ボーイミーツガールで始まる戦争 1
家に帰ってそのまま、俺は道場の方へと向かう。そこには道着を着用し、道場の中央で正座している葵ちゃんの姿があった。
俺は声をかけようと思ったが、思わずためらう。
その空間に佇む葵ちゃんは、触れてはいけない存在のように感じた。
ただ、そこに座っているだけなのに、彼女から目を離せない。
俺は空間に貼り付けられたかのように、ただ、言葉を失い葵ちゃんを見つめる。
「遅かったわね」
そう言いながら、彼女は立ち上がりこちらに振り向く。
その瞬間から、先ほどまで張り詰めていた空気が四散し、そのことを惜しく思いつつ話に交じる。
「まあ、追加で変な用事が入ったからね。これでも、急いだほうなんだけど。ゴメンね」
「別に気にしてない」
そうは言いつつも、刀を握っている手がウズウズしている。
「で? 何するの」
「一度、アナタと、神乃天下と手合わせしたいんだけど」
「実戦? ならやだよ。明日が本番なのに怪我するような事はしたくない」
「軽くでいいから、一度、天下くんと戦いたいの」
そう言って、彼女は刀を抜く。
どうやら、もう確定事項らしい。
「どうやら、交渉の余地はないみたいだね」
「物分りがよくていいね。刀は抜かないの?」
「抜いてもいいけど、その方が弱いと思うよ?」
そう言って俺は刀を左手に握り締める。
その姿を見て、葵ちゃんが笑う。
「じゃあ、行くよ!」
話もそこそこにいきなり、葵ちゃんが仕掛ける。
刀を基本の正眼に構え、真っ直ぐ飛び込んでくる。
その軌道は直線的であるが、構えが正眼である以上何処から切り込まれるかはまだわからない。
葵ちゃんの飛び込みに合わして、後ろに下がる手もあるが、それじゃあイタズラに戦いを伸ばすだけである。ならば、初手に合して一撃を入れる。
俺がカウンターの体制をとった以上戦いは長引かない。
ゆえに初撃の対応が全て。
だが、先手を仕掛けたはずの葵ちゃんは飛び込みつつも、腕を振り上げる様子もなく、正眼のまま。
相手の刀の軌道がわからなければ、カウンターもクソもない。
畜生。チキンレースの気分だ。
徐々に詰まる、彼女と俺の距離。けれど、彼女の腕は動かない。
そこで、ようやく彼女の狙いがわかる。
「突きかよ!」
葵ちゃんは自分自身が一本の刀のように真っ直ぐ体当たりするかのように飛び込み、回避が不可能な間合いでようやく腕を前へと突き出す。
全体重を乗せた一撃が迫る。
初撃から突きが来ると思っていなかった俺は完全に対応が遅れた。
いまさら体をひねっても避けるのは厳しい。
「もらった!」
彼女が勝利を確信したとき、俺は刀を逆手で握り、小指でトリガーを引っ掛けながら抜く。
いわゆる逆手居合で自身に迫った葵ちゃんの突きを下から上へ振り上げる形で強引に弾く。
「なっ!?」
逸れた突きが俺の体を掠る。
勝ったと油断した葵ちゃんは突きが決まらなかったことに対し驚き、次撃への対応が遅れる。
その隙に俺が葵ちゃんに刀を突きつける。
「一本かな?」
「……ホントに強いんだ」
「そんなに強くないけどね。っていうか今のは葵ちゃん油断しすぎ。あと、軽い手合わせとか言っときながら、いきなり突きは反則でしょ」
「……試してみたかったから、色々ね」
そう言った彼女は俺に負けたのに案外嬉しそうにも見えた。
恐らくそれほど、本気でもなかったのだろう。
最低限俺が使えるかどうか試したというところかな。
「納得してくれたなら嬉しいです」
俺は刀を鞘へと収める。刀を抜くつもりはなかったが、思った以上に不意を突かれ対応が遅れた。
感覚が鈍っているのかもしれない。
思えば、今日倒した二階堂よりもっと上の連中がわんさかいるのだ。
二階堂に勝った程度で調子にのるなどあってはいけないことだ。
「それで? 次は何するの?」
軽く息をついて、葵ちゃんに尋ねる。
「天下くんが来るの遅いからもういいよ。素振りとかはしたし。それに、そろそろ夕飯用意しないといけないし」
「あれ? 今日姉ちゃんいなかったっけ?」
「なんか、私が帰ってきたら『仕事が入っちゃたから夕飯お願い!』って言って出ていったよ」
「ああ、そう」
よくある話だ。姉ちゃんの仕事は不規則だから。
「じゃあ、取り敢えず俺が用意しとくから、葵ちゃんはシャワーでも浴びてきなよ。汗かいたでしょ?」
そう言うと、葵ちゃんはちょっと顔を赤らめて、服をクンクンしている。
俺がなにしてるんだろうと不思議そうに見ると、一言消えそうな声で俺に聞いた。
「私、汗臭い?」
……はい?
よく考えよう。俺のセリフ「シャワー浴びてこい」=「臭いよお前」、という変換が行われたのか?
だとしたら問題である。このままでは、俺は葵ちゃんを傷つけてしまう。思春期の女の子に臭いなんて言ったとか思われたらそれはもう関係修復不可能だ。
考えろ俺。さっきのセリフにそんな意味はないとハッキリと伝えなければいけない。でなければこの同居生活がわずか2日で崩壊してしまう。
俺は素早く脳内会議を行う。
まずは、選択肢その一だな。
【ぜんぜん、葵ちゃんは臭くないよ。もしいまこの空間に漂っている甘い香りが葵ちゃんの汗のニオイだっていうのならずっと嗅いでいたいくらいさ】
どう考えてもダメなセリフだな。俺の変態性を十分アピールしつつ、葵ちゃんが今考えている『私臭ってる』っていう不安を全く解消できていない。男として最低なセリフのチョイスだ。
恋愛ゲームで葵ちゃんルートに入りたくないならこれを選ぶのがいいね。
きっと、主人公をぶん殴ってくれる。
よし、気を取り直して選択肢その二だな。
【そんなことないよ。別に汗臭いからシャワー浴びろなんて言ったわけじゃなくてさ、料理作るから、道着からまた私服に着替えるわけじゃん。それなのに汗かいてたら気持ちわるいでしょ。だから、お風呂に入ってきなよって言っただけだよ】
うーん。今ならこれが一番だろうか。まあ、先ほどの自分のセリフの釈明もできているし、気を効かせたってところもアピールしてる。葵ちゃんが匂いを気にしてる部分に対しても、あまり触れないことで逆にフォローしている。
まあ、無難って感じかな。
素早い脳内会議の結果、賛成多数で導かれた選択肢その二を口にする。
「そんなことないよ。別に汗臭いからシャワー浴びろなんて言ったわけじゃなくてさ、料理作るから、道着からまた私服に着替えるわけじゃん。それなのに汗かいてたら気持ちわるいでしょ。だから、お風呂に入ってきなよって言っただけだよ」
「そっ、そうなの。なんか、気を使わせたみたいでゴメンね」
葵ちゃんの顔が安心して緩む。
なんとか、葵ちゃんを傷つけずこの場を切り抜けれたみたいだ。
「いやいや、取り敢えず俺は冷蔵庫の食材見て、野菜でも切っておくから。ゆっくりしなよ。じゃあ」
背を向け、急いで俺はその場を後にする。
いやー、地雷ってのは結構どこにでも転がっているね。
さて、そうは言ったものの、今日は何を作ろうか。
台所を前に考える。
昨日のカレーは昼に親父が食い尽くしたのか、洗いもせずに鍋だけ流しに放置されていた。
冷蔵庫の中にはキャベツと豚肉がある。まあ、炒めりゃなんとかなるだろう。
味付けは葵ちゃんにまかせて、俺は野菜と肉を切っときゃいい。
そう思って、早速作業を進める。
まずはコメを洗って炊飯器をセットする。
次に野菜を取り出し、炒めやすい大きさにカットする。
もともと、包丁の扱いに関しては姉ちゃんに仕込まれたからわりと得意であり、スムーズに切り刻んでいく。
味付けに関しては、姉から雑だと散々言われ、最終的に向いていないといわれたが。
そこら辺は葵ちゃんの腕前に期待である。
野菜もあっさりと切り終わり、次に豚肉に包丁を入れようとした時、葵ちゃんが部屋に入ってくる。
「ゴメン、今から手伝うよ」
「ああ、じゃあ後お願いしてもいいかな」
そう言って場所を入れ替わる時、葵ちゃんの濡れた髪からいい匂いが鼻をくすぐる。
シャンプーの香りか、そうだとしても、あまりにも甘い匂いに一瞬頭がクラクラしそうになる。
その時の俺の顔があまりにも不自然だったのか、葵ちゃんが不思議そうな顔でこちらを見る。
「どうしたの?」
「いや、別に」
まさか、いい匂いだね。なんて言えるだろうか。言えるわけない。そんなセリフを言える男がいたら、そいつとは一生仲良くなれない自信がある。
そんな俺に首をかしげながら、葵ちゃんは俺から作業を引き継ぎ、あっさりと豚肉の炒め物を完成させる。
本来なら、味噌汁ぐらいつけないといけないのかもしれないが、今日は作業の取り掛かりが遅かったし別段いいだろ。
「葵ちゃん、皿とご飯をよそっておいて。俺は親父呼んでくるから」
「うん」
俺はすぐさま、部屋から親父を呼び出す。案の定親父は寝ていた。
「起きろ、飯だぞ」
「zzz、あと五分」
「三十秒で起きな。出なけりゃ飯抜き」
「zzz、二十九。zzz、二十八――」
「数える位なら起きろ!」
俺が親父の背中を蹴飛ばしようやく起こす。
「三十秒寝させろよ」
「食ったら寝ていいから、つべこべ言わず動け」
親父を引きずりながら居間に連れていくと、すでに皿と飯が揃っており今すぐ食べられる状況だった。
「おかずが少ないぞ天下。今日は、光はいないのか?」
「姉ちゃんは仕事。文句があるなら、親父が作れ」
「……はぁ、ちなみに作ったのは天下か?」
「葵ちゃんだよ」
親父が目線を葵ちゃんに向けると彼女は恥ずかしそうに顔を俯ける。
「おお、楽しみだな。では、頂きます」
「「頂きます」」
手を合わせ、最初の一口を口に入れる。
うん? まずくは無い。けれど、どこか物足りない。
彼女の料理はかなり薄味だった。
「あのー、味大丈夫ですか?」
「、お、おう。美味しいよ葵くん」
デリカシーの無い親父は口で褒めつつも、豚肉の野菜炒めに食卓の醤油を思いっきり足している。
「ありがとうございます」
口では葵ちゃんも感謝の言葉を述べているが、目が思いっきり、親父が醤油を足しているところを見ている。
「天下くんは?」
このタイミングで俺に聞くなよ。俺も、親父に醤油もらおうかなと思ったのに、醤油足してるの悲しげに見ている姿みたらもう無理じゃん。
「ああ、オイシイヨ」
ゆっくりと薄味の豚肉を噛み締めながら、醤油を足したい衝動を忘れようとしながら、箸を進めた。
あと一歩
及ばぬ味に
醤油くれ
飯も終わり、風呂から出て部屋に寝っ転がる。
いよいよ明日である。
「うまくやれるかな」
ぼそりとつぶやき、天井に手を伸ばす。
胸には不安しかない。
けれど、やるしか無い。
コンコン!
そんな時、俺の部屋のドアがノックされる。
「誰?」
「私よ。葵だけど」
「どうしたの? 入ってきていいよ」
就寝間際の以外な訪問者に驚く。
「いや、寝る前に一言言いたかっただけだから」
「え?」
「がんばろうね」
そういって部屋の前のドアから気配が消える。
自分の部屋に戻ったのだろう。
「あんまり、プレッシャーかけないでくれよ。俺蚤の心臓なのに」
苦笑いしながら、俺は電気を消して、まぶたを閉じた。




