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マウンドの感触

 知春が小走りにピッチャーマウンドに向かった。三年ぶりのマウンドである。ピッチャーマウンドどころか、これまでは試合で守りにつくことすらなかった知春だった。慌てずにゆっくりとマウンドの感触を確かめながら知春は規定の投球練習を始めた。

 スパーン!

 小気味のいいミットの音がした。二球・三球と続けて快速球が美しいフォームから繰り出され、ほぼキャッチャーミットの構える位置ではじけた。

 先発予想が狂ったと見えて明らかに相手チームの監督はいらついている。剛速球で時にノーコン投手の鎌谷を想定して練習をしてきたからだ。

 由華は知春の姿を見て胸の鼓動が最高潮に達し緊張の極限状態となっていた。他の母親たちはじっとマウンド上の知春を見つめている。気が付くと増島総監督が由華の脇に立っていた。

「ほう。トモくんが先発投手か。これは面白くなりそうだな」

そして主審の「プレイボール」という声が響いた。


◆◇◆

 相手チームの先頭バッターはびっくりするほどの小柄な選手だ。小柄な選手がさらに屈みながら小さく構えているので、ストライクゾーンが極端に狭く、またベースに完全に被ってしまっているため、ピッチャーとしてはかなり投げづらそうな打者である。鎌谷君が先発であったなら、腕が縮込まってしまって自慢の剛速球がうまく決まっていたかどうかわからない。もしかしてフォアボールでランナーを背負い、自滅のパターンが意外に早い時期にきてしまっていたかもしれない。完全に鎌谷君を先発ピッチャーに想定した作戦だ。

 知春は初球、真ん中高めのストライクゾーンへ快速球を投げ込み、ベースに被っている打者の上体を一旦起こさせた。続いて外角低めを取りストライク。そして三球目は内閣高めにややボール気味のつり球を投げ空振りさせ、三球で三振にしとめた。普通この場面では応援の母親たちから大きな拍手と歓声が沸きあがる。しかし、今日の応援席はシンと静まり返ったままだ。

 相手チームの監督が準備を始める次々打者に指示を出している。いらついているためか、大きなジェスチャーを混じえているので、声は聞こえなくとも言っている内容は丸わかりだ。青山監督は腕組みをしながらそのジェスチャーを小さく声に出して語訳した。

「おい。高めは意外に手元で伸びるぞ。上からかぶせる感じでスイングしろ。それからつり球に気を付けろ。ゼッタイに振るな。ってか。ははは、丸聞こえも同然だぜ」

 由華と増島総監督は青山監督の真後ろにいたので、彼の独り言のような声も良く聞こえた。

「まあ。すごい。ジェスチャーであんなことまでわかるなんて」と由華。

「いやいや、そんなに難しいことではないよ。野球をしたことがある者ならば腕の動きから充分推測出来る内容だ」

 増島総監督が首を横に振ってそう言った。

 三球三振だった相手の先頭バッターが監督のもとへ戻ってきた。相手の監督は険しい顔をしてまたジェスチャーを混じえてその選手に言葉を掛けた。これを見ながら、また青山監督が語訳を始めた。

「このボケカス! 役立たずの豆タンクの小便小僧!」

 由華はこれを聞いて目を丸くしながら言った。

「まあ。豆タンクの何々って、そんなことまでわかるのってすごい!」

 増島総監督はすぐさま言葉を返した。

「いやいや。そんなこと言っとらんだろう」

「あら。そうなの」

 二番バッターは初球の低いボール球を見送ったあと、二球目に高めに伸びてくるボールの下をこすりセカンドフライでアウトになった。たったの五球でツーアウトである。知春の美しいフォームから繰り出された一見打ちやすそうなボールは、リリースポイントが充分前の方にきているため、ボールの回転が良くベースの前ですうっと伸びてくる。しかしこの後、大人並みにパワーのある三番小比類巻君と長距離砲の四番張君に対しては、たとえ詰まらせても知春の軽めのボールでは外野の奥の方へ持っていかれる怖れも充分にある。特に小比類巻君は速球打ちが得意で、普段からバッティングセンターの百二十キロの超高速マシンで練習を重ねている。ここは丁寧に低目をついていくしかない。

 小比類巻君がぶんぶんとバットを振って打席に入ろうとした時、タイムがかかった。青山監督がサードを守っていた鎌谷君を指差して選手の交代を主審に告げたようである。

 選手や応援の母親の誰もが、ピッチャーが知春に代わって鎌谷君、知春がベンチに下がり、サードに六年生レギュラーの斉藤君が入るものと予測した。ところが、青山監督が主審に告げたのは、何とピッチャーの知春とサードの鎌谷君のチェンジ、ということだった。 監督は何故か知春にこだわっているのだ。

 母親の皆がざわざわとしている。明らかにブーイングだ。しかし、青山監督は皆と目を合わさず口を横に結んで定位置へ戻った。

 鎌谷君は生き生きとしていた。和田君は控えのピッチャーとしていたが、『投げられる』というだけで、頼りにはならない。自分一人でマウンドを守らなければならなかった鎌谷君にとって、後ろに知春がいることだけで大きな安心感があった。プレッシャーに弱いことが欠点だった鎌谷君も、今まさに気力が充実し切っていた。

 類い稀なる剛速球投手、鎌谷君の本領は発揮された。

 小比類巻君は鎌谷君のボールをかろうじてバットに当て、くらいついていったが、とうとうスリーストライク目には完全に振り遅れ、バットが空を切った。三者凡退でチェンジだ。応援席は大歓声である。知春が三振を取った時の様子とは雲泥の差である。

 青山監督が鎌谷コーチに言った。

「おいおい、今日は一段と球が走ってるぞ。百三十キロを超えたんじゃないかい?」

 その後ろにいて由華と並んで観ていた増島総監督は、「いやいや、それはちょっと大袈裟だな。振り遅れてるからそう見えるんだ。しかし、確かに早い。というか、球に気合が乗っているな」と言った。

 主砲、小学生離れした張君との勝負は次のイニングに持ち越された。


◆◇◆

 

 相手投手の張君は剛速球投手ではないが、小学生離れした百七十三センチの長身から角度のあるボールをズバズバと投げ下ろす。しかも左腕のやや変則的な投げ方であり、コントロールも良いのですぐに追い込まれてしまう。レッドダイアモンズの一回裏の攻撃も三者連続三振だった。

 二回表、鎌谷君は張君に初球をライト前に弾き返された。彼も鎌谷君の剛速球には振り遅れていて、かろうじて当てたという感じの打球だった。 ランナーを背負い、とたんに鎌谷君の顔色が変わった。

 その時またもタイムがかかった。ピッチャーの交代である。スタートの状態と同じように、知春と鎌谷君が交代し、ピッチャー知春、サード鎌谷君になった。

 それからまた、投手戦が始まった。

 相変わらず知春への応援はない。しかし、両チーム『〇』行進の中、知春はレッドダイアモンズの仲間との最後の試合を必死で投げていた。三番の小比類巻君と四番の張君の打席では剛速球の鎌谷君が投げる。その他の打者に対しては小気味良く知春が快速球で、打たせて取る。風変わりな連携は相手チームの打撃を六回まで張君のシングルヒットの二安打に封じ込んでいた。

 最終回七回表の相手チームの攻撃は三巡目の三番小比類巻君からの攻撃だった。知春と鎌谷君が例によって交代し、鎌谷君がマウンドに立つ。鎌谷君は全力投球とはいえ、二人の打者に二回しか投げていないので、スタミナは充分のはずだった。しかし、最終回というプレッシャーが彼の心理に微妙な変化をもたらしていた。

 小比類巻君はファールで十三球も粘った挙句にフォアボールを選んだ。その後、四番の張君に対してストライクが入らない。ワイルドピッチでランナーを二塁に進塁させたあと、張君にセンター前に弾き返され、とうとう土壇場の最終回で一点を与えてしまった。その後、知春が踏ん張って後続を断ちチェンジとなったが、最終回の一点は相手投手が張君でスタミナを充分残しているだけに、チームに重くのしかかった。

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