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かつて見た果て  作者: 笠倉とあ
番外編
17/18

風邪を引いた日

 正直、ちょっと危ないな、という予感はしていたのだ。


 前日は朝から頭痛と目眩に襲われて、何とか仕事はこなしたものの夜には一目見て分かるほど熱が上がっていた。

 七歳の孫に感染ったらまずいからと今日一日休みを与えられたのは不幸中の幸いだったが、投げられたのは水筒一本だけで、冬も終わりとは言えまだ寒さの残る季節には、この穴だらけの物置小屋はお世辞にも良い環境とは言えない。


 そんな、気分も体調も最底辺を彷徨く中で。

 いつもならとうに起き出していなければならないその時間帯、朝の光の差し込む小屋で寝苦しげに寝返りを打った少年は、深々と気怠さの籠もった溜め息を吐き出した。

 枯れ葉色の髪はしっとり汗に濡れて張り付き、同色の瞳は熱にどろりと濁っている。

 そもそも彼が日頃受けている扱いは、ようやく十かそこらになった子供の身には過酷過ぎるのだ。体が弱ったがために普段の疲労が纏めて吹き出したのかと憂鬱に思いながら、彼は努めて体温を逃すまいと、薄い布の中であちこちが軋む体を抱え込んだ。


(嗚呼、また隙間風が増えたような気がする。この建物だって、良い加減建て直しが必要でしょうに……)


 尤も建て直して綺麗なった小屋ならば、自分の寝床になど使わせはすまいが、と。

 冷たくも明るい朝の日差しさえ忌々しく思いながら、少年は皮肉に顔を歪めた。

 目に刺さる眩しさが、纏わり付くような眠気を邪魔する。ぼんやり霞む思考のまま、少年はのろのろ視線を上げて差し込む光の出所を追い、


「!?」


 窓の隙間から顔の右上四分の一だけを覗かせ、じっとこちらを見詰めている少女の姿を見つけてビクッとした。


「…………」

「や、おはよー。具合は?」


 どっどっどっどっどっどっ、と高速でビートを叩く胸に手を当てながら無表情で硬直した少年に、目が合ったと見るや普通に挨拶してきた少女が片手を挙げる。

 その態度はどう見てもいつもの呑気な彼女のもので、しかしつい先程まで物音一つ立てずひっそりと気配を消してこちらを見詰めていたかと思うとその行動が真面目に怖い。だからけったいな登場の仕方をするなとあれほど。


「……あーた、なんしてるんでふか」

「呂律が回ってないよ。重症だね」

「……」


 少年は無言で鼻をかみ、咳払いしてから言い直した。


「……あなた、何してるんですか。見た目非常に怪しいんですけど」

「キミが寝込んでるって聞いて様子見に」

「ああ、そうですか……。一応聞きますが、何故そんな妖怪じみた登場を?」


 げほ、と咳を挟みながらじっとりした目で問いかけると、窓からするりと滑り込んできた彼女は即答でこう言った。


「ノリ」

(殴りたい)


 心臓の弱い者ならぽっくり逝きかねないドッキリを仕掛けてくる少女は、それでも微塵も悪意がないからタチが悪い。いつか絶対にホラー張りの絶叫を上げさせてやると決意しながら、少年はぐたりと床に倒れ伏した。

 ずび、とむずむずする鼻をすする。見知った少女の登場で気は削がれたが、代わりに一気に疲労が大きくなった。嗚呼くそ、ただでさえ朝は熱が上がるというのに。


「……あの、僕は見ての通り具合が悪いので……おちょくりに来たならさっさと帰って――」


 そこまで言った時点で、一際強い目眩が襲ってくる。歯を食いしばる暇もなく、意識が真っ白に染め上げられた。




※※※




 目が覚めると、見覚えのある小屋の天井が目に入った。

 小屋と言っても自分の寝泊まりする物置ではない。やっぱりボロだが少年の寝床よりは大分マシな、古い木と薬の匂いがする小さな建物だった。


 喉には布が巻かれ、額には温くなりかけた手拭い。頭の横には水を張った桶があって、半分方溶けた氷の塊がぷかりと浮かんでいた。

 視線を移動させれば、濃茶色の髪の少女がこちらに背中を向けて鼻歌交じりにゴリゴリと薬草を摺っている。

 彼は少し躊躇った後、声を上げようとして咳き込んだ。気付いた少女が振り向いて、能天気な顔で笑う。


「おはよー。具合は?」

「……喉が痛いです」


 ぽそりと返すと、少女は木製のカップを手にやって来た。

 一月以上前に彼女が風邪を引いた時も目にしたが、相変わらず体に悪そうな色をしている。薄い布団から身を起こし、波々と湛えられた薬湯を受け取って、少年は眉を寄せた。


(いつ見ても酷い色だ……)

「飛び切り効き目の高いのを採れたてほやほやで詰め込んだからね! その分ちょっと、ちょっとだけ、本当にほんのちょびっとだけ苦くなってるけど、まあ大丈夫大丈夫。さあ、ぐーっと空けちゃって!」

(このゾウリムシ娘、やっぱり根に持ってやがった)


 以前彼女が風邪を引いた時、自分で作った癖に苦い不味いともたもたごねる様子にイラッとし、早々に鼻をつまんで流し込んでやったのだが、瀕死のご老人の如く咽せ返った挙げ句に物凄く恨みがましい目で見上げてきたので、やはり虎視眈々と報復の機会を窺っていたらしい。

 わざとらしい笑顔がとことん胡散臭いが、彼女のことだから余計なものは入っていないだろう。代わりに飲みやすくする配慮も丸々飛ばしているに違いないと推測し、少年は諦めたような溜め息をついた。

 如何せん、怠い体では反抗する言葉さえ億劫だ。良薬口に苦しと割り切って、彼は一息にカップの中身を煽った。


「…………」


 くっそ不味い。


 口元を抑えた己の手が、ふるふる震えているのが分かる。

 プライドが邪魔をして呻くこともできずに青ざめている少年に、少女はそっと顔を逸らして小さく「プギャー」と呟いた。意味は分からなかったが馬鹿にされているような気がしたので、治ったら念入りに仕返しをしておこうと思う。


「ねえねえ、どんな味だった? 冷え対策を強めにしてみたんだけど」

「最悪でした」


 こちらを振り向いた少女が、何も後ろめたいことなんてありませんよ、みたいな顔でにこやかに問うてくる。渡された水をごくごく飲みながら、少年は短く吐き捨てた。

 でろんとしていて妙にパチパチする感触があって、苦みとえぐみと酸味が劇物のように舌を刺す。青臭い匂いを伴った液体が食道を通って腹に落ちていく感触がはっきり分かって、非常に気持ち悪かった。

 確かに腹からはじんわり温かいものが広がりつつあるが、味はどう考えても罰ゲームだろう。できれば二度と飲みたくない。


(まあ、効果は確かなようですが)


 ずび、と鼻を鳴らして、彼はしょぼつく目を擦る。

 早速気怠い眠気が再来してきてうとうと頭を揺らした少年を、少女がけらりと笑って撫でた。


「じゃあ、またしばらく寝ててね。キミは今日一日うちに置くことになってるから、里長たちも来ないよ。何か欲しいものはある?」


 多分彼女は、水が欲しいとか日差しを遮るものが欲しいとか、そういう答えを想定していたのだろうけれど。

 少年はきゅ、と彼女の裾を掴み、しばらく沈黙した後口を開いた。


「……何でも良いんですか?」

「私に出来ることならね」

「それなら、僕が寝付くまでここにいて……できれば声を聞かせていてください」


 風邪を引いた時は人恋しくなるものだと聞く。素直にそうと言う気はないが、上目遣いに見上げれば、額の手拭いを取り替えていた少女はあっさり頷いた。


「分かった。じゃあ全田一少年の事件簿・オペラ座館の殺人でも話そうか。あれは主人公のオワル少年が幼馴染のオユキと共に、オペラ座館という名の孤島の劇場に行った時の話……」

「病人の傍でドロドロの復讐譚を語るな」


 据わった目で突っ込んでから、少年は呆れたように溜め息をついた。ええい、察しの悪い奴め。


「……今は難しい話なんて聞く気にはなれません。子守歌でも歌っていてください」


 既に半分ほど目が閉じた赤い顔で見上げられて、少女は首を傾げた。


「子守歌? 私あんまり知らないよ」

「何でも良いです。うるさくなければ」

「なら歌なんて要求しなきゃ良いのに……」


 尤もなことを呟く少女から視線を逸らして、少年は彼女の服を掴んだまま目を閉じた。

 少女は小さく息をつき、それから少年が手を離す気配がないのを知ると、諦めたように唇を開く。

 控えめな音量で歌い始めたそれは、ゆりかごに眠る赤子と、カナリヤの歌だった。

 囁くように歌う少女の声にとろとろと耳を傾けながら、少年は睡魔に身を任せる。


 少年が『歌』という音楽の存在を知ったのは、彼女に出会ってからだった。

 勿論山の中の小さな里や村でも、子守歌くらい歌う人間はいるだろう。けれど今まで盥回しにされてきた家には幼い子供などいなかったし、今の里長の孫だって実際に住んでいるのは別の家だ。

 だから彼は歌なんて、あまつさえ自分のために歌われる子守歌なんて、聞くのは彼女のそれが初めてで。


(……ねむい)


 力の抜けた手のひらから、布の感触が滑り落ちていく。最後に、はふ、と息を吐き出して、少年は完全に意識を手放した。

 触れるものを探して無意識に彷徨った手が、温かい何かを掴んだ気がした。




※※※




 次に目が覚めると真っ先に視界に飛び込んできたのは、清潔だけど少し傷んだ濃茶色の頭髪だった。

 外はすっかり日が昇っていて、部屋の中は午後の日差しに溢れている。少年の隣にごろりと転がって眠っている少女の手は己ががっちり掴んでいて、これ故に離れられなかったのだろうと察した。

 呑気な顔で眠りこける少女はぴぃぴぃ鼻を鳴らしつつ、もごもご口を動かして寝言を言っている。


「……ギャフン……。……ギャフン……」

(一体どんな愉快な夢を)


 心の中で突っ込みながら、少年はそっと彼女の上に毛布を掛けた。間もなく熱を求めてすり寄ってくる彼女の姿に少し迷ったが、大分病状が落ち着いていたので、感染りはしないだろうと放置する。


 額の手拭いはとうに温くなっていて、これでは意味がなかろうと水桶に放り投げた。くぅ、と小さく胃が鳴って、少年は無表情で腹を撫でる。

 咳も鼻水も幾分収まったようだし、食欲が出たならもう悪化はしないだろう。目が覚めたら少女にスープでも要求しようかと思いながら、再度毛布に潜り込んだ。


(まあ、次に起きるのは夕方かも知れませんけど)


 少女が風邪を引いた時も一晩ここに泊まったから、物の在処や戸締まり(及び、侵入者対策)のやり方は分かっている。

 最近妙な目で彼女を見る里人もちらほら出てきたし、もしも夕方になっても彼女が起きなかったら勝手に戸を閉めてしまおうと思いながら、少年は少女の隣で目を閉じた。


 薬の匂いと人の体温が、目を閉じた暗闇の中にも追いかけてくる。

 体はまだ怠いけれど、明日はきっと元気になっているだろう。



※全田一少年の事件簿

 歩く事件ホイホイ全田一終少年が、幼馴染のお雪と共に殺人事件から近所の子供の夜泣きまでありとあらゆる事件を解決していく、仮想江戸時代の痛快ミステリーノベルズ。度々殺されかけるけど、元将軍のご意見番だった祖母譲りの推理力と異様に強い悪運で、何だかんだと今日もきっちり元気に生き延びているぞ! 決め台詞は、「バッチャンの名にかけて!」


Q)江戸時代にオペラ座館なんてあるの?

A)仮想だから仕方ない。



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