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かつて見た果て  作者: 笠倉とあ
本編
4/18

4:兆候

「雨降らないねー」


 薬草をぶちぶち千切りながら、彼女は憂鬱そうな顔でそうぼやいた。


 ここ最近、里にはずっと雨が降っていない。夏も終わりに近付いているのに、実も付けずに枯れる植物をちらほら見かけるようになってきた。

 少年は薪を探しながら、時々山菜を摘んでいく。


 二人が出会って早数年、彼らの背は随分と伸び、顔立ちも子供っぽさが抜けてきた。

 少年自身、自分が端正な容貌をしているらしい自覚は(度々称賛をくれる少女の贔屓目を抜いても)大いにあったが、目の前の少女の顔もまたかなり整った部類に入る。

 二人を色めいた目で見る者も数を増やし、身の危険もその分増えた。


(彼女だけならば、結婚相手を見繕うことも出来そうなものですが)


 後ろ盾のない彼女は相変わらず軽んじられていたが、里人を伴侶にしたなら話は別だ。

 特定の相手が出来、正式に『里の一員』となれば、『そういう意味』で彼女に手を出す者はいなくなる。


 この手は自分には使えないだろうことを、少年は自覚していた。

 身元も知れず、最下層の雑用に過ぎない自分を、婿に迎えようという家があるとは思えない。この最底辺の立場から逃げられるとすれば、女である彼女だけだ。


 けれど、やはり当の少女にその気はなさそうだった。

 相変わらずお淑やかさの欠片もない様子で、欲に駆られた男たちに叩き付けてやる薬(くしゃみ誘発、目潰し、睡眠作用、性欲減退効果等々)を鼻歌交じりに日々ゴリゴリと調合している。


 男に相手にされていないわけでもないのに、他の娘たちと違って少しでも条件の良い相手を見繕おうとする気配すらない彼女の様子は、まるで来年も再来年も二人が今のままで一緒にいられるような期待を抱かせて、少年は時折自分を戒めるようにきゅっと下唇を噛まねばならなかった。


「今日も空に雲がありませんからね。当分雨は望めないでしょう」

「歩いーてーいこーうー真ーっ直ぐに―……生ーきてるボクにーは夢があるー……」

「そんな健康的な歌、そんな低いテンションで歌う人初めて見ましたよ」

「いつーかきっとー、いつーかきっとオォォォォォ!!」

「テンション上げれば良いってものじゃありません」


 旋律に言葉を乗せて奏でる音楽を、少年は彼女に出会って初めてきちんと教えてもらった。


 彼女はこれを「歌」と呼んでいる。

 時折真面目に綺麗な歌が聞けることもあるのだが、今回のは多分ツッコミ待ちだ。以前続きが気になって最後まで黙って聞いてしまったら、何やら勘違いした彼女が「無視されるのが一番辛い……」とじめついた顔で膝を抱えてしまったので、仕方なく今回も空気を読んでやった。


 痛む腰を叩きながら、少年は森の向こうを透かし見た。


「でも、そろそろ本格的に危ないですね。川の水位も下がってきましたし、作物も元気がありません。今日は魚が獲れていると良いんですが……」


 魚を持って帰らなければ、また食事を抜かれてしまう。

 彼女に教わって罠を張るようになってからは一日川に浸かって魚を探す必要はなくなったものの、毎日魚が掛かっているわけではないので頼り切りにはできなかった。ただでさえ減りつつある食事をこれ以上削られては、本当に動けなくなってしまう。


「あっ、ミグの実だ。うむ、まったりとしなくてコクもなく、舌に突き刺さるような苦味と酸味が同居してまさに痺れるような不味さ」


 彼女は呑気な顔で、緑色の木の実をモリモリ食べている。少年も幾つか口に押し込まれ、渋い顔で咀嚼した。


 鳥も食べないようなミグの実の味は彼女の言う通りひたすら不味いが、栄養はそれなりにあるので仕方がない。

「あ、この根っこも食べられるよ」と言いながら、彼女は何かの草を引っこ抜いた。いつものことながら野生的である。


 ――彼女の顔もまた、随分と痩けた。


「里長としては税だけでも下げて欲しがってるんだけどね。でも今、なんか王宮でゴタゴタしてるらしいよ。そのお陰で領主様も話聞いてくれないってさ」

「あなた、どこからそんな情報聞いて来るんですか?」

「里長が愚痴ってたのを聞いた奥さんが奥さん友達に喋ってたのを奥さん友達の子供が聞き付けておままごとのネタにしてるのを聞いたんだよ。四軒隣の家の奥さんが猟師のおっさんと爛れた関係なことも知ってるよ」

「どうしていらん情報付け加えてきたんですか」


 自分達の年齢を考えろ、アホ娘め。

 べしこっ、と平手で後頭部をどつくと、彼女は残念そうに肩を落とした。何故食い付くと思ったんだ。


 赤い花を付けた薬草を籠に放り込んで立ち上がると、彼女が手を差し出してきた。

 黙ってそれを掴んで、少年ものそのそと歩き出す。


「魚一杯掛かってるといいね。そうしたらちょっとくらい食べてもバレないよ」

「皮算用は後で余計にお腹が空きます。あなたはこの根っこでもしゃぶっていなさい」

「これ灰汁抜きしないと食べられないやつじゃない。口元にぐいぐい押し付けてくるのやめてよ!」

「ちゃんと丁寧に拭きましたよ」

「微妙な優しさ! せめて洗って!」


 無表情で舌打ちして、少年は根っこを彼女の薬草籠に放り込む。

 彼女は眉尻を下げてへらりと笑った。


「ありがと。下処理して明日持ってくるよ」

「……こんな鳥の骨より細い根っこ、あなたが全部食べなさい」

「女の子は男の子よりも栄養溜め込んでるからまだ大丈夫なんですー」


 おどけた物言いをするが、痩せた体は隠しようがない。もう一度舌打ちしてやると、彼女は「優しさが痛い」と嘯いた。


「ねえねえ、ところでさ、そろそろ名前決める気になった?」

「しつこいですね……仕方がないでしょう、自分の名前となると難しいんですよ。かと言ってあなたが並べ立てるアホな名前だけは絶対に御免ですが」

「おかしくないよ! おじさんって名前の魚は本当にいるんだよ!」

「それを僕に当て嵌めようとするあなたのセンスには本当に脱帽ですよ。悪い意味で」


 少年の名前は未だ決まっていない。彼女と出会って数年を経た今になっても、まだ名無しのままだ。


「大体焦ってあれこれ並べるから質が落ちるんです。もっとじっくり考えて、できればそのまま口を噤んでいてください」

「だってキミ、早く名前を決めないと、いつまで経っても私の名前を呼んでくれないじゃない」

「……僕だけがあなたの名前を呼ぶなんて不公平でしょう」


 そっぽを向いてぼそりと呟き、少年は足を早めた。「今何て言ったのー?」と問いかけてくる少女に、手に力を込めて言い返してやる。


「くっちゃべってないで足を早めなさいドン亀野郎と言ったのです」

「着々と罵倒のボキャブラリーを増やしつつある!」


 衝撃と戦慄に震える少女が、やっぱり自分の意思を尊重してくれるのなんて分かり切っていて。

 今更素直に呼ぶのは恥ずかしい、なんて正直な感情は、いつだって意地を張って憎まれ口の裏に隠し続けていた。


 名前のことで揉めるのなんて、二人にとってはいつものことで。

 それでも少女が親愛を滲ませた声で「キミ」と呼ぶのは少年に対してだけで、少年が「あなた」と感情を込めて発音するのは少女にだけで。

 それで二人には通じるのだから、少年にはそれだけで満足だった。


 ――呼んでおけば良かったのかも知れない、なんて。

 後悔するのはいつだって、全てが手遅れになった後だ。


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