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銃器と魔研者  作者: シゲル
3/9

第三章

1章から9章までの、長編分割投稿です!

文字数は、ライトノベルの文庫本、約一冊分。


今作の更新日については、毎日一章ずつとなっております。

『2月14日(火)~2月22日(水)』


章ごとに、文字数のバラツキがあります。

また、全体で未熟な部分がございますが、その点を合わせ、ご了承を願います。




 ふと気付けば、空は暗くなっていた。

「……こんなに話しをするのは、ひさしぶりでした」

 ユリアは背もたれに寄りかかり、肩の力を抜く。

「ほんとびっくりした。まさかユーちゃんが、わたしの二つ下で、同じ学園に入るなんて」

 クラルスはテーブルに肘を置き、前のめりになりながら朗らかに笑う。

「しっかし、ユーちゃんが魔法学か……なんていうか、以外だな」

 彼女の隣、通路側に座るダンはジーッとユリアを見つめる。

「ううっ……よく言われます」

 その指摘にユリアは苦笑を浮かべ、頬を掻く。

「なので、少しでもそれらしく見てもらえるよう、格好に気を遣ってますが」

「格好って、もしかしてその男っぽい服か?」

「はい。カッコイイ感じにすれば、こどもっぽく見られない……と思いまして」

 ダンは彼女が意識している、服装を再度観察する。

 豪奢な色合いを避け、少年向けの正装。

 帽子から靴の色まで、全体的に茶色で統一されたユリアの格好。それだけで華があるかと聞かれれば、「無い」と即答してしまえるほどだ。

 しかし、彼女の端正な顔付き、母性を感じさせる胸の膨らみがその中で華を咲かせており、ボーイッシュな雰囲気を出している。

「どう……です? あたし的には、頑張ってみたのですが?」

「どうって……」

 正直な感想を言えば、パッと見た限り『利口そうな少女』だ。

 きっと街道を歩く人たちに聞いても、十中八九同じ回答がもらえるだろう。

 だが、問題なのは見た目だけじゃない。

 はきはきとしたしゃべり方なのに、どこか甘ったるい声色と抜けた考え方。

 姿かたちで騙せたとしても、蓋を開けてみればびっくり。無邪気なロリータだ。

 ダンははっきりとそのことを明かしたいが、さすがに同じ轍を踏むつもりはない。

「どちらかと聞かれれば、似合ってる」

「ほんとですか? 変なところとかは、ありません?」

「これと言っては無いな」

「ほっ……よかったです」

 ユリアは胸を撫で下ろし、緊張を吐き出す。それだけ本人は気にしていたのだろう。

 そのやりとりを眺めていたクラルスも、ややこしい事態を避けたことで、どこか安心した様子だ。

「……お客様? お飲物はいかがですか?」

 そのとき、洗い物を片付けていた傭兵給仕が、オレンジジュースが入ったピッチを持ってやってくる。

 彼の表情は、試験の模範解答になりそうなくらい、見事な営業スマイルだ。

「俺はいらないな。クラルスとユーちゃんはどうだ?」

「わたしもいいかな、結構お腹がいっぱいになってきたし」

「あたしも大丈夫です。夜ごはんが食べられなくなるのは、困ります」

「かしこまりました、何かございましたらお申し付けください。では、ごゆるりと列車の旅を」

「ああ、ありがとう」

 給仕はぺこっと一礼してから下がり、カウンターに戻っていく。

 ユリアとの話に夢中になっていたせいか。食堂車はそこそこの込み合いを見せてきた。

「ふふっ……旅って感じだなぁ、こーいうの」

 レールの上を走る走行音。リズミカルなジャズ音楽。心地よく響くグラスの音。

 それらをまとめて見聞きし、クラルスから自然とそんな言葉がこぼれた。

「今回の旅……つーか、実際は研究会だが、どうだった?」

 足を前に投げ出し、リラックスした様子で尋ねるダン。

 彼女は口角を柔らかく持ち上げ、目を細める。

「楽しかったわ。学会に向けての研究は大変だったけど、新しいことを知ることができて面白かったし、五年ぶりに先生とエレナに会うこともできて、なんというか、童心に返れたって感じで」

「ふっ、まったくだ。俺も久しぶりに二人の顔を見れてよかったよ」

 幸せいっぱいに話すクラルスに釣られ、ダンも笑うが、

「まあ俺としては、傭兵の仕事らしいことをしていないのが、唯一の不満だけどな」

ケラケラと喉を揺らして、冗談を口にした。

「何事も無い方がいいでしょ! もうっ……」

 クラルスはおでこを抑え、首を振る。

 ここまでの道中、クラルスが襲われることはなかった。

 用心棒がダン一人だけなのも、人目を忍ぶのが目的だったので問題は無いのだが、彼女は仮にも有名な魔法研究者――魔研者だ。

 どこからか旅の情報を得た何者かが、誘拐して身代金の要求、知識の独占などを行っても不思議ではない。

(気ぃ抜きすぎだな……今の俺は)

 そっと、ポケットに入れていた金属に触れ、緩んだ心を締め直したそのとき。

「あーっ、クソッタレ! バーストだっ!」

「カッカッ、またか。運わりぃーな」

 気性が荒いだみ声。

 それは、ダンとクラルスが食堂車に入ったとき、四人掛けのテーブルでトランプをしていたガラの悪い男たち……歳は、二十後半といったところだろう。

 彼らの顔は赤みを帯びており、ほどほどに酒がまわった様子だ。

「うわぁ、酔っぱらってる……」

「な、なんだか、こ、恐いです……」

 クラルスとユリアはその様子を眺め、身体を小さくさせる。

 いつもはつらつとしたクラルスは、不安げにダンの袖を掴んだ。

「最悪だ、せっかくの儲けがぁ……」

「リカルドさんはギャンブル向いてねぇっすから、これを機にやめたらどうっすか?」

「うっせぇ! クソッ……もう一勝負だ!」

 四人のリーダーであろう金髪オールバックの男が、テーブルを叩きグラスの氷が揺れる。

 大きな話し声は食堂車の雰囲気を壊し、ささやき声だけの、微妙な静けさを生んだ。

「分かった分かった……んじゃ、今度こそラストゲームだ、リカルド」

「おっしゃっ! やってやんぞ!」

 リカルドと呼ばれた彼は意気込むように身体を前のめりにし、グラスの酒をヤケクソ気味にあおる。その仕草は猿が食い散らかすかのように野蛮だ。

 ……ちょうど、あおっていたグラスが空っぽになったのか。彼は氷だけとなったグラスをカラコロと横に揺らして、底を見つめると、

「おいっ、ボーイ! 酒もってこい!」

ムシャクシャを晴らすように、給仕に対して怒鳴りつけた。

 呼ばれた給仕はリカルドの前までやってくると、申し訳なさそうに、だが毅然とした態度で注意を呼びかける。

「……お客様。ほかの方々にご迷惑になりますので、お静かに願います」

 しかし、

「んだと……てめぇ」

 リカルドはテーブルを強く叩き立ち上がる。

 中肉中背。

 体格差は給仕とさほど変わらず、威圧的とは言い難い。

 だがそれでも、声量や目つきの鋭さなど、人相の悪さが見事恐怖を演出している。

「たかがボーイのくせに、おれに指図すんのか?」

「いえ、そういうわけではなく――」

「口答えしてねぇで、さっさと酒を持ってきやがれっ!」

 言いかけた言葉を遮るよう、理不尽に怒鳴りつける。声だけは大きいので、迫力は一段と濃い。

 その証拠に、ほかの乗客はビクッと怯え、目を合わせないよう、また巻き添えを食らわぬよう、この場から離れる準備をしている。

(この列車は安全……面白い冗談だな、まったく)

 ダンは息を静かに吐き、両手首を握ったり開いたり、そして軽く上下させた。

 そんな彼の袖をクイクイと引っ張り、クラルスは小声でダンに呼びかける。

「ダ、ダン……? わたしたちも、ここから出た方がいいんじゃない? ユーちゃんも恐がっているし……」

 そう言って彼女が向かいの席に視線を遣ると、窓際で小さく震えているユリア。

 あまり、こういう場に慣れていないのだろう。

 うるんだ目を怒鳴る男の方にちらちらと向け、不安を和らげるように自分の手を揉んでいた。

(早く離れるのがユーちゃんのためだが……)

 その姿にダンは若干ながら同情するも、

「いや、今はダメだ。悪目立ちする」

 下手に何か動きでもしたらとばっちりを喰らう、そう冷静に判断し、腕組みしながら答えた。

 クラルスは悔しげに歯を噛みしめ、トラブルを引き起こした四人を睨み付けた。しかし、それが仇となる。

「……あン?」

 運悪く、クラルスと立ち上がっていた彼の目が、合ってしまったのだ。

「おいおい、嬢ちゃん。そんな目ぇして、俺に文句あんのかぁ?」

 給仕の肩を押しのけ、へらへらと笑いながら彼は近づいてくる。

「……っ」

「ク、クラルス、おねぇさま……?」

 ダンの袖を掴む手が、微かに震える。正面に座るユリアは不安げに身をちぢこませ呟く。

(恐い……でもっ、この人たちはユーちゃんを……それに、こんな威勢だけの人に負けたくないっ!)

 クラルスは圧倒されるもんか、と気持ちを強く持ち、だみ声の男を睨み続けた。

「へへっ、よく見たらかわいいじゃねぇか。身体の方は……シケてるが、ブタみてぇに醜い娼婦よりはマシだな」

 投げかけられる、品性の欠片も無いセリフ。

 クラルスはダンににじり寄り、唇を震わせながらも声を出す。

「あ……あなたたち、迷惑だから騒ぐのはやめな、さい……」

 目の前に立った彼に、声を絞り出して想いを言葉にするが、後半部分は弱々しくボリュームが落ちてしまう。

「おいおい、お前ら、今の聞こえたか? 『あ、あなたたち、迷惑だから騒ぐのやめなさい』だってよ!」

 リカルドは彼女の声真似をするように復唱し、酔っ払っている男の仲間はギャハハッと、大口を開けて笑った。

 明らかに人を馬鹿にしたやり取りに、食堂車にいる乗客は俯いて悔しげに拳を握る。

 恐怖に震えていたクラルスは、ギリッと歯ぎしりして、

「人を、馬鹿にして……っ! あなたたちみたいな悪党、ここからいなくなってよ!」

「んだと?」

 ゲラゲラと腹を抱えていた彼は、途端に目つきを鋭くさせる。酔っ払っていた顔の赤みが、徐々に引いていく。

「嬢ちゃんよぉ……人を悪党呼ばわりとは聞き捨てならねぇな」

 ガタ、ガタッと、リカルドの仲間が同じような表情を浮かべ立ち上がると、赤いダガーと拳銃が刻まれた円形のエンブレムを、シャツの下から取り出し掲げた。

「まったく、人が気持ちよーく酔ってんのに、デタラメ言いやがって。こう見えて、貴族様から依頼を受けたことがある傭兵様だぜ。そんなおれたちを悪党呼ばわりとは、いい度胸してんなぁ」

 その一言、ダガーと拳銃が入ったエンブレムを見て、車内がざわつく。

 傭兵給仕も浮かべていた営業スマイルを崩し、何があっても飛び出せるように、全身をこわばらせた。

 彼らが取り出したそれは、貴族の仕事を受けた傭兵に対して送られる、手のひらサイズの金属エンブレム、『紋章』。

 それはハイリスクな仕事をこなした責任能力、相当な技能を持っている証拠として機能し、紋章を掲げるだけで仕事の入りや報酬が数倍に膨れあがるのはもちろん、他人に自らの実力を示す手段として活用されている。

 そしてその紋章を持つ傭兵を、『ブレイブ』と。もしくは『紋章持ち』と呼ばれている。

 クラルスは紋章を目にし、瞳孔を開き驚いた。

 自分の意地で首を突っ込んだチンピラが、かなりの強者だったとは、予想にもしていなかっただろう。

「いまさら後悔か? へっ、安心しな、さすがに女は殴らねぇ。ただ……」

 リカルドは動揺の色で染まる周りを軽く一瞥してから口を緩ませ、クラルスのつま先から顔まで、舐めるように視線を這わせた。

「貧相な身体だが、顔は良いんだ。せいぜい楽しませてもらおうか」

 そう言って、彼は手をクラルスへと伸ばした。が、それを遮るように、

「――おいおい。誰から許可をもらって、こいつに触ろうとしてんだ?」

「あン?」

 ダンはリカルドの腕を掴み、にへっと笑った。

 彼に対し、リカルドは露骨に舌打ちをこぼして悪態をつく。

「離しやがれガキ。てめぇに用はねぇ」

 そして掴まれる腕を上下に動かし振りほどこうとするが、ダンは離さずに口を開いた。

「話を聞いてんのか、お前? 誰から許可もらって、俺の主に手を出そうとしてやがる?」

「んだとっ、おれらをなんだと思って――」

 その暴言に、リカルドは怒鳴り声を上げようとするが、途端息を飲む。

「紋章持ち――ただの同類だろう、傭兵様よぉ」

 ダンはポケットにしまっていた金属……もとい、赤いダガーと拳銃が刻まれたエンブレムを取り出した。

「ッッッ!?」

 同席するユリアは口を手で覆い隠し、車内は二度目のどよめきを見せる。

 それを横目に、ダンはパッと腕を離して、おもむろに立ち上がった。

 解放されたリカルドは小さく唸り、数歩後退る。

「驚くことないだろ? 紋章持ちは数千人以上いるんだ。それに所詮、こんなのただのお飾りだ。強いか弱いかなんて、殴り合わねぇとわからねぇもんさ」

 彼が手に持つエンブレムはチェーンで繋がれており、乱雑にしまわれていたせいで、くるくると宙で回る。

「……それとも何か? 本物にビビってんのか、詐欺師(フェイカー)?」

 あごの先を上げ、ダンは見下すように笑った。

「てめぇ……っ!」

 バカにした物言いに、リカルドはきつくダンを睨みつける。

 仲間も、彼の後ろにぞろぞろと並んだ。

「ガキのくせに調子に乗りやがって、女の前で情けない姿を晒してぇのか?」

「できるもんなら構わないぜ」

 あごの位置を戻し、ダンは口角を上げて歯を見せる。

 リカルドのこめかみに青筋が浮かび、怒りの度合いが見て取れた。

「忠告が聞けねぇのか?」

「忠告だ? 命令じゃないんだ、聞くか聞かないかは俺の勝手だろ?」

「んなら命令だ。痛い目に遭いたくなければ、黙ってここから消え失せろ」

「鵜呑みするバカの、言うことを聞くとでも?」

「――ッッッ!!!」

 その返しが、逆鱗に触れた。

 リカルドは有無言わずに、ダンの顔面目掛けて拳を振るう。

 ――が、

「ぷっ、軽いな雑魚」

「なっ!?」

 ダンは顔に迫る拳を、チェーンを持つ手で軽く受け止め失笑した。

 掴んできた手を振り払おうとリカルドは力を込めるが、万力に挟まれている、そう錯覚しそうなほど、彼の腕はビクとも動かない。

「サル山の大将気分は、ほどほどにしとけよ」

「くぅっ……! クソがぁっ!」

 圧倒的な腕力を体感したリカルドは雄叫ぶと、ダンの首筋を掴もうと左手を伸ばす。

「うっぜ」

 怒号とは異なる、冷淡な呟き。

 ダンは首に迫ってきた手……もといスーツの袖を掴むと、力強くそれを引っ張った。

「うおっ!?」

 向けた力が大きく偏ったことで、リカルドは前のめりにバランスを崩す。

 そしてその勢いを利用し、ダンは彼の鼻柱に頭突きを決めた。

「こはぁっ!」

 天井を仰ぐ、リカルド。彼の鼻は潰れ、鮮血が吹き出し、口からは唾液と()(そく)が漏れる。

 そこに追撃を放とうとダンは拳を固めるが、リカルドは受け身を取ることなく後ろに倒れた。

「おいおい、今ので終わりなのか? 情けねぇな」

 床にぐったりと倒れた彼を一瞥し、ダンはほぐすように肩を回す。

「ウソ……っ」

 クラルスは驚愕のあまり瞳孔を開き、口を両手で覆う。

 ユリアも目をパチパチと瞬かせ、ダンを見つめた。

「リ、リカルドさん……っ!?」

 顔から血の気を引かせながら、男の仲間が声を震わせる。

「なんだ? 今の雑魚が、お前らの中で一番強いのか?」

 ダンは退屈そうに手首手足を揺すりながら、舌打ちをこぼす。

「笑えねぇな、笑えねぇよ悪党ども。胸クソ悪いもん見せられた上に、ここまで弱いとか……もう最悪だな」

 肩を落とし、喉を低く鳴らした。そして、

「雑魚が、くだらねぇことほざくんじゃねぇよ」

 ただ冷たく、ダンは言い放った。

 それを聞いた男たちの身の毛が、ゾワァッとよだつ。

「お、おいっ、お前たち! ぶっ倒れてるリカルドを連れてこい!」

 リカルドと気さくに話していた仲間の一人は、人差し指を小刻みに震わせながらも、床で伸びている彼を指し命令を出す。その唇は恐怖でがさついていた。

「だ、だけどよぉ、ジャックアニキっ! このガキ、リカルドさんをっ!」

 下っ端は声を荒げ口答えをするが、ジャックと呼ばれた青年は後ろを見遣る。浅い汗粒が、髪の毛の生え際で浮かぶ。

「ぶっ殺してぇくれぇに腹立つのは同じだ。だが、こんな場所でやり合うのは分がわりぃ。後ろにいる野郎ともやり合わないといけねぇ」

「後ろ……?」

 下っ端の二人が何事なのかと振り返ると、

「これ以上ほかのお客様にご迷惑をかけるようなら、あなた方を警察に突き出さねばなりません。ここは穏便に済ませていただけないでしょうか?」

 給仕がエプロンの裏に隠していたリボルバーを取り出しハンマーを下ろすと、目元を細くさせそう言い放った。

 下っ端は慌てて腰の拳銃に手を遣るが、ジャックが「何もするなっ!」と一喝。

 二人は手を止めた。

「言った通りにしろ……仕事前に、騒ぎを大きくしたくない」

「へ、へいっ!」

 二人の下っ端はダンの近くへと駆け寄ると、倒れたリカルドを担ぎ上げ、そさくさと離れる。

 指示を出したジャックは、戻ってきた仲間に小声でなにかを伝えると、ダンの方に振り向き口の動きで何かを伝えると、四人はそのまま食堂車から出て行った。

「『覚えておけ』……か。上等だ」

 口の動きを読み解いたダンは好戦的に口角を上げ、嘲笑う。

 騒がしい四人組がいなくなったことで、場に走行音だけが聞こえる。

 数秒が経ち、給仕は銃を収めると、「皆さん、ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません。具合が悪くなった方や、お怪我をした方は……」と現場の収拾に取りかかった。

 幸い、ほとんどの客は隣同士で会話をするだけで、これといって問題は無いようだ。

「ふぅ……」

 クラルスが吐き出した安堵の息で、ダンの周りの緊張感が払われる。

「はうぅ……恐かったです」

 ユリアはぺたぁとテーブルに額と豊満な胸をつけ、肩の力を抜いた。

 一人立ち上がっていたダンは、にへっと頬の筋肉を上げながら、そんな彼女を見下ろす。

「よく頑張ったな、ユーちゃん」

「はい、泣かないよう、がんばりました」

 ユリアは身体を起き上がらせ、「えへへっ」とどこか無理したように笑った。

 その瞳は妙にキラキラ反射しており、泣いてはないが、涙で潤んでいたということは容易に想像できる。

「あまり、さっきみたいなこと慣れてないだろ?」

 ダンはその目元から、彼女の心の強さを感じながら席に座る。

「わ、わかりますか?」

「バレバレだ。それに、こいつが無理に強がっているところも、なっ」

 からかうようにそう言うと、ダンは隣に座るクラルスの肩に手を回した。

「ちょっ!? 気安く触んないでよっ!」

 急に話を振られた彼女は顔を真っ赤にさせ、ダンから離れようともがくも、

「おいおい、まだ震えてんのか? こんなんじゃ、研究発表でヘマすんぞ」

「なっ! 震えてなんか無いわよっ! デタラメ言わないで!」

 図星を衝かれたのか、クラルスは声を荒げる。

「本当に見上げた強がりだな。だからさっきみたいなことになるんだぞ」

「つ、強がりなんかじゃないから! わたしはユーちゃんを守ろうと思って――」

「そんで、自分では何もできず、俺の手を借りた……。それが強がりだろ、ったく」

 ダンはため息を吐きつつ彼女を解放すると、頭の後ろで手を組んだ。

「俺はお前のそういうところは好きだが、あんま意地を張り過ぎるなよ」

「な、なによ急に……」

 ダンが真面目なことを口にし、クラルスの瞬きが増える。

「急にじゃねぇよ、マジで昔と変わらねぇなお前は」

 そう言ってクラルスに目だけ遣ると、ダンは頬を若干赤くしながら、真剣み帯びた声で続けた。

「チ、チリビーンズ……だよ」

 わずかに、彼の声が裏返る。

「チリビーンズ?」

 クラルスは言葉の意味がわからず、きょとんと小首を傾げて同じ言葉を返した。

「ガキの頃……俺がチリビーンズをこぼした、あのときだ」

 羞恥心を誤魔化すように、ダンはコホンと一度咳をすると、言葉を付け足す。

「お前も腹減ってたのに、自分の分を、『お腹いっぱいだからあげるっ!』とか言って、俺にくれただろ」

「……っ!」

 そのワードに、クラルスは目を見開いた。

 グランドフット邸で、彼女が話そうとしたダンの恥ずかしい過去。

 能弁に語ろうとしたクラルス同様に、彼も当時のことはしっかりと覚えていたのだ。

「俺にグウグウ腹を鳴らしてると言ったが、あのときお前も鳴らしてよ。『自分は大丈夫だから』、そう言ってな」

「そ、それは……」

 昔のことを指摘された彼女は言い淀み、俯く。

 当時の彼女は、嘘を吐いていた。そうでもしないと、強情なところがあるダンを納得させられなかったから。

「誰かを助けるために自己犠牲……みたいなものは、嫌いじゃない。が、こっちの身にもなれよ。一人でなんでも解決できる、そう思ってるわけじゃないだろ」

「うぅ……」

 幼少の頃をネタに、今回の件をちくちくと怒られる。

 そう覚悟したクラルスは、眉をしょんぼりと眉間に寄せ、拳を膝の上で固める……が、

「違うなら、もう一人で意地を張るな」

「……えっ?」

「聞こえなかったか? 一人で意地張るな。今のお前には、俺がいるんだからよ」

 クラルスは顔を上げると、ダンは手を頭から離し、いつものにへっとした顔を見せる。

「お前が一人で強がって、傷付くのは笑えねぇし、つまらねぇ。だから俺が付き合ってやる。雇われている雇われてない関係なく、昔からのよしみでな」

「ほへぇ……」

 あっけらかんとしているダンに、彼女はぱちくりと瞬きをした。

「ぼーっとして、なにしてんだ?」

「迷惑……じゃないの?」

「迷惑だぁ? お前、なに勘違いしてんだよ?」

 彼女が口にした一言に、ダンは不機嫌に目を小さくさせる。

「だって、わたしがさっきの人に刃向かうようなことしたから、ダンが……」

 いつものハツラツとしたトーンを下げ、しゅんと肩を落とすクラルス。

 それを見て、ダンは――、

 コツッ。

「いっ、たぁッ!」

 クラルスにデコピンした。

「うぅっ……」と、喰らった彼女は赤くなったおでこを両手で押さえ、その光景を向かいで目にしたユリアは、「クラルスお姉様!?」と心配そうに手を伸ばす。

 そして、デコピンをした張本人はというと。

「ったくよ、魔研者になって少しは頭が良くなったかと思えば、そっちも変わってねぇんだな、お前は……」

「えっ? えっ? どういうこと?」

 おでこを撫でながら、涙目の彼女は首を傾げる。

「言っただろ、俺はお前のそういうとこが好きなんだ。それに、俺自身も強い奴と戦いたい。利害の一致ってやつだよ」

「でも……」

「でももクソもねぇよ。んなら、お前は頭を下げるか? 横暴なことをしていた、さっきの連中に」

「そ、それは……」

「なら、細けぇこと気にすんな。例え弱くても、自分の信念を曲げるのはかっこわるいぜ」

 そっと、ダンは柔らかく微笑み、クラルスの頭を撫でる。ガシガシと。

「ちょっ! だから頭触んないでっ!」

 クラルスはぎゃあぎゃあと騒ぎ、乗せられた手を振り払おうとするが、ダンはケラケラとクリーム色の髪をクシャクシャにした。

 ……彼女がもう、反論できないように。

「ダンのっ、バカぁぁッッッ!」



「快適なご旅行中に、お客様をあのようなトラブルに巻き込み、誠に申し訳ございませんでした。先ほどのようなことが起きぬよう、車内警備をより一層厳重にさせます」

 カウンターで接客を行っていた給仕のほかに、この列車の警備長である中年の男。そして白髭を顎に蓄えた高齢の車掌が、クラルスに対して深々と頭を下げた。

「あ、あはは……。何事も無かったので、そんなに謝らないでください」

 今回起こってしまった騒動は、彼女自体にも若干の否がある。

 なのであまり大ごとにして、彼女の帰りを待つ両親や笑顔で見送ってくれたコレット先生たちに、心配は掛けたくない。

 そのため、当のクラルスは、謝られるたびに苦笑をぎこちなく浮かべた。

 そんなやり取りをダンはカウンター席で眺め、へらへらと笑う。

 手に持つグラスには、ジンジャーエールが半分ほど入っていた。

「ダンお兄様は、クラルスお姉さまと一緒じゃなくていいのですか?」

 彼の隣に座るユリアは、水が入ったグラスを両手で持ちながら、脚をぶらぶらさせる。

「いいんだよ。さっきの騒動で被害をこうむったのはあいつだからな」

 ダンはあごでクラルスを指すと、グラスを傾け、くるくるとジンジャーエールを回した。

「さっきのトラブルは、事態が大きくなる前に沈静化できなかった列車側の責任だ。俺が手を出したのも、雇用主であるクラルスに身の危険が迫っていたからであって、責められるようなことじゃない。少しばかし、やり過ぎたかもしれないが……まあ、紋章持ち同士だったから、そこは目を瞑ってくれるだろ」

 カウンターに片肘を乗せ、ジンジャーエールを呷る。喉仏が小さく脈打つ。

 今の説明でユリアは、「そうなんですか?」と小首を傾げた。

「ああ。それにまあ、俺があそこにいても意味無いからな」

 ダンはグラスをカウンターに置き、話し合いをするクラルスを見つめる。

 どうやら、先ほどの男が彼女に報復しないよう、次の停車駅まで護衛を付けた方がいい、みたいな話をしているようだ。

 相手が傭兵だということを考えれば当然の処遇だが、事を大きくさせたくないクラルスとしては、嬉しくない申し出だろう。

 ちらほらとダンに視線を遣り、「ダンからも何か言ってよ!」とアイコンタクトをするが、彼はわざと気が付かないフリをして天井を見上げた。

 ちらりと目を遣ると、クラルスは「裏切り者っ!」と言わんばかりに目を見開いていた。

(ほんとわかりやすいな、あいつ。面白いし、後で小言を聞くぐらい我慢すっか)

 ダンは思わずこぼれだしそうな声をこらえ、口元をにやにやと緩ませていると。

「ダンお兄様は、どうして傭兵さんのお仕事をしているのですか?」

「傭兵やってる理由だと? ……どうしてそんなことを?」

 天井に額を向けながら、ダンは隣のユリアを横目で見る。

「こ、好奇心です……」

 ユリアはダンの方に向き直って、少し上擦った声で答えた。

(好奇心……か。そういえば、ユーちゃんはクラルスと同じ、魔研者を目指しているんだっけ?)

 昼食をとりながら話していたことを思い返して、ダンは顔を真っ直ぐ彼女に向ける。

「昔っから勉強が嫌いだったからな。腕っ節で飯を食うためには、傭兵稼業が最適だったんだ。……こんな感じの答えでいいか?」

「えっと……それだけ、ですか?」

「? なにがだ?」

 グラスを両手で持つユリアは、もじもじと人差し指をしきりに動かす。

「あの……それだけで、さっきみたいに危ないことをしたいですか?」

「……」

 ユリアは真っ直ぐとダンを見つめる。

 その手にあるグラスの水は小刻みに揺れ、彼女の憂いに沈んだ顔は、先ほど恐がっていた表情と重なった。

(……ああ、なるほど。ユーちゃんはさっきのことで、気になったんだな)

 幼く純粋な彼女から、危険な傭兵業をやっていることが理解できない、そんなニュアンスがひしひしと伝わってくる。

 それを感じ取ったダンは黙るも、数秒後、ガタンっと列車が大きく揺れたとき、いつものように軽薄そうな笑みを浮かべた。

「んまあ、そういう危険な仕事をやっているからこそ、俺が俺らしくいられる、生きてるって実感があるな」

 彼の説明に、ユリアはギュッとグラスを強めに握り締める。

「ダンお兄様らしくいられる? お兄様は、そのお仕事をしなくちゃいけないんですか?」

 子供のように質問責めをするユリア。

 争いごとが嫌いな彼女にとって、どうしても受け入れられないのだろう。

 ダンはポスッと、彼女がかぶるハンチング帽に手を乗せた。

「ダメじゃないが、そしたら絶対に、俺は俺を好きじゃなくなるだろうな」

 ユリアはダンのことを見上げ、きょとんと目を二回瞬かせる。

 それを間近にして、彼は手を離すと同時に吹き出した。

「ぷっ、くふふ……っ! ユ、ユーちゃんも、クラルス並にわかりやすいなっ」

 その一言にユリアはむすっと頬を膨らませ、穏やかな目元を微かにつり上がらせる。照れか怒りか、赤みが覗く。

「わ、笑うほどですかっ!?」

「いやっ、どうにもあいつと似すぎていてな。すまんすまん、だからそんなに怒るなって」

「ダンお兄様は、いじわるです」

 ユリアはプイッとそっぽを向いた。

 その仕草にダンは親近感を覚え、頬の筋肉を自然と緩ませる。

「ユーちゃんに嫌われちゃったか……」

 そう言ってダンは立ち上がると、ジンジャーエールを一気に飲み干した。

「ふはぁっ、まあしょうがない、お喋りはここまで。ちょうどあいつも、うまくまとめたみたいだしな」

 ダンはこちらに戻ってこようと、踵を返したクラルスを見る。

 話がどのようにまとまったのかはわからないが、車掌の不服そうな顔、クラルスの一息吐いたような顔で、大体事情は察することができた。

「……さ、さっきの続きは、無いです?」

 すると、どこか焦ったように、ユリアは彼に半身を向けながらそう尋ねる。

 魔研者を志す者の性か。すねても好奇心には敵わないようだ。

 しかし、

「自分で考えな」

 ダンはにへっと歯を見せ、持っているグラスが斜めに傾けた。残った滴が、ぐるりと端に寄る。

「ユーちゃんばっかり質問するのはズルいだろ。だから……そうだな。列車が終点に到着するまでのあいだに、答えを出してくれればいい。無回答や答えが遠いと正解は無し」

「ヒ、ヒントは?」

「無い」

「ダンお兄様のいじわる……」

 ユリアの頬が、またぷくぅっと膨らむ。ダンはそれを、指で押し潰した。

「いじわるで結構。それに不可能を可能にするのが、魔研者だ」

「そう、ですけど……」

「だったら挑戦してみろ。できるのにできない、やれるのにやれないは、逃げ出してるだけだぜ」

 ダンは指を離し、くるりとユリアに背中を向ける。

「まあ、終点に着くのは明日の昼だ。まだまだ時間はあるから、ゆっくり考えればいい」

「はい、頑張ってみます……。ダンお兄様が、好きじゃなくなる……」

「その意気だぜ。んじゃま、俺はお姫様の迎えにでも行きますか」

 座るユリアを残し、ダンはこちらへと歩いてくるクラルスを、にやにや笑いながら両腕を広げた。

「おう、お疲れさん。無事に終わったようで――」

 ドスゥッ、と鈍い衝撃がダンの腹部に響く。

 クラルスが「シャーッ!」と蛇のような声を上げ、無防備になっていた彼にパンチを打ち込んだのだ。

「ふぐぅぉ……腰の入った、見事な一撃……」

 殴られた腹を押さえながらよろよろと腰を折り、ダンはうめくような声を漏らす。

「それはどうも。そんなことより、さっきわたしのこと無視したでしょ?」

 彼女は訝しむように眉を寄せ、トゲトゲしい口調で尋ねると。

「無視とは失礼な、俺はお前が困り果てる姿を見たかっただけだ」

 真顔で目を光らせ、ダンはそう断言した。

「バカッ! ダンのバカッ!」

 そんな彼に、クラルスは肩にパンチを入れる。

「バカは元からだぜ」

 揚げ足を取るかのように、彼はケラケラと笑って腰を戻す。

 クラルスは「まったく……」とため息交じりにそう呟いてから、柔和な笑みを見せた。

「んで、護衛を付けるとか付けないとか、そういった話はどうなったんだ?」

「とーぜん、断ったわ。せっかくゆっくりできるのに、自分から疲れるようなことしたくないし」

 そう言って彼女は後ろで腕を組み、イタズラを企てた子供のように笑う。

「それに、わたしのことはダンが守ってくれるんでしょ? だから、心配なんてないもん」

 クラルスは頭一つ高い彼を見上げ、言い切った。

 吸い込まれそうなくらい大きく青い目には、不安による濁りはない。

「ったりめぇだ。守ってやるよ、絶対に」

 ダンは余裕ありげに笑い返すと、グラスを持っていない左手で拳を作り、彼女に向ける。

 クラルスも右手を軽く握って同じものを作ると、

「約束、だからね」

「おうっ」

 コツンっと、互いの拳をぶつけた。

 ……ちょうどそのタイミングで、

「ブリュック様、お話し中、失礼いたします」

「ん? なんだ、お前さんか」

 いつもの営業スマイルを浮かべ、クラルスの後ろから近づいてくる傭兵給仕。

 彼の存在に気が付いたクラルスは振り返って向き合い、ダンは薄ら笑いを浮かべながら彼女の隣に立つ。

「あなたは、ブリュック様の……」

「そうかしこまらなくてもいいぜ。えーとっ……」

「申し遅れました、私はブラッド・スピリッツ。気軽に、ブラッドとお呼び下さい」

 ブラッドと名乗った給仕は、軽く握った左手を腹に添えお辞儀をした。

 その仕草にクラルスはぎこちなく微笑みながらも、質問をぶつける。

「え、えーとっ……それで、わたしに何かご用ですか?」

「いえ、大した用ではないのですが、何か私に何かできることがあれば、と。先ほど、貴重なお時間を頂いてしまったので」

 と、彼は浮かべている笑顔をぎこちなく歪ませ、申し訳なさそうに続けた。

「それに、私自身が当列車は安全と謳っておきながらも、力不足がゆえ、お客様を危険な目に遭わせてしまいました。私からのお詫び……というのは、非常に厚かましいかもしれませんが、せめての誠意の気持ちでございます」

 クラルスはカウンターでのやり取りを思い出して苦笑し、また頭を下げようとする彼を手で制止する。

「そんなに気負わないで下さい。あれはわたしにも多少の否がありましたし、ダンが守ってくれたおかげで、怪我もありませんでしたから」

「ダン……? ああ、お連れ様ですね」

 頭を下げようとしていたブラッドは、重ねた手を腹に添えたまま目を細めた。

「あっ、ごめんなさい!」

 いつものクセで言ってしまったクラルスは、かぁ~っとみるみる顔を赤くして、頭を下げる。

「いえいえ。咄嗟に名前が出てしまうのは、それだけお互いのことを認め合っている証拠です」

「うぅ……」

 ガラリと立場が逆転し、クラルスは赤い顔のまま俯いて恥ずかしそうに手を握り締めた。

 隣で見ていたダンはケラケラと声を上げてから、正面に立つブラッドに話しかける。

「そういえば、ちゃんと名前を言ってなかったな。俺はダン、職業は傭兵で、今はこいつのボディーガードしている……つっても、さっきのでわかってるか」

「はい。しかし、紋章持ちとは……本当に尊敬します」

「そいつはどうも。で、お前さんも傭兵なんだろ? それも紋章持ちの」

 ダンはお世辞の言葉を口にしたブラッドを、トランプで手の内を見切ったときのように笑い、指摘した。

「これはこれは、見破られていましたか。その口ぶりからすると、初めてお話したときからのようですね。私もまだまだです」

 ブラッドは素性を悟られたことで、自分の力不足を軽い調子で嘆く。

「それを言うなら俺もだ。一目一嗅ぎで俺とクラルスの関係を見破ったんだろ? 敵じゃなくて安心したよ」

「私なんかはまだまだですよ。においを嗅ぎ分けるのも、前任者の指導と、ここのカウンターで料理を作っているうち、自然と身に着けたものですから」

「料理か……。そういえば、俺の知り合いにも――」

 ダンは納得したように肯くと、今の立場など忘れて、同業者同士の意見交換を始めようとするも、

「こほんっ。そ、そろそろ疲れたから、今日はもう部屋で休みたいんだけど?」

 わざとらしく、一つ咳をこぼしたすまし顔のクラルス。

 その頬には若干赤みが残っているところを見ると、この場から早々に立ち去りたいのだろう。

「んっ、おっと、すまないな。つい話し込んじまって」

 ダンはそんな彼女の意図を汲んだのか、それとも主の命令だからなのか。向き合って申し訳なさそうに頭を掻いた。

「すみません、話を逸らしてしまいましたね。お休みになられるのでしたら、温かいミルクか何かをお持ちいたしましょうか?」

 同じように、ふと自身の立場を忘れていたブラッドも、慌てて営業スマイルを作り直して提案するが、

「お気持ちはありがたいですが、遠慮しておきます。ブラッドさんの方も、お仕事がありますし、時間的に、夕食を食べる方も増えてきそうですし」

 クラルスはチラッと食堂車の今を見て、控えめに微笑む。

 彼女の言う通り、夕食や晩酌を求め客足が伸びていた。

 カウンターでは、ブラッドとは別の給仕が忙しそうにフライパンや振るい、グラスを運んでいる。

「なので、お気遣いは結構ですよ」

「あ、あはは……痛いところを衝かれましたね」

 そう言ってブラッドは口元を引きつらせ、苦笑を漏らす。だが、

「ですが、お食事やお飲み物を運ぶくらいは余裕がありますので、いかがいたしましょうか?」

 トラブルに巻き込んで罪悪感があるのか、ブラッドはそれでも食い下がり、クラルスに意見を求める。

「いっ、いえ、大丈夫ですよ……」

 クラルスの返答が、一瞬言い淀んだ。

 研究発表を控えている以上、気苦労を増やして疲れを残したくはないからだ。

 ダンはその意図を汲んでか、それとも見かねてか、クラルスの肩に腕を回し、強引に部屋へと歩き出す。

「まあ、今日はゆっくりしたいみたいだから、そっとしてくれ」

「ですか……」

「仕事熱心だな。んじゃ、こいつを頼むよ」

 そう言って、彼は手に持っていたグラスをひょいっとブラッドに手渡した。

「ごちそうさま。この辺で俺たちは失礼するよ。ユーちゃん! 途中まで一緒に行くか?」

「えっと……はい、行きます!」

 ユリアは思慮にふけながら、ダンとブラッドを交互に見遣ると、大きく肯いてカウンター席から立ち上がる。

 そしてダンの元へと駆け寄った彼女は、

「あの……あたしのコップも、片付けてもらっても?」

 飲み終えたコップを、スッとブラッドに差し出した。

「この子も、さっきの騒ぎに巻き込まれた一人だ。そんなお客様の頼みを、仕事熱心であるお前が無視するわけないよな?」

 間髪入れず、ダンはニタニタと悪い笑みを浮かべる。

 ブラッドは「一本取られましたね……」と頭を押さえてから、コップを受け取った。

「かしこまりました。また何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」

 ユリアに対しての口調と表情は柔らかで、怒った素振りはない。

「ありがとうございます……ですっ!」

「いえいえ、ごゆっくりと」

 にこっと笑顔でお礼を言うユリアに、ブラッドは穏やかに笑い返し、ダンたちを見る。

「お二人も、ごゆっくりと」

「はい、お休みなさい」

 クラルスはぺこっと軽く会釈し、ユリアと一緒に歩き出した。

 付いて行かずに残ったダンは、にへっと勝ち誇ったように歯を見せる。

「意地悪な真似してすまないな」

「いえ、そんなこと思っていませんよ」

 両手が塞がり手振りできないブラッドは、いつものように微笑み返した。

「そいつは良かった」

 ダンはそれを聞いて安心したように首を横に振ると、自分の顔を指差し、片側の口元だけをぎこちなく引きつらせる。

「……あと、これはかなり個人的なお願いなんだが、俺たちと話すときぐらいは、崩してもいいんだぜ? その演技を」

 ブラッドが見せる営業スマイルを、ダンは真っ直ぐ指摘した。

「おや、気付いていましたか……」

 それを言われることを読んでいたのか、ブラッドは動揺を覗かせることなく、ただ作ったように笑い続ける。

「クラルスやユリア、ほかの客は騙せていたがな。あと、あの雑魚敵も、な」

 自身が殴った親玉とその仲間を思い出し、ダンはケラケラと笑う。

「まあ、くだらない話は置いておこう。俺がこんなことを言ったのは、うちのお嬢様は堅苦しいのとか、しつこく構われるのが苦手でな」

 ダンは後ろのクラルスを親指で差し、ワケを話した。

「ふふっ、依頼主想いですね」

 その理由を聞いたブラッドは、ダンから視線を落として小さく声を漏らし、笑われた彼は気恥ずかしさを誤魔化すように頭を掻く。

「あ~……で、どうなんだ」

 早く話を終わらせようと、ダンは催促するが、

「お断りさせていただきます。公私混同は、仕事に支障をきたしますから」

 はっきりとした彼の一言に、ダンは「オーケー」と今の話を流すように手を上げ、くるりと先に行くクラルスの方へ向き直る。

「なら仕方が無いな。よそ様の仕事に口を挟むほど、野暮じゃない。今のは忘れてくれ」

「ありがとうございます」

「こっちが遠慮無しに言ったことだ、礼を言われることじゃない。んじゃ、お仕事頑張れ」

 そう言い残し、ダンはクラルスたちが待つ貫通扉へと歩いて行った。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!



●登場キャラクター名


=ダン


=クラルス・ブリュック


=エレナ・スリンガー


=コレット・グランドフット


=ユリア・ウェルベル


=ブラッド・スピリッツ


=リカルド


=ジャック


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