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銃器と魔研者  作者: シゲル
2/9

第二章

1章から9章までの、長編分割投稿です!

文字数は、ライトノベルの文庫本、約一冊分。


今作の更新日については、毎日一章ずつとなっております。

『2月14日(火)~2月22日(水)』


章ごとに、文字数のバラツキがあります。

また、全体で未熟な部分がございますが、その点を合わせ、ご了承を願います。



 トトットトッ、トトットトッ、と列車が走る。

 足元に置いていたトランクケースは、元の位置から動き、壁際に寄っていた。

「んあ……もう、終わったのか?」

 代わり映えしない説教と、視界を遮る広大な森は眠気を誘うのか。

 彼はまどろみに浸りながら、寝ぼけた声でクラルスに訊く。

 喋り疲れたクラルスは不機嫌を声に含ませ、

「終わったわよ……ぜんっぜん、反省しているようには見えないけどね」

 シャツの襟を軽く広げながら、パタパタと首筋を手で仰ぐ。

「ふぁ~……。そいつはご苦労なこった」

 拳が入ってしまうくらいの大あくびをかいてから、ダンはぐぐっと伸びをする。ずっと同じ姿勢でいたので、関節を伸ばすのが気持ちいい。

 彼は座席の空いたスペースに置いた水筒を手に取り、寝起きで乾いた喉を潤す。

 今朝グランドフット邸で水を補充してから、すでに三時間ほど過ぎているせいで、中身はぬるい。

「ううっ……のど、カラカラ。それにお腹減った……」

 ダンが水を飲んでいる姿に、渇きを思い出したのか。クラルスは白い喉元を撫でながら呟く。

 そんな呻き声に、ダンはケラケラと笑った。

「あんなに喋るからな」

「誰のせいよ……」

 クラルスはジトーッと不満を目で訴える。

「世話の焼けるお嬢様だ。んじゃ、とりあえず飯を食いに行こうぜ。俺が決めてもいいなら、ここで待っていてもいいけどな」

 その態度に、また説教が必要だとクラルスは思うが、余計に労力の無駄だと諦める。

「待たないわよ、変なもの持ってこられてもやだし……」

 彼女は首を横に振り、席を立って扉へと歩く。ダンは「そいつは残念」と呟きながら水筒を置き、後に続こうとする。

 そんな彼に対して、クラルスはきまりが悪そうに眉をひそめた。

「ん~……ちょっと待って、ダン」

 彼女はこめかみを指で叩きながら気難しく目元を細くさせ、立ち上がったダンを指差す。

「室内なんだから、コートくらい脱ぎなさいよ」

 ダンが羽織る、茶色のコート。

 汗を掻くほど暑い、とまではいかないが、花が鮮やかに咲く暖かさだ。

 それに今から向かうのは食堂車両。上着に付いたほこりなどを振りまくのは、マナー違反だと言うまでもない。

「こいつには、お前を守るための武器が入っているんだが?」

 注意されたダンは首を傾げ、コートをめくる。

 武器を収納できるよう加工された裏地には、刃渡り約25センチメートルのマチェテが左右に一つずつ。

 そんな物騒な代物を目にしたクラルスは、呆れてため息を吐いた。

「ダン……ここは列車内、しかも警備が万全で有名な『クイーン・ラエトス号』よ。そんなものを持って人前に出たら、列車強盗と間違えられるわ」

「堪ったもんじゃないな。そこら辺のギャングやチンピラと間違えられるのは」

 彼女の一言に、ダンはやれやれと両手を挙げる。

「それが嫌なら脱ぐべきね」

「仕方がねぇな」

 彼は潔く脱ぎ、壁に備え付けられた服掛けに吊す。

 コートの下は、ストライプが入った水色のワイシャツに、ブラウンのスラックス。

 暑苦しい姿から一変して涼しげだが、その立ち姿は武人としての風格を損なっていない。

 素直に申し出を聞いたダンに、クラルスはぱちくりと瞬きをする。

「ダンがわたしの言うこと、ちゃんと聞いてる……?」

「俺をなんだと思ってんだ。お前はクライアントで俺はサプライヤー、命令があれば聞く。当然だろ?」

 彼女の方に向き直り、シャツの第二ボタンを片手で開けながら、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「……だったら、食事マナーを直すのは?」

「堅いのは抜きって言っただろ?」

「なんだか、屁理屈な言い分」

 クラルスは眉間にシワを寄せ、納得が行かない、と言わんばかり。

 するとダンは企んだように笑い、すすっと彼女に歩み寄った。

「嫌ならこんな風に演じてやるぜ――クラルスお嬢様」

「えっ……」

 突拍子もなく、ダンはクラルスとの距離を詰める。

 それは、おでことおでこがぶつかりそうな、鼻先と鼻先がくっつきそうな、唇と唇が触れそうな近さ。

 ダンは彼女のあごをそっと指で上げ、落ち着き払った低めの声で尋ねる。

「お好みのドリンク、お料理をご注文していただければ、いくらでもお持ちいたしますよ。何かご所望であれば、何なりと」

「は、はいぃっ!」

 あまりの事態にクラルスはボッ、と顔をトマトのように染め上げ、目をグルグルと回す。

「? クラルスお嬢様、ご気分が優れませんか?」

 目を真っ直ぐ見つめられ、クラルスは顔を背ける。

「そ、そういうわけじゃ……」

「左様ですか……では、念のために体温を測らせていただきます」

「体温……?」

「ジッとしてください」

「ひゃっ!?」

 彼女が逸らしていた顔を、ダンは無理やり前に向けさせ、おでことおでこをくっつけた。

「そ、その……?」

 クラルスは堪らず目を強く閉じ、肩をふるふると震わせる。

 彼女の小さな体躯に収まる心臓が、トクンッ、トクンッと大きな音を打つ。

「これはさすがにやり過ぎって言うか……わたしとダンは、まだ幼なじ――」

 と言いかけた途端、クラルスのおでこから彼のぬくもりが消えた。

「――んまぁ、こんな感じだ」

「へ?」

 ダンの一言に、彼女は素っ頓狂な声を漏らす。

「因みに、これは傭兵仲間から盗んだやり口で、夢見がちの田舎娘や、押しに弱い貴族のお嬢様……お前みたいな奴に、効果テキメンだぜ」

 にぃ、と彼は無邪気に頬を緩ませる。

 始まりと同じように、前触れもなく終わったダンの行動に、クラルスは呆然とした。

「で、ご感想は?」

 悪びれることなく、彼は効果のほどを確認する。

 その言葉でクラルスはすぐ事態を飲み込み、ときめきを感じてしまった自分を恥じるかのように、力強く拳を固めた。

「ダンの、ばかぁああああああっっっ!!!」

「ふぐぅっ!」

 頭一つ分の身長差も助け、彼女の渾身のアッパーは、ダンの顎を容赦なく打ち抜いた。



 個室のスペースを確保するため、人が一人しか通れない狭い通路を歩き、クラルスは食堂車の貫通扉を開いた。

 ピアノ、ベース、ドラムが奏でる、ゆったりとリズミカルなジャズ音楽。

 出入り口からすぐ近い窓際二人席では、スーツをきっちり着こなす若い男性と、華やかなドレスを着た女性がグラスを鳴らし、ワインを呷っていた。

 その反対、四人席を埋める青年たちは、トランプゲームをしながら酒を手に取る。彼らが着ているスーツは堅苦しいというよりもラフでガラが悪く、ネクタイは緩み、ジャケットとシャツのボタンは外している。

 窮屈そうな彼らに比べ、帽子を深くかぶって顔が確認できない小柄の誰かは、四人席を貸し切り状態にしてサンドイッチを食べている。

 クラルスはその客入りをパッと見るも興味を示さず、露骨に足音を立ててカウンターへと歩き出す。先ほどの件で機嫌が悪いことが、目と耳で分かる。

 乗客、食堂車のカウンターでグラスを拭いている男性給仕はその音に手を止め、横目で視線を送る。自分たちの世界に入り込んでいる、幸せモードのカップルを除いて。

 彼女の後ろにいるダンは、さっき殴られた顎を撫でながら追い掛けた。

「すまん、だから機嫌直してくれよ」

「ふんっ」

「めんどくせぇなぁ……」

 はたから見れば、二人のやり取りは痴話喧嘩。男性陣は同情する素振りを見せず、トランプゲームへと視線を戻す。

 そんな周りのことなど気にも留めず、クラルスはカウンター席にドカッと腰を下ろした。

「お客様、ご注文は?」

「ベーコンエッグサンド、オレンジジュース!」

「お連れ様は?」

「犬のエサ!」

「……はい?」

「ははっ、申し訳ない! 俺はジンジャーエールを頼む!」

「はぁ、かしこまりました」

 短髪の若い給仕は首を傾げ、備え付けの冷蔵庫、コンロと行き来する。

 ダンは余計なトラブルを招こうとしたクラルスを睨み、丸型の椅子に座った。

「どういうつもりだ、クラルス?」

「ふんっ」

 質問を投げかけるも、そっぽを向かれる。

 その態度に、ダンはイラッと青筋を浮かばせるも、平静を装う。

「まあいい。で、さっきのことはそんなに怒ることか?」

「……」

「……無視か」

 問い掛けに対しての答えは、表情すら読み取れないクラルスの後頭部。

(はたかれてぇのか、コイツ……)

 ダンは暴力的な感情に心を奪われそうになるが、今は仕事中だと自分に言い聞かせ、胸の内に抑え込んだ。

「しかし、行きとは大違いだ」

 食堂車に流れる、ジャズ音楽。

 その正体は、カウンターの隣に置かれたレコードプレーヤー。グルグルと黒い円盤が回転し、演奏家がこの場で奏でているのかと、思わず錯覚してしまいそうだ。

「おや、お客さん。恋人と旅行帰りですか?」

 黒を基調とした制服姿の給仕は、樽からジンジャーエールを注ぎながら、にこやかに微笑む。

「そんな関係じゃないさ。ただ、共通の友人に会いに、東の街までね」

 ダンは片腕を乗せ、少し前のめりになって笑う。

 隣に座っていたクラルスはその言葉に反応して顔を向けるも、

「っ!」

 偶然ダンと目が合い、視線を慌て戻した。

(何がやりたいんだ……コイツ?)

 滑稽な彼女のことを見ていると、ダンの前に置かれたグラスが小気味よい音を立てた。

「それはそれは失礼を。東の街と言えば、出発駅の『ボートン』ですか?」

「いや、俺たちはさらに北の港町までな」

 そう言って、出されたジンジャーエールを口に含み、喉に通す。

 暴れ牛のように荒ぶる炭酸と、冷たい中で沸き立つ熱い刺激。味覚として数えられなかった辛みが、舌で踊る。

「強いな……レッドボトルか?」

 ダンは目の高さまでコップを持ち上げ、グラスの半分を満たす、金色の水を揺らした。

 ラエトス大陸では、酒や炭酸の強さを青、黄、赤の順に表わしている。最近では、薬品や火器にも同じ色分けがされているものもあり、その汎用性を発揮している。

「ご明察です。お客さんには、これくらいの辛さがいいかと思いまして」

 彼の視線の先、ジンジャーエールに浮かぶ給仕は、営業スマイルを崩すこと無く答えた。

「良い仕事だ。客の好みを当てるのは、一朝一夕でできるもんじゃない」

 持ち上げていたグラスをカウンターに置き、ダンは彼の目を真っ直ぐ見据える。

「知りたいな、そのコツとやらを」

「企業秘密です」

 給仕は口元に指を立て拒むが、ダンは気楽な感じの片合掌でお願いする。

「そこを頼むよ。帰ったあとの土産話は、多い方が盛り上がるだろ?」

 さらに食いつき、話を引っ張り出そうと試みる。すると、

「仕方がありませんね。お客様だけに、サービスですよ」

 グラスをカウンターの下から取り出し、話し始める。

「コツなどいりません。お客様からほんの少し、火薬のにおいがしましたので」

「火薬のにおい?」

「ええ。ぶしつけな話になりますが、火薬のにおいがする方の大半は、力仕事に従事、もしくは商人です。そういった方々はストレスのためか、強めな刺激を欲しています」

「ほう……」

 ダンは思わず感心の声を漏らすが、ふっと何かに気が付いたように、笑みを浮かべた。

「凄いな。その判断方法は経験からか?」

 給仕はカウンターの戸棚からガラスのピッチャーを取り出し、形式通りの笑みを浮かべたまま答える。

「おっしゃる通り経験則もありますが、どちらかと言えば前任者からの教育ですね。前の者は、『クイーン・ラエトス号』が時刻表に乗った二十年前、それと同時期に従事していましたので」

「経験豊富なベテランってことか。だがそれでも、火薬のにおいだけで断定するのは難しいだろ?」

「いいえ。なんせ、当列車の乗車料は高いですから」

 その説明で納得したのか。ダンはケラケラと満足げに笑い、追加で注文する。

「俺もベーコンエッグサンドを頼む。おかげで土産話が一つ増えたよ」

「いえ、お構いなく。どうぞ、お嬢様」

 そう言って、給仕はピッチャーに入ったオレンジジュースをグラスに注ぎ、クラルスの前に出した。

「……最後に一つ。ここの警備は万全と聞いたが、本当か?」

「はい、『クイーン・ラエトス号』には、名のある貴族を護衛した経歴を持つ、凄腕の傭兵を雇い入れています。ご安心して、列車の旅をお楽しみください」

「ありがとう、楽しませてもらうよ」

 会話を終え、ダンはジンジャーエールで喉の渇きを癒やし、給仕は軽く会釈して戸が無い部屋に下がる。タルや木箱といったものが目に入るので、きっとそこは倉庫だろう。

 オレンジジュースを受け取ったクラルスは、ゴクゴクと半分ほど減らしてからようやく口を開く。

「えっと、さっきのってどういう意味なの?」

「さっき?」

「においとか、乗車料とか……」

 彼女はグラスをコンコンと指先で叩きながら、気まずそうな顔で尋ねる。部屋での出来事があった後なので、どうも喋り方はぎこちない。

 しかし、ダンはさほど気にした様子も無く、いつも接するような態度で話し始める。

「単純なことだよ。俺は傭兵で、銃器を扱う。あの給仕は、それを一目一嗅ぎで把握した。それだけだ」

 彼の一言に、クラルスは思案するような顔を浮かべると、急に何かを思い付いたようにポンッと手を叩く。そして、

「クンクン……」

「なにしてんだ、お前……」

「あっ、ほんとだ。少しだけだけど、独特なにおいがする」

 クラルスは近づけていた鼻を離し、納得する。だが、すぐに新しい疑問に首を傾げた。

「でも、こんなにおいに気が付くなんて。ずっと近くにいたわたしでも分からなかったのに……あっ、もしかして!」

 そう呟いた彼女だったが、その答えを自らの力で導き出す。

「あの人、ダンと同じ傭兵!」

「正解。素人じゃあり得ないからな。んじゃ、乗車料ってのはどういう意味だと思う?」

「うーん……乗車料が高いってことはつまり、裕福な人しか乗れない、だから人は限定されて……商人……わたしとダンの二人組……年齢……あっ、それも分かった!」

 思案顔のクラルスは、眩しい笑顔を浮かべ、輝く目をダンに向けた。

「さっきの人、わたしたちの関係を一目で見破ったんだ!」

「その通り、さすが魔研者様だ」

 ダンはにっと口元を緩め、彼女の笑顔を見つめた。

『クイーン・ラエトス号』は時代遅れの型落ちとは言え、味のある外観、独特な車内構造やサービスと、高級という扱いからは外れておらず、むしろコアな客層を獲得している。

 結果的に乗車する人間はそこそこ裕福な名家か商人、もしくはお金を持っているファン。そのため、低賃金の労働者などが乗車している可能性は低い。

 すると、必然的に鉄道ファンか商人というパターンが浮き上がってくるが、まずファンはあり得ない。給仕が教育を受けているなら、常連の顔を覚えているし、こちらからの質問がマニアックと言うよりも、基礎的なものに近かったからだ。

 すると商人の可能性が色濃くなるが、まだ断定は難しいだろう。

 だから、ダンとクラルスの見た目、年齢を把握するのが重要となってくる。

「後は俺たちの印象で判断するのが妥当だろうな。といっても、俺がいくら小綺麗にしてても、商人って面構えじゃないし、お前はやり手の売人というよりも、名家のご令嬢だ。結果的に貴族と傭兵の構図が見事完成……つっても、実際は学者様と傭兵だけどな」

 ダンはケラケラと笑い、ジンジャーエールを一口飲む。ふと、ある違和感を覚えた。

(ん? それにしても、こいつほどの実力者を旅行列車に乗せるなんて……よほど金が余ってるのか、それとも何か裏でも……)

 そう思慮にふけるも、すぐそれは途切れる。

「じゃあ、凄腕の傭兵ってあの人のことかぁ……。ほんと、どっかの誰かさんとは大違い。変にからかったりしないし……」

 クラルスは隣の彼を見ながら、口を尖らせた。

「惚れたのか?」

「そ、そんなわけないから! ありえないし!」

 彼女は顔を真っ赤にさせ、慌てて否定する。

「? そんなに否定するようなことか?」

 ダンはきょとんと首を傾げるが、彼女は一度ジュースで口を濡らしてから、ムキになって反論を始める。

「わ、わたしはコレット先生みたいに、頭が良くて優しくて、誰かのために頑張れる、強い人が好きなの! そ、そもそも、そういったことと無縁なダンに、とやかく言われたくないし!」

 その主張に、ダンはやれやれと首を横に振り、冷ややかに微笑む。

「そうだな、俺はナイフと銃が恋人だ」

「ほーら言ったとおり」

「だけど、仕事先では色々可愛い子と飯を食ったりするんだぜ」

「……えっ?」

 予想外のフレーズだったのだろう。

 一瞬遅れて、クラルスの目が点になった。

「驚くことじゃないだろ? こういう仕事上、ボディガードや、女性の同業者とコンビを組むこともあるんだから」

 その言葉に、彼女は微かに震えた声で尋ねる。

「えっと、その……ダン? それで、もしかしてその人たちと、付き合って……たり?」

「はぁ? んなのねぇよ。仕事だって言ってるだろ」

「へっ? あ、ああそうだよね! 仕事だもんね!」

 クラルスはどこか安心したように胸を撫で、息を吐いた。

 その行動に、ダンはにへっと悪い笑みを浮かべる。

「おいおい、なんだ? 俺がほかの女を連れるのが、嫌なのか?」

「はぁっ!? そんなわけないでしょ!」

 クラルスは顔を赤くしたまま、ポカポカとダンにパンチを繰り出し否定した。

「痛くも痒くもないぞ」

「このぉっ!」

 顎に見事ヒットした時とは違い、幼子に叩かれているような感覚にダンは襲われ、ただケラケラ笑う。

 二人がそんなやり取りをしていると、給仕は油が入ったビンを手に戻ってきた。

 クラルスは不満を残しつつも手を止め、ムスッと頬を膨らませて頬杖をつく。もちろん、顔はダンから逸らしている。

「仲睦まじいですね」

 話のネタにされていたことなど知らない彼は、崩れることを知らない、爽やかな営業スマイルを見せる。

「ただの腐れ縁さ」

 ダンは辛口のジンジャーエールを呷り、グラスを空にした。

「ふふっ、そうですか。お飲み物のお代わりは?」

「飯ができたら頼む」

「かしこまりました。では、すぐにお食事をご用意しますので、もうしばらくお待ちください」

 給仕は含んだように笑うと、コンロの前に立って、油をフライパンに引いた。

 カタンコトン、とフライパンを傾け一面を濡らすと、薄くカットされたハムを投入。

 ジュウゥゥゥ……と、聞くだけでお腹が空きそうな音と、肉の焼けてく香ばしい匂いが漂い始めた。

(うむ、美味そうな匂いだ……)

 塩、コショウと親しまれてきた味付けがさらに加わり、一層香りが引き立ち食欲をそそる。

「……じゅるり」

 食い気を誘うあまり、隣で生唾をすするような音が聞こえてきた。

「おいおい、クラルス。腹が減ったからって、唾を垂らすのは品がねぇぜ」

「ちょっ、ちょっと、ダン! よだれの音を出すのは、さすがにマナーが悪いわよ!」

 と、二人はお互いに顔を見合わせ、両方同時に叱責した。

「……よだれ? なに言ってんだ、お前?」

「ダンこそ、わたしは唾なんて垂らしてないわよ」

 ダンは呆れた様子でクラルスの顔を見つめ、彼女も同じように見つめ返す。

「……じゃあ、今の誰だよ?」

「えっ、ダンじゃないの?」

「そんなに俺を疑うか?」

「だって、性格悪い、態度悪い、聞き分け悪い、の三拍子揃った、ダンだよ?」

「ちょっと待て……。どこで覚えやがった、そんな不名誉な呼び方?」

「えっと、エレナが――『あの脳筋は食事マナーも守れない屁理屈野郎。だから、もしも食事中に見苦しい言い訳をしたら、こう返してあげて』って、屋敷を出る前に耳打ちしてくれたけど」

「そっくりそのまま返してやりてぇな、あいつに……」

 そしてそれを、なんの躊躇い無く実行してしまうクラルスに、ダンは少し虐めすぎたと後悔しながら、頭を抱えた。

「あれ、もしかしてダンじゃないの? それじゃあ誰が――」

 クキュルルル……。

「「っ!?」」

 可愛らしくも、ボリュームが大きい腹の音。

 二人はその音にビクッと反応して、急ぎ振り返る。

「わぁ……おいしそぉ……!」

 垢抜けぬ、幼い少女の声。

 彼女は室内にも関わらず茶色のハンチング帽をかぶり、ゆったりとした黒のケープ、焦げ茶色のダボッとしたベストに灰色のショートパンツと、中性的な格好。

 しかし、その顔立ちに浮かぶパッチリとした紫色の瞳や、スポンジケーキのように柔らかそうな頬。何より、クラルスと同じくらい小柄な体付きは、非常に愛らしかった。

 クラルスは突然現れた少女に内心驚きつつも、平静を保ち、突如として現れた彼女に声を掛ける。

「あ、あの……。あなたは?」

「……はっ!? こ、これは失礼しました!」

 ワンテンポ遅れて小柄な女の子は息を飲み、緊張しながらもはきはきと返す。

「おいしそうな匂いがしたので、つい、釣られてしまいました!」

 帽子を脱ぎ、ぺこぺこと薔薇のように赤い髪を揺らして、自らの非礼を謝る。

「そんな、謝らなくても大丈夫だか――」

 と言い掛け、クラルスの表情が固まった。なぜなら、

 ケープの下に隠れていたものが、激しく、ゆさゆさと上下していた。

 ダンは顎を撫でながら、ダイナミックに揺れる胸の膨らみを凝視する。

「ほぉ~、こんなこともあるんだな」

 小馬鹿にしたように隣のクラルス……の慎ましい胸周りを見遣り、ケラケラと笑った。

「うっさい!」

 彼女は胸を腕で覆いながら、彼の足を思いっきり蹴飛ばした。



「ユリア・ウェルベル、です。気軽に、ユリアとかユーちゃんって呼んで下さい!」

 三人はカウンター席から四人掛けの席に移り、ダンとクラルス、ユリアと名乗る少女に分かれて座っていた。

「ユ、ユーちゃん……?」

 あまりに突飛すぎる自己紹介に、クラルスの頬は思わず引きつる。

「はい。友だちになったら、仲が良くないといけません、お父様も言っていました。だから、名前かあたしの愛称ユーちゃんって呼んでください!」

「なんだか、すごく極端な考え方なんだけど……」

「友だち……いや、ですか?」

 ユリアは少し上目遣いになり、クラルスを不安げに見つめる。

 彼女はそう簡単に肯定していいものかと思いつつも、寂しがる子ウサギのように見られてしまい、うなづく以外ほかなかった。

「う、ううん! 平気!」

「はわぁ……良かった! 嬉しいですっ!」

「あ、あはは……」

 癖のある子……クラルスは苦笑いを浮かべて、ユリアの印象を決定付ける。

「えっと、それじゃあ、わたしも自己紹介をしないとね」

 しかし、どんな人物だろうと、名乗った相手に対してきっちりと答えるのは道理だ。

「わたしはクラルス・ブリュック。堅苦しいのは苦手だから、気軽にクラルスって呼んでね。それから隣の彼が……」

「俺の名前はダンだ。よろしくな、ユーちゃん」

 彼は軽薄そうな笑みを浮かべ、自分の名を名乗った。

 ユリアは「ダン……?」と顔をジトーッと見つめてから、太陽の輝きにも負けない、満面な笑顔で言う。

「よろしくお願いします、ダンお兄様!」

「「お、お兄様……?」」

 その笑顔と、語尾に付いた「お兄様」に、当の本人であるダン、隣で様子を見守るクラルスも、戸惑いの表情を見せた。

「はい、お兄様です!」

「ユーちゃん? ダンは、ユーちゃんのお兄さんじゃないよ?」

「はい、ですが、なんだか懐かしい思いがして……。だから、お兄様です!」

「え、えぇ……」

 ユリアはキリッと目を鋭くさせ、頑なにお兄様だと主張する。

 クラルスは「ちょ、ちょっと待ってね!」と一言断りを入れてから、ダンと内緒話を始めた。

「ね、ねぇ、ダン? ユーちゃんはこう言ってるけど、妹さんなんていたの?」

「んな話、一度も聞いたこと無いぞ……。いや、俺が聞いていないだけで、俺の親父なら、隠し子の一人や二人、いてもおかしくねぇかも……」

「ヘェッ!? どど、どういうことよそれっ!」

「だから知らねぇって!」

 ぎゃあぎゃあと騒がしい内緒話をするダンとクラルス。

 そんな二人を真向かいで見るユリアは、うるっと、今にも泣き出しそうな勢いで口を開いた。

「二人は仲良くひそひそ話ですか……? あたしは仲間はずれ、ううぅ……」

 マズい……っ。

 そのフレーズがダンとクラルスの脳裏によぎる。

 些細な口喧嘩ならまだしも、女の子を泣かせたというのは、居心地が悪い。それが後数十時間ほど利用する列車内ならなおさらだ。

「ユーちゃん! 仲間はずれじゃないの! 実はユーちゃんに何か頼んだ方がいいか相談してたの! ねっ、ダン!」

「その通りだ。ユーちゃんは何か食べたいものあるか?」

「ごはん……ですか? あたしはなんでも食べられますが……」

 目に溜まった雫を指で拭い、ユリアは涙声でありながらはっきりとものを言う。

「おおっ、そうか! だったら好きなの頼んでくれ!」

「いいのですか? でも、あたしはさっきごはん食べちゃいましたし」

 ダンは食堂車に入ったときに、一人サンドイッチを食べていた彼女のことを思い出す。

 初めて見たときは、帽子を深くかぶっていた上、中性的な格好だったため分からなかったが、確かにユリアは食事を摂っていた。

「だけどユーちゃんは、お腹が減っているんだよね? さっきもお腹鳴ってたし」

「あぅ……聞こえ、ちゃいましたか。はずかしぃ……」

 ユリアはかぶっているハンチング帽を両手で掴み、もじもじと目元を隠す。頬は真っ赤に染まっており、その度合いが窺えた。

 クラルスも小動物めいた少女の姿に、「うっ、かわいい……!」と心を揺られながらも、フォローを入れる。

「そんなこと無いよ、ユーちゃん! わたしだってお腹が空いたときは鳴っちゃうし!」

 だがそれは、返ってユリアを追い込む。

「でも、女の子は人前でお腹は鳴らさないです。なのにあたしは……」

 ギュッと、帽子を掴む手が強くなる。

 聞いていた側であるダンとクラルスは、ユリアのお腹の音は可愛らしいと思っていたが、どうやら本人は気にしているようだった。

 後悔先に立たず。やってしまった、とクラルスは顔色を悪くさせながら、しょんぼりと肩を落とす少女を見つめる。

(わたし、ユーちゃんが傷付くようなことを……。なんとか、なんとかしないと!)

 見て分かるほど、ショックを受けているクラルス。

 そんな彼女のミスを払拭するべく、ダンはこめかみに緊張の汗を滲ませながら、おもむろに口を開こうとする。が、

「――大丈夫だよ、ユーちゃん」

 何かを悟ったかのように、クラルスは優しげな口調で言った。

 名前を呼ばれたユリアは、深くかぶっていたハンチング帽を握る手を緩め、まだ赤い顔を上げる。

「誰かの前でお腹が鳴るのって、すっごく恥ずかしいよね。それが一人だけだったら、なおさら」

「おい、クラルス? お前なにを言って……?」

 と、疑問符を上げたダンのふくらはぎにクラルスは片手をそっと乗せ、ユリアにばれぬよう言葉を遮らせる。

「でも平気だよ、一人じゃなければ(、、、、、、、、)、ね」

「っ……!」

 ダンは彼女が口にした一言を、理解するも遅い。

 グゥウウウ……。

 クラルスの顔がほんのりと赤くなり、ギュっと手を握り締めた。

 控えめながら聞こえた腹の音は、太く、豪快さを感じさせる。

 それは、彼女が口だけでは無いことを。うっかりすることもあるが、人のためを想う、優しさがあることを証明していた。

 微かな腹鳴は、カウンターで調理をする給仕、トランプを配りながら笑う男たち、むず痒くなるようなセリフを吐くカップルには聞こえない。

 だが、届けるべき相手にははっきりと伝わった。

(まったく、こいつらしいな……)

 ダンは誰かのために自分を顧みない、クラルスの行動に懐かしさを覚えながら笑う。

「おねぇ……さま。クラルス、お姉さま!」

 羞恥に染まっていたユリアの顔は、喜び、嬉しさに変化する。

「大好きです! あたしは、クラルスお姉さまのこと!」

 羨望の眼差しは、何かを犠牲にして成り立つと、ダンはふくらはぎの痛みにこらえながら思う。

 なんせ、眩しいユリアの視線を受け止めるクラルスの顔は、触れたらやけどしそうなくらい赤くなっていた。相当……恥ずかしかったのだろう。

 その証拠に、気恥ずかしさを緩和するかのように、クラルスはダンの脚をつねっていた。

(ぶっちゃけ、俺なんも関係ないけどな……つーか、スゲェ痛い……)

 痛覚に直接刺激が送られているような鋭い痛みに、若干頬が引きつる。

 だが、クラルスの羞恥にこらえる仕草や、ユリアが機嫌を良くして笑う姿に、ダンは自身の仕事のことを忘れ、ただ楽しんでいた。



 指針を小刻みに揺らす複数のメーター。

 運転手は恐怖でカチカチと歯を鳴らし、目を泳がせながらレバーを握っていた。

「――では、もう一度訊こうか。傭兵のキミが、なぜこの貨物列車に乗っている?」

「んぐッ! んんッ! んんッ!」

 口を布で塞がれ床に転がる男は、目を血走らせながらうめく。

 彼が着ている服は切り刻まれたかのように破れ、赤い鮮血が染み付いていた。

「ふぅ……。素直に話す気になれば、楽に死ねたのに」

 目元をだけを隠す白い仮面に顎髭を生やした男は、そう冷たく言い放つと、血濡れた首根っこを掴み、

「んんんッ!? んッ――」

 高速で走る列車の扉を開け、ゴミでも放るかのように、外へと投げ捨てた。

 ビュンビュンと移り変わる景色同様、地に落ちて転がっていく様は一瞬で見えなくなる。

「あんな殺し方で、よかった?」

 無機質なトーンで尋ねる、メイド服姿の少女。

 同じ仮面を着けた彼女は、後ろでまとめたブロンズの髪を揺らし、男の隣に寄り添った。

「時間が惜しい。あんな男に、手間を掛ける時間がね」

 穏やかな口調で答え、彼――コレット・グランドフットは、マスクを取って気品のある笑顔を浮かべた。

「……そう」

 質問を投げかけたエレナ・スリンガーは淡泊に相づちを打ち、手に持っていたナイフを赤黒いシミが付いた、布きれで拭う。

「ふふっ、その様子だと、頼んでいた仕事は無事に終わらせたようだね」

「抵抗してきたから掃除した。問題は無い?」

「教えたとおりにやったのなら、問題は無いさ。相手の数は?」

「三人。うち二人は傭兵、一人は銃を持った闇商人。死体は使うかと思って、貨物室に」

 詳細を聞き、コレットはエレナに向き直って足下から髪の先まで視線を送る。

 血溜まりでもできたのか、黒の革靴に赤い斑点が作られており、歩いたところはくっきりと足跡が残っていた。

 また、返り血が白の制服や肌に大きく飛び散っており、殺戮の規模を容易に想像させる。

 その汚れに、コレットは露骨に顔をゆがめるも、すぐいたわるように微笑みを見せた。

「運ぶのは大変だっただろう。計画が開始するまで、身体を休めていてくれ。着替えはこちらで用意しておこう」

「ありがとう、ございます」

 ぺこりとエレナは頭を下げる。

「そうだ。新しい服のデザインに、希望はあるかい?」

 と、鉄のにおいと殺伐とした空気が漂う中。コレットは顎髭を撫でながら穏やかな笑みを浮かべ、場違いなことを尋ねた。

「希望……? この服に不備が?」

 不思議がるエレナに、彼は髭から手を離し首を横に振る。

「かわいらしく新調したいんだ。愛しい教え子が、私のモノになるからね」

「クラルスのこと?」

「ああ。私と妻が手がけた、最愛の子だ!」

 それが引き金となり、コレットは高らかに歌うオペラ歌手のように両手を広げた。

「ようやく、彼女が手に入るんだ! あのつややかな髪、宝石のように大きな瞳! 絹のようになめらかな肌に、芳醇なバニラビーンズの香り!」

 星が一つ、また一つと輝き始めた空を見上げながら、洪水のように流れ出す賛美の声。

 エレナは一歩離れながら目をつぶり、言葉に耳を傾ける。

「鼓膜を癒す美声に、潤いを持った果実のような唇。触っただけで壊れそうなくらい儚く、幼い少女の身体……欲しい。すべてを、私のモノにしたい!」

 ダンやクラルスの前で見せていた、憧れや尊敬を向けられる教師の面影は一切見えない。

「そのためにはエレナ君。キミの力が必要だ」

 空を仰ぐことをやめ、隣に立つ大切な教え子を見つめる。

 高らかに語っていたときに比べ、いつもの理知的で穏やかな笑顔だ。

「……先生、この作戦は上手くいく?」

 恩師から投げかけられた期待の声に、エレナは首を傾げた。

 そのトーンは起伏が少なく、どのような感情を持っていて、どれだけの疑問を抱いているのか、万能に近いコレットですら正確には読み取れない。

 だが彼は、エレナと真っ直ぐ向かい合い、嘘偽り無い答えを口にした。

「ああ、上手くいくさ。手は一手二手とすでに打っている。それに貴族が欲しがる積み荷を積んだこの貨物車両もすでに制圧し、後は破壊するだけ。今回のメインである彼らより先に、街へと到着することもできる」

 コレットの赤い瞳はそれることなく彼女を見つめ、口周りに引かれた笑いジワは柔らかく浮き上がる。

「抜かりはない、安心したまえ」

「ならいい、余計なことを聞いてごめんなさい」

 そっと目を伏せ、エレナは謝る。仰々しいわけでも、馴れ馴れしいわけでもない、テンプレートに添ったような謝罪だ。

「構わない。これも私の説明不足が原因さ。『親しき仲にも礼儀あり』とは、昔の人は上手いことを言ったものだ」

 ポリポリと頭を掻き、コレットは反省する。

「あとで一度、詳細を教えておこう」

「先生そんなに気負わないで。私は先生たちのおかげで今生きている。それに屋敷に来たときに約束した、先生たちのために働くって。だから……」

 エレナは使用人になった経緯を思い出し、眉を眉間に寄せて意思表示をした。

 恩義と忠誠心が折り重なったような、強く固い想い。

「ふふっ、キミは本当に義理堅いな」

 柔らかな羽毛のように、彼女の想いを受け止めた。

「だけど説明は必要だ。誤って用意した駒を落とされては困るからね」

「分かった。それじゃあ、私は次の停車駅まで待機する」

 そう言って、彼女は靴音を響かせ運転室から消えた。

「……ために働く、か」

 残されたコレットは、おもむろにエレナの言葉を呟き、拳を作る。

 平穏が似合う彼の目には、深く、ドス黒い憎悪が浮かんだ。

「絶対に成し遂げてみせる。すべてを取り戻し、奪った彼らを! ……だから、待っていてくれ。ちゃんと君の無念を晴らすから」

 ――この命に、懸けてでも。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!



●登場キャラクター名


=ダン


=クラルス・ブリュック


=エレナ・スリンガー


=コレット・グランドフット


=ユリア・ウェルベル


=ブラッド・スピリッツ

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