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一体どういう理由があるか知らないが、シャーレは個室に幽閉されていた。
ジムは彼女に何度か理由を聞いたが、ただそれが父親の命令であるという事以外は、どうやらシャーレも知らないらしい。
外に出た記憶がほとんど無いというシャーレは、ジムの話す外界の話を、
童女がおとぎ話に聞き入るようにうっとりと堪能していた。
ジムは彼女に様々なことを話した。
叔母が祭礼に作ったパイが、
大きすぎて食べきれなかったこと。
日曜学校ほど、
面倒な行事はないという話。
リム・リーン川にいる魚を、友人と素手で捕る勝負をしたこと。
シャーレも、
ジムが聞いたことのない本を、
彼が判るよう優しく読み上げてくれた。
ジムはシャーレが好きだったし、きっと彼女も、ジムのことを嫌ってはいないと信じていた。
だがしかし、そんな日々は、あるとき鉄槌でのめされたように壊れてしまう。
「悲しい知らせがあるの」
いつものようにやってきたジムに、シャーレは物憂げな顔で告げた。
「ジム。
あなたはもうここに来てはいけないわ。
恐ろしい事が判ったの。
どうして私が外に出てはいけないのか、
その理由が。
……お願い、もうここには来ないで」
ジムは理由を問いただそうと頑張ったが、彼女がベットの中に隠れてしまうと、一人寂しく屋敷を後にした。
三日三晩、ジムは一人思い悩んだ。
彼女が最後に見せた悲しい顔が忘れられなかった。
わけが知りたかった。
そしてできれば、そう、
……彼女のちからになりたかった。
それが自分がただ彼女に会いたいという願望に対する言い訳だと知りつつも、ジムは立たずにはいられない。彼は思い立って再び彼女の部屋に潜り込む事を決意した。
二度と潜ることないと思っていた塀の穴を抜け、毎晩やっていたように彼女の部屋に向かう。厳重になっていると思っていた警備は、以外にも薄く、彼は何事もなく部屋に降り立った。
彼はベットに声をかける。
「シャーレ。おきているかい?
……どうか悲鳴をあげないでくれ、
ジム・リックバートンは
もう一度来てしまったんだ」
するとシャーレがベットから起き上がり、ジムを見定めると、驚いた表情から、歓喜に泣きそうな顔をし、最後に悲しい面持ちに変わった。
「来てはいけないと言ったのに、
どうしてやってきてしまったの、ジム。
……あなたはやっぱり悪い子だわ」
「それが君の本心ではないことを
僕は知ってるよ。
お願いだシャーレ。わけを教えてくれ。
何故この屋敷に閉じ込められている?
どうして突然僕を追い払うようなことを言い出したんだ?」
「あなたにはもう関係ない事よ。
さあ、帰って。私がこの呼び鈴を鳴らさないうちに、屋敷を出て行きなさい」
「シャーレ、僕は君に……。
わかったよ、決心は固いんだね。
今日までのことは君の読み聞かせてくれた物語と同じだ。本に書かれた絵空事だと思うことにするよ。
ネズミが、孤独な姫に会いに来ることはもうない。さようなら愛しいシャーレ」
ジムがあの夜のように部屋をでていこうとすると、シャーレは一転、こう訴えた。
「待って、ジム。
最後に、最後にもう一度だけ、
あなたの顔を見せて」
ジムは今の顔を彼女に見せたくなど無かったが、最後の望みだ。
ベットに近づき、のぞきこむように彼女と目を合わせた。
するとベットからシャーレの細い腕がぬっと伸び、ジムの首を鷲掴みし、仰天する彼を床にねじ伏せた。
「何をする、シャーレ!」
「何をする、ですって? ああジム、学のないあなたには、猫の手元にいるネズミの運命すらわからないのかしら?
ここはあまりに退屈なの。少しぐらい刺激を欲しても罰は当たらないわ」
ジムもうでっぷしにはそれなりに自信があったが、彼女の腕力はそれを遙かに上回っていた。
「わかったぞ。
お前はシャーレじゃないな!」
「シャーレよ。
ただあなたが知らないシャーレよ。
一つの体に二人の少女。
名前をもらってないんですもの、
私だって正真正銘のシャーレよ」
悪魔の乗り移ったシャーレは、あざ笑いながらジムの首を容赦なく圧迫する。
ジムはもがいた。
だが、力の差は圧倒的だ。
「シャーレ、目を覚ましてくれ!」
ジムの叫びが届いたのか、シャーレは自らの左手で自らの右手を掴み、葛藤を始め、ジムなんとか解放する。
「これが私の秘密よ。
彼女は私に嫉妬して、
見せしめにあなたを殺そうとしている!
お願いジム、立ち去って!
私の心が彼女に奪われる前に早く!」
哀れなことに美しい令嬢は、内に秘める獣を押さえるかの如くうずくまり、呻き、愛しい恋人を自ら遠ざけようと訴えた。
それを見たジムは、涙をこらえ約束した。
「君の不幸は僕の不幸だ。必ず救う方法を見つけ出すよ、シャーレ!」
彼は煙突に潜り込む。
「まって、ジム!
私を一人置いていくの?!」
暖炉の底から、シャーレだった少女の悲痛な声が次々に聞こえた。
ジムは両手こそ空いてないものの、耳を塞ぐ気持ちで煙突を這い上がる。
すると急に周囲の視界が悪くなった。
シャーレが暖炉に火をつけたのだ。
灼熱の煙がジムを襲う。
ジムは咽せるが、
諦める代わりにこう怒鳴った。
「冗談じゃない! シャーレを幸せにできないまま、燻製になどなってたまるか!!」
今までの人生で発揮したこともない力がみなぎり、彼は一歩、また一歩と天を目指して這い上がった。
屋根に上がり、壁伝いに庭へと降り立った彼を、次の試練が襲う。
リーンの静かな夜空は、金切り声のような警笛に裂かれ、屈強な番人達がジムを見つけて罵声を上げた。
これももう一人のシャーレの仕業か。ジムは舌打ちをして、中庭を走った。
銃声と怒声と番犬の唸り声がジムを追う。
だがジムも、伊達でいたずら小僧をやっていたわけではない。追いかけあいならお手の物だ。小柄な体を活かし、なんとか秘密の通路に潜りこむ。
ここまで来れば、奴らも追っては来ない。ジムは呼吸を整え、ひとまずは仮眠を取ることにした。
何百年か昔に罪人が就寝していた、冷たい牢獄のベットに横たわり、
彼は夜明けを待った。