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監督コーチ会議

 その後、由華はチームの練習がある日曜日、月に一回パートの仕事を休み、練習を見にグランドへ足を運ぶようになった。当日練習試合のある日は、前日の土曜日の午後も練習をすることがあり、月に五・六回グランドへ通う他の母親からすれば、子供の野球に熱心でない親ということで由華は敬遠され続けた。しかし、由華が皆から無視される理由はもっと根深いところにあった。

 同じマンションで隣の和田君の母親だけはグランドでも唯一人由華に話しかけてくれていたが、ある日由華は和田君の母親から俄かには信じられないことを聞かされ仰天した。

 知春と同級の和田君の父親は野球経験がほとんどないのでコーチではなかったが、せっせと練習の手伝いをしたりスコアブックのつけ方をマスターしたりと、とても熱心だったため、低学年の親ながら全体の父母会長に就いていた。父母会長は監督コーチ会議に出席して色々と情報交換したりして、増島総監督と同じくらいの発言力を持っている。

 和田君の母親は、二ヶ月前の監督コーチ会議での様子について由華に詳しく話をしてくれた。


◆◇◆


 その日の監督コーチ会議には特別に白井君の母親と鎌谷コーチの奥さんが出席していた。

 和田君の父親が白井君の母親に発言を促すと、彼女は興奮したように話し始めた。

「酒井知春君に関する件で、ご相談があります。実は、個人的なことでお恥ずかしい限りですが、今後のチームの運営に重大な影響があることですので、あえてお話しすることにしました。短刀直入に事実だけ申します。酒井知春君のお母さんは未亡人で、私の夫をたぶらかして浮気の行為を重ねています。このことは実際に私の夫の口から聞いたことですので間違いありません。皆さんコーチの方は知らない方もおられるかもしれませんが、今や母親たちの間では知らない人はいません」

 増島総監督は彼女の話を半ばさえぎるように言葉を発した。

「そのことは私も青山監督から聞いていますが、チームの運営に重大な影響があるとは思えませんよ。いったい、何を言われたいんですか?」

 白井君の母親は背筋を伸ばして増島総監督の方へ向き、はっきりとした口調で言った。

「練習試合でも一部の敏感な方は既にお気付きかと思いますが、母親は皆一様に酒井知春君のお母さんに憤りを感じていて、ある母親は子供にも知春君とはあまり話をしないように言っているらしいです。知春君が打席に立った時、母親も子供もけだるそうに応援している様子が監督やコーチの皆さんはお気付きになりませんか?」

 まるで「あなたは鈍感です」と言い切るような言葉に増島総監督は突然立ち上がった。そこにはいつもの温厚な彼の面影はなかった。

「関係のない選手子供に妙なことを吹き込む母親には、野球どころかそもそもスポーツに携わる資格などありませんぞ! 誰がそんなくだらないことを言っているんですか!? ええ? 白井さん! 震源地はあなたでしょう!」

 慌てた和田君の父親が隣の席から増島総監督に着席するよう求めた。しかし、これを聞いて白井君の母親が黙ってはいない。

「ちょっと待ってください。震源地ってどういう意味ですか? 私を悪者呼ばわりするんですか? あなたは!」

 そこへ同席していた鎌谷コーチの奥さんが口をはさんだ。

「増島さん。失礼よ! 撤回しなさいよ」

 慌てたのは鎌谷コーチだ。

「おっ、おい。お前なんてことを」

「あなたは黙ってらっしゃい!」

「あっ、はっ、はい」

 鎌谷コーチの奥さんは増島総監督を指差して言った。

「あなたは、どこへ向かって怒っているのですか? いったい悪いのは誰なんですか? 増島さん。物事の善悪も判断出来ない人に、人を指導することなんて出来るはずないんじゃありません?」

 鎌谷コーチは思わず目をつぶった。


――ああ、言っちまったぜ。こいつ。ヤバ。

 

 増島総監督は今度は逆にゆっくりめに言った。

「事実がどうか知りませんが、そうだとしたら確かにそれは大変なことですよ。でも、それでもって関係のない人間、ましてや子供を巻き込むってのはもっとずっと最低のことだ」

 増島総監督は、「俺は気分が悪くなったから退席する。橋爪監督。会議の方は続けてくれ」と言い、部屋を出て行った。

あとを任された高学年の橋爪監督は目を白黒させた。


――何で俺が低学年チームのいざこざを持ち込まれなきゃならないんだよ。勝手にやってくれって言いたいよな。


「勝手にやってくれって言いたい……! うっ!」

 橋爪監督は思わず思っていたことを口にしてしまっていた。

「橋爪さん。今、何と仰いました?」と鎌田コーチの奥さんが言う。

「あっ、いっ、いや。知春君にチームをやめてもらうのはちょっと酷だと思いますが、ピッチャーはやめて、試合では取りあえず代打かなんかで使っていくしかないんじゃないでしょうかね。客観的な立場としてはそんな風に考えますけどね」

 鎌田コーチの奥さんの顔色が急に良くなった。

「ね。そうでしょう。親が応援にもこない、父母会の風紀も著しく乱す。知春君が投げていても誰も応援しないしね。結果としてチームが乱れるってことは事実でしょ? それでは勝てるわけありませんものね」

「あの、俺、そこまで言ってませんけど……」

「あら、そうかしら?」

鎌谷コーチの奥さんは勝ち誇ったように白井君の母親の方を見た。彼女も、少し気が晴れたような表情をしていた。


◆◇◆


――そういうことだったのか……。 


 由華は和田君の母親の話に耳を傾けていて、最初の試合後初めてグランドへ行った際に白井君の母親に罵声を浴びせられ頬を叩かれた時のことを思い出した。

 由華には全く身に覚えがないことだった。由華は何故白井君の父親が奥さんにそんなことを言ったのか理解出来なかった。しかし、いつも、そして今でも由華の胸には白井君の父親からもらった、磯浜の岩の陰にいる蟹を形取ったブローチとタコがハチマキをしたブローチが付いていた。ブローチをいつも大切そうに付けて近所を歩いている由華の姿が、白井君の父親にある種の妄想を抱かせてしまったのかもしれない。


――なんて罪深いブローチなの? これは……。


 由華はその二つのブローチを外した。和田君の母親はバツが悪そうに上目使いに由華の方を見てから俯いた。

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