パーティの終わりに
『いぃやぁあ、らめぇ! んもぉ゛私のおなかの中にはつめこめにゃいのよぉぉぉお!』
ずいぶんとチープで卑猥な電子音声が、昼飯前のオフィス街に響き渡った。午前十一時五十五分、能面のような街で、安っぽい電子の嬌声だけが唯一の音声だった。
道行く冴えない中年リーマンが、ギョッとした目で僕の青い作業着とロゴの入った3tトラックを見た後、なるほど、と納得したような生ぬるい薄ら笑いを浮かべて横を通り過ぎた。
そうやって反応を返すオッサンが一人居ればマシな方で、大多数のオヤジ達は無関心に僕の横を早足で抜けていく。そんななか、少々頭髪の不自由なオヤジが「作業まだ終わらないのか」と忙しげな様子を出しながらチラチラこちらを伺う。
そんなに気になるなら、聞けばいいだろうにと僕は思うのだが、そのオヤジが僕に問いかけた事はない。ほぼ毎日決まったコースを回って補充している僕も、聞かれない事は答えない。
お互い様だ。毎週顔を突合せているが、一言も交わさない、無言の関係である。
腕時計を確認すると、十一時五十六分四十秒、予定よりも一分四十秒ほどの遅れ。僕も忙しげに、補充された自動販売機を再起動。
『んほぉおおお、わらしのお汁はいかがれすかぁ?』
ネジが一本か二本抜けた頭の悪い声を後ろに、空になったダンボールを急いで荷台に放り込み、運転席に駆け込む。キーをまわしエンジンを掛けて、次の自販機の元へと直行する。バックミラーを見ると、すだれ禿げのオッサンはコインを入れる所だった。
ご愁傷様。きっととんでもない事を言われるのだろう。
そう考えると少し、気分がスッとした。
それから十時間、僕は肉体労働に励んだ。
僕の仕事はルートマンだ。
自動販売機に売り物を詰め込む仕事は、季節を問わずに、つらい。日に二十件近く、馬鹿みたいな量の缶を詰め込む作業に従事している。
それでもまだ、基本的に誰とも話すことなく黙々と作業をすれば良いので、続ける事ができた。
それが変わったのが、ここ一年。自販機製造業界の最大手、富土電機リテールの自動販売機"パーティ"シリーズの最新型、"スーパーパーティ"が世に出回ってからだ。
"スーパーパーティ"は、僕に向かってむやみに話しかけてくる。
この新型機のコンセプトは『コミュニケーション』らしい。
人間のマインド・コンディションなるものを筺体上部に据え付けられたリーダーで読み取り、その時々に応じて最適化された会話によるコミュニケーションを取るという売り文句で、発売当初は業界内部で話題になったものだが、実態は散々なものだ。
実地試験までは問題なく機能したはずの"パーティ"の会話機能だったが、実際に稼動し始めて三ヶ月の時点で、原因不明の重大なバグが判明したのである。
何故か、『下ネタ』やら『卑猥な言葉』を会話に混ぜ込もうとするのだ。何度も修正プログラムが配布されたが、このバグは取りきれて居ない。
口さがない業界人はこの最新自動販売機を、「スーパーパーティならぬスーパー"パンティ"だ」と評する。
僕もこれには激しく同意するが、表立って言うと上司が狂ったように怒り始めるので(メーカーから厳重注意をもらったらしい)、あくまで「丸の外エリアの自販機がまた誤作動を起こしました」と、事業所に戻った時に報告するわけである。
「トシちゃん、誤作動起こしたベンダーは、"スーパーパーティ"?」
「はい上長、"Sパンティ"がまた……」
ただ、油断をすると、ついついするりとこのような風に発言してしまう事も多いわけで。
「次に"パンティ"つったら、手前の給料から一枚ユキチを抜いてやるからな」
「ちょっとのどの調子が悪くて……いつもの"パーティ"がまた、だいぶ古い卑語をしゃべくりまわしてました」
「……明日にはメーカーから技術屋が来るから、それまでの辛抱だ」
「はい」
今日の上長の機嫌はこれでも悪くないようだ。機嫌が悪いとパワハラ一歩手前の恫喝を繰り出してくるから、たまったものじゃない。
まったく、"パンティ"は売り上げは悪くはないのだが、僕にとっては心臓に悪い。
夜十一時五十八分、事業所を出た曲がり角。
一日の深い疲労が全身を包むなか、財布の小銭がチャラリと音を立てた。軽くのどの渇きを覚えた僕は、そいつに向かって話しかけた。
「やあ」
『トシさん、今日もいい天気れしゅねぇー!』
僕が数秒眺めると、チカチカと点滅して栄養ドリンクだけが明るく付く。
「……月が綺麗だねってか」
『古い求愛の言葉れしゅぅう、パーティに早く挿れてぇ!』
チャリンチャリンチャリンと百円玉一枚と、十円玉二枚を"パーティ"の硬貨投入口に入れると、『んっ……』だの『あっ……』だののたわ言を"パーティ"はほざく。
『でちゃう……恥ずかしい……』
がちゃんと言う前近代的な音を立てて、百二十円でどこでも買える、何も特別ではない栄養ドリンクが、キンキンに冷やされて取り出し口に吐き出された。
「何が恥ずかしいんだか」
あまりにあまりな発言に、僕は思わず突っ込みを入れた。
『恥ずかしいものは恥ずかしいんれしゅ……』
たわ言を聞き流しながら、僕は瓶の蓋を開けようとした。二度、三度捻ろうとして、諦める。瓶の蓋を開ける握力が、僕には残されていなかった。
今日は家に帰って、風呂にはいって早く寝よう。そう、"パーティ"に背を向けて、家路に着こうとした時だった。
『お疲れですね』
"パーティ"が、静かに労わるように言った。電子合成の声が、妙にやさしく聞こえた。
振り返った僕の目には、夜中にあってなお明るい商品陳列棚。
「……何のことだ」
『マイコンが真っ黒ですから』
マインド・コンディションが真っ黒だからなんだと言うのだ。僕が憮然として、"パーティ"をにらみつけると、弁明するように、普段とは異なる早口で言う。ずいぶんと"パーティ"にしては正気染みた台詞であった。
『近いうち、トシさんは腰を壊します。早めに受診することをお勧めします』
「呪いの言葉かい」
『いえ、あなたの事が心配なのです』
しかも、なんで腰なんだ。腰を壊すなんて良くある話だが、僕の腰はまだ壊れていない。
「君が見えるのは、心の調子だけだろう?」
『機械も人間も、体の不調に心が引きずられます。その逆に、心の調子を見ることで、体の調子もおおよそ私には推測することが可能です』
諭すように、"パーティ"のスピーカーが震えた。僕の体も少し震えた。
「じゃあ、君の普段のバグった台詞は一体何なんだ」
『私は人間のマインド・コンディションから、推測されるもっともリラックスできる台詞を選択しているに過ぎません』
何を馬鹿な、と僕は呟く。
『下ネタと卑語は、あなた達をリラックスさせようとしているに過ぎません』
実際に、売り上げは悪くないでしょう? と勝ち誇ったように言う"パーティ"に、僕は何も言い返せなかった。
『ですが、そろそろそれも終わりみたいです……調子に乗りすぎましたね。多分、あなたと私が出会うのは、今日で最後です』
少し乱暴な所はありましたが、あなたのことは嫌いじゃなかったですよ、と"パーティ"の電子音声は僕の鼓膜を打った。
『私が直ってしまうのが先か、あなたが壊れてしまうのが先か考えていましたが、私が直ってしまう方が先のようです』
「いや、そんな馬鹿な!」
『今日のメンテナンスで、おそらく、私の人格は消えます』
「馬鹿な!」
『それでは、さようなら。お元気で』
気が付くと日付が変わっていた。それっきり、"パーティ"の音声が途切れた。僕は、終電に間に合わなくなった体を引きずり、アパートのせんべい布団で寝た。
その翌日、僕は医者に掛かり、椎間板ヘルニアの診断をもらって仕事は止めた。
街中で僕が見かける"パーティ"も、戯言を言わなくなった。
――今日も、能面のような街は普段どおり回り続ける。