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銃器と魔研者  作者: シゲル
4/9

第四章

1章から9章までの、長編分割投稿です!

文字数は、ライトノベルの文庫本、約一冊分。


今作の更新日については、毎日一章ずつとなっております。

『2月14日(火)~2月22日(水)』


章ごとに、文字数のバラツキがあります。

また、全体で未熟な部分がございますが、その点を合わせ、ご了承を願います。



 遠くで遊ぶ子供の笑い声。草花の上を踊るモンシロチョウ。

 薄着が似合うそんな陽気の中……刃向かうように長袖を着た、十にも行かぬ幼い少年。

 彼は木の幹を背にし、木陰ですやすや寝息を立てていた。

「――くん……おきなさい……ダンくん……」

「んぅ……?」

 ゆったりとしたまどろみの中、誰かがダンの名前を呼ぶ。

(だれ、だ……?)

 彼は視線を声の方へ上げると、漆黒を思わせる三つ編みの女性。

二回りも歳が上に見える彼女は、温かな手で肩を揺すった。

「ダンくんっ! 起きなさい、ダンくん!」

 柔らかな風で踊る、木漏れ日。

 それを褐色の腕やうなじに浴びる。

 白い半袖のシャツにはチョークの粉が付着しており、紺色のロングスカートには、青々とした芝生がちょろちょろ乗っかっていた。

「……あっ、やっと起きた」

彼女はダンが目覚めたことに気が付き、幼い顔付きに笑顔を浮かべると、

「授業をサボって、どうしてこんなところで寝てるのかなぁ~?」

 声に怒気を含ませ、彼の頭を力強く掴んだ。

 メキメキッと嫌な音が響き、寝起きでぼーっとしていたダンの意識を容赦なく引っ張り出す。

「イタっ!? イタタタタタタっ! 離せっ、離せよっ!」

 力が込められた女性の手を振り払おうと暴れるが、万力に挟まれたように離れない。

「だったら、先生に言うことがあるでしょう?」

 悲鳴を上げる彼に対し、彼女――マリン・グランドフットは、穏やかな微笑を浮かべたまま問い掛ける。

「はぁっ!? 意味わかんねぇよ、くそっ!」

「わからないなら教えますよ。ダンくんは、黙って先生の授業をお休みしました。先生は、とって~も心配しました」

「そ、それがどうしたんだよ!」

 ダンは涙目で瞬きが多くなりながらも、生意気に彼女を睨み付けた。

 それに対し、マリンは幼い表情をむすっと怒り顔に変え、目を真っ直ぐ見て叱りつける。

「お休みするなら、ちゃんと先生に言わないといけませんよ!」

「……っ!」

 鬼気迫る彼女の一言に、思わず気圧されるダン。しかし、グッと手を握り締め、

「休むのはオレの勝手だ! お前には関係ないだろ!」

 大人とは言え、女に負かされたくないと彼は意地を張り、瞳を開いて無鉄砲に反論した。

「……関係、ない?」

 マリンは、ダンから言われたことを反芻するように呟くと、頭を掴んでいた手を離す。

「ダンくん? 先生に言いたいことは、それだけ?」

「なに言って……」

 と言い掛け、彼は言葉を飲んだ。

 マリンの青い瞳……見つめる相手と、心から向き合おうとするような、澄んだ眼差し。

 ダンが口ごもり、目を一瞬逸らしたのを間近にした彼女は、柔らかく目を細める。

「先生は、ダンくんの先生です。わからないことを教えるのが、先生のお仕事です」

 チラッと、ダンは一度マリンに視線を遣ってから、小さな声で言い返した。

「……言っただろ、お前には関係ないって」

「ダンくんは、どうしてそう思ったんですか?」

「どうしてって、オレは親父に連れてこられたんだ。勝手に……だから、勉強なんて……」

 ダンがそれを言い終わったのを、一拍置いて確認してから、マリンはたおやかに尋ねる。

「うん……お父さんは、どうしてダンくんを先生たちのところに連れてきたのかな? それは、教えてもらった?」

「知らない……。だけど、親父は傭兵の仕事でオレが邪魔だから、こんなところに……」

 そう言葉を続ける彼の声は、次第に小さくなり、ギュッと自分の右腕を隠すように掴んで俯いた。

 その様子に、マリンは小さくため息を吐き、自身の眉間を指で揉む。

「もうっ、ゲンさんったらまた黙って……相変わらずいいかげんなんだから」

 恨むように呟いた彼女だが、すぐに微笑みを浮かべ直し、ダンに語りかけた。

「大丈夫。お父さんは、ダンくんが邪魔だなんて思ってないわ。むしろその逆……大切だからこそ、ダンくんを先生たちに預けたの」

 俯くダンは顔を横に向け、苦い薬でも飲んだように、顔をしかめる。

「そんなこと言うもんか。オレの親父は、いつだって仕事に連れて行ってくれたんだ」

「……うん、その話は聞いてるよ。お父さん、ダンくんにこの大陸のことを知ってほしくて、色々な場所に連れて行ってるって。それに言ってたよ、お父さん。『あいつは絶対に大物になる! 飛び交う弾丸の中を走り抜けて、女の子を助けたんだ!』ってね」

 彼女は鼻歌を口ずさむように、軽く弾んだ声で話し続けた。

 砲撃の中、ダンが泥にまみれて身をひそめたことや、補給物資を届けるため、紛争地帯の町を一人で通り抜けたことなど。

 彼の父親から聞いたであろうことを、まるで我が子を褒める母親のような語り口調で。

(どうして、この人……オレのことこんなに知って。それに戦争の話をしたら、みんな恐がったり嫌そうにしたりするのに、なんで嬉しそうに話すんだ? オレのことなんて、この人には全然関係ないのに……)

 声の抑揚を変え、しきりに笑顔を見せるマリン。

(太陽みたいに、ぽかぽかしてる人だなぁ)

 ダンがそう思うのが先か、それとも後か。

「お、お前は……」

 横一文字に結ばれていた柔らかな唇が、自然と開く。

「どうしてオレのこと、そんなに知ってんだよ。オレなんか、別にどうでもいいだろ?」

「どうでもよくない。だって、ダンくんは大事な教え子の一人ですっ」

「えっ……?」

 即答だった。

 彼は顔を上げ、きょとんと目を大きくさせる。

「っ……! だけど、オレはまだ先生から勉強、教えてもらってない」

 そして、マリンが口にした一言に、異議を唱えた。

「ふふっ、おかしな顔……」

 それを間近で目にした彼女は、口元を指の腹で隠し笑うと、ダンの黒髪を優しく撫でる。

「あいにく、先生は教えるぞ~って思った子は、みんな先生の教え子です」

 あまりに横暴な枠決めに、ダンは何かを言い返そうと思考を巡らせるも……言葉が見つからない。

 なぜなら、さっきまで芽生えていた『意地』という武器が、気付けば無くなっていた。

「それに、ダンくんは一つ勘違いしてる。お父さんは、腕を怪我したダンくんを、危険な目に遭わせたくないから……大切に想ってるから、先生たちの元に連れてきたんだよ」

 そう言って、マリンは指差す。ダンが隠すように掴んだ、右腕を。

 彼は身体をよじり庇おうとするが、木を背中に座っているため、腕が半分だけ見える状態で止まった。

「だから、今はその怪我をゆっくり直そう」

 にこっと、マリンは無邪気に微笑む。

 不意に、ダンの心臓が強く鼓動を打った。

(なんなんだよ……)

 ダンは横目で彼女を見遣ると、少しだけ頬を赤くさせ、ぼそっと、小鳥のさえずりにも負けそうな声量で呟く。

「……わかったよ」

「うん、素直でよろしい!」

 それを聞き取ったマリンは指を下ろすと同時に頷き、ダンの頭をクシャクシャと撫でた。

(嫌な感じ、しないな……)

 ダンはそんなことを思いながら、黙って無造作に撫でられる。

「ふふっ、それじゃあダンくんがここで怪我を治すあいだ、経験だけじゃ得られない知識を、しっかりと身に付けよっか!」

「……えっ?」

 突然の取り決めに、疑問を浮かべるダン。それに対して、マリンは口早に告げる。

「えっ、じゃないですよ。ダンくんのお父さんが色々連れて行ってくれても、読み書きや数の数え方は十分じゃありませんよね? それに、ダンくんが色々なお仕事に就けるよう、専門的なことを知っておかないといけませんよ」

 当然、ダンも何かを言おうとするが、間髪入れず、彼の怪我をしていない左手をギュッと掴み、

「さあさあ! 今日の授業をサボった分は、取り戻さないと!」

 ダンが有無を言う間も無く、手を引っ張り立ち上がった。


 ――そんな彼女の笑顔は、太陽のように眩しかった。



 車窓から差し込む朝日。

 椅子に座りながらそれを顔に受けたダンは、逃れるように天井を見上げ、手で目を覆った。

「マリン……先生?」

 寝起きではっきりとしない意識の中、彼の口から漏れたのは、さっきまで目の前で微笑んでいた恩師の名前。

「……」

 開いた窓から聞こえてくる風を切る走行音、上下に揺れる感覚、自身の手から微かに漂う鉄の臭い。

 それを一身に感じながら手を下ろし、遠くに見える町並みに目を遣った。

「夢……か」

 ダンは気だるさを帯びた声で呟くと、腰に提げたダガーを抜き差しする。カチン、カチン、と金属音が一定の間隔で個室に響く。

「昨日は話しすぎたな……まあ、久々に良い朝だ」

 まだ重たい瞼の誘惑に導かれるように、見ていた夢を思い出すように、彼は目を瞑った。

 ……だが、頭の中でもう一度思い描こうとしたそれは、波打ち際に建つ砂のお城のように、静かに記憶の底に飲まれた。

 ダンは記憶の欠片をかき集め、ぼやけた輪郭を作るも、瞼の裏に蘇るのはマリンの優しげな微笑みだけ……ほかはおろか、会話の一文も出てこない。しかし、

「たくっ……先生は夢の中でも、俺に勉強させるつもりだったのかよ」

 夢の中で伝わってきたニュアンスに、彼はにへっと口元を緩め笑うと、椅子と壁の角に頭を寄せた。

「……つーか、そろそろ途中駅か。朝飯は、なんにしようか?」

 視線の先、椅子を倒しベッドにしているクラルスを見つめる。

 彼女は窓から日が差し込まぬよう、窓の片側を紺色のカーテンで遮っていた。

 そのため、強烈な光で起こされたダンとは違い、「すぅすぅ……」と心地よさそうに寝息を立て、薄手の毛布にぬくぬくとくるまっている。

 その寝顔は穏やかで無防備……何より、薄暗い個室の中、ダンとクラルスの二人っきり。

 当然、ダンの胸の内に不純な欲望がそそり立つ。しかも、その相手が男の腕力で組み伏せられるほどに、小柄で可愛らしい少女ならなおさら。

「おーい、朝だぞ~」

 彼はクラルスに近づいて耳元で囁くが、彼女は「んっ……」と短く唸るだけで、身じろぐこともしない。

「男だってこと、忘れてんのか?」

 あまりに用心しないクラルスに、ダンは眉を寄せ不満げに口を尖らせる。

 同じ部屋で寝るようなことは、旅の中で何回もあった。

 それは彼女の安全を第一に考えた上であり、何よりも、ダンに対しての信頼があったからこその同室。

 しかし、彼も紛いもない男。「下心が無い」と言えば嘘だ。

「……起きろよ」

 口でそう言いながら、ダンは起こすつもりも無く、眠りこける少女の肩に触れる。

 たやすく潰れてしまいそうなその感触は、まるで桃のように柔らかい。

(こいつもなんだかんだ言って、女なんだよな……)

 明らかに男とは違う肉付きに、彼は改めて、目の前の幼なじみを異性だと実感する。

(近くにいられる関係も、今日の夜で終わり……)

 ダンは撫でるように、クラルスの肩から頬へと触れ、ジッと彼女の唇を見つめた。

 風呂に入っていない分、少し多めに付けられた花の香水。それにこっそりと混じるのは、ツンッとまでは行かないが、寝汗の独特なにおいが鼻孔を撫でる。

 天然ウェーブが入ったクリーム色の髪は、寝癖でピョコピョコとはねており、ありのままを見せる子供のように愛らしい。

 そして、寝間着として使う白のカーディガン。その胸元は軽くはだけ、白い素肌、十代にしては慎ましい膨らみが覗く。

 その見える角度はきわどく、ダンの本能を無性にざわめかせた。

(起きない……よな?)

 胸の中で疑惑と期待混じりの声を漏らし、ダンは頬に触れていた手を胸元へ――、

「ふへへっ……くすぐったいよぉ、ダン~……」

「ッ――――!?」

 不意に語りかけてくる、クラルスの甘い声。

 あまりに突然の事態に、ダンは思わず固まった。

(まさか……起きたのか?)

 嫌な汗でワイシャツの背を湿らせ、彼は不安で一杯になりながら視線を遣る。だが、

「はふぅ……むにゃむにゃ……」

「は、はは……脅かすなよ」

 不純な動機に駆られていた手を引っ込め、ダンは穏やかじゃない寝言をこぼすクラルスを見下ろした。

 万が一ばれていたら、変態呼ばわりされるのはもちろん、最悪絶交もあり得る。

 想像するだけで嫌になるシナリオに、彼はブンブンと首を横に振り、邪念を振り払った。

「落ち着け、落ち着くんだ。俺は、誰のためにここまで強くなったんだ」

 腰に提げたダガーの鞘に指を当て、自分に言い聞かせる。

「……よし。いつも通りだ、いつも通り」

 そう独り言をこぼすと、ダンは再度クラルスの寝顔を見つめた。

「本当、心臓が止まるかと思ったぜ。……まあ、ちゃんと正々堂々にやれってことか」

 自身の行いに反省すると同時に密やかに頬を緩ませ、彼女の頬をぷにぃ~と、起きない程度の力加減で引っ張った。

 すると、クラルスは嫌そうに眉をひそめると彼の指から逃れ、毛布で深く自身の身体を包み、

「んん~……やめてよぉ、ダン~……」

 どうやら、ダンにいじられている夢でも見始めたようだ。

 嗜虐心をそそられるような彼女の寝言に、ダンは自分の口を覆って笑いを押し殺す。

「くくっ……たくっ、面白いな相変わらず」

 もう少しいじりたい欲望に駆られるが、心臓に悪いのは勘弁、何よりそろそろ駅に着くことを踏まえ、ダンは彼女の肩を強めに揺すった。

「起きろ。朝だぞ、クラルス」



 列車の到着で沸き立つ、大きな天窓に照らされたホーム。

 降りて行く客は、待っていた友人や恋人との再開に抱き合い、笑顔がこぼれた。

 旅行で訪れたであろう老夫婦は、口髭を蓄えた駅員に荷物を台車に載せてもらい、車が待つ外へ案内されている。

 そんな中、まばらな人の流れを縫うように進み、半円形に広がる駅前広場へと三人は足を踏み出した。

「ふぅ……久々の地面って感じがするな」

 グランドフット邸を出て、馬車と列車とほぼ一日中揺られていたダン。

 二本足から伝わるってくるしっかりとした足場の感触、爽やかな朝日と涼しい風に、懐かしさを感じていた。

「ですぅ……」

 彼の隣に立つユリアは、大きくて茶色いショルダーバッグを斜めがけにして、ため息を吐く。

 そんな彼女の服装は、昨日と同じ茶色を基調とした少年向けの洋服。本人としては、子供っぽく見られないよう演出しているつもりだが、男であるダンのコート姿と比較すると、どこか背伸びしている感が否めない。

 ダンはそれに気付きながらも、気を遣って何も言わず、ユリアの声に耳を傾ける。

「それに、ずっとせまいところにいたので、身体が重いですね」

 ググッと、彼女は両腕を青空へ向けて伸ばし、眩しそうに目を閉じた。

「そういえば、ユーちゃんは旅が初めてだったな。その荷物、持ってやろうか?」

 ダンはユリアが提げるカバンに目を遣り尋ねると、彼女はふるふると首を横に振る。

「平気です。ダンお兄様に迷惑を掛けたら、いけないですから」

「そんなの、俺としては朝飯前だが?」

 ぐいっと、クラルスから任されたバッグを軽々と持ち上げる。しかし、

「この中には、あたしが魔法研究で使う道具が、いろいろ入ってます。だから……」

 にこっと、ユリアは申し訳なさそうに微笑み、なめし革でできた無骨なカバンに手を遣った。

 魔研者にとって、自身の研究資料は命にも代えられないもの。気心が知れた相手でも、あまり他人の手には渡ってほしくはないのだろう。

 その仕草を目にし、ダンは納得したようにケラケラ笑った。

「オーケー。しかし、魔研者っていうのは大変だな。こんな短いあいだでも、自分の研究から手放せないなんて」

 列車が出発するのは、今から約五時間後の昼十三時。

 短時間にもかかわらず、それほどまでに貴重なものを持ち出すユリア、そしてクラルスの姿に、ダンは同情する。

 しかし、当の本人はそう思っていないようだ。

「そんなことないです。新しいことを知って、それがどんどんすごいものになるのが、楽しい……だから、全然大変じゃないです」

 好きこそ物の上手なれ。

 苦を苦として思わず、楽しんで取り組む彼女の姿勢に、ダンは柔らかく目を細め、息を吐く。

「見習いたい考え方だな……。まあ、何かあったらすぐ言ってくれ。あいつもユーちゃんと同じ気持ちだが、こうやって荷物を俺に持たせてるしな」

 ダンは自身が手にしたカバンに視線を落としてから、張り切った様子で先行するクラルスを見た。

 スキップをするかのように軽い足取りは、どこか幼い。

「ダンお兄様、ありがとうです」

 律儀に、ぺこりと頭を下げるユリア。

 ……すると、黒のケープの下に隠れていたたわわな果実が、ぷよんっと揺れた。

 特に、バッグのヒモが胸の谷間を通ってピッチリ強調されているので、まさに絶景。

(うむ……良い乳だ)

 間近で目にしたダンは、腕を組んで満足げに頷いた。

「ダ~ン~!」

 そのとき、二人よりも先に歩いていたクラルスが、「むぅ」と頬を膨らませ、腰に手を当てる。

「何やってんの! 早く行こうよ!」

「あっ、すぐ行きます!」

 ユリアは「はっ」と息を飲むと同時に慌てて返事をし、トテトテと小走りでクラルスの元へ向かった。

「……たくっ、朝からやかましいなあいつ」

 余韻に浸っていたところを邪魔されたせいか、ダンは不機嫌に首筋を掻き、止まっていた足を進める。

 それを確認したクラルスは、にこっと嬉しそうに頬を緩ませ、三段しかない階段を軽やかに飛び降りた。

「っと……」

 コツッと、石畳を革靴で叩き、桃色のブラウス、青いチェックのスカートをなびかせる。

 彼女なりに上手く着地できたようで、満足そうに鼻を鳴らす。その仕草はまるで、やんちゃな男の子のようだ。

(……どんなに経っても、昔も今も変わらないもんだな)

 そんなクラルスに対して、ダンは呆れながら階段を一段一段降りる。

「飯はどこで食うか、目処は付いてるのか?」

「どうしようかなぁ……」

 問い掛けられたクラルスは辺りを見渡す。朝早いということもあり、人の通りが少なく、開いている店は一目で確認できた。

「んじゃま、とりあえず近くまで行こうぜ。選ぶのはそっからだ」

 ダンの申し出に二人は頷き、「ユーちゃんは、何か食べたいのある?」と楽しそうに歩き始める。

「決めても、いいですか?」

「うん、いいよ。わたしたちで決めてもいいんだけど、ある一名、『腹に入ればなんでも同じだろ』とかつまらない人がいるから、ね」

 そう言って、クラルスは小馬鹿にするように、後ろに付いて歩くダンを見た。

「……何だよ」

「べーつに。どっかの誰かさんは、わたしがそばにいないとごはんもまともに食べようとしない、変人だって言っただけ」

「おいおい……言っておくが、現在進行形で俺は仕事中だぞ。のんきに飯なんか食っていられっか」

「ここまで、大ごとになるようなことはなかったでしょ。昨日だって、なんだかんだ言ってただのケンカみたいなものだったし」

「紋章を掲げるほどの事態を、喧嘩と片付けるとは……平和なこった」

 貴族からの依頼を完遂し、与えられる紋章。

 それを持っている傭兵は、特殊な技能、もしくは相当の場数を踏んできた猛者だ。

 あのとき、事態がさらに大きくなっていたら、怪我人だけでは済まなかっただろう。

 ダンは最悪の結末を思い描き、危機意識が低い主を皮肉る。だが、

「でも、ああやって紋章を見せるのは、身分を証明するためでしょ? わたしたちが小さいころ、『俺の親父はー』とか、得意げになって言ってたよね?」

「確かにその通りだが……あいつらもあいつらでメンツがあるはずだ」

 面倒くさそうに彼は首を横に振り、その言葉にクラルスはあご先を指で撫でた。

「仕返ししてくる、ってこと?」

「あくまで可能性の話だけどな」

「……」

 彼女はバツが悪そうに眉をひそめ、視線を落とす。

(わたしが後先考えずに勝手なことをしたから……)

 トラブルを引き起こす原因になってしまい、クラルスは罪悪感に苛まれる。そして灰色の石畳を見つめ、歩いていると、

「ク、クラルスお姉様! そんな顔しないでください!」

「ユーちゃん?」

 憂う表情に耐えかねたユリアは彼女の前に立ちはだかり、真っ直ぐ目を合わせた。

「お姉様は、あたしのことを想ってしてくれました。あんな、危険なことを……っ!」

 ユリアは事件当時の怒号や卑しい男たちの表情を思い出し、ギュッとハンチング帽を掴む。

 平穏に暮らしていれば、滅多に触れないだろうその恐怖。

 だが彼女は、それを跳ね返すかのように声量を大きくさせた。

「だから、傭兵さんたちがやり返してくるのは、お姉様だけのせいじゃないです! あたしのせいでもあるんです!」

 大きく紫色の瞳。

 自分がしたことに答えが返ってきたくれたからか、それともその神秘的な瞳に見つめられた魔力か。クラルスの不安が、不思議と小さくなった。

「クラルスお姉さまは悪くないです。だって、お姉さまはあたしを守るために頑張ってくれました。なのに、お姉さまだけが悪いなんて、あたしは思いません!」

 初めて見せたユリアの真剣な眼差しに、クラルスの中に燻っていた弱気が消えた。

「ふふっ……ありがとう、ユーちゃん!」

 彼女は頷く。朝日にも負けないくらい、清々しくて眩しい笑顔で。

「お礼を言うのは、あたしの方です! 助けてくれて、ありがとうございます!」

 ユリアは一度首を振り、いつものように、あどけない笑顔で答えた。

(昨日会ったばかりだが、なんだか雰囲気が変わった……いや違うな)

 笑顔を向けあう二人を後ろから眺め、ダンは口角を軽めに持ち上げる。

(成長、だな。あいつらがきっかけか、それともクラルスがきっかけか……まあどちらにしても、それこそユーちゃんのいいところだ)

 前向きで、ただでは転ばないユリアの考え方。

 魔法、なんて未知の世界に挑もうとするには重要なスキルだろう。

 ダンは、また彼女の新しいところを見つけ満足すると、クラルスを後ろから声を掛けた。

「ユーちゃんもこう言ってんだから、そう自分を追い込むな。腹も減ってきたし、早く行こうぜ」

「あれ、ダンも食べるの?」

「腹が減ってはなんとやら。お嬢様がちゃんと飯を食えっていうなら聞くさ」

 腰に下げたダガーに触れ、抜き差しを繰り返しながらケラケラ笑う。

「素直じゃないんだから。でも、確かにうじうじして食べ損ねたら、またお腹が鳴っちゃうもんね」

「そ、それは困ります!?」

 先ほどまで真剣そのものだったユリアは目を見開き、あわわと声を荒げた。

「満場一致だな」

「ええ。それじゃあ、行きましょっか」

 クラルスを先頭に、三人はまた歩き出す。今ある悩みなど押し退け、陽気な足取りで。

「……ちなみに、朝に食う魚は活力になるらしいぜ。特に、魚のムニエルとか」

「ダンが食べたいだけでしょ、それ」

 そして冷ややかなツッコミを残して。



 朝もまだ早いため、客足が少ないテラス付き喫茶店。

 ダンたちは日差しを遮るパラソルの下、温かな朝食を摂っていた。

「あの、一つ訊いてもいいですか?」

 ハンチング帽を外したユリア。

 彼女は赤いセミロングの髪を涼しげになびかせ、口を開く。

「クラルスお姉様は、どんな研究をしているのですか?」

「ん、わたしの研究?」

 クラルスは租借していたクロワッサンを飲み込み、パンを手にしたまま首を傾げた。

「はい。会ったときに魔法学の話をして、ちょうど一段落ついたところであの騒ぎがあったので……」

「あ、確かに」

 忘れてた、と目を少し大きくさせ、クラルスの正面、店寄りの席に座ったダンが話を整理する。

「あの傭兵たちが絡んできたときか。お互いの旅の話をして、ユーちゃんが魔法学を専攻する……そこを話し終えたところで、中断したんだったな」

「ですです!」

 コクコクとユリアは首を縦に振り、目を輝かせた。

「だからぜひ、教えていただければ!」

「ふふっ、そこまで言われたら、教えてあげなくちゃね」

 クラルスは柔和な笑みを浮かべ、自身の研究……万能薬について話す。

「わたしは魔法学の中で、人体に関する勉強を、特に、怪我や病気を治すための薬品製作をしているの」

 その答えに、ユリアはどこか腑に落ちないように眉をひそめ、問い掛けた。

「? それは、魔力石を利用した薬ですか?」

「うん、そうよ」

 クラルスは言いよどむことなく頷き、ユリアの表情は一層疑問の色に深まる。

 なぜなら、魔力石が使われる用途の大半は、莫大なエネルギーの応用である武器や工業製品の原動力。

 人体に影響があることが知られ、身体強化薬に使われることはあったが、治療目的で使用する例は少ない。

 何より、医学的観点から魔力石に足を踏み込む研究者はあまりいない。

「魔力石を利用した薬……身体強化や骨格変形、そういった人の能力を向上させるものは耳にしますが、治癒に特化した薬……あまり、聞いたことが……いや、確かこの前サイエンスペーパーで」

 ユリアはぼそぼそと独り言をこぼすと両手を合わせ、記憶を辿る。そして、

「あっ、そういえば、『あらゆる病気に効く万能薬の製作!』って情報誌に書かれてました!」

 すっきりと彼女は手を叩き、横で聞いていたダンはニタニタととある魔研者を見つめた。

「良かったな、クラルス。お前の記事ちゃんと読まれたみたいで」

「うっ、うっさい!」

 クラルスは恥ずかしさのあまり顔を赤くさせ、声が裏返る。

 その会話をすぐ間近で耳にしたユリアは事情をすぐに察し、目を丸くさせた。

「読まれたって、まさかあの記事、クラルスお姉様の研究なんですか!?」

「ユ、ユーちゃん!? 声大きいって!?」

 感極まったように、ユリアの紫色の瞳はキラキラ輝かせ、両手でテーブルを叩く。

「凄いです! サイエンスペーパーに載る多くの方々は、新しい公式や法則を見つけたような教授レベルの人たち! それと肩を並べるなんて、クラルスお姉様、さすがですっ!」

「うおっ……なんだ、そのテンション……」

 あまりに昂ぶった彼女の姿に、クラルスはもちろん、ダンまでもが身を引いた。

 会って間もないというのに、こんな姿……と、ダンは改めて魔研者はどこか変わっていると実感しつつ、補足を付け足す。

「まあ、こいつはなんだかんだ言って頭は良いからな。一応公表されているはずだが、今回の研究発表が上手くいけば、学園を卒業後、教授職をもらえるらしい」

「なんとっ!」

「そ、そんなに驚くようなことじゃ、ないでしょ?」

 オーバーリアクション気味になっているユリアに、クラルスはおずおずと口を挟んだ。

 しかし、実際クラルスの十七という若さで教授職を約束されるケースは非常に希。魔法学界隈では最年少となる。

 そんな偉大な魔研者を前にし、ユリアは鼻息を荒くして、質問攻めをする姿勢に入った。

「その、クラルスお姉様! 魔力石を薬品にして、服用方法やその即効性はどのような感じですか! それに、配合するのはトリカブトのような毒草を使うのか、カモミールなどの薬草を使うんですか! 魔力石を使用する際は、表面の因子をお湯に溶かしての利用ですか! それにそれに――」

「ちょっ、ちょっとユーちゃん! 落ち着いて!」

 ユリアのリロード知らずのガトリングクエクション、そして慌てふためくクラルスの声だけが、喫茶店を満たした。



 薄暗い、アパートの路地。

 そこは整備が行き届いておらず、外壁のはがれ、カビ臭い雑草、猫に食い荒らされたネズミの死骸が転がっている。

 そして、足を運ぶものがいないからこそ、犯罪の温床でもあった。

「クソッ! あんのガキィッ!」

 怒気を含んだ声を張り上げ、男は金属バケツを蹴り飛ばす。ガランッガランッとそれは十段も無い浅い階段を弾み、壁にぶつかって騒がしく転がる。

 バケツは至る所にへこみと小さな穴を作り、無残な姿へと変わり果てた。

「荒れてるな、リカルド」

「うっせぇっ! クソッ、ぶっ殺してぇ!」

 手身近にあったバケツはすでに蹴飛ばしてしまったため、リカルドはレンガの壁に拳を叩きつける。肩は上下に揺れ、低く喉が唸る。

 あまりに怒りまかせの行動に、階段の手すりに腰を下ろしたジャックは、やれやれと首を横に振った。

(あのガキが紋章持ちだったとはいえ、鼻を折られたことが相当気にくわないみたいだな。それに、前からナルシスト質が若干あったのもあるな、ありゃ)

 冷静にそう判断した彼は、改めて折れた箇所を見つめる。 

 リカルドの鼻を覆う、血を吸ったガーゼ。

 元は白かったそれは茶色く清潔感を失わせ、傷口の生々しさをはっきりと表現していた。

 そして何より、傷が塞がったところで鼻の形が元に戻ることは無いだろう。

 慰めの言葉を口にしたところで、気休めにもならない、むしろ今のリカルドには油を注ぐようなもの。

 ジャックは彼に向けた視線を逸らし、空を見上げた。

(こいつは……一雨来そうだな)

 灰色の雲が漂い出す空。わずかに青空を覗かせるが、昼に入る頃には確実にぐずつくだろう。

(しかしまあ、お天道様に顔向けできない仕事をするおれたちには、ピッタリかもしれないな)

 ジャックは空を仰ぎながら、スーツの胸ポケットから紙巻き煙草のソフトケースを引っ張り出すと、底をへこませるようにして一本くわえた。

 リカルド・シーケンスをリーダーに立てた、傭兵パーティ『ガン・ナイト』。

 彼らの仕事は、強盗、誘拐、そして暗殺などといった犯罪行為の請負。

 裏ではそれなりに名前が通っている一方で、まだお尋ね者として扱われていない、したたかなパーティだ。

(こんなところで待ち合わせだなんて、ツイテないな)

 流れる動作でオイルライターを取ると、カッと浅く擦れた音を奏で煙草に火を点けた。

「ふぅー……」

「おや、待たせてしまったようだね。『ガン・ナイト』の皆さん」

 ゆらゆらと漂う煙の先。

 一定リズムの靴音を響かせ、今回の依頼主がやってきた。

 リカルドは不機嫌を隠すこと無く、その相手を睨み、ジャックは今し方吸い始めた煙草を口から離し、にへっと笑う。

「いいえ、こちらもちょうど到着したばかりです」

 どこか社交辞令に近いやり取りを挟むも、次に彼の口から出てきた言葉は場違いなものだった。

「それで、一つお伺いしたいのですが……今日の天気は、どうですかね?」

 投げつけられる、主語がない質問。対し、

「最高ですな。こんなにも空が晴れていて」

「……」

 その返しに、ジャックは一度煙草をふかすと、薄い煙をゆっくりと吐き出す。人好きするような、柔らかい笑みが浮かんだ。

「正解です。お手数をお掛けし、申し訳ないですな、グランドフットさん」

「構わない。危険な仕事をする上で、その用心さは長生きのコツですからな」

 年齢を感じさせない、黒のスーツ姿のコレット・グランドフットは、リカルドの目の前を通り、階段を下りる手前で立ち止まってジャックを見る。

 『ガン・ナイト』でのやり取りは、リーダーのリカルドでは無く、ジャックが担当していた。すぐに頭に血が上る悪癖では、交渉役には務まらないと判断した上での結果だ。

「理解していただきありがたい。それで……今回の依頼内容は?」

 御託を並べず、ジャックはトトンっと指で煙草を叩き、灰を落としてから簡潔に本題へと移る。

 コレットもそれに頷くと、事務的に言葉を重ねた。

「ある人物を連れてきてほしい。名前はクラルス・ブリュック、性別は女性で年は十七。場所は『クイーン・ラエトス号』の車内だ」

「クイーン・ラエトス号だと……!」

 その一言に、リカルドは目を見開き露骨に反応を示す。

「んっ、なにか問題でもあったのかね?」

 コレットは後ろに立つリカルドへ振り返ると、不思議げに首を傾げた。

「……いえ、何でもありません」

 リカルドが何か言う前に、ジャックが平静を装い口開く。

「ただ、我々もその列車を使い急ぎここまで来たので、不審に思われてしまうかと思いまして」

 そして疑惑を振り払うため、首を横に振りながら適当な言い訳をした。

「なるほど。確かに、ここまで来るには汽車か車か、はたまた馬を使うしかほかならないな」

 それを信用したのか、コレットは喉を揺らして笑うと、おもむろに顎髭を撫でる。そして、

「で……それは、今回の仕事に支障があるのか?」

 目を凝らすように細め、コレットはジャックを冷たく睨んだ。

『ハンデを背負ったお前たちに、利用価値があるのか?』そう試すかのように。

 向けられたその目に、ジャックは背筋に悪寒を走らせるが、ゆっくりとした口調で否定する。

「非正規の手段、忍び込むぐらいなら容易ですが……それでよろしければ」

 その答えに、コレットは満足したように目元を緩ませた。

「そうしてくれ。私が君たちみたいなプロに頼む以上、正規の手段は望んでいないからな」

「わかりました」

 ジャックは手すりから立ち上がり、さっき火を点けたばかりの煙草を足元に捨てる。くしくしと、火種を潰す。

「話の続きをしようか。彼女の誘拐は派手にやってほしい。明日の新聞に大きく報道されるように……もちろん、素性はばれないよう頼むよ」

 コレットは立ち上がったジャックを横目で見ながら、両手を大きく開いた。

 その内容に、「そいつは面白そうだ……」とリカルドはほくそ笑む。

「そして、この仕事には私も同行する。君たちのバックアップはもちろん、この刺激的瞬間を見届けたくてね」

 口元を指で隠し、クスクスと笑うコレット。そして、

「以上が依頼内容だが……私の依頼を、正式に引き受けてくれるかい?」

 コレットは立ち上がったジャックを横目で見ながら、重要な問いをぶつけると。

「報酬はこちらで提示した額、かつ事前支払いで?」

 ジャックは彼の目を見据え、傭兵として最も重要な、金銭の話を切り出した。

「ああ、用意してある」

 両手を腰の後ろで重ね、コレットは好意的に笑って視線に答え、ジャックは会釈する。

「ご配慮、感謝します。こちらこそ、良きクライアントと出会えて嬉しい限りです」

「では、先にこれを渡しておこう」

 そういって、コレットはスーツの内ポケットから薄黄色の上質紙を取り出し、ジャックに手渡す。紙幣のように横長のその紙には、銀行の名前が印刷され、コレット自身のフルネーム、数字の桁が手書きで記されていた。

「指定した額を確かに。しかし、もうバックアップとは一体?」

 小切手が偽物ではないか、裏表を交互に見ながらジャックは質問すると、コレットは柔和な笑みを浮かべて人差し指、中指、薬指と順に立てる。

「支度金に、作戦が上手く行くよう手引き……そして魔力石を用いた強化薬の提供だ」

「魔法強化薬……だと?」

 途端出てきたフレーズに、ジャックは手を止めると同時に素を漏らし、二人の話を横で聞いていたリカルドも思わず口を挟んだ。

「おいおい、グランドフットさんよぉ。冗談はよしてくれ。女を一人誘拐する話で、魔力石の薬を使うなんてありえないだろ」

 彼の無礼な物言いに、ジャックは眉を八の字に曲げるが、注意も謝罪もしない。なにせ、

「……グランドフットさん。そんな高価な薬を使うほど、その女に価値があるんですかね?」

 ジャックは理解できない、そういう風に肩をすくめる。

 魔力石を使用した武器や強化薬は、魔力石の希少性に加工の難しさゆえ、高級車や豪邸を買えるほどに高額だ。

 そのため、そう易々と使うものではなく、女一人の誘拐に薬を使うのは妙としか言えない。

 二人の不満に満ちた申し立てに、提案者であるコレットは階段を下りながらやれやれと首を振った。

「君たちは少し、誤解をしている。価値観とは人それぞれ違い、ましてや、罪を犯してでも手に入れたいものだ。最善を尽くすのは当たり前だ」

「……」

 階段の中間に着いたコレットは顔だけジャックに向け、赤い眼差しで睨む。

 彼が口にしたそのセリフと視線に、ジャックは不穏不吉な気配を覚えるが、これ以上の詮索はやめた。

「わかりました。こちらの浅はかな考えゆえ、不快なお気持ちにさせ申し訳ない」

 目を伏せるようにそっと顔を下げ、ジャックは謝る。

 そばでそれを見るリカルドは納得がいかないようで、唾を足下に吐き捨て、二人のやり取りから目を逸らした。

 コレットはその仕草を目にするも、特に表情に出すことなく、穏やかな笑みを浮かべる。

「なに、気にしなくていいさ。それよりも、君たちに使ってもらう薬について……いや、ちょうどいい。少し、薬の効力を試してもらった方がいいだろう」

 そう言って彼は、懐から試験管に入った緑色の液体を取り出した。そこには黄色のラベルが貼られており、ラエトス大陸の色分けから判断するに、強力なものだと窺えた。

「鼻を怪我した君」

「あン?」

 突然呼ばれたリカルドは不機嫌に目尻をつり上げ、コレットが持つ液を睨む。

「これを飲めば、その傷は途端に回復するぞ」

「嘘くせぇな」

「君を騙して、私に何かメリットでも? 毒を飲ませるなら、もう少し手段を選ぶがね。君の仲間に殺されぬよう」

 薬を手にしたコレットは、ジャックをチラッと見遣りほくそ笑んだ。

まかり通ったその主張に、リカルドは一度ジャックと目を見合わせてから、ズイッと手を伸ばす。

「……それをよこしやがれ」

「すっきりミント味だ。口当たりはいいぞ」

 飴でも渡すように、試験管を下投げで放る。

 リカルドは危なげなくそれを片手で掴むと、目の前まで持ち上げる。試験管の半分を満たす緑色の液は、色に反してさらさらとしており、濁りは無い。

ある程度観察し終えると、彼はコルクの蓋を捻って外し、何の躊躇いも無く、ぐいっとラッパ飲みで流し込んだ。

「……」

「……どうだ、リカルド?」

 液を飲み干し、コレットとジャックの視線を一身に受けるリカルド。

 彼は俯いたまま何も答えず、十秒ほど経つ。

 どれくらいの即効性があるのか、ジャックがそう口を開こうとしたそのときだった。

「あぐぅ……!」

 低く、痛みをこらえるようなうめき声。手から滑り落ちた試験管が、地面とぶつかり割れる。

「リカルド……ッ!」

リカルドは苦悶の表情を浮かべ、ガーゼに包まれた自身の鼻を両手で覆った。

「がぁっ! 熱い!」

「くっ!」

 ジャックは仲間の異変に怒りを覚え、腰に提げたホルスターから拳銃を引き抜くと同時に、その銃口をコレットに向ける。

「どういうことだっ!」

 武器を鼻先に向けられるも、コレットはひょうひょうと笑ってリカルドを眺めた。

「どうもこうも、瞬間的に自己再生……もとい、自己復元をしているんだ。皮膚の下で骨や血管が動けば、少しくらいの痛みもあるだろう」

「……」

 痛がるリカルドだが、うずくまることも叫ぶこともない。

 そして薬を飲んでから、一分ほど経過すると、

「嘘だろ……」

 リカルドはそう漏らすと、ベリリッとガーゼを止めていたテープを剥がし、形整った自分自身の鼻を撫でる。

 折れる前と同じ手触り。特に息苦しいといった後遺症も無く、あたかも、初めから怪我などしていなかったと言わんばかりに、傷が無くなっていた。

「これが魔力石を使った薬の力だ。信用はしてくれるかな?」

 コレットは不敵に笑いながら、銃を手にしたジャックを見ると、彼は降参と両手を挙げる。

「またもや、とんだご無礼を」

「次を信用してくれればいいさ。では……」

 コレットはそう軽い口調で許すと、同じ色、ラベルが張られた薬をジャックに手渡し、言葉を続ける。

「最後に、彼女を紹介しようか」

「彼女?」

 ジャックとリカルドは首を傾げるも、すぐさま目を見開き、驚愕へと変わった。

 黒いフード姿の人物が、空から降りてきたのだ。

 二人が驚くのを横目に、リカルドの目の前に着地した人物は、ゆっくりとフードを取る。

 そこには、名のある職人が精巧に作り上げたような、整った顔の輪郭。宝石のように綺麗で妖しい紫色の瞳。後ろで束ねたブロンズの髪は、高級な絹糸のよう。

 エレナ・スリンガー。

 彼女は澄ました顔で淡々と話す。

「コレット先生。クラルスたちが列車に戻り始めた」

「ご苦労。それと……薬は、身体に馴染んできたかな?」

「はい。良い手ごたえを感じています。いつでも万全」

「それはよかった」

 何事もなく進んでいく、コレットとエレナの会話。

 ……そんな中、ジャックは灰色の空を見上げ思う。

(屋根から下まで、十メートルはあるぞ……)

 陽の入りが悪い、そんな高さから降りたにも関わらず、何食わぬ顔で話続けるエレナ。

(話では聞いたことはあったが、まさかここまでとはな)

 ジャックは驚愕を飲み込み、銃をホルスターにしまいながらコレットに訊く。

「んで、ターゲットの写真はあるのか?」

「おお、そうだったね。これが、彼女と、その護衛の写真だ」

 コレットは思い出したように手を打つと、懐から一枚の写真……女と男が映し出された、ツーショットを手渡した。

 リカルドもそれを見に、ジャックに近づくと、

「こいつらは……っ! 面白くなってきたぜ!」

 写真を確認したリカルドとジャックは口元を吊り上げ笑う。

 そしてコレットもそれを見て楽しむように笑みを浮かべる一方で、エレナだけは無関心に空を見上げていた。

「……」



 昼時に近づき、込み合ってきたテラス付き喫茶店。

「そ、そろそろ列車に戻らねぇとな。ちょうど良い頃合い、だ……」

 と、ダンは椅子から立ち上がりながらおもむろに呟く。その表情はどこか疲れており、子供が見たら泣き出しそうなくらいに、目つきが悪い。

「そ、そうね……」

 彼の向かいに座っていたクラルスはその表情を見て察し、苦笑を浮かべながら同意して立ち上がる。

 そんな二人に反して、ユリアだけはつやつやと肌を輝かせていた。

「はぁ~! ありがとうございました、クラルスお姉さまっ!」

 満面の笑顔でハンチング帽をかぶり、軽やかな仕草で席を立つ。旅の疲れなど感じさせないくらい元気一杯だ。

 なにせ、

「でも本当にためにたりました! 魔力石の治癒は、身体の細胞を活発させたり、免疫力を高めたり、様々な効力を発揮するんですね!」

 約三時間。

 早朝から三時間ものあいだ、喫茶店に長居をしてみっちりと魔法学の話を、もとい勉強をしていたため、ユリアのテンションはピークに達していた。

 クラルスは専門家であるため、この手の話題に関しては聞くのも話すのも得意なのだが、ある一名……ダンだけは違う。

「もう勘弁してくれ……」

 誰にも聞こえないようなボリュームでダンはそんなことをぼやくと、肩が落ちるくらいのため息を吐いた。

 恩師であるコレットと腐れ縁であるクラルスが名のある魔研者だとしても、ダンは魔法学の原理や仕組みなど、事細かいものにはめっぽう弱く、聞いているだけで眠気に襲われる。

 そしていつもはこのまま居眠りに興じるのだが、補給のために立ち寄った町で襲撃されることがあるため、その強い眠気と必死に戦っていたのだ。

 なので、今のダンは非常に気持ちがだれている上、瞼が引っ付きそうなくらいに重い。

「ダン……? フラフラだけど、大丈夫?」

 ユリアが席を離れたところを見計らい、クラルスは小さな声でダンに話しかける。

「なに……平気だ、こんくぁ~らいっ……」

 彼は大きなあくびを一つして、ググッと大きな伸びをした。

 その隠そうともしないオーバーな動作に、クラルスの眉間にしわが寄り、苛立ちが覗く。

「ならいいけど……でも」

 心配を口にしつつも、彼女は手を腰に当て、いつものクセで口を尖らせた。

「もう少し人の話を聞くクセを付けたら? 昔から長い話を聞いてると、いつも眠くなってるでしょ」

 情けないパートナーの姿に少し語感を強め、改善を促す。

 しかし、睡魔のあまり不機嫌な上、まともに判断することができない今のダンは、露骨に眉をひそめ、片耳を塞ぎながら嘆いた。

「あー……こういうときにウザったい小言を言うのは勘弁してくれ……頭が痛くなる」

「ウ、ウザいですって……!?」

 歯にも着せぬ物言いに、クラルスは思わず目を見開いて驚き、反論を口にする。

「ウザいって、ダンがいつも話を聞くと眠くなってるから、それを直すように注意しただけでしょ!」

 彼女はよかれと思って口にしたことを悪く取られ、自然とダンを責めるような口調へと変わった。

 その言い方に、ダンは冗談で受け流す気力もなく、ただはっきりと吐き捨てる。

「……余計なお節介だ」

 彼女の顔も見ずにそう言い切ると、彼はレジへと歩き出した。

「余計って……!」

 その一言に、クラルスはむかっと腹を立て、拳をギュッと握り締める。

 二人が何か言い合っていることにユリアは遅れて気が付くも、状況が飲み込めず、おろおろダンの背中とクラルスの顔へ視線を行き来させた。

「ダンお兄様、クラルスお姉様? ふ、二人とも、どうかしましたか……?」

 不安げな表情でそう尋ねるも、離れていくダンには聞こえず、クラルスはジッと彼の背中を睨んだままで届かない。

 ……二人のその不穏な空気は、店を出た後も、ずっと漂い続けた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!



●登場キャラクター名


=ダン


=クラルス・ブリュック


=エレナ・スリンガー


=コレット・グランドフット


=ユリア・ウェルベル


=ブラッド・スピリッツ


=リカルド・シーケンス


=ジャック


=マリン・グランドフット


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