花舞う風に散る夢と-6
「アレクさんもホワイトレインの樹精さんも、本当は五十年前に死んでたんだろうね」
再会を求める恋人たちを見届けた、奇妙な事件から四日が経って。
帰り道で必要な薬草を手際良く集めて里に戻ってきた灰色の瞳の少女は、自分に与えられた住居兼作業小屋の中で、カチャカチャと道具を弄りながらそう言った。
あの日、全てが終わった樹の下には、褪せてボロボロになったピンク色のリボンと、錆びた指輪がぽつりと転がっていた。枯れた樹の下に二つを埋めて、簡易な墓としたのは記憶に新しい。
大きな瓶から小さな瓶に、とぽとぽと音を立てて透明な液体を入れていく。少し中身を観察した後、少女は慣れた手付きで別の瓶を手に取った。
「互いに互いのよすがに縋り、この世に留まっていたというわけですか。……まあ、あの青年が何らかの理由で嘘をついていることだけは、早々に気付いていましたが」
調合器具を磨きながら、枯れ葉色の少年も相槌を打つ。彼の手の中で角度を変える錫製の小さな器が、窓から射し込む光に鈍く輝いた。
初めて会った時、アレクと名乗った青年は、肩を痛めたことを理由に自身の荷物を少女へ預けた。
けれど実際見ていた限り、道中特に彼が肩を庇っていた記憶はなく。極めつけにチェーンテールラビットの縄張りで少女を助けたアレクが伸ばしたのは、痛めたはずの右腕だった。
察するに、アレクは五十年前、あの崖から落ちた時点で死んでいたのだろう。
本来冥界に行くべき魂がこの世に留まるには、それ相応の媒介が必要となる。その拠り代となったのが、彼らの場合、それぞれ恋人から受け取ったリボンと指輪だったのだ。
アレクが本当に少女に運んで欲しかったのは、旅荷物ではなくあのリボン。死したその身では拠り代を動かすことが出来ず、五十年間あの崖下に留まり続けていたアレクは、生きた人間が拠り代を持ち歩くことでようやくあの場所から移動することが出来たのだ。
何処か食えないアレクの笑顔を思い浮かべながら、少年は磨き終わった器具を棚へと戻した。
「何にせよ、珍しいと言う他にない体験でしたね。……どうやらあなたの方は、至極満足しているようですが」
「ふふー。約束通り、きっちりお礼は貰ったからねえ」
八分咲きとなった可愛らしいピンク色の花――メルファーナをくるりと指先で回してみせ、少女は楽しそうに笑ってみせた。
アレクが見つけたこの花の群生地は、アレクたちが見せた記憶の中でしっかり位置を示されている。
帰りに寄ったその場所で、五十年前と変わらず咲き誇る小さな花畑を見た少女は、大喜びで花を摘んで回っていた。余りに張り切るものだから、少年はうっかり彼女がアレクの二の舞にならないように、いつもより神経を張り詰めていなければならなかった。
「そう言えば、何やらあの人もその花にはこだわっていたようでしたが、何か良い効能でもあるんですか?」
「んん、それもあるけど。この花ね、人に贈る時はそれぞれ違った意味を持つんだよ」
喋りながら、彼女は新しい器を出してメルファーナを洗いにかかる。消毒用の液体を上から注げば、酒精の匂いがつんとした。
「異性に贈る時は愛の告白。同性に贈る時は変わらない友情。家族に贈る時は親愛。中でも子供に対しては特別でね、生まれてきたことへの感謝と寿ぎ、同時にメルファーナを漬けた酒を誕生日に飲ませれば、その子は一年間病気にならないと言われるそうだよ」
アレクさんたちの場合はそのまんまだねー、と付け加えながらしっかり器に蓋をして、少女はへらりと唇を緩ませた。満足した猫のような目付きで頷いて、机の端に寄せておく。
「ああ、それで……。もしかして、里長様にでも依頼を受けたのですか? 近々お孫様の誕生日ですからね」
それにしたって誕生日はもうすぐなのに漬け込む期間が短過ぎないかと思った少年は、次に少女が言った言葉に動きを止めた。
「は? 何言ってんの、これはキミ用だよ」
あっさりさらっと告げられて、少年の機能がぴたりと停止した。ややあってからぎこちなく振り向き、信じられないものを見るような目で少女を見る。
「…………え?」
彼女が先程語ったばかりのことが、彼の頭をぐるぐる回る。確か、メルファーナを異性に贈る意味は――
「腐ると困るから濃いめのお酒に漬けるつもりだけど、一口だけでもちゃんと飲んでよ! 縁起ものだけど、一応薬学的な効能もあるんだからね!」
「ああそっちですね分かってましたよこの唐変木タンスの角に小指ぶつけろ」
物凄く不条理な気分で反射的に罵倒を並べてから、ぎゃあぎゃあと抗議を喚き立てている少女に舌打ちを零す。
腹が立つ。理不尽だとは分かっているが、物凄く腹が立つ。
「と言うか、僕は自分の誕生日なんて知りませんよ」
「私だってそんなもの知らないよ。私とキミが出会った日を私たちの誕生日ってことにしたから、その日はキミも私にメルファーナ酒を注いで渡してよね」
「…………」
私が作ったのそのまま使って良いからさ、と。
平然と言われた少女の言葉に、少年は今度こそ沈黙した。
告げられた内容を理解してじわりと頬に熱が昇るが、俯いて作業に熱中している少女は気付く気配が全くない。
「実はメルファーナ酒の習慣のことを知ったのがつい最近でさ、もしも花の時期が過ぎちゃったらまた一年待たなきゃいけないところだったよ。だからアレクさんが教えてくれて本当に助かったなあ。
あ、今年はあと二ヶ月くらいしか時間がないけど、正式には漬け込む期間が長いほど縁起が良いみたいだから、来年の分も今から漬けとこうね」
あれこれ喋り続ける少女に、少年はこっそり頬に手を当てる。思いの外熱かったそこにうろりと視線を泳がせつつ、唇を強く噛み締めた。
――嗚呼、どうして彼女は、こうも易々と。
棚を漁る振りをして、少年は少女に背中を向ける。火照る頬を隠しながら、ぶっきらぼうに口を開いた。
「……メルファーナの消毒が終わったら教えてください。あなたの分の花酒は僕が作ってあげますから」
「え、マジで? 珍しく寛大だね、変なものでも食べた?」
「二日酔いになって小指の上に酒瓶落とせ」
「なんでキミそんな執拗に私の小指狙って来るのさ!?」
再びギャーコラと喚き出す少女に、少年はうるさいとばかりに後ろ手に擂り粉木を投げ付けた。
おわあと悲鳴がして受け止められたことを察しつつ、彼は棚漁りを続行する。
彼女にはもう少し一人で叫んでいてもらわなければならないな、と少年は思った。
この顔が人に見せられるものに戻るには、まだ時間がかかるだろうから。