知った男
友人のキアンが結婚にあんなに渋るとは驚きだった。自分より二つ年下の彼は、真面目で融通の利かないところはあるが優秀で仕事に熱心。後ろへ撫でつけた黒髪に切れ長の翡翠色の瞳は理知的で、冷たくも見えるがその実、情の熱い青年だ。申請された生産額に疑問を感じれはすぐにでも現地に駆けていく行動力も持ち合わせている。
自分の軽い物言いに不快感を忌憚なく示すが、互いに無い能力を認め合う信頼関係はできていると感じている。キアンは本当に嫌いな者へは無関心をもって慇懃に接するからだ。だからこそ、バーントシェンナ嬢へのあれだけの物言いは珍しいことだと感じた。
そして、同僚の言葉、
―――――微笑みの素敵な、完璧な淑女。
キアンの記憶では笑うことはなかったようだし、相当驚いていた。少し、かの令嬢に興味が出てきた。
まずは情報収集。手っ取り早く、友人に聞いてみる。
―――――バーントシェンナ・ブラウン子爵令嬢?知らないな。お前知ってる?
―――――いや、知らないな。どうしたんだ?そんなこと気にするなんて。次はその子爵令嬢を落としにかかるのか?友人の?何だつまらない。また面白いことやってくれよ、楽しみにしているからな。
―――――ん……ブラウン子爵というと、バーガンディー様の妹君かな。バーガンディー様は爵位も高くなく弱冠二十四歳で、その才覚を認められ国の治水事業の中核を担う方だよ。細かいところまで目の届く方でね。昨年、その計画書製作段階で関わったが完璧だった。工員たちの食糧補給まで勘定に入れていたんだ。恥ずかしいが感心しきりだったよ。ああ、妹君が我がままを言ってくれない、もっと頼ってほしいとこぼしているのを耳にしたことがあるな。それも可愛いという自慢だったみたいだが。容姿?バーガンディー様は赤みのある茶色の髪と瞳だったな。一重瞼で、あまりはっきりした顔立ちではなかったかな。まぁ、兄妹だとあまり似ていないことも多いけどな。それに、あの方の凄さは容姿ではないよ。
兄二人はそれぞれの道で優秀なようだな。控えめな妹君ね。
お、角を曲がってくるのは腰つきが魅惑的な侍女殿ではないか。名前、何だったかな。ま、なんとでもなるか。
――――――あら、エクルベイジュ。この前からほったらかしにしてくれてぇ。淋しかったのよ?なぁに?私とほかの女の話をしようっていうの?信じられない!え、シュバルツ様の?あの方ご結婚されるのよね。硬派で目の保養だったのに、残念。情報はないかって?もう、埋め合わしはしてよね。
そうね、舞踏会の時、休憩室に案内したことがあったわ。田舎から出てきた空気がすごくてね。愛想も可愛げもなかったわ。なのに、なぜあの子がヴィオレッタ様に気に掛けられているのかしら。
―――――—ちょっと、仕事はおわったの?エクル、私は今から休憩なのよ。は?ブラウン子爵令嬢?ふーん。いいわ。そうね、華やかではないけど、はにかんだ微笑みが可愛い人よ。豊かな髪と落ち着いた雰囲気のひとね。なによ、私は嫌な感じはなかったもの。何よ、文句があるの?
―――――エクル、何話しているの?ああ、あの方?ヴィオレッタ様の会にいるのにパッとしないのよね。あまり話さないし、まるで観察されているみたいだったわ。あんな地味な女といると陰気になるわよ。
ヴィオレッタ様って、アルバウス公爵夫人だろう?とんでもない大物が後ろにいたな。
侍女殿たちのおかげで幾らか情報としては集まってきたが、結局よくわからない。よし。本人に会うしかないか。
侍女殿に別れを告げ、善は急げ王都のブラウン子爵屋敷を目指すことにした。せめて先ぶれだけは出しとかないとな。