笑っちゃうよ。
とある世界のとある時代にノトアールという名前のおじいさんがいました。
ノトアールおじいさんは周りから『笑っちゃうよ』おじいさんと呼ばれていました。なぜ『笑っちゃうよ』おじいさんかというと、ノトアールおじいさんは嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いこと、なにがあってもいつも「笑っちゃうよ」と言って、笑顔を絶やさなかったからでした。
とある日の事です。突然、世界中から『楽しい事』『嬉しい事』が全て無くなってしまいました。これは絶対神を勝手に名乗る邪神シーゲルの加護を受けた小太りの汚らしい醜悪な魔法使いが異世界からやって来て、この世界の『楽しい事』『嬉しい事』を悪い魔法を使って独り占めしてしまったからでした。
「ウハッwチート最高!ブヒッw」
醜悪な魔法使いはそう言いながら、この世界を好き勝手に蹂躙していきました。
そんな魔法使いを倒すため様々な勇者や戦士達が立ち上がり戦いを挑みましたが、為す術なくことごとく敗北を喫していきました。そうしていく内に人々からは『希望』すら消えていきました。
そんな時でもノトアールおじいさんはニコニコしながら人々を励ましつつ、いつものように「笑っちゃうよ」と言い続けていました。
しかし、ある日ついにノトアールおじいさんの住んでいる街にも醜悪な魔法使いが現れ、街を好き勝手、滅茶苦茶に蹂躙していきました。
そのせいで大人達は数を減らし、やつれ果て、子ども達は瓦礫のなかをさまよい歩き、泣き叫ぶという有り様です。
すると、いつもニコニコしていたノトアールおじいさんが、夜叉の如く怒りに満ち、底知れぬ悲しみを湛えた顔をして
「あ゛~!!!嫌になっちゃうよ!!!」
と、今まで聞いたことのない、とても低く、どこまでも響き渡る低く恐ろしい声で言いました。すると、その途端にどす黒く分厚い雲が一気に空一面を覆い隠し、眩いばかりの稲光が辺りそこら中を走り回り、立っていられないほどの暴風が吹き荒れ、大粒の雨が横殴りに降り始め、肌を突き刺すような濃密で膨大な魔力がノトアールおじいさんの周りで渦巻き始めました。
人々はそんな環境の変化とノトアールおじいさんの変わりように目を見張り、恐れおののきました。
そしてノトアールおじいさんは老人とは思えないような俊敏な動きで一瞬にして醜悪な魔法使いの下へと跳び、その眼前に立ちはだかりました。そんなノトアールおじいさんに対し醜悪な魔法使いはわざとらしくノトアールおじいさんを馬鹿にしたような口調で
「やめてくれるぅ?」
と吐き捨てるように言いました。
そして、次の瞬間、間髪入れず、醜悪な魔法使いはノトアールおじいさんに向かって、躊躇無く火炎の最上級魔法『火色真黒』を放ちました。
しかし、ノトアールおじいさんは
「そんなんじゃだめだぁ。」
と言ったかと思うと、片手を前に付きだし、放たれた最上級魔法をいとも簡単に軽々と手のひらで受け止め消し去ってしまいました。
そして、今度はノトアールおじいさんが呪文らしき文言を唱え始めました。
「憤怒の奇律、強欲の気負憑怪、暴食の零。拿螺天堕、沫多供養。聖なる邪法『呪業怪死』」
唱え終わると同時にノトアールおじいさんは指をパチンと軽く鳴らしました。すると、驚くべきことに醜悪な魔法使いの全身が一瞬にして、無数の漆黒の細かい粒子となり霧散して消え去ってしまいました。
「へへへ、もう大丈夫だ。あ~あ、笑っちゃうよ。」
ノトアールおじいさんはそう言うと、いつものようにニコニコ笑い始めました。そして、誰にも聞こえない小さな声で
「運命を巻き戻す事が出来れば…巻き戻せ!凶刃遊雫。夢幻の呪法『さだめの枯井戸』」
と唱えました。すると、どうでしょう。醜悪な魔法使いによって壊されたこの世界の全ての物が何事も無かったかのように元に戻り、奪われた全ての命が五体満足で蘇り、無くなった『楽しい事』『嬉しい事』が以前よりも増した状態で世界中に芽吹いたではありませんか。
人々はその奇跡のような出来事、否、奇跡そのものに歓喜の涙を流し、大歓声を挙げました。
「ふぃ~、良かった、良かった。」
なぜノトアールおじいさんにこんな事が出来るのでしょうか。実はノトアールおじいさんはかつて『呪の魔王ヘドバド』と呼ばれ、その強大な力を持って様々な世界で悪名を轟かせ、人々から恐れられていた十六堕禍羅の魔人の内の一人だったのです。
しかし、なぜ、『呪の魔王ヘドバド』がノトアールと名乗り、一般人として暮らしているかは誰にもその理由は分かりません。でも、ただ一つだけ確実に分かる事があります。それは醜悪な魔法使いとの戦いの後もノトアールおじいさんは街に住み続け、何時までも何時までもただニコニコと優しい笑みを浮かべ
「笑っちゃうよ。」
と言い続けていたということです。