第一部【成立】第一話「転移」
―これは検証好きで理屈っぽいがどこにでもいる建築作業員が、後に壊れた世界の基盤構造そのものを再構築する存在となるまでの物語―
— 初日 —
雨の匂いがしていた。
アスファルトの上に落ちた最初の一滴が、濃い灰色の斑点を作る。
「降るな……これ」
直人は空を見上げた。
仕事帰りだった。
外壁サイディングの施工を終え、片付けも済ませ、トラックの荷台へ最後の道具箱を積んだところだった。
外壁、看板施工、外構、防水、そして電気工事。
建築に関わる現場は一通り経験してきた。
構造は嘘をつかない。
正しく組めば立つ。間違えれば壊れる。
それだけの話だ。
——ピシッ。
乾いた音がした。
一瞬、足元の感覚が消えた。
「……は?」
世界が歪んだ。
視界が白く弾ける。
次の瞬間。
直人は、森の中に立っていた。
雨の匂いは消えていた。
代わりに、湿った土と草の匂いがする。
「……どこだよ、ここ」
道路も、建物も、電柱もない。
空は見えるが、周囲は完全に森だった。
夢?
いや——違う。
風の感触がある。
靴底の土の柔らかさがある。
試しにその場でしゃがみ、地面を指で押す。
沈む。
湿り気。
腐葉土層あり。
「……なにが」
立ち上がり、周囲を見回す。
人の気配はない。
音は——
風と、葉擦れだけ。
(とりあえず)
直人は自分の状態を確認した。
作業服。
安全靴。
腰袋はない。
道具もない。
スマホもなかった。
「……詰んだか?」
いや。
直人はすぐに首を振る。
(詰みってのは、確認してから言うもんだ)
まず必要なのは、整理だ。
優先順位。
1:安全
2:水
3:雨対策
4:火
5:食料
これは現場でも同じだ。
環境を確認し、
リスクを潰し、
成立条件を満たす。
それだけだ。
その時だった。
ポツ。
手の甲に冷たいものが落ちた。
空を見る。
雲。
暗い。
「……マジかよ」
直人は小さく笑った。
「歓迎はされてないらしいな」
だが、焦りはなかった。
雨は敵ではない。
準備がない状態の雨だけが敵だ。
(なら、準備するだけだ)
直人は歩き出した。
【成立】させるために。




