第五章
1章から9章までの、長編分割投稿です!
文字数は、ライトノベルの文庫本、約一冊分。
今作の更新日については、毎日一章ずつとなっております。
『2月14日(火)~2月22日(水)』
章ごとに、文字数のバラツキがあります。
また、全体で未熟な部分がございますが、その点を合わせ、ご了承を願います。
厚い雲で覆われた空の下、列車がゆっくりと動き出す。
雲行きが悪いせいで、本来人で溢れるだろう市場は活気が無く、赤煉瓦の民家では窓がガタガタと風で揺れる。スピードに乗って見えてきた青々とした草原も、日が出ていないため暗く感じられた。
クラルスも列車の個室でそれらを窓越しに眺め、ムスッと表情をしかめる。
(やな天気……)
そんな心情とは裏腹に、ウェーブがかかった黄白色の髪やピンクのブラウスは、車内の照明で一際輝いていた。
(……ほんと、今日で最後なのに。何よ、ウザいって)
彼女は青いチェックのスカート上で片手を握り締めながら、向かいに座る彼を横目で見た。
「……何だよ?」
「別に……」
ぷいっと、クラルスは窓の縁に頬杖を付き、視線を窓の外に戻す。ダンはバツが悪そうに喉を唸らせる。
朝食を摂り終えた後も、二人の喧嘩は続いていた。
しかもタチが悪いことに、烈火のように激しい言い争いではなく、互いに口を聞かない冷戦状態。
ぐだぐだと気まずさが長引く上に、関係だけが着々と悪くなっていく、双方どちらにも得はない喧嘩だ。
ダンはワイシャツの袖ボタンを付け直しながら、普段よりも元気がない声で謝る。
「なあ、クラルス。俺が悪かったから、機嫌を直してくれよ」
もちろん、こういったやり方が嫌いなダンは、解決に試みようとコンタクトを取ろうとするも、
「ふん……わたしがいうことは、ウザくて余計なお節介だったんでしょ。だったら、ダンは悪くないわ」
「……」
彼が非を認めても、クラルスはそっぽを向いたまま、自身の非で話を終わらせる。
(何だよ、その言い方。ほんと、女ってわけがわからねぇな)
十年近く関係を持った幼なじみであっても、その考えまでは理解できず、ダンは鬱憤を吐き出すようにため息をして、同じように窓の外を見るしかない。
(こういうとき、ユーちゃんかエレナがいれば、なんだかんだで話ができるのにな……)
二人っきりで話すよりも、第三者がいれば自然と話題を転がし、間接的に仲直りをはかることができるのだが、ユリアは先ほど聞いた最新の魔法学の知識で研究者としての血が騒いだらしく、自分の部屋にこもって作業中。
この場にいないエレナに期待をするのも無意味この上ない。
遠くに映る農家の納屋を眺めつつ、正面に座るクラルスを見遣る。
(俺が謝っているのに、なんでこいつは機嫌直さないんだ……? まさか、俺がさっき言ったことだけじゃなくて、今まで虐めていた分も含んでいるのか……?)
護衛の任が始まって、すでに一ヵ月。
その間、クラルスに対してちょっかいやからかいの言葉をふっかけたのを数えれば、指では足りないほどだ。
(……やばい。どのことで怒ってるんだ、こいつ)
心地の悪い汗が、青いストライプのシャツを濡らす。
ダンは腰に提げたダガーに触れ、鞘から抜き差しを繰り返して思い出す作業に没頭した。
だが、特別これといったものは浮かばない。なにせ、ダンがやったことは頭に手を乗せたり、自分より小さいクラルスをからかったりと、些細なものばかり。
そのたび彼女は平然と拳をかましてくるなり、お説教をするなり多々あったが、本気で怒ることは無かった。
(……わかんねぇな)
思慮にふけるほど、ダンのクセであるダガーの抜き差しは速くなり、カチャカチャとうるさい。
当然、同室のクラルスは窓からの景色を眺めながら苛立ちを覚え、
「ダンっ! それうるさいっ!」
と、ダガーを指差し怒鳴った。
「あ、ああ……すまない」
と少し気の抜けた声で返事をし、手を止める。
クラルスはそのダガー添えた手をまじまじと見つめ、何かを言いたげにするが、それを喉にとどめ立ち上がった。
「ちょっと出る」
「んっ、トイレか?」
「……ばかっ」
彼女は眉を八の字にカーブさせ、スタスタっと扉へと歩き出す。
「はぁ……そんな感じで全部言葉にしてくれれば、困らないんだけどな」
ボソッと思ったことを嘆き、ダンは彼女のあとに続いて席を立った。護衛をする都合上、対象を一人で出歩かせるわけにはいかないからだ。
そのため、出て行こうとするクラルスに付いて行こうとするも、
「付いてこないで」
扉のノブに指を触れながら、クラルスはダンを見ることなく制止させる。
「もうここまで来たんだから、わたしを捕まえる人なんていないわよ。仮にいたとしても、次に停まるのがわたしたちの街なんだから、ここからじゃどこにも逃げられないでしょ」
彼女が口にした主張に、ダンはため息を吐いて腰を戻した。
「だな。幸いあの傭兵どもはさっきの街で降ろされただろうし、事件もあって車内警備に力を入れているはずだ。俺は待ってるよ」
ダンは退屈そうに頭の後ろで手を組むと、安全性を唱える。
「……じゃあ、行ってくるね」
それをちらっと見てから、クラルスはノブを横にスライドさせて部屋から出て行った。
ガタンっと扉が閉まった音は短く反響し、意識していなかった、列車の走行音にかき消される。
「……やっちまったな」
一人っきりになった個室で、ダンは天井を仰ぎながら目元を片手で隠した。
ここまで頑なにクラルスのそばにいたにも関わらず、彼女を行かせてしまったのは喧嘩のせい。
当然、そんなつまらない感情で護衛対象を一人にしてしまったのは、仕事としてやってはいけないミスだ。
クラルス自身が付いてくるなと言ったことや、実際襲われる可能性が低いとはいえ、一時の感情で目を離すのは褒められたことではない。
そして何よりも。
(バカか……俺は。守るって約束したばっかりなのに、喧嘩なんかして……)
ダンは目元を隠していた手を外し、青いワイシャツ越しでもわかる、熊によって付けられた傷跡を撫でる。
(あのときも、くだらない喧嘩して……)
目を閉じ、彼は思い出す。死の淵を体験した当時のことを。
そしてそっと傷跡から手を離したとき、ダンは自身のしでかしたことを反省し、身体を動かしていた。
「とにかく、追いかけねぇと」
仕事に対しての責任もあるだろうが、それは建前。
(このまま喧嘩したまま別れたら、もう一緒にいられなくなる。久々に会えたのに、んなバカなこと、絶対にしたくねぇんだ)
席を立ち、早足で部屋を出る。
狭い廊下を出て左右を確認するが、クラルスの姿はそこにはない。
「確か、トイレがある車両は……」
クイーン・ラエトス特急は九両編成で、先頭に運転席兼機関室。最後方に車掌室がある。
二両目にスタッフルーム、三、四、六、七両目に客室車両が設けられており、残りの五両目に食堂、八両目に貨物室がある。
そのうち、トイレがあるのが四両目と六両目。
七両目に部屋を取っているダンたちは、一つ車両を移ることになる。
薄桃色のマットを踏みしめ、ダンは六両目へと歩き出した。
(何で怒っているかわからない以上、謝っても許してくれるかどうかはわからない。だけど、ここで何もしないで待ってるよりもマシだ)
廊下を歩くと老朽化しているせいか、まれに軋む音がする。
だが、それに思うことも無く、ダンは車両間に設置されたスライドドアを開き、六両目に入った。そのとき。
車内を真っ白に染め上げ、轟く雷鳴。
「……到着する頃には、晴れてくれればいいが」
ダンは厚い暗雲を面白くなさそうに睨んだ。
ポツポツと遅れて、弱い雨が窓に点を浮かばせていく。
「んなことより、早くクラルスの場所まで……」
止まっていた足を前へと進ませ、トレイの前へと。
同じ車両に、男女兼用トイレが二つ設置されており、どちらも使用中。
さすがに、わざわざノックしてまで相手を確かめることはせず、通路の窓辺に寄りかかって待った。
(とにかく、しぶとく食い下がるしか無いな)
頭の中でクラルスとのやり取りをシミュレーションしながら、まじまじとトレイの扉を凝視していると。
「ダンお兄様?」
ガラガラと部屋の戸が開き、真横からはきはきとしながらも甘ったるい声が聞こえてきた。
「ん、ああ、ユーちゃんか」
そこには、ダンよりも頭一つ低いユリアが、小首を傾げて立っていた。
「お兄様もトイレですか?」
彼女はいつものハンチング帽と、茶色のベストに灰色のショートパンツと、身軽な格好。
研究中は外すようにしているのか。胸を隠していた黒のケープはなく、ふくらみがベストの上からでもよくわかった。
しかし、今の彼はそれを一瞥してすぐにトイレへと視線を戻し、静かに答える。
「まあ、そんなところだな」
「そう、なんですか」
そんな短いやり取りを経て、ユリアはダンの隣に並び外を眺める。彼女は用を足すため、部屋から出てきたのだろう。
そして、窓に滴が伝い始めたところを眺めながら、彼女はおずおずとダンに話しかけた。
「その……ダンお兄様? クラルスお姉さまと、ケンカ、しているのですか?」
「喧嘩?」
遠慮した様子を見せつつも、ユリアは真っ直ぐな質問をぶつけ、ダンはわずかに目を見開きぱちくりと隣の彼女を見る。
「はい。今日の朝ごはんを食べた後、どこかギクシャクしてて……もしかして、あたしのせいで、二人の仲が悪くなったのではと……」
しゅんと目を伏せ、高速で流れゆく地面に視線を落とすユリア。
その憂う姿を見てダンはほくそ笑むと、首を横に振った。
「何言ってんだ、ユーちゃん? そんなわけあるか」
彼はケラケラと軽薄そうに声を漏らし、腰に下げたダガーを抜き差ししながら嘘を吐く。
「俺とあいつの喧嘩は、何の変哲もない日常だよ。俺がしでかして、あいつが怒る。ただ、今回はそれが長引いてるだけで、問題は無いさ」
「……」
そう説明するも、なぜかユリアから納得の声が返ってこない。
不思議に思ったダンはチラッと隣のユリアを見遣ると、彼女は雨が降りしきる外を見つめたまま、おもむろに語り始める。
「お父様は言っていました。ケンカするほど、仲が良いって」
「そいつは良い親父さんだ」
ダンは微笑みながら褒めるも、ユリアは憂いの表情のまま話を続けた。
「でも、ちゃんと互いに想いをぶつけ合わないケンカは、ダメだって、お父様は言ってました。仲の良い人同士が、ちゃんと本音を伝えられるから大切だって」
「……」
彼女のその横顔に、ダンはふざけた素振りを見せることなく、耳を傾ける。
「だから、ダンお兄様。あたしがこんなこと言うのは失礼かもしれませんが、お姉さまとちゃんと本音で話し合って、仲直りしてください」
ユリアはそっとダンの方を向き、力がこもった声で告げた。
(本音を伝えるのが大事……。まったく、考えてみれば当たり前のことを、年下に教えられるなんてな)
その言葉を聞いた彼は、ため息を吐きながらも口元に笑みを浮かべ、ユリアの瞳を真っ直ぐ見て頷く。
「ああ、わかった。俺たち、ちゃんと仲直りするからな」
「……っ! はいっ、頑張って――」
と、ユリアが元気に応援しようとした瞬間――七両目と繋がる貫通扉が、勢いよく開かれた。
「なんだ?」
ダンが疑問の声と視線を遣ると、そこには分厚い防弾ベストと黒い覆面を身に着ける、三人の男。
そしてその手には、ドラム型弾倉を装着したマシンガンが握られており、不運にも、銃口はダンたちに向けられていた。
「マズイッ!」
そう言葉を発すると同時に、ダンはユリアを抱き寄せ、トイレの開閉スペースへと飛び込んだ。ぷにゅん、と豊満な彼女の胸が密着した感触がするも、そんなの気にしている暇は無い。
「きゃっ!」
ユリアの短い悲鳴。そしてすぐさま、騒々しい銃撃音が車内に響き渡る。
「クソッタレっ……!」
舌打ちをこぼし、ダンは上半身だけ起き上がらせ振り返ると、先ほどまで二人が立っていた場所に、苛烈な銃弾の嵐が吹き荒れていた。
「怪我はないかっ、ユリア!」
咄嗟の出来事に、ダンはユリアの名前を呼び捨てにし、押し倒されるような形で床に伏せる彼女は、頬を紅潮させながらコクコクと頷く。
「は、はい……」
「そいつはよかった。とにかくこの場をどうにかしねぇとな」
騒がしい銃声は止み、意識を相手に切り替えた。
音を立てずに身体を起き上がらせると、ダンは壁際に背を付けながら頭をわずかに出し、敵の様子を窺う。
(数は三人、内一人は後方警戒。装備はマシンガンに防弾ベストか)
覗いていることに気が付いた覆面の二人は威嚇射撃をし、ダンはサッと頭を引っ込め回避した。
「たくっ、戦争でもする気かよ、あいつら。装備や動きを見る限り、軍人かそれとも傭兵か……少なくとも、シリアルキラーには見えねぇな」
マシンガンを手にした彼らは、ピッタリ一列に並んでおり、被弾面積を極力減らした隊列を組んでいる。
また狭い通路ゆえに、前衛が膝立ち、後衛が立ち姿勢と、連携が取れる射撃姿勢だ。
(明らかに場数を踏んでいるに違いないが、とりあえずあそこに釘付けにできれば、騒ぎを聞きつけた警備員が応援に来るはずだ)
彼らが来ると信じ、ダンはこの場を確保するため腰に提げたダガーに指を滑らす。
「ユーちゃん、頭を伏せてろ。向こうもヘタに近づいてこないと思うが、このままおとなしく待ってくれるとは思えないからな」
「はい、わかりました」
「んじゃ、頼むぜ」
ユリアのことを見ずに指示を出していると、トイレの中から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「も、もしかして、ダンとユーちゃん!? そこにいるのっ!」
「こ、この声、クラルスお姉様!?」
「ちょっ! 今の音は何!?」
目に見えないからこそ、音による恐怖はさらに引き立っているのだろう。トイレにこもっていたクラルスは、間近で聞こえてきた銃声に声を荒げる。
そんな彼女に、ユリアは「あわわっ」とどう現状をどう説明すべきか、目を泳がせる一方で、ダンは眉間にしわを寄せ、表情をこわばらせながら語りかけた。
「銃を持った三人の男が、突然襲撃してきた。お前はそこから出る準備して、俺が指示するまで頭を伏せてろ」
「う、うん、わかった!」
クラルスは事態を飲み込み、返事をしたあと、すぐゴトゴトと身を動かす音が個室から聞こえてきた。それと同じタイミングで、もう一方のトイレの個室からも、何者かが声を上げる。
「お、おいっ! 私も、私も助けてくれぇ!」
三人のやり取りを聞いていたのだろう。通りが悪くくぐもった声の男が便乗して助けを求めた。
だが、ダンは彼の方を向くこともせず、険しい表情のまま冷淡に言い放つ。
「自分で何とかしろ」
「……っ!」
隣でへたり込んでいるユリアは息を飲み、クラルスが立てていた物音も形もなく消えた。
「な、なぜだ! おま、おまえはそこにいる小娘は助けて私は助けないのか!?」
廊下の向こうにいるだろう襲撃者に聞こえるほど、助けを請う男は叫ぶ。
ダンは舌打ちをこぼすと、チラッと敵を覗く。威嚇射撃がまた付近をかすり、女性のかん高い悲鳴が、近くの個室からダンたちの鼓膜を揺らした。
銃声と恐怖の胸をざわつかせるような悲鳴に、トイレでこもっている男は声を押し殺す。
そんな彼に、ダンは相手の出方を窺いながら、小声で伝えた。
「黙ってろ。死にたくなければ」
以降、男が入っているだろう個室からは、怯えたような吐息が漏れるだけで静かになった。
「……あいにく、信用が置けない野郎を引き連れる趣味はねぇんだ」
ダンは隣にいるユリアの視線を一身に受けながら、ぼそりと言い訳じみたことを呟く。
(俺に、すべてを守る力はない。だからせめて、大切な奴を。親しい友人くらいは、守りたいんだ)
意志を持って切り捨てて他人を、頭の中から振り払い、彼は全身に糸を張るかのように、力を込めた。
(互いに姿を確認できない以上、角から出てきた瞬間を狙うしかないな)
指をダガーの柄に添え、獲物を殺す狩人のごとく、ダンは目を細め集中する。
列車の走行音、窓を叩く雨音に紛れ、聞こえてくる床が軋む音を拾うために。
……ギィ。
薄桃色のマット越しに、木が軋む音……何者かが動き出した。
それが三人のものなのか、はたまた隣で息を飲むユリアの足下から聞こえたのか、定かではない。
が、その情報を頼りに、ダンの集中力は一層研ぎ澄まされた。
(……)
いつでも飛び出せるよう、浅く呼吸。
息が深いほど、反応に遅れが生じる……彼が傭兵業をやっている内に覚えた、戦いの知識。
そしてもう一つ。日常の中で見つけた知識を、戦いに転換することになる。
ギィ……と、先ほどよりも近くで音が鳴った。
ダンは暗雲で覆われた黒い窓に目を遣ると、そこには着々と接近していた、覆面男の姿。
(運が良い……応援はいらないかもな)
中腰になり、相手がそのことに気が付く前――ダンは勢いよく飛び出した。
「――っ!?」
一人前進していた覆面男は、突然現れた彼と目が合い、ギョロッと大きく目を見開く。
ダンは男が声を上げるよりも早く、その顎に掌底を打ち込み、瞬時に次の相手を視線に捉える。
(さっきと同じ位置……少し遠いが、殺し方は身体に叩き込んでいる)
残る二人の覆面の内、真ん中にいた男は仲間がやられたことにすぐさま反応し、マシンガンの引き金を引く。
それと同じタイミングで、ダンは腰に提げたダガーを掴むと、引き抜きざまにそれを投げた。
「んがぁっ……!」
放物線を描いて飛翔したダガーは、その鋭さ、刀身の重さもあり、前に出ていた男の防弾ベストを容易に貫く。
痛みのあまり、マシンガンの反動を腕で支えることができず、銃口は窓へと逸れ、割れたガラスと雨粒が飛び散った。
散らかった床を、ダンは水の上を跳ねる小石のような跳躍力で駆け、防弾ベストを貫通していたダガーを、体当たりをする勢いで深く押し込み、真下へと引く。
その拍子に、男は吐血と端息を吐き出しながら床に押し倒され、抵抗する間もなく、息絶えた。ベストに仕込んでいた木綿が真っ赤に染まっていく様が、それを証明した。
一人残ってしまった覆面の男は、まさかの事態に頭が追い付くことができず、硬直。
ダンはその隙を見逃さず、丸腰のまま身を低く接近し、残った男を力任せに組み伏せた。
「……お前らは何者だ? 何が目的だ?」
無感情で、氷のように冷たいダンの表情。
「うぐぅ……!」
男は胸を床に押し付けられているため、息苦しそうに苦息を漏らし、背中に引っ張られる腕の痛みに歯を食いしばる。
ダンは拘束したまま、男の小指を握り締めた。
「素直に言えば、命は助けてやる。稼いだ金を使わずくたばるのは、良い気持ちはしないだろう?」
「あぐぅ……クソッタレ」
「良い返事だ」
「っ――! はぎゃぁ!」
感触の悪い音がダンの手の中で鳴り、覆面男の目が苦痛で開かれる。
「あいにく、俺はこの列車の用心棒でも、休暇中たまたま居合わせた保安官でもない。だから、お前を縛り上げて牢屋に押し込む義務はない。この意味わかるよな?」
生殺与奪はこちらにあると、ググッと彼は男の薬指を掴んだ。
「それによく考えてみろ。例え素直に答えてくれなくても、あっちにもう一人、気持ちよさそうに伸びている仲間がいるんだ。お前の命一つに対し、こっちは二つ。五体満足でここから降りたいだろ?」
その質問に、覆面越しからでもわかるくらい苦悶に表情を歪ませ、憎らしそうにダンを睨む。
「お、オーケーだ、小僧。だから少し、力を緩めてくれないか? これじゃあ話せない」
「自分の立場がわからないなら、もう二、三本、へし折るしかないか?」
「おい待て、落ち着けって! あークソッ! 話す、だから、だからやめてくれ!」
力が込められた指先に、覆面男は汗を滲ませ、自分たちが雇われた経緯、知っている情報を話し始めた。
「オレたちはジャックって野郎に雇われたんだ! 列車の中で、騒ぎを起こせと!」
「ジャックだと……」
最近耳にした名前に、ダンは訝しげに眉をひそめ、あるフレーズを思い出す。
(昨日暴れた連中の一人に、そんな名前の奴がいたな。去り際に、引っかかるようなことを言ってきたが、まさかこいつらはその仕返しなのか?)
『覚えておけ』……唇の動きだけだが、彼が口にしたセリフ。
しかし、この男たちが奴らと関連していると、断言はできない理由があった。
(いざこざから一日も経っていないのに、こんなに早く刺客を送ることがありえるのか? それに、こいつらはそのことを知らされていない上に、『ジャック』なんて大陸中にいるような名前……偽名や別人の可能性もある)
ダンは頭の隅に、傭兵の存在を残しながら、険しい目付きで質問を続ける。
「そいつらの目的はなんだ?」
「列車強盗だとよ。ははっ、おかしいよな。こんな小金持ちしか乗らないような列車を襲ったところで、はした金にしかならねぇのによ」
「そんな話に乗ったお前らも、おかしい分類だ」
その返しに、覆面の男は口元をひきつらせ、皮肉げに笑う。
「ああ、こんな状況になっちまった今なら、確かにそうだな。だが、条件が良かったんだ。前金と成功報酬で、ここ十年は遊んで暮らせる金。それに、依頼人のバックには、貴族様が控えていたとなれば、身の安全は確実、運が良ければ紋章までもらえる可能性があったんだぜ?」
「貴族……っ! そいつの名前は?」
男のワンフレーズに、ダンは組み伏せる力と語感を強め、追求した。
「痛っ! 名前までは知らないが、前金の小切手には貴族を表わす紋があったんだ。それに、ジャックって野郎も紋章を見せてきて、『成果次第では紋章も与えられる』ってな。小銃と散弾しか持たない警備を殺してそれだけもらえれば、ウマい飯だ」
危険も少なく、収入もいい。
唯一、どうしてそんな依頼を任されるのか疑問に思うだろうが、貴族という事件をもみ消すほどの権力、高額な前金と報酬を踏まえれば、その不安は容易く吹き飛ぶ。
元より、傭兵の多くは自己の欲望や快楽に忠実で、深く考えるような学を持った者も多くは無いので、今回の仕事を引き受けた理由も納得が行く。
そんな楽観的な思考の持ち主であろう男の言葉に、ダンは一度息を深く吸ってから平静を取り戻すと、別の質問をぶつけた。
「仲間の人数と武器の種類、その連中が潜んでいるのはどこだ?」
「数や武器の詳しいことはわからねぇが……依頼人の周りには、仲間の男が三人いた。そいつらは今、貨物室にいるはずだ」
「貨物室……確かに、そこに上手く忍び込めれば、誰にも見つからずにいられるな。仮に顔が割れている場合でも、十分に通じる常套手段だ」
ダンはチラッと、一瞬だけ列車後方に目を配り、そう確信する。不敵な笑みが、自然と浮かぶ。
覆面男の証言を聞いて、依頼人が昨日ダンたちに絡んできた傭兵たちと特徴や数が見事に一致したことが、相手を特定するヒントとなった。
そのとき、情報を引き出すダンの背後で、勢いよく貫通扉が開く音。
それと同時に、複数の足音が床を軋ませた。
「そこを動くなっ! 武器を捨て、両手を頭に付けろ!」
ダンは振り向き、縦列に並ぶ給仕服の男三人、もとい列車の警備員たちを睨む。
先頭に立つ男の手には、銃声を聞き即席で用意したのだろう、木箱の蓋を二枚重ねて打ち付けた、防護盾のような簡素な装備を構えていた。
その後方に並ぶ二人は、狭い室内での戦闘を想定して用意されたポンプ式ショットガンの銃口をダンへと向けており、その雰囲気は命令に背けば容赦はしないと言わんばかりに、物々しい。
しかし、駆け付けるのが一足遅かった。
この場を制圧したダンは、遅れて現れた三人をバカにするように口を開けて笑い、組み伏せた男を立ち上がらせる。
「お早い登場、ご苦労様」
「っ……こ、これは!?」
身動きが取れないよう、両腕を後ろで押さえられた覆面男と、その仲間であろう二人が、床に伏せた光景に警備員は絶句した。
※
天井につり下がったオレンジ色のランプが、列車に合わせてゆらゆらと揺れる、薄暗い部屋。
そこには、旅行者の大きなカバンや土産品、配達用に積まれた木箱と区分されており、一目で貨物室だとわかる。
本来、列車が発車してしまえば、到着駅に着くまで誰もいないような場所なのだが、そこには二つの人影が浮かび上がっていた。
「あー……クソッ。じめじめして、気が滅入りそうだ」
木箱に背を預けながら立つリカルド・シーケンスは、左右に揺れるランプを見上げ、濁ったうめき声を漏らす。
それに対し、彼の正面でカバンに腰を下ろすジャックは煙草をくわえながら、ヘラヘラと笑った。
「ああ、まったくだな。早く仕事を終わらせて、冷えた黒ビールで一杯やりたいもんだ」
「べっぴんをはべらせ、とっととウマい酒を飲みてぇ」
リカルドは首を振り、一刻も早くここから出て苛立ちを発散したいと嘆く。
そのとき、慌ただしい足音を鳴らして、見張りの部下が二人のやり取りに水を差した。
「リカルドさん、大変だ! あの陽動の奴ら、ヘマをやらかしましたっ!」
「ヘマ、だと? まさかやられたのか? あの装備で?」
「……へい。銃声が聞こえ確認したところ、遠目ですが、何者かの手によって三人は全滅。具体的な数は定かではありませんが、遠目で昨夜のガキの姿が見えました」
口早に報告する部下に、リカルドは歯を食いしばり、顔を赤くさせる。
ジャックもその説明に眉を一瞬だけひそめ、煙草をふかす。濃い煙が漂い、苛立ちの度合いが目に見えた。
「女を守るあのガキが、手練れの紋章持ちとわかった上であいつらを送ったが……ここまでとは。リカルド、プラン変更だ」
そう言って、ジャックは腰のホルスターから愛用のリボルバーを抜き、ひっくり返したり弾倉を開いたりと、改めて不都合が無いか確認する。
「クソッタレ、手間を掛けさせやがって。これはもう、死ぬよりつれぇ目に遭わせるしかねぇな……おいっ、おれのカバンを取れ」
リカルドは独り言に近い返事をしてから、顎で部下に命令した。
それに萎縮しながらも、部下はそさくさと立てかけられていたスーツケースを持って、リカルドの前に置く。
「さぁて……鼻を折られた代償は、きっちりと払ってもらうぜ」
膝立ちになると同時に、リカルドは自身のケースを寝かせ、カチッと心地よい音を鳴らして蓋を開けた。
中の構造は、旅に必要な衣類や貴重品などが仕切りによって分けられており、普段粗暴な彼とは不釣り合いなほど整頓されていた。
そしてその中でも、最もスペースを有する場所から、赤い工具箱と従来に比べ一回り短いショットガン――ソードオフショットガンを取り出す。
「ターゲットさえ無事であれば、やり方は自由。派手にやらせてもらおうか」
ショットガンに弾を込め、ふざけて部下に銃口を向ける。彼はギョッと一歩足を退き露骨に反応を表すと、リカルドは愉快に笑った。
「こいつを食らえば、いくら腕っ節の強いあのガキでもくたばるはずだ。それに、今回は奥の手まであるんだから、負けはありえねぇ」
指先で、緩く着こなすスーツの胸ポケットをトトンッ、と叩く。
そこには、彼らの依頼人である、コレットが渡した魔法強化薬がしまわれていた。
最初は納得がいかない様子だったリカルドが、どうしてここまで薬を受け入れられたのか。それは怪我を治した抜群の効果はもちろんのこと、彼が乱暴者であっても、紋章持つ傭兵としての、プライドがあったからだろう。
「……はっきりと言っちまえば、こんな薬に頼らねぇであの野郎をぶちのめしてぇ。が、いくら強がったところで、奴の得意分野に持ち込まれれば敵わねぇ」
向けていた銃口を下ろし、リカルドは悔しげにグリップを握って、声を漏らした。
紋章持ちの多くは、総合的にその能力が高いだけではなく、その中でも極めて秀でた分野、技術を持っている者が多い。
リカルドが見た限り、ダンの特徴は類まれない強力な近接戦闘術。
あれは日頃の生まれついての才能や鍛錬はもちろんのこと。実践に近い演習、あの歳で数々の戦場を渡り歩いてきたであろう経験から身に着けた技術であると、彼は身に染みて感じていた。
特に、今回の現場は通路が狭い『列車内』。遭遇すれば近接戦闘が避けられない以上、相手を負かす、何かしらの打開策が必要となる。
その手段として導き出されたのが、魔法強化薬だった。
「それに、やり方はこれだけじゃねぇ。こっちにもあのガキにはできねぇ戦い方がある。幸い先手はこっちが打って、すでに目標の一つは完了している」
そう言って、貨物室と隣接した車両……後方車掌室の方向を、下品な笑みで見る。
車掌室にて職務を全うしていたであろう白い髭を蓄えた高齢の車掌と中年くらいの副車掌は、喉と腹部から、熟れたトマトのような真っ赤な血を流して倒れており、微動だにしない。
難しそうな操作盤に付けられた、無線機と思しきコードなどは無残に破壊され、もはや繋げる手段はないだろう。
「外の出入りが不可能な場所で、一番先にすることは外部との通信遮断。これで終点に着くまで応援はない」
彼らのこういったやり方は、非合法な仕事で培われた知識であり、ここまで生き抜くことができた経験によるものであった。
「それに、今回はクラインアントからの強力な助っ人もいる」
リボルバーの点検を終えたジャックが、相棒の言葉を補足するように言葉を重ねる。
「エレナ・スリンガー……女として顔や身体が上等なだけじゃなく、仕事まで確実にこなす手腕。あの女がいないなかったら、オレたち自ら屋根を伝って、先頭車両まで行くことになっていた。たくっ、メンバーに加われば、最高の儲け口になりそうなんだがな」
「おれとしてはあの上から目線なすまし顔を、力づくでねじ伏せ、ひんひん泣かせてやりたいがな。げははっ!」
相変わらず下品な言葉を投げ、それにジャックはニタニタと口元を緩め頷いた。
唯一、見張りをしていた部下だけは同情できないようで、不安そうに目元にしわを寄せ、表情を硬くする。
そんな仲間の様子に気を配ることなく、リカルドはショットガンを床に置いてから、赤い工具箱の中身をいじりながら話し続けた。
「制圧された三人が、おれたちの情報を死守する保証はねぇ。それに、遅かれ早かれ前後の運転室と車掌室を制圧した以上、もうじきここにも奴らが来るはずだ。だから挨拶代わりに、ちとおもしれぇもんを見せてやらねぇとな」
「なら、オレたちは先に移動させてもらうか。あまり長居して、薬を使うことになったら最悪だ」
「ああ、行け。雨だからって、ガキみてぇにはしゃいで屋根から落っこちるなよ?」
「あいにく、この仕事が終わったあとに一杯やる予定でね。落ちる予定はない」
そう返すとジャックは腰を上げ、煙草落として靴底で踏む。
「次の一服は、二両目のスタッフルームだな。エレナちゃんが抑えてくれればいいが……どうだろうな? まあ、軽い準備運動と考えれば、都合がいい」
銃をホルスターにしまい、ジャックは気合を入れなおすかのように、スーツベストの襟を整え、血濡れた車掌室に歩き出した。
部下もそのあとを追い、外と通じる戸を開くと、雨が降りしきる中屋根へと登って行った。
一人残されたリカルドは、工具箱をいじりながら下賤な笑みをケラケラとこぼし、そこから引っ張り出したコードを、積み上げられた荷物と荷物に繋いでいく。
ひとしきり設置を終えると、『DANGER』と黒文字で記された、手のひらサイズの真っ赤な缶を箱から取り出し、
「さあて。今回はどんなトラップ(、、、、、、、)を作ろうか?」
薄暗く、注意しなければ足元の埃も見えない貨物室に、彼のだみ声だけが聞こえた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
●登場キャラクター名
=ダン
=クラルス・ブリュック
=エレナ・スリンガー
=コレット・グランドフット
=ユリア・ウェルベル
=ブラッド・スピリッツ
=リカルド・シーケンス
=ジャック
=マリン・グランドフット




