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さよならのホームイン

 鎌谷君のスパイクシューズの紐が本当に切れたかどうかはどうも疑わしい。当の鎌谷君がきょとんとしているからだ。鎌谷コーチは自分の靴紐を抜いて我が子に靴紐を変えるように言い、渡した。そして、さらにもう一方の靴紐を抜き、ネクストバッターズサークルにいる知春を呼び寄せ同じように靴紐を変えるように言った。一足のスパイクシューズの紐が鎌谷君と知春のシューズをおのおの片方ずつ縫うことになった。

 何やらごそごそと靴紐を交換している姿を見ながら、主審は不愉快そうな表情をした。青山監督はこれを察して脱帽して審判に謝罪した。

 鎌谷君が打席へ向かった。マウンド上の張君は余裕綽々に白い歯を見せた。

 母親たちの断末魔にも似た応援が始まった。青山監督はじっと腕を組みながら見守っている。

 プレイが再開し張君は大きく振りかぶってボールを投げた。真ん中高めの速い球だ。バットは空を切り鎌谷君はそのまま尻餅をついてしまった。

「ああ」皆が一斉にため息をついた。とても打てそうな感じがしない。

 二球目、また同じところへ速い球がきた。次の瞬間、打ちにいった鎌谷君の二の腕にボールが当たって転がった。球審は一塁方向へ掌を出した。デッドボールだ。手段はどうあれ、遂に同点のランナーが出塁したのだ。

 その時相手チームの監督が飛び出してきた。

「審判! 今のは完全なストライクだ! デッドボールじゃない!」

「…………」

「審判!」

 青山監督は俯いた。相手の監督が主張するとおり、今のはストライクと言われても仕方がないようなボールだ。しかし、彼は心の中で思った。


――ストライク・ボールが覆される訳がないだろ。バーカ!


 案の定、球審は首を横に振り相手監督の主張を却下した。そしてベンチへ下がるよう指示した。 相手の監督は地団駄を踏みながら戻って行った。

 応援の母親たちは思いもかけず訪れた僅かなチャンスに色めき立った。 そして次の打者は誰もが代打の斉藤君だと思った。ところが青山監督の心のうちは決まっていた。次の打者は今日唯一、張君から二安打している知春だ。斉藤君はがっかりしてるかと思いきや以外にも大きな声で叫んだ。

「トモー! 頼んだぞ!」

 ゆっくりと素振りをして打席に入る知春。由華は一瞬どきっとした。子供ながらその横顔にはっきりと亡き夫の面影を見たのだ。血がつながっているから当然かも知れない。しかし、由華にはただそれだけのことには思えなかった。

◆◇◆


 最終回七回の裏、一対〇の僅か一点差を追うレッドダイアモンズ最後の攻撃。知春にとってはチーム最後の試合。

二アウトランナーは一塁の鎌谷君。

 打席の知春は相手のキャッチャーが大柄なので、やや小柄に見える。

 知春は緊張した面持ちでバットを垂直に構える。

 じっと腕組みしている青山監督。そして大声をあげる鎌谷コーチ。

 ベンチでは今までにないことが起こっていた。

 選手たちが全員、声を枯らして知春の応援を始めたのだ。しかし知春にはこれを驚いている余裕などない。

 選手のお母さんたちはというと、声に出して応援する人こそいないが、ほとんどは、顔の前に両手の指を絡ませながらのお祈りスタイルだった。

 相手投手の張君は、一塁ランナーの鎌谷君を睨んでボールをセットした。

 一球、二球と続けざまにアウトコース低めぎりぎりのところへストライクが入った。

「いいぞ。好きなところを狙っていけえ!」

 知春もチームも土壇場に追い込まれたが、鎌谷コーチはあくまでリラックスさせることに一生懸命だった。

 張君はツーストライクをとって、セットポジションをやめた。走るなら走れ、と言わんばかりだ。

 大きく振りかぶった。一塁の鎌谷君がスタートを切った。

 張君は最後の一球となるかも知れないボールをビュンと腕をふってキャッチャーミットめがけ投げ込んだ。


カキーン!


 知春の打球は正にジャストミートだった。

 左中間のほぼ真ん中へ打球が飛ぶ、やや浅めに守っていたレフトはあと二・三歩追いつけず、グローブをボールが越えた。

 センターの強肩小比類巻君が回りこんで外野深いところでボールに追いつく。しかし、慌てて少しボールをジャッグルした。

 ショートは中継位置にセットし、バックホーム体制をとった。

 鎌谷君は既に三塁手前まで走りこんできている。土壇場での同点は確実だ。

 張君は送球を待っているショートの選手に体当たりした。

「どけ! じゃまだ! 俺が刺す」ショートの選手はその場で転んだ。

 鎌谷君が遂にホームインした。同点だ! 応援の母親たちは跳び上がって正に歓喜の渦中だ。

 打者走者の知春も三塁手前まで達していた。

 ひょっとしてサヨナラかも? 

 またしても今までにないことが今度は応援の母親たちに起こっていた。 母親たち全員が声を枯らして「トモー! トモー!」の大合唱を始めたのだ。

 ところが……塁上では起こりえないことが起こった。

 知春が三塁を回ったところで何と相手の三塁手と交錯したのだ。まともにぶつかって知春は三塁とホームの間で無残にも転がった。

 その時、中継の張君からキャッチャーへ矢のようなボールが投げ込まれた。

 本塁はもう間に合わない。知春は懸命に起き上がり三塁へ戻ろうと走りだすが、その足は止まった。

「ああ!」母親たちは一斉に叫んだ。ボールはキャッチャーから三塁のカバーに入ったショートの選手へ送られて、知春は胸をグローブでタッチされた。知春は泣きそうな顔をしているがどうにもならない。万事休すだ。 レッドダイアモンズサイドの空気は一気に冷え固まった。

 球審はファールのように手をあげて叫んでいる。しかし、相手チームの歓声で聞こえない。

 相手チームの応援の声が静まった後、球審はもう一度大きな声で叫んだ。


「オブストラクション!」


――何? 何? いったいどうしたの?


 増島総監督が叫んだ。

「三塁手の走塁妨害だ! やったぞ! やった!」

 球審は知春に向け、小さな声で言った。

「君。ホームインしなさい」

 何が起こったかわからず、きょろきょろする知春。

 青山監督が掌でラッパを作り大きな声で言った。

「酒井。早く。いいからホームインしろ」

 知春が鎌谷君の待つホームへ歩いていってホームベースを踏む。

 球審が天を仰いで大きな声で言った。


「ゲームセット!!」


 レッドダイアモンズ、二対一のさよなら勝ちとなった。 

 再びレッドダイアモンズサイドは歓喜の渦に巻き込まれた。

 知春と鎌谷君はホームベース上でどちらからともなく手を出して、がっちりと握手した。


 母、由華と息子の知春はぴったりと同じ想いだ。

 そして、亡き夫、真吾の想いも多分同じ……。

 さよならのホームイン。


――さようなら、鎌谷君。


――さようなら。監督、コーチ、選手の仲間たち。レッドダイアモンズ。


 二人のシューズには同じ一足の靴紐がそれぞれ結ばれている。

 そして、二人の心にも、同じ『靴紐』が結ばれたかも知れない瞬間だった。

 酒井君と鎌谷君。

 それは二世代、時代を超えて結ばれたものだった。

<「さよならのホームイン」完>

 この作品はフィクションであり、物語の内容及び登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。

なお、執筆にあたり、野球オンチな筆者に色々と教えて下さった監督さま、スコアラーの奥様へ心より感謝申し上げます。

【華】

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