ジェードキアン
「ついに、この日が来てしまったのか。」
朝日で目が覚めた。憎らしいほどの晴天に、逃げ道などもうないことを思い知る。
習慣で身支度を整えつつも今日にいたるまでを思い出してしまう。じきにシュバルツ伯爵嫡男として、伯爵位を継ぎ領地を運営していかなくてはいけない自分がこんなことで思い悩んでいてはいけないと解かっている。
それでも、従僕が支度に来るまでの一時くらい感傷に浸っても許されるのではないだろうか。
三か月前、父に呼び出され告げられた。
「ジェードキアン。お前の結婚相手が決まった。バーントシェンナ嬢だ。」
「何を言っているんです、父上。気でも狂いましたか。人に断りもなく、勝手に決めないでいただいたい。しかも相手はよりにもよってシェンナだなんて。私にも選ぶ権利を下さい。」
突然の言葉に怒りを抑えきれない。なぜシェンナなんだ!無表情を意識しつつも顔が引きつってしまう。
「キアン、落ち着きなさい。お前のこと、領地のこと、シェンナ嬢の人柄を考えての決定だ。お前だって、冷静に考えればこの婚姻の意味は分かるはずだ。そうだろう?冷静に合理的判断を下す人物と王宮で評判だそうじゃないか。なぁ、キアン。」
「なっ」
「お前たちは幼い頃から親しかったじゃないか。顔も知らない娘と結婚するよりいいと思うがね。」
「子供の頃の話でしょう。最近は全く会っていません。それに、流通や銀細工の材料の入手先としてブラウン家と縁を繋ぎたいのは解りますが、次期ブラウン子爵とは円滑な友人関係を築けていると自負しています。」
「ああ、私たちはシェンナ嬢が嫁いでくるのが楽しみで仕方ないんだよ。すまないが、私はこれから王宮に出仕するからもう行くよ。シェンナ嬢によろしくつたえておいてくれ。」
「彼女は妹にしか思えませんっ。」
懐中時計を見ると速やかに部屋を出てしまった。父は決めた事を簡単に覆す人物ではなく、実際に忙しいのが解っているため、強く引き留めることも出来ずに背中を見送ってしまった。
彼女、バーントシェンナ・ブラウン子爵令嬢のことは幼いころから見知っている。隣接する領地、我が領が特産とする細工物はブラウン領から採掘される銀を主にしている。何より父たちが友人である為、会う機会が多かったのだ。だが、私は10歳で寄宿学校に入り14歳から他国へ留学していた。3年で戻り王宮で職を得て1年たつが彼女とは一度もあってはいなかった。どこかの舞踏会や茶会で会いそうなものだが、人数は多いし彼女に気付ける自信はない。
はっきり言うと、シェンナは私の好みではないのだ。
レンガのような、くすんだ茶色がかった赤毛。目は小さくもないが細くいつも眠たげだった。表情も暗く、外を歩くよりも屋内で読書や刺繍を好んでいた。私はいつも彼女の兄と乗馬や探検をしていたが、彼女の兄は体力が底なしのため疲れた時だけ彼女の近くへ行きお茶や菓子を催促する程度の仲でしかなかった。ほとんど会話もしない、物静かな少女だったのだ。
貴族の結婚に恋愛はない。それでも、この先数十年ともに生きねばならない。好みでないと解かりきっている女と結婚し、息苦しい生活が想像できるなど先が思いやられる。できる限りを尽くし、阻止したい。こんな時に声をかけられる令嬢もおらず、恋人も作らずに学問と仕事を追いかけていた数年間を悔やまれる。こんなことなら、もっと社交に力を入れるのだった。恋に浮かれる友人を内心嗤っていたむくいなのだろうか。
そうだ、シェンナに手紙を書こう。シェンナにも結婚の意思がなければ、彼女から拒否してもらうのが楽だ。私の両親は彼女に甘い。きっとうまくいくはずだ。と、信じたい。
「婚約おめでとう!三か月後に挙式だって?ずいぶん素早い。よっぽど婚約者を逃がしたくないんだな。お前も女に興味ないって態度だったのにやるじゃないか。これは侍女や女官が騒ぐぞ。」
職場についてみれば、同僚兼友人がにやにやしながら話しかけてきた。色素の薄い茶金色の髪が目を引く顔の整った男だ。わが国には金の髪色は珍しいため、よく目立つ。性格は難あり。挨拶もしないとは、相変わらず礼儀がなってない。じゃ、ない。
「何を言っている。三か月後に挙式だって?ついに頭が沸いたか?」
「一言多いんだよ。噂になってるぜ。」
「私は了承していない。」
外堀が埋めらていく。昨日の今日でこれか、父の行動力が恐ろしい。迅速に対処しなくては……。
「ふぅん。じゃ、政略か。幼馴染だっていうから恋愛結婚かと思ったのに。でも、シュバルツ伯爵って言ったら、あの柔和な態度や言葉と裏腹に決めたことは押し通す人だろ?あのネープルスとの貿易独禁法の会議とか伝説だって聞くぜ。お前ごときが逆らえないだろ。おとなしく人生の墓場に入れよ。」
「私はお前の軽薄な言動が嫌いだ。誰だって、不幸になりたくはないだろ。断固拒否する。」
「からかって悪かったよ。謝るから機嫌治せって。お前が睨むと怖いんだから。……お前さ、不幸になるなんて決めつけてんの?そんなの分からんだろ。結婚生活は互いに歩み寄らなきゃうまくいかねぇよ。」
呆れた様子にまた腹が立つ。だが、
「お前に諭されると、妙に冷静になるな。無理かもしれないが、できることはしたいんだよ。」
「ふぅん。真剣に言ってるんだな。まぁ、頑張れよ。必要なら女も紹介するぜ?」
「お前のいう女は好みじゃないんでな。だが、そう言ってくれるのは嬉しいよ。ありがとう。」
私の答えは解かっていたとばかりに肩をすくめる仕草に、安堵する。彼、エクルベイジュは弁が立ち交友関係が広い。城下町、果ては下町にも出入りしているらしい。侯爵家の人間でありながら平民に近い言動をとる。貴族としての矜持を疑うが、彼の人脈に助けられることも多い。何より、軟派な態度の裏で冷静に周囲を見渡し、様々な視点から意見を出すエクルを私は尊敬している。言葉に出す気を無い毛頭ないが。察していそんなところが小憎たらしい。
「キアンといるのは意外に面白いんでね。お前が考えすぎる性格なのは解かっているが、あんまり腐るなよ。」
気障たらしく片目をつぶる様に近くにいた侍女たちの小声の歓声が聞こえてくる。女性の扱いに長けたエクルなら、シェンナのようなおとなしい娘とも仲良くできるのだろうか。彼女の楽しそうな様子など想像もつかないのだが。
カラン カランコロン カラン
鐘が鳴っている。始業の時間だ。
数字を相手にしていると心が休まる。私は財政部門に属している。各領地の農作物や特産物の予想生産数から天候や災害の影響を加味し、それぞれの領地に対し相応の年貢額を決めるのだ。将来、爵位と領地を継ぐまでに領地運営を勉強する場ともいえる。
生産の見込み額を割出、不正な届け出をしていないか見極める。悩みなど忘れ、一心に書類を処理していると、肩を叩かれた。
「ジェードキアン様、昼食のお時間です。それと、お手紙が届いていますよ。」
下士官に渡されたのは、シェンナからの手紙だった。社交の時期も過ぎようとしていたが、まだ首都のタウンハウスにいたようだ。ブラウン領に戻っていたら早馬でも往復五日はかかるであろうことを考えるとありがたい。
エクルと並び昼食をとり、食後の紅茶を飲みつつ手紙を読んだ。ため息がこぼれた。
「なんだよ、景気の悪い面だなぁ。」
「いや、シェンナから返事か来たんだが……。」
「シェンナ嬢って、婚約者?なんだ、気軽に手紙出せる仲なんじゃないか。で?なんだって」
「シェンナから婚約を破棄して欲しいと送ったんだが、子爵家から伯爵家にそんな無礼はできないと返って来たんだ。」
「……。」
「どうしたエルク。そんなにうなだれて。」
「いや、お前さ、時々とんでもないことするよな。大体さ!考えなくてもわかるだろ!子爵令嬢から伯爵家にそんなこと出来るわけないだろうが。あー、一気に疲れたよ。」
にやにや顔から一気にうなだれ、逆上したと思ったら脱力したように肩を落としている。せわしないな。確かに、一般的にはこんな事頼めないが、シェンナは私の両親に気に入られているのだ。こんなわがままが許されるほどに。
「私の両親は彼女を自分の娘のように思っているんだ。彼女が嫌がれば両親は無理強いしないはずさ。」
「そんなに気に入られてるんならいい結婚相手じゃないか。向こうはお前を憎からず思っているかもしれないわけだし。どんなお嬢様なんだ?正直、シェンナ嬢って聞いたことがないんだが。」
あれだけの交友関係をほこるエクルの情報網にも引っかからないほど彼女は地味な生活をしているようだ。
「いや、彼女は私に興味はないだろうな。この手紙もそっけない内容さ。ブラウン子爵家のバーントシェンナだ。1つ年下だから、今17歳か。幼い頃はよく会っていたが、彼女の兄と遊んでいた。雨の日は隣で読書をしていた事もあるが、それだけだ。刺繍と読書が趣味のおとなしい娘でほとんど話した覚えもないな。」
ふと、幼い彼女の声を思い出した。子供特有の細く高いがゆっくり話すので、不快にはならなかった。なんと言っていたのだったか。
————ジェードの名、ふさわしい、瞳、
断片しか思い出せない。
「赤毛がお転婆というのは迷信だな。大人の言い付けに従い逆らわない。いつもつまらなそうな顔をした面白味のない娘さ。容姿も目を引くところもなかったしな。10歳から会っていないが、社交界で名前も出ない程度には、昔と変わらず地味なようだな。」
「俺だってすべてを知ってるわけないだろうが。にしても、随分こき下ろした言い方だ。まあ、お前がシェンナ嬢にあまりいい感情を持ってないのは分かったよ。うん。お前さ、意外に結婚に対して夢見てるんだな。」
「な、勝手に決めつけるな。」
「まあ聞けって。美人と甘い恋愛結婚をして、末永く幸せに暮らしたいんだろ。でも、お前の思い描く幸せな結婚生活に、シェンナ嬢では役者不足なわけだ。お前のご両親、シュバルツ伯爵夫妻は珍しいほど仲がよろしいと評判だし、憧れるのもわかるけどな。そんな関係、ごくごく一握りだぜ?お前も嫡子さえ産まれれば愛人を作ればいいのさ。残念だが、それが俺たちの普通なんだよ。政略結婚をして、相手を愛することが出来なかったらしょうがないだろ。」
「……考えてみる。」
「だぁかぁら、考え込まずに気楽にしろよって話だよ。大体さ、今のシェンナ嬢がどんな人物か実際には知らないんだろ?」
「人間はそう簡単に変わらない。」
エクルが困ったように肩をすくめている。
そういえば、彼女はなぜ私を“ジェード”と呼ぶのだろう。本来、“ジェード”のように母音を伸ばす発音は隣国風で私たちは違和感をどこかしら感じている。現王妃が隣国から輿入れさた際、彼女に親近感をもたらせるため為にも貴族間で流行したのだ。
「エクルベイジュ、ジェードキアン。お疲れ様。」
思考に沈んでいると部屋に誰かが入ってきた。目で追うと、実際検分に出ていた同僚だった。今日いっぱいはかかると思っていたが。
「お疲れ様。思っていたより早く終わったんだな。」
「あぁ、おかげさまで。せっかくだから、書類も終わらせようと思ってね。」
「俺ならゆっくり休養をとるがね。二人ともまじめだからなぁ。」
「エクルベイジュは恋人たちのところに行くんだろう。それより聞いたよ、ジェードキアン。結婚が決まったんだってね。ブラウン子爵令嬢なら君と相性いいんじゃないかい。おめでとう。」
笑顔から、本心であろう言葉に思考が止まった。
「シェンナを知っているのか?」
「ああ。話したことはあまりないけれど、おしとやかで微笑みが可愛らしかったよ。彼女の兄上は、烈炎と渾名されるサー・バーミリオンだろう?兄上の印象からはかけ離れた、完璧な淑女じゃないかな。」
シェンナが微笑む?全く想像がつかない。
「ほらみろ!決めつけはよくないぜ、キアン。お前も早くシェンナ嬢に会ってみればいい。」
「そんな時間はない。昼休憩はもう終わる時間だ。」
顔をに合わせて再び肩をすくめる彼らを視界の端にとらえるが、もういい、とにかく仕事をしよう。
その後、幾度となく父には結婚を拒否する旨を伝えるが相手にされず。シェンナの噂でも仕入れたのだろうか、エクルは彼女に好意的なようだ。周りは敵ばかり、まさに外堀が埋まっている。理性では理解している。現段階で、この婚姻は最も有用だ。それでも、感情は納得できない。冷静になり切れない。割り切れない。
結局、彼女にも会うことなくなく、気が付いてみれば結婚式は二日後に迫っていた。
いつだったかエクルのいっていた、愛人を作ることも考えてもいいのかもしれない。