酒井真吾の夢
この春に、夫婦と今年小学校にあがる子供の三人家族はこの地にマンションを購入し入居した。
夫の名は酒井真吾、妻は由華、子の名は知春という。
結婚した当初より、夫婦二人は東京都内のアパートに居を構えていたが、このマンションに入居が決まったその半年前に夫真吾の食道癌がみつかり食道を全摘出する大手術が施された。
術後の経過はあまり良くなく、かなり危険な状態での肺炎を数回発症し、一時は意識までを失うこともあった。
当初の危険を何とか乗り越えた夫真吾は退院し、その後特段危険な状態になることはなかったが、最近のマンション入居直前になって癌は胃での再発が発見され、またも手術入院を余儀なくされた。
胃を切除してからというもの、夫真吾は普通の食事など到底出来る状態にはなくなった。延命との引き換えに声帯を取り、声をも失うこととなった夫真吾は、自分は死を待つばかりで、『退院』という選択肢がすでに失われていることを覚り、余命があと何ヶ月なのかわからないが、残された期間を妻と子供の三人で過ごしたいと医師に熱望し、週二回(二泊)の院外外泊を特別に許可された。
新居での週二回の生活は夫真吾にとって大きな夢であったし、小学校入学直後の子供の話を聞くのが唯一の楽しみであった。
入院と治療の費用は、幸いほとんど癌保険の保険金でカバーされたが、夫真吾は二度目の手術入院と同時に会社を退社していたので、僅かながらの退職金だけでは当面の生活費すら賄いきれず、妻由華は土日を含む週五日のパートに出かけた。
マンション購入の際に組まれた住宅ローンでは、契約時にすでに夫真吾の食道癌が発見されており、契約者である夫の癌発見時や死亡時の借入残金の補償はつけられなかったため、月十一万円ほどのローンの返済も大きく家計にのしかかってきた。
しかし新築マンションの購入とそこでの生活は夫真吾の大きな夢の一つであったので、由華にはこれを手放そうと促すことはどうしても出来なかった。
そして、夫真吾の二つ目の夢は、子供を少年野球チームに入部させ、一緒に野球をすることだった。
夫真吾の実家は購入したマンションから車で十五分ほどのところにあった。彼はこの地で生まれ育ち、小学校時代には地元の少年野球チームであるレッドダイアモンズで野球を学び、それからは、高校を卒業するまでずっと野球を続けていた。今もそのレッドダイアモンズは地元で活動をしていて、六十人ほどの小学生が日曜日になると集まり練習をしている。
マンションの真上の階にはチームの総監督がいて、夫真吾は外泊日には時々彼の一室に行き、野球の話を語り合うようになった。語り『合う』といっても、声を失った夫真吾の話は痩せこけた手で綴る筆談である。
医師が妻由華に二度目の手術後に告げていたとおり、夫真吾は入居後三ヶ月の日を待たず、病院で両親と妻子に見守られながらついに息をひきとった。