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かつて見た果て  作者: 笠倉とあ
番外編
11/18

花舞う風に散る夢と-2

「ああああああ――……おぶふぁっ」


 切り立った崖を容赦なく落下していった少女は、こんもりと生い茂った緑に背中から突っ込んで奇声を上げた。


 衝撃と同時に、ボサッ!と間抜けな音がする。しばらくぐるぐる目を回した後で、ようやく自身が助かったことに気付いた彼女はふらふらと上半身を持ち上げた。


「おうふ……空が高い……」


 高い崖から落ちた場合、墜落死するよりも突き出た岩などに叩き付けられて死亡するケースが多いと言う。何かで読んだ物騒な豆知識を思い出しながら、彼女はくらくらする頭を落ち着かせた。

 見れば崖の途中に何ヶ所か、びっしりと葉を付けた枝が突き出ている場所がある。どうやら自分はそのうちの一つに、運良く受け止められたらしかった。

 彼女は全身の力を抜き、腰が抜けそうな思いで安堵の息をついた。


「び、吃驚した……。今回ばかりは死ぬかと思った……!」


 高い木から落ちた時も恐ろしかったが、今回のこれは高さが違う。肺の空気を全て絞り出すほどの溜息を吐き、がっくりと額に手を当てた少女は、枝葉に包まれたまま上空を見上げた。

 鼠返しのようになっているせいで、崖の上にいるであろう少年の姿は窺えない。自惚れでなく心配しているに違いない彼の顔を思い浮かべながら、次に視線を下に落とす。


 見下ろす崖の下は、また森のようになっているようだった。幸いあまり高さはなく、この距離なら木の上に落ちれば軽傷で済むだろう。

 少年が追い付く前に下へ降りたいと考えて、彼女は土壁に手をかけた。


 救急車も消防車も期待できないこの世界、やれることは全てやらねば誰も手を差し伸べてはくれないのだ。今までの生活で猿並みの身軽さを手に入れていなかったら、きっと足が竦んで動けなかっただろうと思いながら、彼女は緊張感のない顔で笑った。


「木登りなら幾らでもしたことあるけど、流石にロッククライミングは初めてだなあ……。上手く出来れば良いけど」


 指をこきこき解しながら、彼女はぼそりとそう呟いて。

 そうして叶う限り慎重に、ゆっくりと崖を降り始めた。




※※※




 直線距離なら三分もかからない道を、大回りして駆け抜けて。

 現在枯れ葉色の少年はようやく辿り着いた崖下を、少女が墜落したであろう地点を目指して全力疾走していた。


「――何処ですか! いるなら返事をしてください!」


 出来る限りの大声で叫んで、彼は辺りをぐるりと見回す。

 息を荒げて汗を流して、それでも足は決して止めない。妙にしぶとくて悪運が強くて、痛みに弱い彼女のことを、早く見つけてやらねばならないのだ。


(あの馬鹿娘、咄嗟に僕の手を取ることを躊躇いましたね……!)


 彼女は否定するだろうが、少年にはその確信があった。

 あの少女の性格は、里の誰よりも分かっている。巻き込めなかったのだろう。実際自分の力では、あの場で彼女を引き戻せずに一緒に落ちるのが関の山だ。そしてそうならなかったからこそ今、自分は無傷で彼女を探しに走ることが出来ている。


 彼女が動けなくなっているとしても、声さえ出せれば見つけられる自信はあった。後はこの場で応急処置をして、担いででも里に連れ帰る。

 最悪の想像は、努めて考えないようにした。今は立ち止まっていて良い時ではない。


「いるんでしょう!? 返事をしてください……!」


 日頃大声など上げない喉が痛んだが、今ばかりは構っていられなかった。縋るような言葉を絞り出す少年の耳に、その時木々を揺らす音が聞こえる。


「――!!」


 ばっと振り向くと、現れたのは果たして目的の少女だった。

 少年と目が合ったその瞬間、いつものように緊張感のない顔で、彼女はぱちくりと瞬きをする。呑気な表情に何となく理不尽なものを覚えながらも、意表を突かれた彼はぴたりと動きを停止した。


 よく見れば、彼女はあちこちに切り傷や擦り傷がある他は極めて健康な様子である。ちゃんと二本の足で立って、血の匂いも全くしない。

 茂みから身を乗り出した彼女の口が、あ、と開きかけた瞬間、少年は突進するような勢いで少女に抱き付いていた。


「――ぐふぅっ! 今鳩尾に入った……!」

「無事なんですか!? 内臓は! 骨折は! 頭を打ってはいませんか!?」

「平気平気、心配させてごめんね。ちょっと背中打ったけど、背骨も内臓も異常はないから大丈夫。それより少し手ェ緩めて欲しいな痛い痛い痛い」

「…………」

「今何で強めた!?」


 ほぼ無事らしいと知るや否や、鯖折りでも仕掛けているのではないかという勢いで少女の背中を抱き寄せていた少年は、クスクスという笑い声を聞き付けて顔を上げた。


 ――そこには、太い木の幹に寄りかかるように、一人の人間が座っていた。


 まだ二十歳になっているかも分からない、淡色の髪の青年だ。微妙にサイズの大きな服の上から、質の良さそうな紺色のコートを着込んでいる。

 優しげな容貌は非常に端正で、けれど何処か影の薄い印象を受けた。縋るように少女に抱き付く少年を微笑ましげに見守る姿からは、一片の揶揄も悪意も見て取れない。


 己を見つけた少年の双眸から一気に感情の色が薄まったのを目にして、青年は宥めるようににこりと笑いかけた。


「こんにちは」

「……こんにちは」


 見た目に相応しく穏やかな声には、里人たちのような蔑みの色は含まれていない。微かな警戒を押し隠した少年に、少女はようやく身を離して二人を交互に見た。


「アレクさん、この子は私の友達。――アレクさんも崖から落ちたみたいでさ、ついさっきここで見つけたんだよ」

「そのせいで、少し肩を痛めちゃってね。彼女に見てもらってたところだったんだ」

「……そうですか」


 こくりと頷く少年に、アレクと呼ばれた青年は苦笑する。名前を名乗らない彼らの態度に何かを悟ったのか、そこには敢えて言及することはなく、「君にも、ちょっと話を聞いてもらって良いかな?」と言葉を継いだ。


「その子にも話してたところなんだけど、俺は今、人を捜しにこの山に来ててね。通りすがりに過ぎない君たちには本当に申し訳ないんだけど、良かったら少しだけ協力してくれないかな。勿論、俺に出来ることならお礼はするから」

「……人、とは?」

「恋人さんだってさ」


 少女がそう口を挟んで、困ったようにアレクを見た。協力と言われても二人の使える時間は限られているし、『お礼』の内容によっては普通に里人に取り上げられるので意味がない。


「でも私たち、この近辺にはほとんど土地勘がないですよ? ここから一日くらい歩いた里に住んでるんです。アレクさんが行きたい方向には、まだ行ったことがありませんし」

「構わないよ、何も道案内をして欲しいわけじゃないからね。『彼女』のいる場所は何となく分かるから、君たちはこの山で注意するべきことを俺に教えてくれながら、帰り道だけ覚えていれば良い」

「うぅん……」


 少女は基本的に人が好い。けれど今回は、少女以外の人間を厭う少年がいることで同行を迷っているのだろう。

 どうしたものかと言うように、彼女は下唇を尖らせる。

 その様子にそっと自分の右肩を撫でてみせ、アレクは困ったように首を傾げてみせた。


「強引で悪いけど、俺にも事情があってね。どうしてもお願いしたいんだ。予想通りなら、彼女の居場所までは二、三日で済む。肩を痛めているから、獣に出くわしたら逃げられないし、一人では荷物を持ち切れないんだよ」

「アレクさん結構グイグイ来ますね……。私たちの里から他の人を呼んで来るんじゃいけないんですか?」

「その人たちが信用できるか分からないからね。勿論お礼はするよ、メルファーナの群生地の在処とかどうかな?」


 その名を聞いた瞬間に、少女の目がギラリと光った。貴重な薬草を見つけた時と同じ輝き方に、少年は溜息を吐きたくなる。


「その話乗った! メルファーナの花、近いうちに探しに行こうと思ってたんです!」

「あはは、ありがとう。そっちの男の子はどうする?」

「……彼女が行くなら、僕もお受けします」


 微かに眉間に皺を寄せ、少年は諦めたようにそう言った。こんなキラキラ、と言うか、ギラギラしている少女を、どうやって止めろと言うのだ。


 けれど、安心したように「助かるよ、ありがとう」と笑うアレクを横目に、少女がこっそり少年を見やってきた。窺うように顔を寄せ、ひそりと小さく囁いてくる。


「ねえ、私が言うのも何だけどさ、本当に良いの? その、何ならキミだけ先に里に戻るか、別行動取っても」

「一人で戻ったところで里長様にこき使われるだけですし、別行動の間にあなたに何かあったらそれこそ言い訳が立ちません。それなら、あなたに付いて見張っていた方がまだましです」


 ピシャリと言い放ってから、彼は少しだけ目を逸らす。

 確かに、望めるのなら彼とて少女と二人きりが良い。余人を、殊に大人を好かない彼にとっては、水を差されたという思いが何処かにある。


 けれど、彼女が目を輝かせて欲するものを諦めさせてまで、我を通したいとは思わなかった。

 彼女はしょっちゅう無茶をするけれど、目の届かない場所で大怪我をされるよりは、自分の傍で心臓に悪い思いをさせてくれた方がずっと良い。そうすれば、暴走が度を超えた時に頭をひっぱたいてやることも、腕を掴んで引きずり戻してやることも出来るのだから。


「……それに、メルファーナとやらが欲しいのでしょう。あなたが日頃から勉強熱心なのは知っていますし、あなたの我が儘なら、たまに付き合うのも悪くはありませんから」

「えっ……。……今、デレた?」

「空気を読め」


 一気に半眼になった少年に思い切り人差し指を脇腹に捻り込まれ、少女は形容し難い声を上げて悶絶した。この素っ頓狂、肝心な所でふざけるのは確信犯なのか。


「仲が良いんだねぇ。短い間だけど、これから宜しくね」


 さり気なくヒソヒソ話から外されても、青年の笑顔には不満の一つも浮かばない。

 じゃれ合う二人の姿にニコニコ笑う青年はこれで結構大物なのかも知れないと、この時彼らは何となく思った。


 一応『オウリ』という名前のある少女が名乗らなかったのは、名無しの少年を差し置いて一人だけ名乗るのもどうかなーと思ったためです。微妙な気遣い。

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