「僕、強くなって……」
最後の攻撃に臨む子供たち。その顔は皆こわばったような表情だった。
「勝てるぞ! 一点差だ。まずは同点だ!」
青山監督は相手チームにも聞こえるような大声で叫んだ。
由華は、紅白戦試合中の、知春と青山監督の会話を思い出していた。母由華の噂のせいで、知春がチームから孤立し始めていた頃、彼はたった一度だけ野球を辞めたいと意志表示したことがあった。
◆◇◆
三年前。低学年の紅白試合。知春は当時まだ二年生だ。
青山監督は知春に代打で打席に立つよう指示をした。
知春は監督に逆らった。
「僕、打てない」
「何? どういう意味だ。早く打席へ急げ!」
「足怪我したので打てない」
青山監督が足を見る。ついさっきまで普通に守備練習をしていたし、紅白戦前のランニングでも普通に走っていた。
「うそをつけ」
「僕、チーム辞める。だから打てない」
「馬鹿!」
青山監督は知春の横っ面を引っ叩いた。びっくりしたのは近くにいた由華の方だ。由華は自分のせいでつらい思いをしていた知春の心中を察して、二人の前へ出た。
「お母さん、紅白戦といえども試合中です。フィールド内に入らないで下さい」
「いえ、もううちの子、辞めさせます。子供につらい思いさせてまで、野球をやらせたくありません。本人にとっては理由もなく試合に出させてもらえない。いえ、全部私のせいですから……」
知春の手を掴んで去ろうとした由華を脇にいた増島総監督が制止した。
「青山監督に任せるんだ! 彼は知春君のことを思いやっている。それに彼は純粋に知春君に野球を教えてうまくなって欲しいと思っている」
増島総監督は由華の目を真っ直ぐに見て言った。
青山監督は知春に声を掛けた。
「君は人より強くなりたいんだろう? お父さんがいないから、お母さんは君に野球をさせたんだ。何故だかわかるかい? お母さんはね。君がお父さんがいなくても強く生きていける様にって言ってたぞ」
――ええっ? そんなこと青山監督に言った覚えないよ……。
知春が由華の方を見た。青山監督は続ける。
「それでも君は野球を辞めるつもりか? お母さん悲しむぞ」
「…………」
「だからね。お母さんは君にお父さんみたいに強くなって欲しいんだよ」
――いえ。そんなこと思ってないし、子供にそんなこと言っても無理よ。
由華は知春の顔を見た。そして驚いた。
知春が泣きそうな表情をしている。滅多に見せない表情。回りにいた子供たちの目には、知春が怒られていると映ったのか、皆おどおどと白い目をしている。
由華は突然泣き出した。青山監督は慌てた。
「ちょっちょっちょっと。お母さん。お母さんが泣いてどうするんですか」
それを見て知春が言った。
「僕、強くなってお母さん守る」
――ええ!? 今何て言ったの? 知春……。
増島総監督が叫んだ。
「ようしそれだ! 男の子はそれじゃなけりゃいかんね」
青山監督も続けた。
「よし、じゃあ早く打席へ入れ」
知春がバットを拾って打席へ向かった。
「あっ」
由華は小さな声を発した。
――あなた……。
由華は打席へ向かうまだ小さな我が子の横顔に、ふと亡き夫の面影を見た。