体験入部
夫真吾が亡くなって約一年が経った。
生活は相変わらず苦しかったが、由華は夫の実家からの仕送り援助にも少し甘えながら、母子生活も少しづつ落ち着いてきた。
そんなある日の日曜日、由華は二年生になった子、知春を連れて江戸川河川敷の少年野球練習用グランドにいた。そこでは体験入部のさまざまな企画が行われていて、お土産の鉛筆と勧誘用のチーム名の入った下敷きが配られていた。子供と野球をするという、亡き夫の二つ目の夢は実現しようにもなかったが、由華は夫が亡くなってからは、せめてもの子供に野球をやらせて天国にいる夫に見せてあげようと考えていたのだ。
まずは、同じマンションの増島総監督のところへ行って子供と一緒にご挨拶。
低学年は五、六メートル離れたホームベース上の大きな布製の的へボールを投げるストラックゲームとゴム製の棒の上に乗せたボールを打つバッティングゲーム。
増島総監督はニコニコしながら、知春の頭に掌を置いて言った。
「そこに並んで投げてごらん」
入部希望の子供が並んで自分の順番を待つ。 皆、子供なりにいいところを見せようと真剣である。
子供の手にはやけに大きく見えるボールを持ち、知春は大きな布製の的へ向けてそれを投げた。
山なりのボールははるか的の上を通り抜けてその先のバックネットに直接ぶつかった。
「はずれ、残念」
的に当てた子供は小さな袋に入った飴を四つもらう。外した知春は二つだ。
「ほう」
増島総監督はニコニコしながら声を出した。
「バックネットに直接届いたねえ。すごいすごい」
「投げ方がいいなあ。リリース前には肘がきっちり的に向いてる。誰かに教えてもらったかな?」と背の高いコーチ。
知春の次は同じクラスの鎌谷裕也君だ。
裕也君は野球選手のように大きく振りかぶって投げた。知春と違ってかなり早い球が、地面に当ってツーバウンドで的に当った。
「当りい!!」
さっきのコーチが叫んだ。
――今のずるいよ!
咄嗟に由華の口はとんがった。
「あっはっはっは」と増島総監督。
子供なりに納得いかない裕也君はもう一球投げると言う。
「よし、じゃあ特別だ。次の子ちょっと待っててね」
次に並んでいた女の子がちょっと不満そうだ。
裕也君はいよいよ真剣だ。また大きく振りかぶって投げた。今度はさっきよりもさらに速い球がホームベースに直接当って、そのまま的の下を転がっていった。