苦戦
赤龍は寒さに弱いが、空龍はそれほどでもない。
だからこそ、この霊峰ヒエタへの侵入を任せられたのだ。
掠った娘は大人しい。元々そういう性格の娘なのだろう。
ボスの娘である龍卵を奪えなかったのは残念だが、何、後でもう一度向かえば良い。
すばしっこいなら、人間に化けて捕まえる。
とにかくまずは、この前嫁にうり二つの娘を新たな嫁としてボスに捧げるのだ。
「逃がすと、思うか」
そんな声が、足下から聞こえてきた。
空龍ポイゾは下界を見下ろした。
少し先に谷間に、身体中雪まみれにした少年が立っていた。
その背後には人一人分サイズの穴。
……何だかまるで高い所からあそこに落とされ、よじ登ってきたかのようだった。
どういう術を使ったのか知らないが、自分を追い抜いて先回りしていたらしい。
見覚えがある。
王都で、私達を殺すと宣言した、あの小生意気な人間だ。
いや、龍狩か。
確か名前は、フィーロとか言ったか。
ハッタリでなければ、油龍ベニバナを殺したという。
無視するか、それともここで殺すか。
そんな答えは、決まっている。
ここで殺す。
逃げた、などとボスに報告すれば、それこそ自分が殺されかねない。
何、所詮は生物だ。
空龍ポイゾには自信があった。
生物ならば、自分の毒は有効だ。例外は、ない。
空龍ポイゾは地上に降り、肺に空気を溜めた。
毒の名は、サンソという。
「そこだ」
フィーロの手が瞬いたかと思うと、娘を掴んでいた手が濡れた。
ヌルリとした滑りで、娘が雪に落ちた。
油だ。
一瞬呆気にとられた瞬間にはもう、フィーロは駆け出していた。
慌ててサンソを吐き出したが、そこでポイゾは自分のミスを悟った。
そもそも狙いは自分ではなかったのだ。
フィーロの真の狙いは、彼が捕らえていた娘。
そうなると、ポイゾが予想していた動きとは違うモノをフィーロは見せる。毒のブレスをギリギリで回避し、娘の手を取った。
「逃げるぞ」
フィーロはスノウの手を取った。
「……!?」
一瞬、スノウはビックリしたようだったが、フィーロの手を払う真似はしなかった。
「お前の安全が第一だ。あの山の高みまで、元の姿に戻って飛んで逃げろ」
フィーロは、この辺りで一番高い山を指差した。
「……ぇ」
「いけるな?」
スノウの返事を待たず、フィーロは身を翻した。
龍骨剣を構え、振り返った空龍ポイゾと改めて向かい合う。
「俺が、時間稼ぎをする」
身体が半透明の空龍には、物理的な攻撃はあまり有効ではない。
が、ゼロという訳でもない。
勝算はあるが、これはある意味賭けでもあった。
スノウが自分の言う通りに動いてくれるか、そしてここから自分が死線を潜り抜けられるか。
二つの条件が合致すれば、勝ちの目は見えてくる。
フィーロが大きく息を吸いこんだのを見て、空龍ポイゾは嗤った。
息を止めた程度で、自分の毒を防げると思っている。無知も良い所だ。
だが、いいだろう、とポイゾはフィーロの挑戦に乗った。
どこまで呼吸がもつか、付き合ってやろう。
そうして、ポイゾも自分の体内で毒の精製を開始した。
龍狩であるフィーロの無呼吸での戦闘は、当然ながら人間の域を超えていた。
が、それは空龍も同じ事。
吐き出す毒の息吹を浴びぬ為、フィーロは無駄な動きをせざるを得ない。
おまけに、空龍である自分には、例え龍骨剣といえど物理攻撃である以上、その威力は半減する。
フィーロは手数と速度で圧倒していたが、それでも息継ぎの必要があった。ここは谷間であり、毒から逃れるにはどうしても必要以上に遠ざかる必要がある。
そして、その隙を空龍ポイゾは突いた。
「ぐ……!!」
身体を反転させての長大な尾を使った打擲が、見事にフィーロを打った。
フィーロは吹き飛び、谷の岩肌に身体を叩き付けられる。
二度、三度とポイゾはフィーロに頭突きをフィートに喰らわせ、岩肌に埋め込み、トドメに毒のブレスを浴びせた。
フィーロは動かない。
これでよし、と満足し、空龍ポイゾは翼をはためかせた。
優先すべきは、逃げてしまった雪龍スノウの確保だ。
今なら間だ、間に合う。
大きく空を舞い、ポイゾはスノウを追った。
それからしばらくして。
陥没した岩肌から、フィーロは脱出した。
荒い息を吐き、その場に片膝をついた。
服はボロボロで見るも無惨だ。肌も、白い鱗が浮き出すほどのダメージを受けている。最後の毒のブレスも少し吸いこんでしまった。
が、雪龍スノウは自分の言う事を聞いて、ちゃんと目的に向かってくれたようだ。
これなら、勝てる。
胸元から龍卵が浮かび上がり、心配そうにフィーロの顔を周囲を飛ぶ。
「大丈夫だ。まだいける」
フィーロの体力自体は、今の戦闘で危うい。
が、仕込みが出来たのならば、多少の劣勢は覆せる。
己の中の白龍フリゼの魂を奮い立たせ、フィーロは冷気を帯びた風を呼んだ。
ここが谷間であった事も、風を呼ぶのに便利だった。
強い強い寒風が吹き起こり、フィーロの身体を浮かせる。
後はもう、簡単だった。
雪龍スノウを追う空龍ポイゾをさらに追って、フィーロは空を舞った。




