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とある作家のクズ語り2

 信頼関係の構築のために私に付きっ切りになるという言葉を実行するつもりでいるのか、翌日も、そのまた翌日も小関は当然の顔をしてやって来た。


「……まだ出来ていませんよ?」


 話すことがないので、とりあえず小説の進行具合について言葉にしてみる。無言でいるのも味気なかろうという私なりの気遣いだ。

 小関は今日もかっちりとしたスーツを着こなしていた。これが私の担当か。未だに信じられないが事実らしい。ラフな恰好の井口を懐かしく思い出す。

 天気の話題ほどにも長続きしない話題は小関の冷たい目線に打ち落とされた。

 そんなに私に「生きていてごめんなさい」と言わせたいのか。土下座オプションはいるだろうか。

 小関なら「それはオプションでしょ」と言ってきそうだ。私の中の小関の株はある一面においてとても高い。


「んなことはわかってますよ。あがっても?」

「えっと、どうぞ」


 扉から壁に体を避けると、愛想の欠片もなく小関は靴を脱いであがってきた。

 彼の態度は完全に私を見下した感じだ。笑顔で応対することの苦手な私には丁度いい塩梅だと思った。


 小関は土産だと言って、デパ地下で売っているようなカツサンドを差し出してきた。

 デパ地下は私のような引きこもりのクズ人間には足を踏み入れがたい場所なのでとてもありがたいお土産だった。

 小説の参考にといくらか写真を撮ってから美味しく頂いた。

 毎回こんないいお土産持参してこないでいいですよと言ったら、余計なことは気にするなと怒られた。

 それからはずっと家にいてパソコンに向かった。小関は窓を拭いたり床の雑巾がけをしたりして過ごした。

 気づけば昼を過ぎていて、何故か小関と向かい合ってうどんをすすっていた。

 お前、本当に何しに来てんだというつっこみは呑み込んでおいた。自分の生活能力がゼロであることは自覚していたので、色々としてもらえるのはありがたいことだった。

 夕方になり、展開に煮詰まって寝室に着替えに入る。

「どこに行くんですか?」

「散歩。あと、リア充成分の補充に」

 私の担当に付いてまだ三日目だというのに、小関は訳知り顔であとを付いてきた。


 近所をぶらついてから高校の横を通り過ぎる。

 フェンスの向こう側で野球部が声を出しながら走り込みをしていた。その横でマネージャーらしき女の子が記録用紙片手に顧問と話をしている。

 あぁ、青春よ、といった光景に肌がむずがゆくなる。野球部のボールが飛んできてこの頭をかち割ってくれたらいいのにと思った。


 そのあとはまた駅前に向かってベンチに座った。

 この時間帯は帰宅する高校生の姿が多い。他にも夕方の買い物帰りの主婦とか、まだまだこれから仕事なんだろうなぁといった感じのサラリーマンが目の前を通り過ぎていく。

 夕暮れの赤い景色の中で、やっぱり私の周りだけは薄暗い色を放っているように感じた。

 あぁ、リア充が溢れすぎてて息が詰まりそう……。


「先生はこういう景色を見て何を感じているんですか?」


 この間と違って、今回はベンチの端に腰掛けて小関が聞いてくる。

「はあ、……いいなぁ、眩しいなぁ、すごいなぁ、とかですかね。あと自分死ね、とか」

「重症ですね」

「おかげさまで」

 数日一緒にいて大分小関との距離感も分かってきた気がする。

 同じベンチに座られても動揺しないくらいには慣れた、というくらいだが。それでも私にしては進歩だ。慣れない他人が座ってきたら無言で立ち上がるからな、私は。


 慣れついでにもう少しだけ小関と話をしてみようと思ったのは、引きこもりの人間嫌いを少しは改善しようと思ったからなのかどうなのか――。


「人間と接するのは大嫌いなんですけどね、眩しくてきらきらしたものが私は嫌いじゃないんですよ」

 その中に加われとか言われたら絶対吐くけど。

「例えば結婚式とか。花嫁さんが幸せそうに笑ってて、その周りを取り囲む人たちが笑顔だと最高ですね」

 小説の参考になるし。結婚式はネタの宝庫だ。私の書く小説はファンタジー系だと特に結婚式シーンが多いから。脳内メモ機能が破裂しそうになるくらいには真面目に参加している。

 二次会に参加する頃には自分の卑小さに首を吊りたくなるけど。

「幸せな花嫁の向こう側に見えるものは、きっと幸せな結末なんだろうなぁと思うと嬉しいと感じるんです。でも、もし自分が花嫁だったらって考えると、それまで食べたもの全部吐き出したくなる――」

 自分が純白の花嫁姿を晒すとか、何の見世物小屋かって話だよね。

 きっと主役の立場でみんなの目の前に立ったら、ウェディングケーキをちゃぶ台返ししたくなると思う。


「私はひっそりと生きていきたい。誰の記憶にも残らないことが最上の喜びなんです」

 眩しい光の中に自分がいると思うと、クソすぎて死んでしまえと思ってしまう。

「じゃあ、何で小説書いてるんですか」

 本として世の中に出るということは、自分を残すということではないのか。小関はそう言って私を見た。

「本は私自身じゃないでしょ」

 私という矮小な人間がこの世に出ているわけじゃない。

「うん、きっと……吐き出してるんですよ。自分の中に溜まっていく、きらきらとしたものへの憧れとか、こうあって欲しいっていう希望を詰め込んで、文字に出して吐き出さないと体が腐っていくから」

 溜まったものが腐臭を放つ前に放り出すのだ。自分という形を保つために。

 作家として小説を書いているのは、それなりの収益を得られて引きこもっていられるからという二点に尽きる。


「でも……、それでも文字になって落ちたものはあんたの肉片でしょ」


 これまで淡々とした話し方をしていた小関の言葉に熱がこもる。

 何を期待して来てたっていうんだろうね。実際の私は幻滅ものだっていうのに……。

 たまにいるんだよね。ファンレターとかで「小説に出てくる人みたいに先生もきっと素敵な人なんでしょうね」って書いてくる子が。

 素敵どころか世間の隅っこで膝を抱えて生きてますけど?

 小説の登場人物と書き手がリンクすることってそうそうないだろう。

 夢見る女の子には「そんなことないです。でもそう言ってもらえてすごく嬉しかったです」と返事を返しておいた。だって希望を持っている子の夢は壊せない。

 幼児向けアニメヒーローの中の人が実は結構な年齢のおばさんだと、どの親が言えようか。

 夢は夢のままだから美しいのだ。

 現実の私を直視せざるを得なかった小関には同情する。これが現実だ。いい大人なら理解すべきだ。


「それはどうでしょうね。理想と現実は違うものですよ」


 目線を逸らして息を吐く。リアルな人間の相手はこれだから疲れるんだ。どうしようもない自分を自覚させられるだけだから……。

 外に出かけたことだけでない疲労感がどっと押し寄せてきて、ベンチから立ちあがる。

「今日はありがとうございました。リア充成分は十分補充できたんで、帰って執筆に取り掛かります。小関さんも会社に戻ってください。できたら知らせますから」

 もういい。これ以上ここにいたらリア充に押しつぶされる。一刻も早く狭いアパートに戻って鍵を閉めたい気分だった。


「小関さんを必要としている人は他にもいるんでしょう? 私の相手はもういいんで、そっちに行ってあげてください。股がけでいくつか担当抱えてるって言ってたし。私のことは後回しでいいですよ」


 立ち上がって歩き出す背中に小関の視線を感じた。見るな。減る。減るのは私のヒットポイントだ。アパートまで帰れなくなる。

 その日の執筆はリア充成分の補充が利いたのか、見込みの文字制限の六割まで進んで終了した。


――あれは私が小関を切り捨てた、という形になるのだろうか。


 寝落ちする瞬間、ふとそんなことが頭に浮かんだ。

 自分がそんな尊大なことをできる人間だとは少しも思ってはいないが、もし小関がそう感じたのだとしたら、必要のない限りもう奴がここに来ることはないのだろうと思った。


――ちょうどよかった。小関って、何か存在感があって邪魔だったんだ……。あぁ、うちって、こんなに広かったっけ……。狭い我が家が今日はすごく、広い。


 ※ ※ ※


 合鍵はポストに入れとけって言ったじゃん……。

 翌々日、執筆に睡眠時間を削られてパソコンの上に寝落ちしていた私の目に光が飛び込んできた。

 分厚いカーテンを開けたのは、合鍵を手にした小関だった。

 昨日は来なかったから、もうしばらくは来ないと思っていた小関は、自分が部屋にいるのは当然とばかりに散らかっていた部屋を片付け始めた。

 撒き散らかしたペットボトルやら栄養ドリンクのビンやらを器用に選り分けていく。

 腐海の森一歩手前の我が家へようこそ。

 そんな言葉が浮かんだが、私の作品に登場してくるキャラたちには合わない気がして即刻却下した。ネタはそう簡単に転がっているものではないのだ。


「俺がいないと本当にダメですね、あんた」


 今日も上から発言ありがとうございます。

 イケメンが美少女に顔を近づけてそう囁くのなら絵になるが、如何せん物言いが淡々、顔は至極つまらなそうなので売りになりそうにない。

 小関が満開の笑みを見せることはあるのだろうか。

 一応まともな社会人なのだから、余所ではちゃんと笑っているのだろう。

 だが、どうしても小関の笑っている顔は私の中ではにやりとした悪魔の微笑みに変換されてしまうんだが。あの顔で上役の人に笑いかけでもしたら確実に職を失うに違いないと思う。


「すいません。集中していて立ち上がる間も惜しかったもんで」

 今日もばっちり隙のないスーツで登場した小関に、私のだらしないお腹がぐうと鳴る。

 飲み物は飲んでいたが、しばらく固形物を摂取していなかったことを思い出した。

 見下ろしてくる小関が呆れ顔になる。こいつマジで女か? とでも思われているのだろうか。……ウジ虫すぎて死にたい。

「シャワー浴びてきます。適当にくつろいでてください」

 清潔そうな小関の見た目に、今の自分の何と小汚いことか。シャワーを被っただけでは死ねない現実を嘆いた。

 シャワーを終えて部屋に戻ると、そこには綺麗に整頓された部屋があった。

 ついでにコンビニ惣菜ではあるがちゃんと器に盛られたおかずまで準備されている。

 小関が今度は自分で作りますから、とまで言っている。

 こいつ神か、と舌をまく思いがした。


 まだ水のしたたる髪に小関が指を伸ばしてくる。それに心底驚いて、私は肩をびくりと揺らした。

 はあっとため息を吐く小関に、何故かとても泣きたい気持ちになった。

「濡れた髪を放置しない。ちゃんと乾かす」

 首に掛けてあったタオルでがしがしと頭を拭かれる。

 こうして誰かに触れられることは嫌いだ。自分の汚い部分が相手に浸食してしまうんじゃないかって思ってしまう。

 綺麗なものには触れがたい、汚したくない。

小関は真っ当な道を歩いてきたような人間で、きらきらした世界に簡単に出ていける人間だ。そんな綺麗な奴が私みたいなのに触っている。触って……やばい、吐きそう。

 思ってトイレに駆け込んだ。

 混乱する頭で鍵をかけて便器の中に出せるものはすべて吐き出した。

 ユニットバスでよかった。

 浴槽側に頭を突っ込んでシャワーの流水で触れられた感触を落としていく。だから近づかれたら爆死するんだって。気持ち悪い。何がって? 綺麗なものに触った自分がだよ!


 コンコンとノックする音がして振り返る。

 一人暮らしの人間の家で誰がノックしてくるんだ? 思って、そういや小関が来てたんだっけと思い直した。

「すいません。井口から容易に先生には触るなって言われてたのに」

 いつものような突き放すわけでない声にシャワーを止める。

 井口ぃ。何を人のプライベート情報漏らしてんだ。容易に触るな? 絶対触るなの間違いだろ。

「こっちこそ、驚かせてしまって申し訳ないです」

 浴槽に体を凭れかけさせて応える。目を覆っていく水を冷たいと感じた。

 顔が見えない分、意外と冷静に言葉が出た。普通びっくりするわなぁ。いきなりトイレに駆け込まれてげぇげぇ吐かれたら。

 このことに関して小関には何ら非はない。非があるのは私だ。

「ホントにね、無理なんですよ。人に触るのが」

 まだ指が震えている。

 世の中の全部が汚く見えて触れない潔癖症という病がある。

 そういう病の人は他のものに触れたら自分が汚れたり、何か悪いものに染まったりしてしまうんじゃないかという強迫観念に襲われてしまうのだ。

 あんま詳しくないから知らないけど。たぶん、そんな感じだと思う。

 私の場合は逆だ。

 自分が汚く思えて、触ることを拒否してしまうのだ。人に対してだけだけど。無機物は平気だったりする。マジでヘドロすぎて埋め立て処分されたい。


 戸の向こう側でカリッと音がする。小関が爪の先で戸を引っかいている情景が思い浮かんだ。

「先生、ここ開けてください」

 小さく爪で音を立てる小関は猫のようだった。

 でも小関は人間だ。どうしようもなく、私とは違う人間なんだよ――。

「落ち着いたら出て行きますから、小関さんは帰ってください」

 頬を伝っていく水が温かかった。ひっかぶったシャワーの温度がどれくらいのものだったのかも今はわからなくなっていた。

 小関が沈黙の後にわかりましたと応える。もう一度戸がカリツと鳴って、足音が遠ざかっていった。

 それを聞きながら、私は安堵からほっと息を吐いた。

――明日からしばらく本格的に引きこもろう。もう誰にも会いたくない。小関も、……いい。いらない。食べ物は……まぁ、何とかなる。多分。

 静けさの戻った空間で、私は目を閉じ、耳を塞いで小さく体を丸めた。

 こうして息をひそめて生きていかないと、広い世界は私にはあまりに空気が、濃い――。




 しばらくそうしていただろうか、カチャカチャという音が鳴ったと思ったら戸の鍵が突然開かれた。……えっ? えぇっ!? ちょっ、どういうことっ。小関ぃぃっ!!


「あのねぇ。閉じこもったつもりでしょうけど、こういったボロアパートのセキュリティなんてザルなんですからね」

 手に針金を持って小関がにやりと笑った。






引きこもったのに簡単に突破されたよっ。

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