなくても、私とうちのスタッフは、この一日でリセットを終え、次の日からまっさらな気持ちで新たにお客様をお迎えします」
「はあ……」
「ですので、たとえどんなに世間で偉いと言われている方が来られても、うちでは休日に店を開けることはありません」
そんなシュウをマジマジと眺めていたディビーは、ふうん、と言う顔で頷いて、「わかった」と、にんまり笑った。
そのあと、何かを考えるようにしていたシュウは、「少しお待ち頂けますか?」と、離れたところでどこかへ電話をかけ始めた。
「ふうん。イイ男じゃない。あんたが忘れてなかったって言うのがわかるわ」
背を向けて電話するシュウに目をやりながら、ディビーがニヤニヤしつつ言う。
「そんなんじゃないって!」
奈帆はちょっと赤くなりながらも、やはり目が離せないようだった。
しばらくして帰ってきたシュウは、2人に提案を持ちかけた。
「たぶんうちのスタッフには、反対する者はいないと思ったのですが、念のため確認をとりました」
「「?」」
首をかしげる彼女たちに、続けて言う。
「よろしければ、明日の朝食をうちの店でいかがですか? 少し早起きして頂かなければなりませんが。シンポジウムは何時からでしょう?」
「あ、じ、10時から、ですが」
「それでしたら……、7時にお迎えに上がります。ホテルは国際会議場に隣接した所でよろしいですか?」
すると、2人は顔を見合わせて可笑しそうに笑い出した。
「?」
いぶかしげなシュウに、奈帆が言う。
「あ、ごめんなさい。でも、出張にそんな豪勢なホテルはとってもらえませんもの。それに、どうせならってホテルは★市にしたんです。……でも、さっきランチとディナーの営業だと言ってましたよね。朝食なんて本当に良いんですか?」
心配そうに聞く奈帆に、微笑んでシュウが答える。
「そのために先ほどスタッフに了解を取ったのですよ。今日、店にお招きできなかった、ほんの少しの罪滅ぼしです」
「あ、そうだったんですね。ありがとうございます」
奈帆はとても嬉しそうだった。隣でディビーもウンウンと頷いている。
「では明日、お待ちしております」
と、シュウはホテルの名前を聞くと、その日はそこで2人と別れたのだった。
次の日のブレックファーストは、彼女たちにとって忘れられないものになった。
冬里という遊び心満載のスタッフのおかげでね。
朝7時。
★市のとあるビジネスホテル前に、黒塗りの超豪華なリムジンが横付けされた。
「奈帆さま、ディビーさま。お待たせいたしました。お迎えに上がりました」
チェックアウトを終えてロビーで待っていた奈帆とディビーは、アングリと口をあけてホテルの玄関前に佇む。
京都で由利香が乗ったのと同じくらい豪華なのがなかったので、冬里が不満タラタラだったのだが〈え?〉、そこそこロングなリムジンが「ふたり」のために用意されている。
運転手に手を取られて乗り込む2人を、6時半から始まった朝食をとるために降りて来ていた一般客が、何事かと興味津々にのぞき見ている。
ディビーは「まるでお姫様ね」と、気分上々。
奈帆は「……」と、かなり恥ずかしそう、けれど嫌ではなさそうだ。
そして。
到着したのは、「なんか、可愛い」と、ディビーがつぶやいたように、薔薇のアーチをくぐり抜けた先にある一軒家。淡い色の壁に、よく見ると緑がかった黒っぽい色の切妻屋根だ。玄関へと続く小径には美しい花が咲き誇っている。
そしてそして。
入り口の横には、モーニングコートをスマートに着こなした「超イケメン」が、うやうやしく胸に手を当ててお辞儀をしていた。
「いらっしゃいませ。ようこそ『はるぶすと』へ!」
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
またまた始まりました。『はるぶすと』シリーズ第12弾です。
今回は、鞍馬くんの休日にからめたお話しをいくつか、と、考えています。とはいえ、そこはそれ、どうなるかはお楽しみ。ほのぼのとのんびり続いていきますので、ひとときまったりしていって下さいませ。