そして、全ては後回し
「いつまでそうやって、震えて、引きずられてるつもり!」
「葵ちゃんが離してくれるまでだと思う」
「あっそ」
「ちょっと、いきなり放すなよ!」
階段の途中でいきなり放され、踊り場まで転がる。
「どういうつもり。ずっと、震えてるだけなんて。そんなので、明後日戦えるの」
その目は失望が滲んでいる。
さっき武道館から俺を質問攻めしてた時とはまるで違う。
「別段、俺は天帝と戦うつもりはないよ。さっきビビってたのは認めるけど。だけど、俺の目標は葵ちゃんに勝ち残ってもらうこと。個人戦まで生き残ることだよ」
葵ちゃんから目をそむけ、吐き捨てるように叫ぶ。
見えない、見たくない。
葵ちゃんの瞳が怖い。
昔のように捨てられるのが恐い。
昔のように現実を認めずに反抗する心も無い。
だから、俺の腐った目は葵ちゃんの輝く目にピントが合わない。
「逃げる算段だけじゃ、生き残れるとは思えないよ」
「立ち向かうだけでも、……無理だよ」
弱々しい俺の反論はその場に小さな沈黙を作る。
「なんか、ゴメン。葵ちゃんをがっかりさせたみたいだし、士気も下げちゃったし」
「……気にしなくていいよ。こっちもきついこと言ったみたいだし」
今度は一転お互いに謝り合う。
「今からでも俺の代わりを見つけようか? なんなら、神楽に頼み込んでも――」
チャキン
鯉口を切る音と共に目の前に刀をつきけられる。
「初めに言った。拒否させる気なんて無い。私のパートナは天下くん。貴方だから」
端から見ればただの脅迫だ。
泣きそうな男に刀を突きつけてる女。そんでもって、拒否権なしを主張している。
だけど、俺は、捨てられるかもしれないと一瞬考えた俺は、彼女の言葉が、彼女の突きつけた刀が、女神の救いのように感じた。
「ありが……とう」
「礼を言うことでもない。それじゃ、取り敢えず今日のところは帰りましょう」
刀を収め、俺へ手を差し伸べる。
その手を掴み、重たい体を動かす。
そして、彼女の手を掴んでいる手を見て、ようやく震えが止まったことに気がついた。
会話なく、教室へカバンを取りに戻り、校門へと差し掛かかる。
「あの、もう一つお願いしていいかな」
「なに? 別段無茶なこと以外なら暇だし全然構わないけど」
「実はこの辺に来たのつい最近だから、買い物とか一緒にして欲しいんだけど。いいかな」
「買い物って何?」
「スーパーまで連れっててくれたらいいわ」
「まあ、別に全然いいよ。ちなみに葵ちゃんの家ってどの辺りなの?」
「近いわよ。歩いて行けるぐらいだし」
なるほどね。なら、俺の知ってる近所のスーパでいいか。
「了解。ついてきて」
そうやって歩き始める。スーパー自体はすぐ近くにある。
問題は歩いて到着するまでの間、どうやって会話を繋げるかだ。
「あのさ、天帝と面識あったの?」
なんとなく、屋上での会話で気になったことを聞いてみた。
なんとなく聞かないほうがいい事柄なのかなとも思ったが、会話せずに気まずい空気が流れるのと大差ないかな。
「彼の家は、ウチの分家なのよ。だから、月に一回ある会議に出席した時に何度か顔を合わせてる。まあ、向こうは私のこと覚えてなかったけどね」
自嘲気味につぶやく。
「へえー、ていうか天帝若いのに当主なの? それとも、親と一緒に参加してるの?」
「蒼崎空の両親は死んでるわ。蒼崎の家って面倒くさくてね、昔クーデター起こしかけたのよ。その時の混乱で蒼崎の家の者はほとんど死んだか、再起不能になってるわ。それで、一時期、蒼崎の家を潰すという話もあったのだけれど、蒼崎空という子供が強い力を持っており、本人が天上家に逆らわず、且つ天上家に忠誠を誓ったため、取り潰しを免れ、蒼崎空が当主となったの」
あれれ、おかしいな。わりと気まずくならないように会話を振ってたつもりだけど、むちゃくちゃ重たい話になっちゃてるな。
「よく天帝をそのまま当主に据えたね。ようは両親の敵じゃないの?」
「クーデター未遂のときは、別の分家がほぼ独断で動いて処理したから、蒼崎空自体は、本家を恨んではいないみたい。でも、別の分家とは仲が悪くて、いつも衝突してるよ。まあ、色々しかたないのかもね。クーデターを起こす気があったのは確かだし証拠も色々出てきたけど、空のご両親なんかは完全に無関係だったらしいし」
「ハードなんだね」
普段は気ダルそうな天帝を思い出し、似合わない過去だなと思った。
「そうね。まあ、そんなことを感じさせないぐらい普段から飄々としてたけどね。学校でもあんな感じなのね」
「うん。一緒にいた、双鐘恋さんに生徒会の仕事を押し付けて基本いつも眠そうな顔してるよ。だから、葵ちゃんと話してて、一瞬天帝が真面目な顔したからビビっちゃったよ」
あんな表情の天帝は戦いでもない限りめったに見ることはない。
今思い返しても震えてしまいそうだ。
「おっと、話してたらすぐついちゃったね」
「ありがとう。あとは一人で大丈夫だから」
「いいよ、荷物持ちくらい付き合うさ。別段服を買うわけでもないんだからそれほど時間もかからないだろ」
「あ、ありがとう」
若干照れたようにつぶやき、なぜか駆け足でスーパーの中へ葵ちゃんは入っていった。
「家はこっちなの?」
スーパーで買った食料を持ちながら、手に持った地図を睨んでいる葵ちゃんに付いて行く。
葵ちゃん自信も今日初めて借家に行くらしい。
ただひとつ気になることがある。
現在葵ちゃんの後ろに付いて行ってるだけなのに、俺の家の方向と全く同じなのである。
……まさかね。
「ついた、多分ここでいいはずよ。
「へー、すっごく見覚えあるな」
うん。半ば想像通り、俺の家だ。
恐らく何かの間違いだろう。
葵ちゃんから地図を借りてよく見る。
赤い丸印をつけられた場所は、どう見ても俺の家だった。
「あのー、言い難いんだけど、葵ちゃん。ここ俺の家なんだけど」
「えっ、そうなの? 確か教えてもらった話だと、すっごく強い剣士の家だって聞いたんだけど」
まあ、間違いじゃない。すっごく強い奴もこの家には住んでる。
でもさ、住居人に全く知らせないなんて事あるか?
「まあ、取り敢えず、上がろうか」
そうして、俺は自分の家のドアを開けた。
「あっ、おかえりなさい」
玄関には、姉がいた。
そして、俺に挨拶をすると同時に俺に向かって飛び込んできた。
「ちょっと、姉ちゃん!?」
「うーん。今日は朝に抱きつけなかったからね。やっぱり、一日に一回は弟成分を補給しないと」
姉に抱きつかれ、大きめの胸に顔が押し付けられる。柔らかさと共にいい匂いが顔中に広がる。
姉は姉で俺を抱きしめてクンカクンカしてくる。正直な話し超恥ずかしい。
でもね、これ姉ちゃんが家にいるときは一日に一回はやられるんだ。
「姉ちゃん、今日はやめてくれよ。お客さんが来てるんだから!」
「ふぇ? お客さん?」
そして、ようやく姉は俺を解放すると、葵ちゃんの存在を確認する。
「女の子! ついに天くんにも、春が」
「来てねーから、ただのクラスメイトだから!」
雷が落ちたかのようなエフェクトが見えそうなほど驚く姉に突っ込む。
「だよねー。天下がそう簡単にモテないよね。お姉ちゃん安心したわ」
「酷い姉だよ。姉ちゃんこそ、そろそろ浮いた話がないと、親父が心配するぜ」
バコ、
姉が無表情で俺のカバンを殴った。
分厚い教科書を入れているカバンが姉のコブシの形で凹んでいた。
冷や汗が頬を伝う。
さっきまでのボケた雰囲気が一瞬で涼しくなった。
「……スイマセンでした」
「なーに? 天くん。急に誤ったりして? 変だな、フフフ」
こええよ。
「えーと、確か、天上葵さん、だったかしら」
「そ、そうです」
葵ちゃんは姉ちゃんの行き過ぎたスキンシップと、一瞬見せた裏の顔をみてドン引きしていた。
「話は聞いてるから、上へ上がっておいて、すぐに私も行くから」
あれれ? 俺は全く聞いてないのに姉ちゃんは知ってるんだ。
「姉ちゃん、どういう事なの? 俺全く話がつかめないんですけど」
「あれ? お父さんに説明を頼んでおいたのに。まあ後で説明するから」
そう言うと姉ちゃんは道場の方へ向かっていった。
「まあ、取り敢えず、上がってよ」
「う、うん。おじゃまします」
葵ちゃんが戸惑いながら敷居をまたぐ。
俺は取り敢えず客間に葵ちゃんを案内し、取り敢えずコップにジュースを入れて俺も腰を下ろした。
まもなく、親父と姉が客間へと入ってくる。
「遠いところから、わざわざご苦労だったな。こっちとしても急な話だったんでびっくりしたよ」
「一番びっくりしたのは俺だよ。一言ぐらい声かけろよ」
「すまん、すまん。忘れてた」
忘れてただと。こんな重大なことを。
着流しを着て格好つけてるけど、中身はやっぱり、俺の知ってるダメおやじだった。
「それで、葵くん。今日から、この家で暮らしていくわけだが、まあ、基本だらけてくれてもいいし、道場を好きに使ってくれてもいい。まあ、土日は一応弟子が来るから遠慮して欲しいけどね。あと、こちらに届いた荷物は全部部屋に運んでるから後で確認しておいてくれ」
「はい」
なんだろう。この蚊帳の外の気分。
重大なことが着実に決まっていっている。
その時よっぽど不安そうな顔をしていたのだろうか姉が明るく俺に声をかける。
「やったね、天下くん。家族が増えるよ」
「おいバカやめろ。ていうか、問題ないの? 俺と葵ちゃんクラスメートで同級生だよ。一つ屋根の下で同い年の男女が暮らしていいの? 俺はともかく葵ちゃんが嫌でしょ?」
「別に私は大丈夫だけど? 本家でも同い年でつとめてる子とかいたし」
「だ、そうだぞ。あと、葵くんも天下に関しては気にしなくていい。イタズラする勇気もない、えっと、今よく話題になってる草食系男子ってやつだから」
「てめっ、親父! 勝手に決め付けんな」
「悔しかったら彼女でも連れてこい、このバカ息子。全く、奥手な所など誰に似たんだか」
知らねえよ。
「あと、葵くんと大事な話があるから、二人共今日の晩飯の用意でも始めてくれ」
そう言うと、手を振って俺と姉ちゃんを客間の外へと追いだす。
全く勝手なやつだ。
「今日のご飯何にしようか?」
「葵ちゃんが適当にスーパーで食材買ってたからそれで作ろうぜ」
やれやれ、面倒事ばっかり起こるな今日は。でも、まあ、取り敢えず。やれることからやるしかないよね。
そうして、俺は飯の手伝いを始めた。
◇◇◇
「それで、あの学園に転校した理由は、あの通りなのか?」
「はい、私には、それしかチャンスがありませんから」
墨汁のような色の着流しを着て、無精ひげを生やし、髪を思うがままに伸ばした男、神乃息吹は客間の椅子に深く腰掛け、先ほどまでのふざけた態度とは違い、真面目に少女に話しかける。
「中々強情なようだが、恐らく『蒼崎空に勝て』という交換条件は不可能だと思って出したんだと思うぞ」
「わかってます。当主様は女である私に資格がないと考えているのでしょう。それでも、諦めきれないんです。チャンスがあるなら最後まで諦めたくない。やりもせずに諦めるのは嫌いなんです」
「なるほど。アイツの言ってた通りだな。全く、葵くんのそういう姿勢をウチのバカ息子に見習わせたいよ。それで、今年の戦挙のルールはどうなんだ? ルール次第ならなんとかなるかもしれない」
「タッグマッチだそうです。」
「ならまだ希望はあるかもしれない。強いものと組み、その者と一緒に戦えば蒼崎空に勝つチャンスが――」
「私のパートナーは天下くんです」
「……は?」
信じられないといった顔で葵を見つめるが、葵自身は至って真面目な表情のままだ。
「それを、アイツが、天下が了承したのか」
「はい。多少強引ではありましたが」
「なるほどな。まあ、ある意味でとっておきのジョーカだな。問題は、ババなのか、切り札なのか。まあアイツがヤル気をだしているのなら、それほど心配しなくてもいいか」
「えっ?」
「まあ、そこそこの活躍はしてくれると思いますよ。天下がヤル気を出しているならね。ですが、蒼崎空にはアイツは勝てないでしょう。だから、そこだけは、アナタがなんとかしなくてはいけない。まあ、でも、今更悩んでもなんとやらですよ。当日ぶっつけ本番しかないでしょう」
そう言って神乃息吹は立ち上がる。
「あのー、一ついいですか?」
「何だい」
「天下くんって何者何ですか?」
「ああ、」
その時神乃息吹は答えに困り、そして悲しそうにつぶやいた。
「誰よりも剣を愛し、誰よりも強くなろうとして、その夢に潰れてしまった。いや、潰された男かな」