油龍ベニバナ
覚えのある気に誘われ油龍ベニバナは動いたのだが、相手を見た途端「なんだそりゃあ」という気分にさせられた。
てっきり、逃げて行方をくらましていたボスの嫁かと思ったのだ。
ボスは、嫁である、ええと名前は確か白龍フリゼだったか、とにかくえらい別嬪さんだ、あれにご執心で、ちょうど今も何度目かの捜索の為、呼び出しを受けていたのだ。
だが、眼下にいるのはちっぽけな人間、それもオスだ。
ちぇー、なんだよそれ。せっかく手柄を独り占め出来そうだったのに。
と思ったが、まあ腹も減っているし良いか、と気を取り直す。
後ろにもう一匹、これはメスもいることだし、二人を喰って出発前の腹ごなしと行こう。
ベニバナは、油を吐き出した。
彼の身体から精製されるそれはヌルヌルとしており、逃げようとする人間達の足止めにはうってつけだ。
そして慌てふためく彼らをボスの炎で生きたまま焼いてもらう。
ベニバナはその時の断末魔が大好きだった。
だが。
地面に着弾した油を、オスは浴びていなかった。
一体どこに――首筋に、気配を感じた。
油龍ベニバナが油を吐き出したのと同時に、フィーロも動いていた。
ダッシュでベニバナの真下を潜り抜けて跳躍、そのまま龍の長い首筋目掛けて蹴りを放った。
重い音がし、ベニバナが地面に叩きつけられる。
身体中の油が飛び、周囲に飛び散る。
フィーロの足も油まみれになったが、これを蹴って払った。
ベニバナは一瞬混乱した。
今、自分が落下させられた首筋への衝撃は、一体何だったのか。
この、正面に立つオスの仕業か。
まさか、人間にそんな事が可能なはずがない。
頭を振り、腕を振るう。
が、それはオスの手で易々と弾かれてしまった。
不可解な事象に、ベニバナはさらに混乱する。
が、顎への蹴りで、彼はようやく現実を認識した。
こいつ、ただの人間じゃない。
ベニバナの攻撃を、この人間は普通に回避する。
周囲は既にベニバナの油まみれで、まともな人間なら立つことすらおぼつかないはずだ。
なのにコイツは。
苛立ったベニバナは、早々に決着を付ける事にした。
口の奥の歯をガチガチと言わせ、火花を用意しようとした。
ボスがいなくても、ベニバナは自分で火を点けることだって出来るのだ。
そして周囲の油に点火。
もちろんその炎は自分も巻き込むが、龍の皮膚はそのぐらいの火力は普通に耐える事が出来る。
死ね。
と、ベニバナは火花を発した。
が……何故か火は点かなかった。
「やりたいことは、終わったか?」
得体の知れないオスの、不気味な手がベニバナの鼻面に突きつけられる。
ベニバナの混乱は、得体の知れないモノへの恐怖へ変わりつつあった。
何だ、コイツ何をした?
敵とは目と鼻の先だ。
口を開き、一口で食い千切ってやる。
が、閉じた口に敵はおらず、相手は既に跳躍して横へ回避していた。
やはり、足が滑っている様子はない。
……そこでやっと気がついた。
油が、白く濁っている。
「知っているぞ」
敵が言う。
油が固まっているのだ。
敵の足下から、地面が冷やされていっている。否、凍らされている!!
この力は……知っている。
あの、雌龍の気配はやはり、気のせいなんかじゃなかった!!
「油は冷えると滑りにくくなる」
敵の手が、ベニバナの右前肢に触れた。その途端、皮膚から分泌していた油ごと前肢が凍り付く。
ベニバナは、恐怖の悲鳴を上げた。
「お前は、生きたまま人を焼くのが好きだったな」
なら、とフィーロは油龍ベニバナの四つの足を順番に凍らせていった。
「それに相応しい末路をくれてやる」
ベニバナは高らかな悲鳴を上げ、何とか空へと逃れようとする。
が、すべての足を封じられ、かつ腹も地面の凍結とくっついている。
皮を丸ごと剥がす覚悟がない限り、空に飛ぶことはもはや叶わない。
「お前に焼き殺された、すべての人間の魂の安らぎのために」
フィーロは指先を、ベニバナに突きつける。
それから逃れるため、ベニバナは必死に首を反らせるが、それなら首の根本に触れるだけだった。
「死をもって償え」
亀裂の入るような音と共に、ベニバナの身体全体が急激に冷やされ白く濁っていく。
やがてベニバナは白い彫像と化した。
こん、と拳で叩くとその身体は粉々に砕け散った。
「まずは、一頭」




